先を見据えた職業体験 その1

 バークレン伯爵家の屋敷は、小高い丘の上に建っている。

 少し下れば当たり一面が葡萄畑になっていて、広大な土地をワイン造りに使用していた。


 だが最初から、伯爵家の近くまで畑が広がっていた訳ではなかったらしい。

 出来の良いワインを産出するにつけ評判が増し、更に求められた結果、面積を拡げる事になった。


 最初は単に見晴らしが良く、程よく村から離れ、そして監視も出来る立地だったから、この場所を選ばれたに過ぎない。

 今となっては屋敷から離れた平原地帯に領都が作られた事で、伯爵家の立地が田舎になってしまった。

 だから、両親の出向く機会がある時は、必ずそちらの方向ばかりだった。


 本来は視察をして農村の実態を確認したりするものだが、土臭いものに貴族は近寄らないと言って、蔑ろにしている。

 伯爵家の馬車は南方面にしか向かず、北方面の農村部に向かわないとは、ここでは良く知られた話だった。


「……ねぇ、集めた話を総合すると、そういう事になるんだけど……。それって、本当なの?」


「私もここに来て長い訳ではありませんけど、そう聞いてますね」


 十日掛かって、ようやく外出の準備が整った。

 それで今は自室で着替えながら、自領の歴史の確認をカーリアに尋ねていた。

 屋敷の中でしか生活して来ず、また星羅の意識がセイラと重なってからも、屋敷の外に出たのは、面通しの一度きりだった。


 かつては過保護の意味もあったのだろう。

 だが今は、隔離という意味で外出させたくないから、これまで機会に恵まれなかったのだ。


 平民――というより農民がよく着る麻布の服に袖を通しながら、思わず顔を顰める。

 麻で作られた服は肌触りが悪く、通気性が良すぎる上にゴワゴワとして不愉快だった。


 しかし、これが本来は普通なのだ。

 普段から実は非常に恵まれていたのだと、改めて実感してしまった。


「それで、農村部に行くのは問題ないのよね? ワイン農家になるんでしょ?」


「そうですね。最寄りの、というご希望に沿うつもりですから。ただ、邪魔だけはしないで下さいね。別に通達もされてませんし、便宜を図れとか命じてないですから」


「そりゃそうでしょ。お忍びなんだし、そもそもそんな通達したら父達にも知られてしまうわ」


「不愉快な発言も受けるかもしれません。……暴れないで下さいよ」


「しないわよ。どれだけ節操ないと思われてんの」


 そうは言いつつ、カーリアが苦言を呈したくなる気持ちも分かる。

 他のメイドはともかくも、売り言葉に買い言葉で、彼女には殴り掛かる場面は多かった。

 今となっては一種のコミュニケーションだが、同じことを他人にやっていたら、単なる暴力沙汰でしかない。


「葡萄の収穫時期はまだ先ですけど、今の時期ですと雑草取りや手入れなど、細やかな仕事に従事している筈です。苦労も多く大変なんですから、下手な事だけはしませんように」


「分かってるわ。仕事の邪魔しに行くんじゃないんだから。ただ見るだけ、私の認識とどれだけ差異があるか知りたいだけよ」


「まるで、領主様みたいな言い様ですね。いえ、もちろん他意なんてないんでしょうけど」


 衣服を着させて、最後に革の帯で腰付近を軽く縛ると、それで完成というように両肩をポンと叩いた。

 鏡を確認して見ると、そこには素朴な衣装に身を包んだ幼女がいる。

 髪も三つ編みに結われていて、普段の印象からガラッと変わっていた。


 とはいえ日焼けもせず、そばかすもなく、そのうえ髪の毛に艶がある農村児など、何処にも居はしないだろう。

 これで他の村から来ただけの、一般農民と言い張るには無理がある。


「……まぁ、上出来かしらね。どうあっても、あたしの気品って隠しきれないし」


「……ハン!」


「鼻で笑ってんじゃないわよ。いいから、あんたも早く準備なさい。近いと言っても、結構歩くんでしょ? お昼より前には着きたいわ」


「畏まりました」


 そう言って一礼して去って行くと、ものの数分とせずに戻って来た。

 鞄や帽子など、ピクニックする様な手荷物はあるが、その服装はいつものお仕着せのままだ。


「いや、荷物はともかく、その服早く着替えてらっしゃいよ。お忍びの意味理解してる?」


「まさか、お気付きになりませんか、お嬢様……!?」


「はぁン……?」


 無表情の中に驚愕を顕にするという、謎の表現力で慄くと、カーリアはお仕着せを見せびらかすようにスカートの端を摘んだ。


「これは新品のお仕着せですよ。糊付けが全く違うでしょう? 襟までパリッと仕上がってて……」


「いや、何で新品のお仕着せ用意してんのよ!? 新しく服を着るなら、せめて平民が着てるやつでしょ?」


「ですが、私はメイドな訳ですし……」


「今はそれを隠せ、つってんの! どこの世界にメイドを従えて歩く農民がいるのよ! どこから来たのか一発でバレるでしょ!?」


 指を突き出して言うと、カーリアは思案顔めいた雰囲気を発して、おもむろに頷いた。


「気付かれなければ、それでよろしいのでは?」


「……どうやって?」


「気付いた素振りや、気付きそうになった者を、順次物理的に口を封じます」


「駄目でしょ! それ駄目なやつでしょ!」


「お嬢様、落ち着いて下さい。気が逸り過ぎです。死人になって貰う、という意味ではございませんよ」


「そうなの……? 他に意味があるとは知らなかったわ」


 訊きたくはないが、訊かねば何をするつもりか分からず恐ろしい。

 じゃあどういう意味だ、と首を動かして催促した。


 すると、手持ちのバケットから一つの容器を取り出して掲げる。

 木製の円形をした小物入れで、ともすればハンドクリームでも入っていそうな見た目だった。


「こちら、非常に強力な糊です。これを使えば僅か数秒で、皮膚同士が完全にくっ付く優れものでして。指を誤ってくっつけた人が屋敷にいましたが、専門の溶解液がなければ糊を取り除けなかった程なのです」


「物理的にってそういう!? 予想以上に字面どおり封じてくんのね!?」


「一生、鼻から麦粥食わせてやりますよ」


「やめなさい! 置いて行きなさい、そんな物騒な物! あんたが素直に変装すれば良いだけでしょ!?」


 至極当然の指摘な筈なのだが、カーリアは顔を横に逸らして聞こえない振りをする。


「……今日は良いお天気ですね。帽子はしっかり被りませんと。大丈夫、庶民向けに麦わら帽もありますからね」


「話を逸らすな! 何が不満なのよ!」


「いや……でも、糊を置いていくと、お嬢様の頭から帽子が外れないドッキリ仕掛けられないじゃないですか」


「そっちの話じゃないわよ、この馬鹿ッ! いいから早く着替えてらっしゃい!」



   ※※※



 それからすぐに屋敷から出立して、肩を怒らせながら道を歩いていた。

 背後からは相変わらず、お仕着せを来たままのカーリアが付いて来る。

 糊を置いて行かせる事は承諾させたのだが、結局服の方まで首を縦に振らせられなかった。


 いつまでも屋敷で時間を浪費している訳にもおられず、仕方なくそのまま出たのだ。

 既に多くの時間を浪費していたし、いっそ日を改めた方が正解だったかもしれない。


 だが、カーリアの意志は頑なで、日を変えたところで別の服を着させられはしなかったろう。

 ならばいっそ、そのままに出立した方が楽だった。


 それに、結局いつまでも騙し続けられる訳でもないのだ。

 変装をしているとはいえ、所詮遠目で見れば勘違いするかも、というレベルでしかない。

 これから幾度も通うつもりだし、そうなれば正体が判明するのも時間の問題でしかなかった。


 それが分かっているとはいえ、最初からカーリアの破天荒で先行きに影が差すのも嫌な気分だ。

 恨みがましい目を向けてみても、カーリアには柳に風で、全く気にした素振りがない。


「……ところで、こっちの道で合ってるのよね?」


「はい、間違いありません。ごく近い農村部ですから、間違えるほど道もありませんし、危険も少ないですからね」


「随分、意味ありげに言うじゃない。じゃあ、幾らか危険はある、って意味よね? 具体的には?」


「伯爵家の近くですから、盗賊被害や物盗りはまずありませんよ。小物の魔獣さえお目に掛かれないでしょう。実際には、お嬢様が転んで怪我する方が、よほど確率も大きいぐらいでしょうね」


 小癪な言われようだが、それなら危険は殆どないと思って良いらしい。

 考えてみれば、オルガスが許可する程なので、よほど危険がないと思われているに違いないのだ。


 まだ幾らも進んでいないというのに、足の疲れは既に出ている。

 一時間は歩いているような心持ちだが、太陽の位置から考えて、実際に時間はそう経っていないらしかった。


 うんざりする気持ちでいると、前方に家が見えてきた。

 家というより小屋というべきで、一時休憩などに使われるものらしい。

 周囲は既に畑に囲まれていて、どこまでも葡萄の樹しか見えていない。


 帽子を被った農民が、腰を屈めて手入れをしているのも見えた。

 大人ばかりではなく子供も混じっていて、親の指示を受けて仕事をしているようだった。

 この時代、子供は大事な労働力であり、自由に遊ばせて貰えるものでもない。


 学校制度はある筈だが、それも毎日ある訳ではない上、短い時間だけだ。

 日曜学校などと言って、週に一度だけの勉強の日がある、という地域は未だ多い。

 農村部は特にその傾向が強く、人でも足りていないという話から、子供さえ労働力に使わないと成り立たないのだろう。


「父は、まぁ……農民に知識を付けさせたくないんでしょうね。便利に使い倒せる方が良いと思っているんでしょうけど……」


「水撒きは重労働です。簡単、しかし疲れる。そうしたところの労働力に、子供が使われる傾向は多いでしょう」


「あら、詳しいのね。あなたも子供の頃は同じ事してたの?」


「いえ、私はそうした光景を見たことがあるというだけです。生まれは農民ではありませんから」


「ふぅん、そう……」


 カーリアが訳ありという事は、既に何となく気付いている。

 しかし、あえて訊きたいほど関心は高くなかった。

 言いたくなれば言うだろうし、知られたくなくとも必要と判断したら、オルガスの方から言って来るだろう。


 それより今は、農村部の実態の方を詳しく知りたかった。

 小屋だと思っていたものも、水汲み場所の井戸があるらしく、休憩を挟んで行う為に用意したのようだ。


 額に汗して雑草を抜く者、それを追いかけるようにして水を撒く子供。

 顔に疲れは見えても、悲観した様子は見られない。

 彼らにとってはこれが普通で、そして当然の日常なのだ。

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