味方を得るのは難しい その8
「へぇ……、然様でございますか」
カーリアの返事は余りに素っ気なく、全く興味を感じさせないものだった。
こちらとしては一念発起した発言だったのに、肩透かしを越えて困惑が先立つ。
それで話は終わりとでも思ったのか、カーリアは掃除を再開して再び背中を向けてしまった。
「いや、ちょっと待ってよ! 大事な話してるんだけど!?」
「はいはい……。その話、何度目ですか? 今度はどこのお姫様なんです?」
「あー……、今度は? 今度は、って何よ?」
「この前も似た話してましたよね。確かその時は……、滅んだ国のお姫様……でしたか? その前は月の国のお姫様でしたっけ? その前は海の底で暮らすお姫様だったような……。それで、今度はどこから来たお姫様なんです?」
「いや、違うの! 全然、そういうのじゃなくて……!」
記憶の底を攫っても、裏付け出来るものは今一ハッキリしない。
しかし、カーリアの口振りを見るに、セイラは子供らしく夢見がちな空想癖を、全力で開陳していたらしかった。
――面倒な事になった。
幼い子どもの戯れが、こんな所で足を引っ張るとは思いもしない。
どうしたものかと眉根を顰めつつ、説得する為の言葉を重ねた。
「何て言ったら良いか……。とにかくね、違うのよ。あたしには前世があって……」
「あら、今度は切り口が違いますね。創作にはそうした事も大事ですよ」
「だから、違うわよ! 作り話じゃないの!」
「そうなんですね。次はお姫様じゃなければ何なんですか?」
「普通の人よ。一般人……、つまり平民!」
「んー……、よろしいんじゃないですか? 上ばかり羨んでないで、自分達を支えている人々に目を向けるのは良い事です」
「だから、そうじゃないんだってば……!」
カーリアはしっかり返事だけはしてくれているが、面倒だけど付き合ってやっている、という雰囲気は一貫していた。
セイラが口にする事は、新しい思い付きや、創作の設定程度にしか思っていない。
その間も掃除の手は止まっておらず、まるで仕事をしているという免罪符で、応対をおざなりにしても良いと思っているかのようだ。
いや、それは事実として正しいのだろう。
何かしらの無茶振りが始まれば、創作の話だと勘違いしてました、とでも言って逃げ切る気なのかもしれない。
「何で分かってくれないかしらねぇ……。まぁ、いいわよ。勝手に事実だけを言うから。あたしは別の世界で平民として生まれて、何でか知らないけど今ここにいる。そういう事なの」
「創作で食べていきたいなら、もう少し練った方がよろしいですね」
「だから、違うって言ってるじゃないのよ!」
いい加減説明にも疲れてきて、ベッドを握り拳でぼふぼふと殴る。
天井を見上げて猿のような悲鳴を上げていると、呆れた顔をしてカーリアが振り返ってきた。
「平民って言いますけど、平民がどういうものか本当に知っているんですか?」
「そりゃあ、勿論、……あれよ。普段朝から働いて、お金を貰ってー……。子供は学校行ってー……」
「何ですか、その薄っぺらい答え。子供は学校なんて行きませんよ、平民なら尚更です」
「いや、あくまであたしの世界ではそうなのであって……」
「……まぁ、言うのは勝手ですからね。それに、今の答えじゃ貴族は働いてないみたいに聞こえましたけど、普通は働きます。ご当主様が働いていないだけです」
「うっ……!」
言われるまでもなく当然で、貴族は国から年金が支給されているものの、それだけで食っていけるほど恵まれてはいない。
そもそも魔獣に備える兵力を維持する名目で与えられるので、そこで大部分は消えてしまう。
平民と変わらぬ慎ましやかな生活を送れば、残った金額で食費を賄う事は可能でも、社交費が全く足りない。
貴族に社交は付き物で、パーテイを開くにしろ、参加するにしろ、色々な部分で金が掛かる。
つまり、自領で何かしら生産活動をせねば生きて行けず、それらを監督しなければならない。
領民の監督は、一つの問題を十にも二十にも増やし、決して遊ぶ暇などないものだ。
だが、優秀な領には、優秀な家臣がいるものでもある。
先祖代々の仕事に従事しているからこそ、問題点への対処なども早く、正確だったりする。
うちではオルガス一人がそれを担って――丸投げしているのだから、相当不義理な真似をしていると言えた。
バークレン伯爵領はワイン畑を多数抱えているだけに相当広く、面積に比べて人口は少ない。
しかし、それは面積比率に限った話であって、街に行けば相応に賑わっている筈なのだ。
街には街の長がいて、基本的にはそこで解決させるから全てを把握している必要はないとはいえ、その街も一つではない。
農作物の不作の問題も持ち上がっていたし、やるべき事は多い。
働かずにいられる筈がないのだ。
「う……っ、そうね。迂闊な事を言ったわ……」
少し考えれば、幾らでも想像できる余地があった。
言ったことが本当だったとしても、誤解を増長させるだけしかないと悟り、肩を落として消沈する。
信じて貰おうと口に出しただけだったが、結果として世間知らずの令嬢、という印象を強めただけに終わってしまった。
「どうして平民なんか言い出したんです。こだわりでもあるんですか? 平民の事を知りたいとでも?」
「別に知りたいって訳じゃ……」
そこまで口に出して、心のなかで思い立つものがあった。
ここまで拗れた誤解は、そう簡単に解すのは難しいだろう。
精神年齢はともかく、実年齢が六歳という事を忘れてはならない。
オルガスもある意味で非常に勘違いしていたのだが、それも年齢が根底となっている。
この根底を崩すには、まず自分の年齢が枷になるのだと、ようやく思い至った。
いや、分かってはいたが、心の何処かで侮る部分があっただけだ。
人は実際に、まず見かけで判断する。
女性であることも然りだし、年齢から何を出来るか判断するのも、また然りだ。
それを崩すのは容易でなく、何度言葉を重ねても戯言と思われるのが落ちだ。
――先程のカーリアがそうであったように。
ならば今は、それを利用する事に舵を切るべきだった。
幼いからこそ認められない事があるのと同時に、幼いからこそ許される事もある。
年頃の令嬢では、はしたないと思われる事でも、今ならば許される事もある筈だ。
「ねぇ? あたしが平民を見てみたいって言ったら、許してくれると思う?」
「無理ですよ。ご当主様がお許しになるとは思えません」
「あ、やっぱり……。そうよね、幾らあたしに興味ないとはいっても、それで恥をかくのが親ってなれば……」
「でも、オルガスさんには、お嬢様のご要望はなるべく聞くようにって言われてます」
風向きが変わったと感じて、俯けていた顔を上げる。
カーリアも既に手を止めてこちらを見ていて、無表情の中に意志を感じる瞳を向けていた。
「身の危険に晒されない範囲なら、とも言い含まれていますけど」
「えーと、それってつまり……。屋敷から出ても良いってこと?」
「勿論、お忍びでって形になりますから、馬車も使えないと思います。ご当主様にも奥方様にも秘密の形を取る必要がありますし、そちらの面倒事は付いて回りますけど、それでもと言うなら、お連れしますよ」
「そうなの……? なんで?」
疑問を口にしつつも、予想は大体ついていた。
セイラという令嬢に、多大な期待を寄せるオルガスだから、そう命じたに違いない。
単にご機嫌を取れ、不興を買うな、という意味ではなく、聡明なセイラならば間違いを犯さないと思っているのだ。
そしてカーリアは、父よりもオルガス側に付いているらしい。
ご当主が許さない、と発言している事からも、父の意志は把握しているのだ。
その上でオルガスの意向に従うと言っているのだから、それは明らかだった。
「でも、どうして? 給金を払う父に従うって話じゃなかったの?」
「いいえ、そうは言ってません。あくまで形式上、ご当主様に頂いていますし、その際には当然ご当主様へ従う事になってます。でも、実際の雇用権限を持っているのはオルガスさんですから。屋敷の人事も、オルガスさんの一存で動きます」
「それは……、そうだわね」
本来それらは母の役目だ。
人事権を握り、奥向きの全てを支配する。
パーティを取り仕切る場合には、どういう食器を用意するか、食材をどう選ぶか、ワインのグレードは……そういった細かい事にまで口を出すものだ。
だから、当主の妻は女主人と呼ば習わされているのだが――。
母もまた、それを手放して久しい。
父の怠惰に引かれた結果ではないか、と勝手に思っている。
楽が出来るなら、誰もが楽をしたい。それは真理だ。
そして、オルガスが完璧に纏め上げてくれている上、父も投げ出す事を咎めないからこそ、義務を放棄する事にしたのだろう。
――その癖、権威は振りかざす。
使用人にしても、自らに傅く者のみを近くに置く。
屋敷が傾くのも当然というものだ。
そこで孤軍奮闘していたオルガスには、改めて尊敬の念が湧く。
だからこそか、と改めて思い直した。
セイラの中に一縷の望みを見出したにしては、随分と大仰と思っていた。
実際、それ程までに追い詰められていた、という事なのだろう。
先代の偉業を知り、その時代から任されていた彼には、相応の誇りがあったろう。
変えたいと思っても変えられなかった。
戻したいと願うだけでなく、実際の努力もあった筈だ。
その悉くが無為になった……その失望からの反転がアレだったのだとすれば、過度な期待も頷ける。
かつての栄光を夢見るには、あれで十分だったに違いない。
だからきっと、カーリアに会った時には上機嫌で、望むままに手配するよう命じたのだろう。
――だが、同時に試金石でもある筈だ。
言葉の端々からでは伝わらない、セイラの真価を見定めたいとも思っている筈……。
だが、残念ながらかつての栄光を取り戻すつもりなんて、微塵も持っていない。
両親の意志を変えられない限り没落は不可避で、そして両親の意志を娘ごときが変えられないと理解しているからだ。
せめて、これが男児だったなら……。
その場合なら、年齢と共に発言権を増し、父も耳を傾ける程度の事はしてくれただろう。
オルガスの期待に応えないのは心苦しいが、何より自分の人生の方が大事なのだ。
没落前に逃げ出し市井で生きて行くるもりの身としては、自由に屋敷を出て行ける権利は垂涎物だった。
これを上手く利用すれば、没落後を睨んだ準備など出来るかもしれない。
「……いいわ。あんたはあくまで表向きは父に、実際は人事権を握るオルガスの意向に従うって訳ね」
「そうですね。特別な命令をご当主様から受けない限りは」
「因みに、そういう事って頻繁にあるの?」
「いいえ、目を離すなと言われた時ぐらいです」
「あぁ……」
魔力測定の後、自暴自棄になるとでも思われて、監視されていた時か。
そしてどうやら、その命令は今も有効であるらしい。
「あたしのやる事なす事に、報告はしているの?」
「いいえ、特別命令されない限りは……。その報告もオルガスさん経由でやって来ます」
つまり、握り潰すのも容易と言っている様なものだった。
それならば確かに、出入りの目さえ気にすれば、問題なく外出できそうだ。
「いいわね、素敵よ。それなら村の方に行ってみましょうか。最寄りの村になら、あたしの足でも行けるんじゃないかしらね。準備して頂戴」
「畏まりました」
カーリアが恭しく礼をして、満足気に頷き返す。
とはいえ、明日すぐ、という話にはならないだろう。
準備とは、普段セイラが着ない市井の服を調達する事も含まれる。
きっと数日は要する筈だ。
その日が来るのを心待ちにしつつ、ベッドへ背中から倒れ込んだ。
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