認められない現実 その4

「どうであれ、幼すぎるのが問題よね……」


 今いる家が、既に沈みかけている船だとしても、今すぐ飛び出す必要はない。

 船底に穴が開くより前に、逃げ出す算段を付けておけば良いだけだ。


 それまでに必要な知識を身に付け、家を離れて暮らす方法などを見つけ、手に職を持てるようにする。

 簡単な目標としては、そんな所だろう。

 後の事は、おいおい決めて行けば良い。


 バークレン家が没落するのは、原作開始してから最初の夏だった。

 つまり、セイラが十五歳になって学園に入学してからの話。

 ――猶予は、十分にある。


 この時代は子供も十分な労働力だ。

 農村などでは十歳になるより前から、家計を助ける仕事をするのが自然だった。

 手に職を、と思うなら、そういう所の下調べもしておくべきかもしれない。


 だが、それより前に調べておきたい事があった。


「魔力があって、それを磨かないなんてあり得ないわ」


 魔力も技能の一つであり、そして、重宝されるのは技術である筈だ。

 今の時代は安全で、平和な治世が続いている事もあり、戦場で利用されたりしていない。

 確か原作となる小説では、平和な世が三百年続いている、と書いてあった。


 魔力と魔術の多くは形骸化し、貴族が権威を示す為に持つもので、高い質の魔力を残す事に腐心している……という描写があった様に思う。

 単に貴族のステータスとして高い魔力持ちが望まれているだけで、それを用いて何かする事はない。


「基本、宝の持ち腐れなのよね……」


 平和な世にあって、魔力を用いる必要がなくなった……そういう部分もあるだろう。

 土の魔力で畑を耕す奇特な貴族など、まず存在しない。

 まず希少な存在としての価値が先にあるので、効果的、効率的に運用するかどうかは別問題なのだ。


「魔獣討伐の任を帯びるケースもあるみたいだけど……」


 畑を耕す為に農民がいるのと同じ理屈で、魔獣を討伐する為に兵がいる。

 領都警護兵はその為に存在するのだし、治安維持だけでなく、そうした荒事にも駆り出されるものだ。

 領都から離れた村落でも、魔獣の被害届が出れば、そこから出兵する。


 とはいえ、実態として数が少なすぎる所為で、全ての部隊に魔力持ちがいる訳でもない。

 そもそも、魔力や魔術を用いなくとも、魔獣は倒せる。

 魔力持ちはその多くが貴族になるので、あくまで役職に付いているだけで実戦は未経験という話は少なくない。


 魔獣は非常に凶暴だから、表立って戦いたがらない、という理由もあった。

 普通の獣と違って急所がない点、魔核を破壊しない限り死なない点が、大きな違いだ。


 しかし、違いといってもそれぐらいで、火を吐いたり、魔術めいた攻撃方法を持っていたりしないものだった。

 勿論、ドラゴンを代表として、強力な魔獣はその例外だ。


 とはいえ、この王国にそうした強力な魔獣は生息していない筈だった。

 どちらかといえばお伽噺の部類で、それだけの存在にはお目に掛かれるものではないらしい。


 そんな訳なので、戦時でもなければ活用されない魔力は、単に貴族が己の気高さを着飾る装飾の一部に成り下がっている。


「まぁ、だからこそ、両親はあの態度だったんでしょうけど……」


 学園への入学が義務化されているのは、一定以上の魔力保有者に限られる。

 基準に満たなくとも入学できるし、確かセイラもそのパターンだったと思うが、そうすると学費が高くなるのだ。


 義務化されている入学者への負担を軽くすると共に、持たざる者は、その負担を持たされる事になる。

 だが、貴族とは見栄で生きるものだ。

 入学できない、させられないなど受け入れられない。


「必然的に、高い入学金を積む事になる、と……」


 家計が火の車だったとしても、入学させない、という選択肢はなかっただろう。

 それが己の首に掛かった縄を、更に締める要因になろうと、断行せずにはいられなかったに違いない。


「それが不正行為に走らせる、原因の一つにもなってそうよね……」


 セイラが得意属性を素直に伸ばしていれば、一定以上の基準は満たせただろう。

 初めから教本の一つもない属性は切って捨てて、家にある教本で学ばせた結果だ。


 ――現実的な方法ではある。

 無駄な時間を費やすくらいなら、最初からある程度、目のある方法を試すのは正しいとすら思う。


「その結果生まれるのが、他人の顔色ばかり窺う小悪党……、と思うとね……」


 何とも居た堪れない。

 親の期待に応えられず、そんなセイラは辛く当たられ、次第に強いものには媚を売るしかなくなったのだろうか。

 そのくせメイドには逆に自分が辛く当たり、我がままの限りを尽くしていたのだろう。

 今の性格を思うと、矯正する誰かがいなければ、立派に性根の曲がった淑女が誕生する。


「何かしらねぇ……。つまり、それが私ってこと……?」


 そんなの知った事じゃない、というのが素直な本音だ。

 やられ役など、どこにでも転がっている。

 そのやられ役Aが、物語の都合で使用され、捨てられるというだけだ。


「まぁ、それが自分だってなると、ぜんっぜん笑えないんだけど……」


 元より、流されるまま生きて、父の不祥事に巻き込まれて断罪されるつもりはない。

 平時において活用されない魔力なら、これを上手く使えば引く手数多、という線で希望が持てる。

 冒険者みたいな、戦闘とロマンに明け暮れる生活……?

 いやいや、それよりは、もっと平和的で長閑な生活の方向で考えるとして――。


「まずは、制御方法を知らないと話にならないわね」


 本棚へと視線を向けてみれば、そこには幸い、勉強するに事欠かない数多くの種類が収められている。

 自分の子供なら地属性か水属性のどちらかだろう、と思ってか、魔力制御系の本はその二種類に絞られていた。


「ま、十分よね。とりあえず、今のところは……!」


 胡座を解いて、ベッドの上に立つと、スプリングの勢いを利用して大きくジャンプした。

 軽快に飛び跳ね、軽い調子で床に降りて、そのまま本棚の前まで歩き背表紙を指で撫でる。


 中には子供に読み聞かせし易い童話なども置いてあった。

 教育本ばかりでないのは、子供に掛ける愛情があったからだろう。

 退屈しないよう、時にはメイドに読ませるつもりがあって、用意していたに違いない。


「それも今日までの愛情、か……」


 見栄の為に、能力がないと分かった我が子に対して、向けてきた目を思い出す。

 ――あれは蔑みと落胆の目だった。


 最悪、ここにある本も取り上げられるかもしれない。

 むしろ逆で、他より出来が悪いのだから、必死に努力しろと言われるだろうか。


 いずれにしろ、読める内に読んでおくべきだった。

 本棚から『魔力制御入門』なる、初心者向けの本を見つけて抜き出す。

 そのまま机の上に置くと、椅子に座ってページを開いた。


「見たことな文字だけど……、読める事……は、読める」


 分かるのは簡単なものだけで、少しでも専門的な単語になると意味不明だった。

 初心者向けとはいえ、一応学術書だ。

 六歳児が読むことを想定した書き方をしていない。


 セイラも貴族令嬢として、これまで高度な教育を受けていた。

 だからこそ、この本の一部なりとも読めたのだろうが、一般人の域は出ていなかったようだ。


「当然といえば当然か……。この時点で優秀だったら、あの両親もあそこまで落胆する目を見せてこなかったでしょうし……」


 思わず重い息を吐いてから、頬杖を付く。

 窓の外に目を向けながら、どうしたものかと、机の上を指先でコツコツと叩いた。


「――お呼びでしょうか、お嬢様」


「うぼほぉっ!?」


 突然背後から声がして、背筋を仰け反らせながら、椅子の上で跳ねる。

 振り返ってみると、そこには無表情のままカーリアが姿勢正しく立っていた。

 未だにドコドコと音を立てている心臓に手を当てて、口元を戦慄かせながら指を向ける。


「あん……あんた! なに驚かせてくれてんのよ! っていうか、入って来んな!」


「お呼びしたのはお嬢様ですのに、あまりにご無体なお言葉ですね。その指へし折っても構いませんか?」


「構うわよ、馬鹿なの!? 大体あんたなんか呼んでない!」


「確かに聞きましたよ。机を指先で二回叩きましたでしょう? 呼び鈴が無い場合、そうやって近くのメイドを呼ぶものです」


 無表情のまましたり顔で言って、思わず顔を顰めて己の指先を見つめる。

 確かに、窓の外――雲の動きを眺めながら、どうしたものかと考えていた。

 その時の動作は、確かにカーリアが言っていたもので合っている。


 無造作、無意識にやったとはいえ、確かに使用人を呼んでしまっていたようだ。

 だから、それについては無知ゆえの失敗と自省しよう。


 しかし、そこは泣いておくとしても、納得いかない事があった。

 今度はカーリアの背後、締め切られた扉をチラリと見ながら尋ねる。


「……っていうか、あんた、どうやって入ってきたのよ」


「それは、まぁ……。お嬢様に呼ばわれたわけですし」


「そうじゃなくて、扉が開いたり、閉まった音もしなかったじゃない。大体、反応が早すぎるっていうか……」


「だって、お嬢様に呼ばれた訳ですから」


「答えになってないでしょ! 物理的にどうやって来たのよ!?」


 再び指を突き付けて詰問すると、表情に陰を落として、ずいっと迫る。


「本当に、聞きたいですか……?」


「な、なによ……! 脅そうったって無駄よ! ちゃんと答えなさい!」


「良いメイドの条件とは、主の意を汲み取って予め動ける事です」


「は……? いきなり、何の話?」


 首を傾げるものの、それには構わずカーリアは続ける。


「いつ何時なんどき、お声が掛かり御用を言いつけられるか分かりませんから。常に背後で控えておりました」


「意を汲み取るってどういう意味だっけ? あたしは部屋から出てろって言ったんだけど!?」


「はい、ですから部屋から出て行くフリをして、ずっと死角になる場所に立っていました。ベッドから降りた後も、本棚でご本を選んでいる時も、読めない文字に悪戦苦闘している時も、ずっと背後におりました」


「怖ッ!! やめなさいよ! プライバシーって意味知らないの!?」


「あら、難しい言葉を知ってらっしゃいますね。ですが、きちんと主の意を組んだ結果ですので……」


「どこがよ!?」


 立ち上がって詰め寄ろうとしたところで、カーリアが手を伸ばして肩に手を置く。

 それで椅子から腰が持ち上がらなくなってしまい、そのまま顔を突き合わせる形でカーリアが口を開いた。


「まず、私の主はご当主様です。セイラ様ではありません」


「う……!」


 お付きとしてはセイラのメイドかもしれないが、当然その給金などは父から出ている筈だ。

 雇われメイドとしては、当然その主は給金を出している父だろう。


「そのご当主から申し付けられた事をお伝えしますと、片時も目を離すな、というものでした。私はそれを忠実に守っただけに過ぎません」


「あぁ、そう……。そうなのね。良く分かったわ。他に伝える事は?」


「特に……。目を離すな、と言われただけです。ですので、読みたいのに読めないのでしたら、代わりに呼んで差し上げられますよ」


 その無表情に僅かな笑みを浮かべて、カーリアは言った。

 非常に胡散臭い。

 気遣う台詞なのが、また一層、胡散臭かった。


 しかし、六歳児のやる事に、親も変な注目などしないだろう。

 興味を亡くした対象でもあり、単に馬鹿をさせたくなくて、目を付けていただけだ。


「……フン。ま、そういう事ならお願いするわ。丁度、困っていたところなのよね」


「おまかせ下さい、お嬢様」


 無機質な声の中に、ふわりとした優しさを交えた返事でカーリアは応えた。

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