認められない現実 その5
それから一週間が経った。
当然、一睡した後に元の世界に戻っている事もなく、なし崩し的にセイラ・バークレンを続けている。
漠然と、この生活を続けなければならないと予想していた。
……どうやらその通りになってしまったらしい。
だが、不思議とあちらの世界に帰りたいとも思わなかった。
現世には自分の根幹となる全てがあり、優しい両親もいた。
実生活に満足していたと言えば嘘になるが、それは別としても、ここまで不義理な娘だったろうか。
今となっては他人事の様に感じてしまい、執着めいた何かもなかった。
もしかすると、元々のセイラと人格が混じってしまったから、その様に思えてしまうのかもしれない。
バークレン家の両親から愛されたいと思えないように、星羅の両親に対しても、やはり似た感情を向けてしまう。
「……どうされました、お嬢様。何か考え事ですか?」
「ううん、違うのよ。……それより、続きを教えて」
それはそれとして、魔術に対する勉強は続けている。
最初こそ単語を読み上げて貰っても、意味不明な羅列に過ぎなかった。
しかし、その単語一つ一つを理解していくに連れ、魔力に対する理解度も増えていった。
小難しい事を書いているものの、結局は慣れ、という身も蓋もないものだ。
ただ、ある程度基本となるやり方は同じでも、誰もが同じ結果を出せる訳ではないらしい。
それは理解力や行動力によっても変動するし、骨格の癖などでも変化が起きる。
単純に体質的な問題で、上達し難い人もいる。
結局、才能に左右されるのは、スポーツなどと同じだ。
魔力を増やすのも、如何に効率よくマナエネルギーを蓄積できるかに掛かっている。
そして、制御するにもエネルギーを効率よく、身体全体を使って循環できるかに掛かっているのだ。
得意属性となればそれがスムーズで、不得意であればその逆になる。
その制御方法が、属性ごとに違いが出て、それが体系化されているから学びやすい。
結局のところ、その違いを探し出す事が、希少属性を持っている人にとって大事なのだろう。
――それが非常に難しい、というだけで。
教本の一文を指でなぞりながら、その考えが間違いでないと納得する。
では、単に六大属性と違うやり方を探せば良いかと言えば、そう単純でもない。
単に違う方法というだけで見つかる様なら、両親も落胆などしていない。
多くの人が、その希少を得た瞬間から他の属性に甘んじるくらいには、困難な道と知られている。
一つ二つの思いつきで簡単に見つかる位なら、誰もが己の希少属性を捨てたりしない。
見つけ出そうという気概が定着していないのなら、つまりはそういう事だ。
あるいは、捨てる事が前提となりすぎて、研究する人が限られているのが原因であるかもしれない。
ふぅむ、と喉の奥で小さく唸りながら文字を読み進めていると、隣で座っているカーリアが感嘆の息を吐いた。
「それにしても、お嬢様が勤勉だなんて存じませんでした。黙って椅子に座ってられるなら、いつもそうなさっていれば宜しいのに」
「あたしがいつも暴れてる様な言い方は――!」
記憶の底を探ってみれば、確かにいつも暴れていた様な気がする。
一つの所に黙っていられず、とにかく周囲に迷惑を撒き散らす様な子供だった。
それもそれで子供らしいのかもしれないが、度を越していたから、こんなメイドを充てられてしまったのだろう。
「まぁ、過去は過去よ。学びが面白いとは思わないけど、興味深いわ。魔力だの魔術だの、本当にあるのかって感じだし、自分が使えるかもって思うと楽しみだもの」
「確かに、魔術なんて本当にあるのかって思ってしまう人は多いですね。でも、土木関係では未だに使われる事もあるそうですよ」
「そうなの……? そういうのこそ、貴族は嫌いそうなものだけど」
「鉱脈があるとなれば、話は変わりますよ。フェルトバーク公爵家では公に使われているそうで、鉄の埋蔵地を調べるのに使われていますし、近年ではサファイアの産出地も見つけられたとか」
それは確かに、使わない方が不自然だろう。
鉄鉱脈の産出が、領の経済をどれだけ潤すか考えれば、多少土で汚れる程度、笑って済ませられる。
むしろ、笑いが止まらないのではなかろうか。
「バークレンの主家……、という言い方で合ってる? とにかく、公爵閣下は常識よりも実利を取る御方なのね」
「主家でも間違いありませんが、本家……と言う方が多いようですね。本家と分家、そう言い習わしますから」
「あぁ、なるほど。確かにそうだわ。……でも、意外よ。現当主って遊び人の放蕩者って言われてたから」
何気なく口にして、カーリアが珍しく眉を上げて驚きの顔を見せる。
そうは言っても、普段が鉄面皮のカーリアだから、見せる表情も大きく変わってはいない。
常人ならば変化とも言わないそれが、彼女の場合は表現の変化にされただけだ。
「お嬢様、そのお話、どこでお聞きになりましたか? 分家の一介の使用人が、本家の陰口など、ご当主様に知られたら事ですよ……」
「あ、あぁ、違うのよ。そうじゃないの!」
原作でそう書かれていたから知っていただけで、誰かの陰口を聞いた訳ではない。
しかし、それを上手く説明できる自信はまるでなかった。
外との繋がりを持たない六歳児が、本家の情報を知っているとなれば、それは使用人から伝え聞いたと考えるのは至極当然だ。
だが、一応は分家筆頭の伯爵家だ。
屋敷内で本家の悪口を言う、節度を持たない使用人など、ここに居て良い筈がない。
「出入りの……そう! 出入りの商人が言ってた気がするわ。いつも豪勢にお金を使ってくれて助かるって……!」
「然様ですか……。まぁ、お嬢様がそう仰るのであれば……。後でこちらで調べておきましょう」
「うぅ……」
完全に信用されていないし、使用人達にいらぬ誤解を与えてしまった。
口は災いの元、を実感した瞬間だった。
「ですが、意外という評価は間違っておりません。魔力を使って工事を敢行したのは、先代の公爵閣下です。現閣下は単にそれを引き継いだだけで、政務に関わる事もないと聞きますね」
「あ、なるほど……。先代の閣下は優秀だったのね。そして今は駄目閣下で、でも次は優秀と……。反面教師って必要なのかもしれないわ」
「次……? もう次の閣下に期待していらっしゃるんですか? 気が早すぎますし、二代続いて駄目な場合も、そこそこあると思いますけど」
「あ、そうね……! 勿論、そういう場合だってあると思うわ!」
またも失言してしまい、カーリアから疑わしい見る目を向けられる。
現閣下エルディスには息子と娘が一人ずつおり、その一人娘が言わずもがな、将来セイラを断罪する令嬢だ。
そして息子の次期公爵グスティンは、原作開始時点で爵位を継承している。
その年、何と十七歳。
事故で父を喪った後、即座に組織を建て直して、見事に掌握する実力の持ち主だ。
学生でもあるので十分に領政を行う事が出来ず、そのため腹心となる年上の部下を多数抱えていた。
当然、それだけの事を、爵位を継承と共に出来る事ではない。
しかし、そもそも現閣下が亡くなるよりも前から領政に携わっており、父の代わりに仕事をしていたのは、何とそのグスティンだ。
十三の頃には既に仕事をしていたというから、領政については今更なのだ。
それだけ優秀だったという事もあり、原作でも学園で仕事をしている場面を多数見掛けたものだった。
その優秀さを知っているので、十年後には立派な公爵として立ち、腐っていた領を幾つも取り潰して新たに再建する。
今は苦しくとも、未来は明るいのだ。
「まぁ、その内一つが我が家なんですけどね……」
「はい? 何か仰りました……?」
「いえ、いいのよ。気にしないで……」
自覚すると、腹の奥が重たくなってきた。
父は自業自得だから報いを受ければ良いとして、我が身かわいい自分としては、連座で処罰は御免被る。
上手く逃げ出した先で、豊かな生活を得る為に、今ここで努力を怠る訳にはいかない。
勉強の意義を思い出し、再び机に齧り付く。
だがそこに、カーリアから待ったが掛かった。
「ここで一度、休憩に致しましょう。あまり根を詰めすぎても良くないでしょうから」
「それもそうね。十分、休憩しましょう」
「たったそれだけ、ですか……?」
「普通でしょ……? 違うの?」
五十分授業を受けて、十分の休憩の後、次の授業を受けるのが、現世の学校では基本だった。
だから、そのままのノリで言ったのだが、カーリアは首を横に振った。
「そんな勤勉な人、学者であったり、それを志す人以外にいないと思います。貴族だって誰もが学ぶんでしょうけど、そこまで熱心な方は稀じゃないですか」
「まぁ、本来……もっと習うべき事があったりするものだしね。あたしの場合、淑女教育以外はスッパリ切られちゃったし……」
貴族の娘は、家と家を繋ぐ為の道具に過ぎない。
渡すと喜ばれる宝石である為に、良く磨いておく必要がある。
けれど、セイラは既に傷が付いた。
極上の宝石といえる価値は、既に失われてしまった。
だから今は、最低限見栄えだけは良くするだけの教育を、受けさせる方針に切り替わっている。
女性は馬鹿な方が良い、という価値観のある家も多いものだ。
学習させるべきでも、本を読ませるべきでもない、という家もあるという。
それに比べると、本を奪われないだけ、まだしもマシだった。
父は最終的により高い値の付く、借金を帳消しに出来るだけの財を持つ家に嫁がせるつもりなので、習い事は外面を整えられるだけで良いという判断なのだろう。
だが、おかげで多くの自由時間を得られた。
何も悪いことばかりでもない。
特に、ここから逃げ出すつもりのある身としては、助けられているぐらいだ。
「だから、勉強以外にする事もないって感じでもあるけどね。どうせ、屋敷から出られる訳でもないし……」
「中庭ぐらいなら出られますよ。雑草の処理でもやりますか?」
「何でナチュラルに使用人目線なのよ! 令嬢に草むしりさせるな!」
「いいじゃないですか、親和性ありますし。髪色も緑ですし」
「別にそれは関係ないでしょ!」
用意された紅茶カップを取って、ずごごご、と飲み干す。
乱暴にカップを置いて、再び机に向き直った。
「はしたないですよ、お嬢様。それに幾らも休憩取ってないじゃないですか」
「休憩取ると疲れるだけって分かったから! あんたはそこで大人しくしてなさい!」
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