認められない現実 その3

「どうしようっかなぁ……」


 ベッドの上に寝転がり、天蓋の木目を目でなぞりながら呟く。

 あれから何をするでもなく、昼食も済ませ、今では時間を持て余していた。


 カーリアは先程言っていたとおり、中庭整備の手伝いに駆り出されており、部屋の中には誰も居ない。

 そういうのは普通、庭師の仕事だと思うのだが、人件費をケチったりでもしたのだろうか。


 手が足りないなら、他の仕事を少し休ませて、その分使おうという訳だ。

 伯爵家の零落はまだ少し先の事だとしても、既にその綻びが見え始めているのかもしれない。


「はぁ……」


 溜め息をついて、部屋の中を見渡す。

 一人娘として――貴族に生まれた者として、十分な教育を受けさせようと準備していたのは窺える。

 そうでなければ立派な机と本棚を、部屋の中に置いたりしないだろう。


 恐らく、図書室なども屋敷にはあるのだろうが、移動の手間を考えて、自室に本棚を設置していたに違いない。

 本来なら、今のこの暇な時間も、勉強の為に使われていたのではないかと思う。


 それなのに、未だに何の音沙汰もないのは、その教育方針や育成方法に変化が出たから……という気がした。

 希少属性を得る事は、時として傷と見做されるらしい。


「ま、分かるけどね……」


 どうせ得られるのなら、もっとメジャーな希少属性であれば良かった。

 六大属性から外れたものは、聖属性ばかりが注目されがちだが、それには一段劣って知られた属性というものはある。


 例えば雷、例えば岩、例えば影など……。

 これらは単純に使い手が乏しい、希少の中でも育成方法がある程度、確立されている。

 反して草属性は、耳にした事がないほど珍しいものだった。


 ――だから、なのだろう。

 両親の落胆は大きなものだった。

 昼食の席にも二人は現れず、結局一人で食べる事になった。


「セイラの今後を考えて、二人が真剣に話し合っているとかならまだしも……」


 単に顔も見たくない、という態度からだと知っている。

 それを隠そうともしないのが、尚のこと腹立たしい。


 親は子へ、無条件に愛を注げるとは思っていないし、貴族なればこそ醜聞を回避したいのだろう。

 だが、そうと思っても、他人には良く見せようとするものだ。


 ――醜聞。

 今日あの瞬間が、セイラが醜聞と見られてしまう原因となった。


 作中のセイラは他人の顔色を窺い、そして何よりエレオノーラにおべっかを使う小悪党でしかなかった。

 いや、悪党という言葉すら勿体ない、弱い者には強気に出られる、典型的小物だったのだ。


「まぁ、歪むよねぇ……」


 本来、早い段階で魔力測定を許されるというのは、名誉な事なのだ。

 それだけ魔力が早く安定したのなら、早い段階で魔力の制御を始められる。

 スポーツでも勉学でも、始める時期が早ければ、それだけ有利になるものだ。


 昨日まで、両親も鼻が高かったに違いない。

 それが一夜にして覆った。


 親の見る目が厳しくなり、愛情も失った。

 本来は強い魔力を持っているのに、一番才能の伸びが大きい属性を使えない。

 人並み以上の魔力があって、人並み以下の結果しか残せない事が、この時点で約束されたようなものだ。


 それを人は落ちこぼれと言うし、貴族社会において落ちこぼれというのは、なお強く咎められる風潮がある。

 お前は駄目な奴だ、と日常的に言われる様な環境に身を置かれれば、誰だってまともには育つまい。


「別にいいよ、あたしには関係ないからさ……」


 そう、思っていたのに……。

 腸がぐつぐつと煮え滾るのを感じる。

 怒りが腹の奥から燃え上がり、どうにも落ち着いていられない。

 それというのも、一向に夢から醒めない事にも原因があった。


「夢でしょ!? 夢の筈でしょ!? どうして目が醒めないのよぉぉぉ!」


 枕を手に取り、ぼすぼすと殴り付ける。

 幾ら怒りで顔を赤くしても、その怒りを枕にぶつけても、目覚める気配は一向に見えない。

 息を乱しながら髪を掻き回しているのに、決して夢から醒めたりしなかった。


「嘘でしょ……。嘘だと言ってよ……」


 実際は、半ば予想できていた事ではあった。

 そもそも星羅の性格は、こんなに破天荒ではない。

 なにか言われて逆上したり、言い返したり、あまつさえ殴りかかろうなど思えない性格だった。


 それが、今では当然で、全く違和感を覚えず出来てしまっている。

 むしろ、そうする事こそが自然だと、身体と心が納得していた。

 逆上せず、言い返さず、殴りかかろうとしない事にこそ違和感がある。


「これって、どう考えるべきなの……? 憑依してる? それで混ざった? そんな事あり得る? ここは本当に本の世界なの? もうワケ分かんない……!」


 考えないでいようとしていた。

 どうせ一夜の夢でしかなく、気付いた時には元の世界に戻っているのだから、と……。

 だが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。


 ――それとも、寝てしまえば元に戻れるだろうか。

 本を読みながら、うたた寝していた時のように。


 興奮していた身体を冷やす為、深呼吸を繰り返す。

 窓を開けて空気を入れたかったが、小さなこの身体では手が届かないし、無理しても開きそうにもない。


 現代の様に軽い力で開けられるものではなく、上下に開閉する仕組みだ。

 子供の細腕一つで、どうにかなるものではない。


 だから、早々に枕の位置を整えて、ベッドの上で横になった。

 広いベッドは落ち着かず、カーテンも閉めていないので日差しが顔に掛かって、非常に寝辛い。


 それでも、小さな身体は相応に体力を使えば、すぐ眠たくなるものらしかった。

 呼吸が規則正しく動き、瞼が落ちて、身体が弛緩する。


「くぅ……」


 一度微睡んでしまえば、寝てしまうまで早かった。

 目の前が暗くなり、落下とよく似た浮遊感に身を任せる。

 意識を手放したのは、それからすぐの事だった。


 ※※※


「――フゴッ!?」


 びくんっ、と身体を痙攣させて、目が覚めた。

 特に夢を見た気はしないのに、不思議でおかしな事があったという実感だけはある。

 顔を左右に向けると、そこには見慣れた――。


 見覚えのある、屋敷の大きな窓が見えた。

 天蓋付きのベッド、広い部屋、机と大きな本棚まで。

 寝る前と同じ光景が、そこにはあった。


「まぁ、そんなこったろうと思ったわよ……」


「あら、どんなこったでしょう」


「――ハゥッ!?」


 唐突に声を掛けられ、飛び上がって振り向くと、そこにはカーリアが無表情のまま立っていた。

 両手を臍の下辺りで重ねた立ち方は、メイドとして相応しいものに見える。

 ただし、立派なのはその立ち姿だけだ。


「随分と可愛らしい寝姿と、可愛らしくない起き方でしたね」


「うるさいわね、起き方なんてどうでもいいでしょ」


「……然様ですね。優雅なお昼寝だったようで、大変結構な事です。こちらは腰を痛めながら、中庭をいじっていたというのに……」


 無表情の中に恨みがましい気配を混ぜるという、無駄に器用な真似で悪態をついて来た。

 しかし、それを六歳児の令嬢に言われても困る。


「それこそ知った事じゃないわよ。あんたの仕事でしょ。それより喉が渇いたわ」


「庭で刈った雑草の煮汁でようございますか?」


「ようござる訳がないでしょ。さっさと水よこしなさいよ!」


「はいはい、只今……」


 部屋の隅には、ガラス製の水差しが置かれている事は知っていた。

 カーリアは慣れた手付きで埃防ぎの蓋を取り、カップに水を注いで戻ってくる。


 両手で持って一気に煽ると、それでようやく一息ついた。

 常温に置かれていた水だから温いと知っていたが、予想以上に不快感があって眉を顰めてしまう。


「お気に召しませんか? 紅茶をお入れしましょうか」


「……いらないわ、一々そんなの贅沢よ。それより――」


 カーリアに凝視されている事に気付き、思わず言葉を止めた。

 無表情なのは変わらないが、軽く見開かれているところを見ると、驚き固まっているらしい。

 いつまでも動きを見せないカーリアに気不味くなって、こちらから声を掛けた。


「何よ、何か文句でもあるの?」


「いえ……。お嬢様が紅茶を断るとは思いませんでしたので。それも、贅沢などという言葉で止められて……。やはり、測定の事を気にしていらっしゃるんですか?」


「……そうかもね」


 横柄で横暴な令嬢が、ほんの僅かな時間で謙虚になったとなれば、疑う候補など幾つもない。

 カーリアに、それが原因と思われるのも当然だろう。

 だが実際は、単に元の性格であるところの小市民性が顔を出しただけで、測定そのものが原因ではなかった。


 ただ、ある種の決意めいたものは生まれている。

 まだ可能性は残されているし、帰れないと決まった訳でもない。


 二十四時間……あるいはもう少し時間が必要なだけとか、何か切っ掛けがある筈だ。

 唐突にこの世界に来たのなら、唐突に元の世界へ戻る可能性も、まだ残されている。


 だが、何となく感じてしまった部分もある。

 何の因果が知らないけれど、こうしてこの世界に意識が降りてしまった。

 そして、それは不可逆なもので、簡単に元通りにはならないのだと感じてしまっている。


 ――単なる勘だ。

 けれど、そういうものなのだろう、と心の何処かで認めてしまっているのも事実だった。

 実は簡単に戻れて、明日の朝に六畳間の自室で目覚めたら、その時は笑って忘れよう。


「とにかく、紅茶の方はいいわ。少し、一人で考え事がしたいの。出て行ってくれる?」


「それは……はい、畏まりました。部屋の前で待機してますので、何かあればお呼び下さい」


 一礼して去っていくカーリアに、目線だけ向けて退室するのを見送る。

 そうして扉が閉められると、さっそく布団の上で胡座をかいた。

 その上に肘をついて顎を支え、前方を睨みながら思案する。


「前提として、このままだと考えた時、どうするべきなのかしらね……」


 この屋敷の中に居て、幸福な生活を送れるとは考えない方が良いだろう。

 むしろ針の筵で、蔑ろにされる可能性は高い。

 親があの態度ならば、メイドもまた同様か、それに近い態度を取られそうだった。


 ――カーリアは既に結構おかしいけど。

 あれは例外と考えた方が良いだろう。

 そもそも、測定前と後とで、彼女の様子に変化がない。

 あれが彼女の素なのだとして、問題しかない性格なのによく雇って貰えたな、というのが率直な感想だ。


「まぁ、いいとこの紹介状さえあれば、とりあえず雇ってみる、という事もあるそうだし……」


 そんな事より、今は自分の身の振り方の方が重要だ。

 家にも、親にも未練がない事だし、いっそ家出するというのも手だと思うのだが……。


 醜聞を嫌う親なら、家出されるのも醜聞と捉えるだろう。

 連れ戻されるに違いないし、そもそも六歳児が外の世界で当てもなく生きていくのは、まったく現実的ではない。


 もっと現実味を帯びた、別のアプローチを考えなければならなかった。

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