認められない現実 その7
そして三日後、久しく顔を合わせていない父親フレデリクと、現在馬車という密室に二人きりでいた。
母はここに居ない。
まだ幼い娘の為に、という理由だが、そんなものは使用人に任せれば良い話だ。
セイラと同じ密室に居たくないから、というのが本当の理由だろう。
フレデリクは窓の外をつまらなそうに見つめているだけで、こちらには顔も見せない。
それは馬車に乗り込む時でさえ同様だった。
六歳児にとって、馬車の乗り降りは難しい事だ。
手すりなどもなく、小さな踏み板があるだけの足場は、ドレスもあって大きく足を上げられないからだ。
セイラがやって来た時には、父は既に乗り込んだ後で、そのフォローはカーリアがしてくれた。
疎ましいとは思っていても、最低限の親子関係を見せる努力も放棄したのだと、この時ようやく理解した。
対外的なアピールを使用人にすら見せないとなれば、家中の差別が使用人からも及ぶ可能性を示唆していた。
知らずにやっているとも思えないので、その様な扱いをしても咎めない、というアピールのつもりかもしれなかった。
直接やれ、と命令はしない。
しかし、やったとしても咎めない、と言外に伝える事は、いかにも悪知恵だけは働く悪徳貴族そのものだ。
――父に対する期待は、既に置いてきたから良いものの……。
あの時、セイラの奥底から湧き出る思いで涙した瞬間から、親とは決別した心境でいる。
だから別に、車内の空気が最悪だとしても、フレデリクとは正反対を向いて風景を楽しんでいられた。
何しろ、この世界に降り立って初めての外出だ。
今回の様な機会がなければ、もっとずっと長い間、監禁に近い状況が続いていた筈だった。
――
社交デビューするより前、八歳から十歳の若い男女が魔力に目覚めて安定させた後、本家に報告し祝う場の事を指す。
平均しても八歳には安定期に入るとされ、十歳では遅いという評価がされる。
それよりも遅れてようやく安定する者もいて、そうした人は遅咲きと揶揄されるものだと聞いていた。
所謂、普通より遅れるのなら、それだけ無能と思われるという事でもあり、最初から経歴にケチが付くのと同義に見られる。
反して六歳という若さで安定させたセイラは、才気が溢れ未来を渇望されている様に見えるのだ。
外からの評価も似たようなものだ。
しかし、希少属性に目覚めたという傷が、それを台無しにしていた。
それにしても、何故こうも希少属性に対する認識が甘いのか、調べて分かった事がある。
魔力とは特権であり、そしてそれを扱う術は秘匿される、という文化があった。
今でこそ王国は安定しているが、それまでは戦争が長らく、戦乱の世でもあった。
広く知られる六大属性は隠すも何もないが、希少属性はその攻撃や応用全て、敵にとって対処の難しい厄介なものだった。
どういった魔術を使うのか、どうすれば止められるのかを知られる事は、戦略上あってはならない事なので、その秘匿性もまた高め――。
結果として、後世にその制御方法など詳しい文献が残らなかった。
今その希少属性について分かっている事は、ここ三百年で新たに発現させた人が研究した結果でしかない。
当然、数が少ないし、誰もが研究に意欲的でも、協力的でもない。
だから、いつまでも希少属性に対する理解が深まっていかなかった。
――我が家の両親が良い例だ。
研究するにも金が掛かる。
学者を呼ぶか、通わせる必要があり、金を払って長い時間を掛けて究明していく形だ。
我が伯爵家にあっても、そんな金を出してまで研究させたい酔狂さは持ち合わせていない。
平和な世だから魔力が形骸化している背景もあり、今だからこそ研究しようという先見性は持ち合わせていないのだ。
――国が率先してやれば良いのに。
だが、十年に一人も生まれない者に対して、そこまで予算を割けない、という理由もあるのだろう。
魔力を根底に動かす社会基盤となっているならまだしも、現状は貴族を飾る装飾品の一つに過ぎない。
その癖、プライドばかりが先行する、貴族として欠かせられない誇りという認識だ。
使えず、使わず、大事に仕舞うだけの宝石が、それほど大事なのだろうか。
誇りで飯は食えないというが、実際に誇りで飯を食っているのが貴族というものらしい。
つまらない考えを草木の賑わう美しい風景で誤魔化していると、不意にフレデリクから声が掛かった。
「最近、随分と大人しく出来るようになった様だな」
「……はい。少し、思うところがありまして」
「そうだろうな。お前は他人より劣っていると自覚せねばならん。それを考えれば、早い段階から制御を学習できるのはメリットと言えるかもしれん」
「……精進します」
フレデリクに顔を向けて素直に頭を下げると、その上から小馬鹿にした嘲りが降って来る。
「まぁ、結果として良い薬になったろう。調子に乗れば足を掬われるものだ。それを戒めと思って、他の属性を人並みに使えるようにするんだな」
「……はい、努力致します」
フレデリクは鼻で笑って、また窓の外へ視線を移す。
衣擦れの音でそれを判断すると身体を起こし、下腹部分で重ねた両手に視点を固定した。
よくもまぁ、そんな説教が出来るものだ。
その自覚があるのなら、真っ当な領政と、真っ当な働きが出来るだろうに。
将来的に身を持ち崩すと知っているからこそ、その台詞を自分自身に言っておけ、とぶつけたくなる。
しかし、フレデリクにしてみれば、わがまま放題の癇癪持ちの娘が、この度の件で殊勝な態度を取るようになった。
それは素直に、歓迎できるところだろう。
一つの失敗、一つの挫折から、人間的成長に繋がる事は多い。
今のセイラも、そういう部分から来ていると納得し、変わらぬ愛情を向けてくるなら、こちらもその愛に応えようと努力できた。
だが実際は、将来的にどうやって逃げ出すか、見捨てるかという方法ばかりを考えている。
「あぁ、そうだ。この度の面通しには閣下のご子息、グスティン様もおられる。御年八歳、お前の二つ上だ。顔を覚えて頂けるよう、努力しろ」
「グスティン……様」
僅か十七歳で公爵位を継承し、断固たる改革を成し遂げる人。
他に兄弟もいない事と、まだ幼くとも利発で賢く、父親譲りの美貌を持っている事から、現段階でも次期公爵は間違いないと噂される人物だ。
それと同時に、父親を見て育ったからか、ひどく冷淡で淡白なところがあり、女性に対しても一定以上の距離を取る。
その冷たい態度が良いのだと、原作では氷の貴公子というあだ名を、令嬢たちから献上されていた。
今となっては、そのグスティンに親近感を覚えてしまう。
領政を投げ出し、夜な夜な遊び歩いては賭け事に興じている父。
そんな父を持てば、いつも気苦労が絶えないだろう。
それに公爵閣下は美貌の持ち主とも知られていて、女性相手にだらしない噂も聞こえている。
爵位に対する責任と自覚はあるらしく、原作でも落し胤などは登場せず、そんな設定もなかった筈だ。
遊ぶにしても、女性との付き合い方、遊び方を良く心得ているのだろう。
――妻と娘を置き去りにして。
この二人は公爵領の屋敷に住んでいない。
遠くに離され別邸――我が伯爵領にある別邸で過ごしている。
過ごすというよりは監禁というべきで、原作で悪役令嬢として活躍するエレオノーラは、学園入学直前まで暮らしていたと書かれていた。
本来ならば、公爵夫人として華やかな場で社交している立場の人が、そこに押し込まれて過ごしているというのは異常だ。
公爵本人はいつでもパートナーを変えて、遊べると思っているかもしれない。
だが、そのパートナーの座を巡って、女性同士で大きな対立を起こしているとも、原作では書かれていた。
そして、仲裁もせずにそれを面白がって見ていたというのだから、よくよく良い性格をしている。
そんな父親を見て過ごして来たのなら、グスティンが女性の色目に興味なくすのも当然と言えるだろう。
「その、グスティン様と仲良くなるように、と……?」
「今日一日で、そこまで近寄れとは言わん。しかし、上手く媚を売るなりして、気に入られるようにしろ。最終的に恋仲になれれば、それが最善だ。こちらからも婚約の申し出を働きかけてみるが、現実的には難しいだろうしな」
「私を……公爵夫人へと、お望みですか」
「それが一番、手っ取り早い」
何が、と具体的な事までは言わない。
しかし、借金の事も含め、楽して生きるにはそれが早い、と言いたいのだろう。
現状まだしも目があり、最も高く売れる先が公爵家だから、という浅ましい考えが透けて見える。
そして、それが無理なら少しでも高く売れる家に嫁がせるだけだ。
これが全くの親心から、娘を苦労させたくない、という考えから来ているのなら笑って受け流してやれる。
だが、貴族の娘は親の道具だ。
とはいえ、まだ幼い娘に聞かせる話でもないだろう。
聡い反応をしてしまったのも、その引き金となってしまったのかもしれないが、フレデリクの言動には悪意が目立つ。
――そこまでの事をしてしまったのだろうか。
たかが、六大属性に選ばれなかっただけで。
「お前が公爵領の女主人となれば、色々と楽が出来る。お前はその為に生きていると思え。魔力で見劣りされない為に、より一層努力しろ。親をこれ以上、失望させるな」
「……はい、努力します」
「フン……!」
視線を下に固定したまま、表情を悟られないよう、深く頭を下げる。
――色々と楽が出来る。
自分が、楽をする為に。その為に、子供に向かってそこまで言うのか。
怒りが腹の底から湧き上がる。
今はまだ、セイラは何の力も持たない、庇護が必要な幼い子どもに過ぎない。
だから、何を言われようと耐えて見せる。
今は従順な振りをして、ただ頷いて見せてやる。
だが、決して思い通りにはなってやらない。
――この家から必ず逃げる。
捨て去り、家から離れる気持ちを新たにした。
だが、それだけでは足りない。
ぶつけられた悪意と報いを、その没落前に与えてやると、心の奥底で誓う。
何もかも上手くいっていると慢心している輩に、針の一突きで沈めてやる。
腹の底で燃え滾る怒りを、今は必死に押し殺す。
――泣きっぱなし、やられっぱなしで済まさない。
その決意を後に顔を上げた先、窓の向こうでは公爵領都の入口が見えてきた。
面通しの瞬間が、すぐそこにまで迫っていた。
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