認められない現実 その8
フェルトバーク家はグランフェルト王国にある三大公爵家の一つで、万が一王家に嫡男が生まれなかった時の為に、血統を保持する役目を担っている。
現公爵エルディス閣下の母君が王族から降嫁しており、現公爵も一応王位継承権を持ってはいる。
とはいえ、その母君も先王陛下の姉という立場であり、現在は正統に王位を継承したエルバルド陛下にも息子がいる。
尊い血筋を保持しているだけで、実際のところ王位を継ぐことはないだろう。
何より後ろ暗いとまで言わずとも、爛れた放蕩三昧の現公爵閣下では、誰も推挙したいと思わない。
結局のところ、その血筋のみが認められる駄目公爵と見られているのだが、本人は全く気にしていないらしい。
大した面の皮の厚さだが、逆にそうでなければ連日遊んで暮らすなど、出来るはずも無い。
――そして、公爵領の街並みだ。
スイスや北欧を思わせる民家の作りと石畳、行き交う人々に活気が満ち溢れ、我が伯爵領とは全く趣が違う。
農村部分の多い我が領と、立派な都会な公爵領を比べる事自体が烏滸がましい。
だが、初めて見るこの世界の熱気にすっかり当てられてしまった。
表向き、公都には何も問題はなく、順風満帆に見える。
だが、その水面下ではロクな事になっていないと、原作知識から知っていた。
それを知っている身だからこそ、陰鬱に見える都市の雰囲気には同情的になる。
そして、だからこそ、今も領民の顔には不安が零れているのだろう。
現在、領の形を維持できているのは、まさに奇跡という他ない。
今も遊び呆けている公爵が、その経済と領政を傾けさせ続けていると、どれだけの人が知っているのだろう。
だが、それも暫くの辛抱で解決する。
原作では、物語の開始時点で見事に盛り返していた。
息子のグスティン様が、親とは違い実に有能で、親の代で築いた負債を見事に解決するのだ。
それもこれも、先代の残した家臣団が優秀だったお陰だ。
非常に有能であるといっても、まだ学園に通う年齢であり、満足に領政を執り行えない時間も多かった。
だが、持ち前の聡明さ、必要とあれば果断となれる性格から、家臣団を見事に掌握して見事な復活を遂げる。
先代が残した最大の遺産は、もしかするとその家臣団であったかもしれない。
ウチにもそんな家臣がいたら、我が家も傾く事は無かったのだろうか。
そして、公爵閣下の親友を自負する父が、そんな友人を傍で見ていたから、自分も同じ事をしても大丈夫と思いってしまったのだろうか。
我が家にも、オルガスという家令が父の仕事を肩代わりしているが、家臣団の様に育てられた訳ではないだろう。
出来る事には限りがあり、どこかで傾きを堰き止めてくれる、有能な誰かもいない。
それなのに完全に家が傾くまで、わが父も放蕩を続けていたというのだろうか。
これまで何とかなっていたのだから、これからも何とかしろ、と父ならば言ってそうではある。
そんな事をつらつら考えていると、いつしか馬車は公爵家本邸へと辿り着いた。
「まぁ……!」
思わず感嘆の声が口から漏れた。
本邸というからには屋敷を想像していたのだが、その姿はまるっきり城である。
かつて戦国時代と言える年代に作られたものだから、利便性を考慮して、この様な形になったのかもしれない。
流石に城塞という程ではなく、平和な時代に移り変わるに従って、改装していったと分かる風情がある。
今では戦時の合理性を廃し、外見はそのままに、中庭には花などが植えられ、内装もしっかり住みやすい形に手直しされていた。
これこそファンタジー世界でなければお目にかかれない代物で、数百年後には文化遺産登録などされていそうな豪華さだった。
本日は一応、子供が主役という事になっている。
魔力を安定させた節目で、祝事……日本でいうところの七五三みたいなものだ。
ただやはり、魔力は貴族社会にとって重要なものであり、主君のために使うという騎士道精神と似た部分がある。
勿論、今となってはそれも形骸化した。
いつ戦争になっても、その力が振るえる様にという建前を、今も守って鍛えている貴族は非常に稀だ。
まず居ないと言っていい。
それでも過去からの慣例で、こうして年に一度公爵邸へと集まり、顔見せする事になっていた。
子供が主役といっても、それもまた建前。大人にとっては、大事な社交の場だ。
中庭に用意されたお茶やお菓子を食べさせ、大人は大人で集まって話をするものであるらしい。
今まさにそうして父に連れられ、知人へ簡単な挨拶をした後、放逐されてしまった。
『余計な口を開かず、得意属性は地属性だと答えろ。後は横で笑顔を作っていれば良い』
要求通り言われたまま大人しくしていると、最後に歓談中の公爵閣下へ連れられて、同じ様に挨拶して終わりとなった。
随分と呆気なく、そして何事もなく終わってしまった。
もしかすると、六歳で魔力を安定させた天才少女、という見方をされるのかと危惧していた。
目立つ杭は打たれるものだ。
貴族のやっかみというのは面倒くさいのが相場で、周りと違う事を疎んでもいた。
しかし、端整で美しい顔をした公爵閣下は、一目見てニコリと笑ってくれたけれども、それ以上の対応はなかった。
父に対しても表面上の祝言葉を口にしただけで、格別褒めるような事は言っていない。
――変に構えていただけで、実際はそんなものなのかもしれない。
日本で暮らしていた身としては、魔力は特別なもので、素晴らしい可能性を秘めているように見えた。
けれども、活用しないこれまでの歴史から見るに、そうなんだ凄いね、という足の速さを競うレベルにしか感じていないのだろうか。
テーブルの一つに座り、茶菓子を口元に持っていきながら考える。
「公爵領でも鉱山で活用しているという話だし、魔力を活用する下地はあると思うのにな……」
雁首並べてお喋りに興じる、貴族連中を見ながら呟いた。
一応はお祝い事という事で、集まっている貴族の数は多い。
両親揃って参列している家が大多数で、子の成長や将来について語り合ったりする会話も聞こえて来る。
彼らが力を合わせれば、出来る事は多そうに思えるのに、使おうと思わないのが意外としか思えない。
その癖、魔力は貴族にとって大事なもの、というスタンスは崩さないのだ。
それがやはり、歪に感じる。
あるいは、過去の歴史を紐解けば、何か分かったりするのだろうか。
「まぁ、別にどうでもいいか……」
……結局、そういう事なのかもしれない。
今の生活が崩れないのであれば、その生活を堅守せずに済むのであれば、簡単に目を背けてしまえる。
そういう事なのかもしれない。
二つ目の茶菓子を口に放り込みながら、今度は子供達の方へと目を向けた。
子供用テーブルは五つあるが、今はたった一つにセイラを除く全員が群がっている。
公爵閣下の嫡男、グスティン様が座っている席だ。
誰も彼も、彼に顔を覚えて貰おうと、女子ならばあわよくばを狙って、必死にアピールしている。
あの公爵をそのまま子供にした様な、子供ながらに将来が楽しみな美貌を持った少年だった。
白銀に薄っすらと青色を注いだ蒼銀の髪に、それより若干濃い青の瞳。
知性を感じさせる相貌に、大人びた雰囲気とくれば、同い年の女子は色めき立たない訳がなかった。
男子は単に親の命令か、それとも将来の家臣を夢見ているのか、女子と種類は違う熱意があった。
そのどれに対しても、グスティンは鬱陶しそうな顔で曖昧な返事をするだけだ。
「人気者は辛いわね」
身分に伴う責任と、それに群がる者たちの選別は、同時にこなさねばならない。
こうやって悪意には敏感になり、自衛の方法などを身に付けていくのだろう。
貴族社会の上位で生きて行くのなら、それもまた必要な嗅覚に違いない。
「……あたしには関係ないけどね」
我が家は、十五の夏に潰される。
だから、その前に家から逃げる。
貴族社会からドロップアウトすると分かっているからこそ、こうして高みから見物が出来るのだ。
茶菓子の中から美味しそうなクッキーを見つめて、ポイポイと口の中に放り込み、しっかりと味わってから紅茶で流し込む。
満足げな息を吐いて、再び子供達の輪を見つめた。
――とはいえ、父から命じられた事もある。
一度も接触していないと知られたら、嫌味の一つ二つでは済まされないだろう。
あなたが社交に勤しんでいる間、しっかりとご挨拶しておきました、という言い訳は、果たして通用するだろうか。
……他の子供達より熱意が足りない、と指摘されたらお終いだろう。
実際、男子はともかく女子の熱量は凄まじい。
まだ幼いとはいえ、同年代の男子などじゃがいもに見える程の美貌だろうから、熱を上げたくなる気持ちは分かる。
しかし、父親の爛れた女性関係を知っているグスティン様からすると、同じ轍を踏みたくない、という気持ちが如実に強いのだ。
だから話し掛けようと梨の礫なのだが、彼女たちは全く気にしていない。
「まぁ、アイドルのすぐ傍にいられると思えば、そのはしゃぎようも良く分かるけどね……」
お陰でグスティン様の機嫌は、急降下で悪くなっている。
原作でも非常に理知的で、感情をあまり表に出さないタイプだったが、子供の頃ではその鉄面皮も完璧でないようだ。
感情に任せて、彼女らを遠ざける様な真似はしないでいる。
だが、面倒くさい、鬱陶しい、という外面までは繕えていない。
その辺は流石に年相応で、むしろ子供ならば当然だろう。
「まぁ、流石にちょっと可愛そうよね。父の命令もある事だし、……助け舟でも出しましょうか」
残っていた紅茶を飲み干すと、席を立っては、ザッザと音を立ててテーブルに近づく。
それに気付いた幾人かが顔を向けたが、幼い少女に眉を顰めるだけで退こうともしない。
中には露骨に睨み付ける子までいた。
両手を腰に当てて踏ん反り返り、輪の一番外側にいる少女へ向かって言い放つ。
「あたしが通りたいの。どいてくださる?」
「は……? 何よ、このチビ」
「えぇ、そのチビがお願いしているの。六歳でこの場に招じる権利を頂いた、このあたしがね」
「あぁ、そう。ご立派ですのね。でも、ここではワガママは通じないの、おウチと同じ様にはいかないわ。世知を学んでから、またいらっしゃい」
口元に手を当てて、鼻で笑う小さなご令嬢に、同じ様に鼻で笑って対応する。
「よぉく、ご存知よ。貴族社会は身分制度、社交の場には、それに応じた細かなルールも沢山ある。でも、こんな子供のお遊戯会に大げさなルールはないわよね。身分序列だけで十分でしょ」
「だから何よ、言っとくけど我が家は――」
「このバークレン伯爵筆頭分家に、それ以上何をお望み?」
にっこりと笑って言い切った途端、周囲の空気が凍った。
王国の歴史には、家から新たに家を起こす時、その名の一部を分け与えるという慣例がある。
グランフェルト王家から生まれた公爵家、その内一つがフェルトバークで、そのフェルトバーク公爵家から生まれたのが、我がバークレンだ。
分家筆頭を名乗っているだけあって、伯爵家は他にあっても、このバークを名に持つ家は他にない。
そして、その名の一部を持つという事実が、他の伯爵家より一段上である事を示していた。
さっきまで勢いよく喋っていた令嬢は、事の事実を知って顔を青くさせてしまっている。
「そ、その……」
「このあたしが、グスティン様とお話したいと言っているの。――通して、くださるわね?」
圧を強めて言ってやると、今度は否定の言葉は出なかった。
波が引くように人垣が割れ、次いで蜘蛛の子が散る様に去っていく。
椅子に座っていた他の令息、令嬢も、そのただならぬ雰囲気に巻き込まれてはならないと、同じ様に去って行った。
後には、一人グスティンが取り残される。
その瞳は、侮蔑を含んだ視線でセイラを見つめていた。
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