味方を得るのは難しい その1
社交界デビューとは違うが、この
親からは面倒事を起こすなと、強く言い含められていたに違いない。
だから、下手に巻き込まれるより遠巻きに見ようと去ったのは、子供ながらに正しい判断と言えよう。
グスティンも、本当ならこんな粗暴で礼節を知らない子供など、相手をしたくないと思っているだろう。
だが、筆頭分家という肩書は軽くない。
挨拶に来た、という令嬢を追い返すことは出来ないのだ。
それは強い敵意を伴う瞳からも察せられたが、にこりと笑ってカーテシーを披露する。
淑女教育で何度も習ったとはいえ、片足を下げて膝を曲げるだけの動作が、子供の身体ではとにかく難しい。
筋力が足りない所為だろう、安定した状態が長く続かないのだ。
フラついてしまうと失点となるし、貴族社会において、簡単な礼法の失点は長く尾ひれが付く。
今日みたいに、無理を通してやった事なら尚さらだ。
だから、是非ともそうなる前に、声を掛けて貰いたかった。
本来、目上の人間から声を掛けられるまで、自ら声を掛けてはならない、という暗黙のルールがある。
だが、これは社交界デビューを果たした後の話で、デビュタントすら済んでない令嬢にこれを強いるのは無粋とされる。
しかし、六歳の女児がその礼節を知っていて、かつこなそうとしている、と見られるのはマイナスにはならない筈だ。
グスティンの瞳を見る限り、既に評価はマイナスから始まっていそうだが、それはそれだ。
他の令嬢を家の権威でどかした行動は、将来に渡って悪い評判を引きずるだろう。
だが、没落すると知っているからこそ、気にする事もせずこうした大胆な振る舞いが出来る。
胸中で思惑を吐露している間にも、ふくらはぎが悲鳴を上げ始め、そろそろバランスを崩す直前になって、ようやくグスティンが声を上げた。
「お初にお目にかかるな、グスティン・フェルトバークだ。セイラ嬢、どうか楽にして欲しい」
「ありがとうございます」
何とか体勢を崩すより前に背筋を伸ばし、辛かった事などおくびにでも出さずニコリと笑う。
そうして、改めて自己紹介した。
「セイラ・バークレンと申します、グスティン様。名乗る前から知って頂けていたなんて、光栄ですわ」
「分家の筆頭だし、君の父君はよく家に来るから。そのご令嬢について、これまで幾度か耳にしていただけだ」
「然様でしたか。恐れ入ります」
挨拶をしてから、グスティンは目を合わせようとしない。
今の会話から家同士で仲が良い、と改めて周知したように聞こえたろう。
だが、実際のところを翻訳すると、知りたくもないが知る立場にあっただけ、と言っているようなものだ。
どうやら、セイラが見せた態度は、彼にとって相当目に余ったものらしい。
だが、こちらとしては、それぐらいで丁度良かった。
グスティンには、その爵位を継承した後、父を正しく処罰して貰わなければならない。
その時、令嬢と親しくしていたから、と手を抜かれても困るのだ。
元より原作においても、忖度せず果断に決行すると知っているが、下手な情を持って貰いたくない。
グスティンは既に、侮蔑的視線を送るのを止めている。
そこまであからさまな真似は、礼節上ふさわしくないと知っているからだろう。
だが、椅子を勧めようともしていない。
それはつまり、挨拶が済んだなら、さっさと帰れと言っているようなものだった。
グスティンに真っ直ぐ瞳を合わせ、ニコリと笑う。
六歳児にはそんな機微分かりません、という体で、図太く言い募った。
「では、座らせて頂いても?」
「……あぁ、好きにするといい」
相手が相手だ。筆頭分家の令嬢を、自分から帰れとは言えないだろう。
一瞬、苦虫を噛み潰す様な顔を見せたものの、流石の自制心で持ち直す。
将来、氷の貴公子と呼ばれるくらい表情に変化を出さないのだが、こういう態度を見るとやはり年相応な部分もある。
椅子に座れば、給仕が新しい紅茶と茶菓子を用意し一礼し、グスティンの方にも新たに紅茶を注ぎ終わると去って行った。
他にも給仕は複数いて、テーブルへ追いやった令嬢たちに紅茶を淹れて回っている。
横目でそれらを見て、注目されているのをひしひしと感じながら、カップを口元に運びながら言う。
「グスティン様、そんな事でどうします」
「なに……?」
「もっと人を上手く活用してはどうか、と言っているのです」
私の苦言が挑発と感じられたのか、その口調に棘が含まれていたが、次いで言った台詞に動きが止まる。
言いたい事があるなら言ってみろ、と視線から伝わってきて、それに後押されて説明を続けた。
「多くのご令嬢に纏わり付かれて、迷惑してらしたでしょう? そういう時、我慢するのではなく、わたくしを呼べば良かったのです。きっと、ワガママで癇癪持ち、とも聞いていたでしょうから」
「それを当てにして、他の令嬢を遠ざけさせれば、と? しかし、それで更に厄介な令嬢を呼び込んでは世話ない」
「あら、それは確かに盲点でした」
楽しげに笑った後、ソーサーを顎先まで持ってきて、その上にカップを置く。
香りを楽しむ所作にも見えるが、これで丁度、外から口元が見えなくなった。
「利用できると思ったら、それを活用する術を探す事です。我慢は必要ですし、全てを駒に例えて動かせ、と言っている訳でもありません。大事なのは、それが自分にとって必要で、そして受け入れる意味があるかどうかです」
「……君は、聞いていた評判と随分違うな。それに、六歳だと聞いていたが」
「六歳ですよ。評判の方は……まぁ、こうして話している事からも想像つくのではないでしょうか」
ソーサー毎カップをテーブルに置いて、人の悪い笑みを浮かべる。
そうすると、グスティンも小さく笑って、ここで初めて紅茶に口を付けた。
「……なるほど、苦労してるな」
「父がアレですよ。苦労せずに済むなら、こんな事はしていません。本当なら、もっと大人しくしているつもりだったのですが、グスティン様にもご苦労があると思いましたので」
「そうだな……。まだ苦労という程ではないが、令嬢たちの上手い捌き方は学ばなければならないだろう」
「あぁ、それもありますが、もう一つの方です……」
当然の様に否定してしまったが、グスティンには他の可能性について見えていないらしい。
きょとんとした顔を返されてしまった。
今の彼は、既に領政においての気苦労も負っている筈だ。
それを敢えて口にする事は不敬だろうか。
しばらく迷ったが、結局口にする事にした。
苦労ばかりのグスティンに、少しでも励みになればと思っての事だった。
「
「何のことだ?」
きょとんとした顔を崩さず、問い返される。
敢えて惚けているのではなく、本当に何を言っているのか分かっていないようだった。
……演技ではないだろう。
そもそも、原作からして彼は演技など全くできない、実直な男だった。
鉄面皮なのも、その実直さ故だったのかもしれないが、令嬢たちからは大変好評だったのを覚えている。
ともあれ、十歳前後になると、彼は領政を任されるようになるのだ。
自ら望んで始めた事でも、やれる器量があると見做され、任された訳ではない。
単に丸投げされただけだ。
父であるエルディス閣下が、遊び歩く時間が欲しいという理由で仕事を投げ出し、仕方なく代わりに仕事を始める。
とはいえ、どれほど有能であろうと子供には違いない。
出来る事は多くなかった。
将来的に爵位を継いだ時、学んでおくことは大切なのだとしても、年齢以上に賢く勤勉であったとしても、無理なものは無理だ。
だが、有能な家臣団がいたから、それらから学びつつ急場を凌げたと、原作では語られていた。
十歳になって急に出来る筈がないのだから、今から既に土台を固めていたり、手を回していなければ間に合わないと思っていたのに、違ったのだろうか。
グスティンはきょとんとした顔から、次第に難しく考える顔に変わり、口元に手を当てながら言う。
「その影の……というのはどういう意味だ? 何を苦労してると思ってた?」
「え、いやー……」
ここに来て、自らの失言を悟った。
準備を進めていたにしろ、単にまだその時期でなかったのかもしれないし、本当に十歳からいきなり任され、その有能さから何とかしていたのかもしれない。
原作に詳しい描写がないから深く考えていなかったが、グスティンの態度を見る限り、現在は家臣団のかの字もないようだ。
今から誤魔化して、間に合うだろうか……。
ちらり、と見た感じでは、追求を止めてくれそうもない。
仕方ない、と腹をくくり、どうにか誤魔化せないかと口を開く。
「グスティン様のお父君、お仕事してらっしゃらないでしょう? 我が家でもそうです。ですから、代わりにやっている人がおります。そちらもご同様だと思ったのです」
「それは間違いではないが、それでどうして、僕がやってると思った?」
「聡明な方と聞いていましたし、次期公爵になるのは間違いありませんでしょう? だから、お父君の代わりに学び始めているのかも、と思っていたのですが……」
「それも間違いじゃないが、発想が飛躍し過ぎているな。領政に子供を関わらせるなんて、普通はしないし考えない。君のところは違うのか?」
「いえ、わたくしは女ですし……。爵位を継ぐわけでもありませので……」
目を逸らして、再びソーサーを持ってカップを口に運ぶ。
我ながら上手く躱したと思えないし、これでは追及の手は止まないだろう。
どうしたものかと考えていると、グスティンの方から紅茶を見つめながら、低く呟く声が聞こえてきた。
「だが……、ありえるか? あの父なら……いや、そうでなくても確認……。調べる必要が……」
「……グスティン様?」
「いや、少し考えてみた。お祖父様がご存命だった時は、執務室に度々お邪魔していた。だから知っているが、その時の家臣たちは、既に要職を離れている」
「え……? では、今は別の……?」
「父にとっては小煩く、苦言ばかりで金の工面もしてくれない者達だから……だろうな。今では父にとって都合の良い者達で固められている」
それって拙くないだろうか。
伯爵領と公爵領では経済規模が違う。だから想像できない部分は多々ある。
だが、今も坂道を転がっている最中だと知っている身としては、思わず目を覆いたくなる程の衝動に駆られた。
馬車で通る道すがら、領都で過ごす、陰りある笑顔の領民たちを思い出す。
活気があるように見えたのは外側だけ……。
彼らもその危うさを肌で感じていて、それが公都の雰囲気にも表れていた。
その漠然とした不安が都を覆っているのなら、予想以上に拙い事態となっているのかもしれない。
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