幕間 〜カーリアの回顧〜

 茶器と茶菓子の置かれたワゴンを押して、一つの部屋を目指していた。

 これはあくまで仕事をしている、と他の使用人から見られる為の偽装みたいなものだが、心象や疑念を植え付けない為には必要な事だ。


 目的の部屋へ辿り着いて扉をノックし、返事が来るまで待つ。

 今日の訪問は予め決められていた事だったので、幾らもせず入室を促す声が聞こえた。


「失礼します」


 入った先はオルガスの執務室で、机に座って書類仕事をしていた彼は、目線だけ向けて応接のソファーを促す。

 短い返事で応じて、茶器を机の上に二つ、対面になるようセットした。

 茶菓子もまた、それぞれに応じる形で置き終わると、自ら下座に座り込む。


 この部屋に来る者であれば相応に権力を持つ者が多いので、ソファは座り心地の良いものだった。

 また、見る者が見れば、視界に入ってくる調度品にも金を掛けていると分かるだろう。


 本来、使用人でしかない私が、こうした席に座る事など有り得ない。

 掃除する為に入室する事はあっても、客分待遇で座るなど、想像出来る事でもないだろう。


 しかし、こうした待遇を取られるのは、一重にお嬢様を盛り立てる味方として遇したいという、オルガスの気持ちの表れだった。

 今日ここに来た理由も、その報告をする為だ。


 あまり大っぴらに出来ない事なので、オルガスがお茶を頼んだ、というていで入室する事になっていた。

 その指示もまたオルガスから貰っていて、今日のこの時間にやって来た、という訳だった。


 仕事が一段落したらしいオルガスは、立ち上がって背伸びをし、大きく息を吐いてから寄って来る。

 対面の席に座るなり、顎を引く動作で小さく頭を下げると茶器を手に取った。

 一口、口に含み、嚥下すると、溜め息のような息を吐く。


「いや、待たせて申し訳ない。ようやく、ひと仕事終えたところでね」


「とんでもございません。お疲れ様です」


「本来なら、ゆっくり世間話からでも始めたいところだが……」


「分かっています。オルガスさんも忙しい身です」


 うん、と一つ頷くと、彼は窓の外へ目を向ける。

 外は夕闇色が近付いて来ていて、そろそろ蝋燭に火を入れなければ暗くなる頃合いだった。


 屋敷中の蝋燭に火を入れるのも使用人の務めで、各々が分担して行われる。

 素早く全館に火を灯すため、使用人ならば例外なく従事するものだった。


 この話し合いも、そう長く続けられないのは、互いに良く理解していた。

 そして彼が何を理由に、こうした場を設けたのかも、また良く理解している。


「では、報告を。君の目から直接見た、お嬢様の素直な感想を聞かせて欲しい」


「そうですね……」


 どこから……あるいは、何から話したものか迷う。

 ――お嬢様は変わった。


 明らかに異質と言える知識を持ち、また年に見合わぬ計算高さを持っている。

 到底六歳児と思えず、それどころか成人した大人さえ、彼女には及ばないと思えた場面が幾つもあった。


 だから、まず率直な意見を言わせて貰うなら、それは一つしかない。


「お嬢様は変です」


「ふむ、……変か。思っていたのと多少違うが、納得出来るものでもあるな。具体的には?」


「異常、と言い換えて良いかもしれません。聡明の一言では片付けられない知識を有し、一つの事から推測、類推できる幅が大き過ぎます」


「本に対して、並々ならぬ関心を持っている、という報告も受けていたが……? 学んだ結果から得たものではないのかね?」


「それだけでは説明が付きません」


 確かに、お嬢様は良く本を読む。

 部屋の中には、六歳にはまだ早い本が多く用意されていた。


 ご当主様が伯爵家の令嬢としていずれ必要になる、と用意したものだ。

 だが当然、より先を見越した学習の為に用立てられたもので、六歳で読むことを想定されていない。


 だから、読めない単語も多かった。

 読み聞かせていたのはその為で、それさえあっという間に吸収し理解していった。


 それだけなら、聡明の一言で片付けて良かったかもしれない。

 しかし、そこから発想の飛躍が大きくなった。


「学んだ知識からの発想、着想というのなら分かります。でも、誰にも思いつかない事を思いつくのは、異常としか思えません。何より、お嬢様は六歳なのです。そのお歳に見合わぬ精神性が気になります」


「……それは私も対面してお話させて頂いた時、思った事だ。非常に聡明で、先を見越した計算高さは、子供と対面している事を忘れさせる程だった。……しかし、誰にも思いつかない発想とは、具体的に何を指して言っている?」


「……そうですね……、ワインの葡萄作りに意見した時です」


 少し頭を捻って思い返し、そうしてお嬢様の異常性を強く感じたのは、まさにそこだった。

 ワイン蔵を所蔵している領は、その生産高であったり栽培法について、記録を残しているのは珍しくない。


 それらの記録を読むことで、過去にどういう栽培をしていたかも知る事は出来るだろう。

 だから、現在との違いを知っているのはともかく、そこから抜本的に栽培の下地を変えてしまおう、という発想にはならない筈だ。


 どういう方法が効率良く、どういった方法が葡萄に取って適しているか、それを見て来たかの様に語る姿は、自信に裏打ちした姿に見えた。

 最初から正解を知っており、その流れを沿っているに過ぎないのだと。


 しかし、お嬢様が提案した方法は前例がなく、またそれに近しい方法を考案した誰かも存在しなかった。

 それはこの領の生き字引である、オルガスさんに聞いた事で確認も取れている。


「……確かに、あの栽培法は驚くべきものだった。お前の口から聞いた時は、自分の耳を疑った程だったしな……。これが単なる偶然なのか、それとも来年からの収穫増大に繋がるのか、それは待ってみなければ分からない事だが……」


「また、魔力量についても異常の一言です。六歳で安定したのは、早熟の一言で片付きます。でも、度重なる使用により、既に大人も顔負けの力を付けています」


「それについては、別に驚く事でもあるまい。多くの貴族は体得しても、修練などせぬものだ。多いとされる者は、学園で更に磨きを掛け、研究室付きになるなど一握りの酔狂ばかり。それとて、貴族の特権を脅かすものとして、表に出さぬものと来た」


 貴族は魔力を使える。

 しかし、使えるだけだ。

 純粋に血統の中で目覚める力なので、正しく継承されるべきものとされている。


 継承させるべき――、その考えが先行した結果、十全に使える事のみを優先されているのが現状だった。


 貴族の面目が立つ程度に使えれば、それで十分という考えなのだ。

 だから、お嬢様に不備があると知った時のご当主様の怒りは、相当なものだった。


「使えるだけの者より、実際に使っている者の方が優れる。それは別に、おかしな事ではないだろう」


「成長が早すぎるように感じるのですが……」


「個人差の範疇なのか、それを確認出来ないのだから、単に優秀という括りで良いだろう。学園で学ぶ貴族が、毎日限界まで振り絞って魔力を使っているなら、参考になるデータもあるのだろうが……」


 当然、その様なデータなど存在しない。

 それを言われると、実は誰もが本気で苦労すれば、お嬢様以上の魔力量を身に付けられるかもしれないのだ。


 もしかすると、その酔狂と呼ばれる集団は、お嬢様が子供に見える程の魔力量を保持している可能性もある。

 比較対象がない以上、そこは想像するかない点だった。


「……そうですね。それについては、強く主観が働いていたかもしれません」


「いずれにしても、魔力量が多いというのは良い事ではないか。今までのご不憫も、それを知れば旦那様も心を改められるかもしれん」


「それについて、もう一つ……」


 口止めをされていたが、味方として認識しているオルガスさんには、話してしまっても良いだろう。

 それに、隠蔽するのなら、この人を通さずには難しい筈だ。

 事後承諾となってしまうが、協力者に隠し事を残しておくより良いという判断だった。


「お嬢様は、草属性の制御を身に付けました」


「なんと……! 文献もなしにどうやって……!」


「事故のようなものだったと思います。本人も、やろうとしてやった事ではなく、偶発的な側面が強く……ですが、確かに……」


「それは喜ばしい!」


 オルガスさんは手を叩いて喜びを露わにした。

 もはや、お嬢様の信奉者と化している彼からすれば、朗報と言って良いだろう。

 お嬢様が家族から蔑ろにされていた理由が、まさに得意属性を扱えないという部分にあったのだから。


「これを知れば、旦那様の態度も変わるだろう。お嬢様への理不尽な仕打ちは禍根として残るのは間違いない。しかし、これで歩み寄る切っ掛けとなれば……!」


「でも、お嬢様はこの事を、秘したいとお望みです」


「む……、そうなのか?」


「はい、ご本人からハッキリと釘を差されました。隠し札としておきたいそうです」


「ふむ……。そういう事ならば、仕方がないか……。親子の情は、やはり必要なものと思っていたが、それ程まで既に溝が深まっていたか。当然、とも言えるが……」


 親は子を愛し、子も親を愛するのは自然な事とは思う。

 しかし、貴族社会は一般的平民と比べ、よほどシビアだ。

 この家は更に輪を掛けて酷かったが、思えば切っ掛けとはそれが原因であった気もする。


 魔力測定までは、貴族家にはよくある箱入り娘で、癇癪持ちの我儘ばかりが目立っていた。

 暴れて物を投げ付けてくる事も珍しくなく、時として飛び掛かって噛み付く凶暴ささえあった。


 それが魔力測定の結果から、パタリと止んだ。

 暴言は相変わらずだし、飛び掛かってくる事もある。

 しかし、本気で害してやろうという気持ちが乗っていないのは良く分かっていた。


 挫折を経験する事で人が変わった、という例はある。

 家族からも見放された事で、己を見つめ返す切っ掛けになった、と見る事も出来た。


 しかし、突然謙虚にはなれても、突然賢くはなれないだろう。

 そこにお嬢様の異常性が垣間見えるのだ。

 一体、何が彼女を変えたのだろう。


「お嬢様の意向は分かった。仰るとおりにしよう。以前お話した時には、既にご自身の中に展望が見えていたようだが……。それで早速、畑の方に着手したのは、確かに驚くべき行動力だ」


「単に行動力が高いだけではありません。その行動には、裏打ちされた知識があるようでした。お嬢様の知識の源泉が、一体どこにあるものやら……。私はそれが、少し恐ろしくも感じます」


「何……そう怯えずとも良い。血筋だろう」


 血筋、と口の中で転がして、言葉の続きを待つ。

 オルガスさんがそこまで言うのなら、思い当たる節があるのだろうか。

 そして、彼が知る血筋となれば、幾つも候補はない。


「先代様が、まさしくそうした突飛な発想力を持つ方だった。誰にも思い付かない方法を持ち出し、それを決行する。誰もが不安に思って半信半疑であっても、ご当主様は誰より自信に満ちて皆を率いていた……」


「……今のお嬢様と似てますね」


 オルガスさんが見ている先には、その時の姿がまざまざと映っているのだろう。

 恍惚と感動が、その瞳に表れているかのようだ。


 そして、ご当主様、という言葉を聞いて思い立つ。

 現当主フレデリク様の事は、常に旦那様と呼んでいた。

 彼にとって、当主とは今も先代様の事であって、フレデリク様の事は認めていないのだ。


 仕事を押し付け、遊び歩いている様な当主だ。

 家令は家のことを統括する仕事であっても、何もかも便利使いして良い役職ではない。


 オルガスさんに認められないのは、むしろ必然だった。

 そして、だからきっと、お嬢様を特別視しているのだろう。


 正しく先代様の血と才を受け継ぎ、正当な後継者として認めている。

 自分が忠誠を尽くすに相応しいと、そうであって欲しいという願いを託しているのだろう。


 そして、私の報告を聞く度に、その念を強めていっている様に思う。

 私も――。

 私もまた、先代より以前から続く財産をただ食い潰し、領を傾けていく当主より、未来を感じさせてくれるお嬢様を味方したい。


 異常と感じ、変と思っても変わらずお嬢様の傍にいるのは、一重にその期待があってこそだった。

 そして、賢くとも未だ身体的に未熟なお嬢様を守るなら、私は適材適所と言えた。


「お嬢様は確かに、その先代様と似ている所があるみたいです。でも、伯爵家については、あまり良く思っていないというか……下手すると裏切り行為に出る可能性が……」


「今の有り様ならば、むしろそれが正しいと言えるだろう。幼い身でありながら、領民を思い行動するお嬢様の、なんと気高い事か……! そのお嬢様がご当主として立つというなら、それは端から見れば反逆の様に映るかもしれん」


「そういう意味でもなく……。いえ、想像でしかありませんし、お嬢様から直接言葉を伺った訳でもないので、下手な勝手は申しませんが」


 実際、言葉の端々に何か悪巧みに似たものを感じるだけで、詳細については全く予想がつかない。

 しかし、現伯爵家に対して、打撃になる事はやろうと考えているのは間違いなかった。


 税制について考えを巡らせていたのも、その一環だろうと思っている。


「オルガスさん、お嬢様から近く、税制税率について話があるかもしれません。おそらく……、伯爵家が一方的に損するような形で……」


「ふむ……? 帳簿を握っているのが私である以上、ある程度は融通も利くとは思うが……」


「すぐバレるような、あからさまな真似はしないと思います。精々、来年以降収穫高、ワインの売上高に増収増益が見えた時、それを例年通りに誤魔化すとか……そうした程度に留まるかと」


「それならば、即座の発覚には繋がらぬやもしれんな」


 オルガスさんは腕を組んで視線を上にずらして、考えに没頭し始めた。

 領の全てを担っていた彼だから、既に何をすれば問題ないか、計算しているのだろう。


「しかし、問題もある。もしも増収が見込めるとして、その収穫時に一度でも視察に向かえば勘付けてしまう」


「今まで一度も行った事がない、という話でしたが……?」


「ここ数年の寒冷事情でも、不満が堪り兼ねている様子だった。切っ掛けさえあれば、赴く可能性はある。それこそ、鞭を打つ為に赴きかねん」


 それは実に有り得そうな光景で、思わず舌打ちが漏れる。

 流石に窘められてしまったが、オルガスさんの顔にも苦笑が浮かんでいた。


「まぁ、予定の調整はこちらでも上手くやれる。民草の下劣な姿を見たくない、などと嘯く様な方だから、こちらから誘導してやれば、パーティでも何でも優先させるだろう。よほどの事でもなければ、視察は阻止できる」


「こちらでも、兆候を感じ取ったら即座にお知らせしますよ」


「まぁ、うちのメイドに箝口令は無意味だと、良く知っている。動向を知るのは難しくない」


「全く……本当に」


 本来なら全く不名誉な事だが、当主夫妻に大っぴらに近付けない身としては、それが有り難くもある。

 ともあれ、既に話す事も話し、もう良い時間だった。


 屋敷内の火入れも、そろそろ始まっている時間だろう。

 怪しまれない内に、合流してしまわねばならなかった。


「では、私も時間ですので、そろそろ……」


「そうだな。今後も定期的に、話を聞かせて貰う。その時は頼む」


「はい、あまり長時間でなければ」


「勿論だ」


 互いに意味深そうな笑みを交わし、一礼して茶器を片付ける。

 そのままワゴンを押し、部屋を出て行く。

 屋敷内にいれば、何かと仕事があって、気を抜く暇などない。


 だが何より、お嬢様は目を離せない方なのだ。

 視界の入る場所で見守っていないと、危なっかしくて仕方がない。

 注意されない程度に足を早め、早く仕事を終わらせようと持ち場に急いだ。

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