新たな成果、新たな試み その1

 今日も屋敷を抜け出して、村へと急ぐ。

 既に陽は上がって早く、村の皆も畑仕事に精を出している頃合いだった。


 季節は春――。

 畑に抜本的な改善を施してから、既に五年と半年が経っていた。

 年齢は十二歳となり、もう子供と侮られる事もない。


 ――いや、と思い直す。

 年齢を理由に能力を疑う事はなくとも、村の皆には未だ子供として接せられている。

 むしろ、幼い頃から付き合いがあるからこそ、子供扱いのまま変わらぬ対応が続いているのかもしれない。


 小走りになって村へと入る背後には、やはり無表情のまま付いてくるカーリアがいる。

 いつもどおりのお仕着せ姿で、足音すら大きな音を立たせていない。


 どこまでも伯爵家のメイドとして、恥ずかしくない姿を崩さないのは見事だ。

 見事なのだが……、最近はそれ本当に使用人として当たり前の姿か、と疑問に感じている。


 その疑問を形にしようとしたところで、横合いから村民の一人が声を掛けてきた。


「おーぅ! おはよう、セイラちゃん! 今日も手伝ってくれんのかね?」


「そりゃあ今は、展葉期だもの! 人手は幾らあっても足りないでしょ!」


「違いない。いつも助かるよ!」


「いいのよ。助け合ってこそのワイン作りでしょ!」


 互いの顔には笑顔が浮かび、気負ったところは見られない。

 今ではすっかり村の一員だと、誰もが認めていた。


 畑仕事は土で汚れるし、手は荒れるし、日光を長時間浴びるから日に焼けて、肌荒れも出て来る。

 それが農民の顔というものであり、その特徴がセイラにも十二分に表れていた。


 親が見れば発狂ものだし、実際幾度も罰を受けさせられてもいる。

 しかし、食事抜きも、自室謹慎も効果なく、体罰さえ魔力を持って対抗するから全て無意味になっていた。


 親子の情はあるのか、それでも食事だけは出るものの、互いに居ない者として扱われている。

 食堂に呼ばれる事もなく、何かを申し付けられる事もしない。

 毎年、何かしらのパーティなども催されるのだが、それに参加するよう打診される事もなかった。


 父の口から娘の名前が出る時は、家の恥、という単語も一緒に付いて出るという。

 そんな娘を外に見せたくないのだろう。

 パーティに出たいと思った事はないので、それについては単純に有り難いと思っていた。


 ――まぁ、お互い様かしらね。

 歩み寄る機会はあった。

 親子関係を修復できるだけの要素は持っていたし、親に従順であると示せば、貴族家に相応しい親子関係は再構築できただろう。


 だが、それに一切の魅力を感じなかったから今がある。

 そもそも、領地を顧みず、領地を傾けるだけの父に敬意を持てる筈もない。


 母にしても、上から一言命じるだけで全てが問題なく動くと思っている。

 家中の女主人として満足に取り纏められていないのに、万事が上手く行くなど、どうして思えるのだろう。


 生家から引き連れてきた使用人が周囲を固め、それらがやっているから上手く行っているように見えるだけだ。

 母は使用人にさえ、面と向かって顔を合わせない。


 その必要がないと思っているのだ。

 人と人の間には、情をなくせば成立しないものがある。

 それを、きっと知らないのだろう。

 いや、貴族同士では出来るのだから、きっと貴族以外は母の視界に映らないのだ。


 だからこそ、村に一切無頓着でいられる。

 そこに生きる人間がいて、それら生産者がいなければ自分達の生活が成り立たない、と考えていない。


 人を見ず、数字を見ているだけなら、まだ救いもあったものを……。

 それとて健全とは言い難いが、管理の為には必要な要素だ。

 特権の中で生き、特権によって生かされていると知らない人間の末路が、きっとあぁいう人間なのだろう。


 ――本当に見るべきは……。

 セイラが道を通る度、一旦手を止めて一礼したり、手を振ったりする村民を見る。

 彼らに笑顔で応じ、あるいは手を振る度に思う。


 ――彼らの笑顔を守る。

 未来への憂いを少しでも晴らす。

 その為に、やるべき事をやり、直接顔を合わせるのは大切な事なのだ。


 手始めに辿り着いた場所は、既に深い付き合いであるヨーンの畑だった。

 手を上げながら挨拶すると、畑主のヨーンとその子供たちが一斉に振り向く。

 すぐに笑顔となって、手を振り返してきた。


「おはよう、皆!」


「やぁ、おはよう。いつも助かるよ」


「いいのよ、大変な作業だもの」


「セイラちゃん、おはよー! あとで遊ぼうー!」


「……んー、今日はちょっと遊べないわねぇ」


「えー……!」


 ヨーンの家には既にカイと弟がいたが、もうすぐ四歳になる妹もいる。

 今もじゃれ付いて来たのは、その妹エマだった。


 畑通いが通例化してから生まれた子で、村に馴染んだ頃から接しているので、貴族と知っていても村の一員だと疑っていない。

 唇を尖らせて足回りにくっ付いて来るエマの頭を撫でながら、今日の予定を確認する。


 例年通り、一メートル程の杭を立てて、そこに紐を結んでいく作業をする。

 この畑の目処が立てば、また別の畑の手伝いをする予定で、それが終われば自分の畑だ。


 明日以降も同じ手伝いをする予定で、これが終われば少し落ち着いた時間が取れる。

 遊ぶ時間が作れそうなのは、それ以降にしかならなかった。


「やっぱり、今日だけじゃなくて、もうちょっと先まで難しいかもね」


「えー、やだー!」


「こら、エマ。やだじゃない。困らせるな。――ごめんなぁ、セイラちゃん。ウチは男ばっかりの兄弟だから、お姉ちゃんが欲しいって、いっつも言ってるんだ」


「そうね、お姉ちゃんばっかりは、どうしようもないものね」


 頭をポンポンと撫でると、足元に抱き着く力が更に増す。

 またもヨーンに怒られると、それでようやく手を離した。


「さ、ちゃっちゃと始めましょうか! あれ、カイはどこ?」


「今は杭と紐を弟たちと取りに行かせてるんだ。今日の作業知ってる癖に、手ぶらで畑に出てきやがって……」


「寝惚けてたの?」


「いや、セイラちゃんが来るって分かったから、楽できると思ったんじゃないか?」


「あぁ……」


 毎年、畑起こしには魔力を用いて波打たせる為、一大エンターテイメントとなっている。

 改良を重ねて行く内、畑にも人にも優しい方法が確立され、今では土の混入防止にマスクめいた物、ゴーグルめいたものさえ作られる始末だ。


 初めて魔力で畑起こしをしたシーズンでは、例年通りの寒冷だったのにもかかわらず、これまでの常識を覆す豊作を見た。

 それからというもの、様子見していた畑も次々と希望者が増え、今では伯爵領の畑全てが改善されている。


 そうすると、時間的に次の作業が間に合わない畑も出てきて、杭立て紐付けも魔力で補う場面も多々あった。

 去年のそうした作業を見ていたカイは、きっと今年も同じだと思ったのだろう。


「あれは緊急措置だったしね。毎年アレやって楽してたら、本当のやり方忘れちゃうでしょ」


「そうだなぁ。技術という程、大した事じゃないが、やっていないと忘れちゃうからなぁ」


「楽ばっかりさせちゃ駄目よ。それに、あたしだっていつまでも助けられるか分からないんだから」


 その一言に、エマは悲しげな顔で再び抱き着いてくる。


「どっか行っちゃうの?」


「そういうんじゃないけど……。でも、そうね。いつまでも、とはいかないのよ」


「そうか……。そうだよなぁ……」


 ヨーンも想像してなかった訳ではないだろう。

 だが、直接それを言われるまで、頭に上っていなかった、という顔をしている。


 こちらとしては、家の没落を想定し、その前に離れる事を言っているが、ヨーンはまた別の事を思い付いたようだ。


「どっか良いトコのお嫁に出されるんだろうなぁ。お貴族様は学園で選ぶとか聞いてたけど、セイラちゃんもそうなのかい?」


「そうとは限らないわ。むしろ、入学前に決まってるケースが多いと思う。卒業と同時に結婚が珍しくないから、そういう噂が立つんでしょうね」


「そうかぁ……。生まれてすぐに婚約するとか、聞いた事あるもんなぁ」


「うぅん、そっちは相当珍しいわ。家同士のしがらみがあっても、やっぱり魔力測定の結果を見てから決めるものよ」


「じゃあ、セイラちゃんも……決まってるの?」


 くりくりとした可愛らしい目を不安げにさせて、エマが抱き着く力を強める。


「あたしはまだよ。けど、まぁ……あと三年で入学だし、その前には……でしょうね」


「やだ、そんなの……」


 しょんぼりと項垂れかけたエマの首が、唐突に持ち上がる。


「――そうだ、うちの兄ちゃんと結婚すればいいよ! そしたらずっと村に居られるよ! エマにもお姉ちゃんできるもん!」


「はっはっは、こらこら。セイラちゃんはウチとは結婚できないんだ」


「えぇ……? なんでぇ?」


「何でもさ。そういう決まりなんだな。昔っから、そういうもんなんだ」


 幼いエマに合わせてヨーンが屈み、頭を撫でると抱き締める。

 それでエマからの拘束が解けたが、ヨーンの腕の中でイヤイヤが続いていた。


 貴族はその魔力を維持し、次代に繋げなければならない。

 それが常識で、平民と婚姻を交わすことは基本的にないものだ。


 しかし、時折市井に魔力を持った人間が生まれる事もある。

 娼婦が生んだ子であったり、貴族の落胤がそれと知らずに育っていたり、あるいはそのまま平民同士で結婚し、先祖還りで魔力をしたりと理由は様々だ。


 その魔力の強さが認められれば、特に女性は貴族の寵姫や第二夫人として遇される事もある。

 市井で魔力測定などされないので、発見される事は大変稀だが、有り得ない事ではなかった。


 そして、この物語の主人公ソフィア・エリクション男爵令嬢は、そうして登場する。

 偶然、運命的に発見された少女は聖属性と、類まれな魔力を持っていた。


 養子に迎え入れた男爵が教育を施し、学園へ入学させ、そこで第一王位継承権を持つ王子殿下と出会い、運命的な恋をする。

 平民が貴族を飛び越え、王族の伴侶となる、大衆が喜ぶサクセスストーリーだ。


 そして、それほど貴重な利がなければ、貴族と平民で婚姻を交わす事はない。

 平民を受け入れる事はあっても、平民へ嫁がせる貴族などいない。

 まだ幼いエマに分からないのは当然だが、それを平民も理解している程、よく知られた話だった。

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