味方を得るのは難しい その7
――あれは明らかに失敗だった。
オルガスとの話し合いが終わり、自室のベッドで枕に顔を埋めながら、その時の事をひたすら後悔していた。
味方は欲しかった。それは間違いない。
そして、家中で味方に出来る人物は非常に限られていた。
前提として両親は雇用主であり、身分の差から逆らわない。
叱責を恐れて従順になっていて、家を思って進言しようものなら解雇されてしまう。
結果として事なかれ主義を貫くか、両親に媚びうる者しか残らなくなった。
オルガスは事なかれと見ぬ振りを決め込んだ訳でなく、傾く家を止めたくて残り踏ん張っていた者だった。
そうした者は非常に少なく、替えが簡単に利くメイドなどには、そうした気骨持つ者は既に消えていた。
だから味方を得ようにも、そもそもの選択肢は少なく、他に声を掛けられる人物はいなかったのだ。
そして、思いもよらぬ誤算が、オルガスの度を越した期待だった。
講師を最後まで引き止めようとしていた所からも、味方になってくれる可能性はある、と踏んでいたのも確かだ。
しかし、あそこまで高く買ってたとまで、予想していなかった。
「だって、普通に令嬢として恥ずかしくない一般教養全般を、身に着けさせようとしただけと思うでしょ……」
外面の見栄えだけ維持できれば良い、という考えと、講師費用を惜しんだから、父はそんな暴挙に及んだのだと思っている。
――これ以上、親に恥をかかせるな。
馬車内で言い放った台詞こそが、全てを物語っているだろう。
期待は既に捨てた。けれど、お飾りとして親の望む義務は果たせ。
傷物の娘に掛ける期待としては、そんな所だろう。
「期待を捨てたのは、こっちの方だっての……」
だから、両親に巻き込まれて破滅してやるつもりなんてない。
出し抜き、逃げ出し、あわよくば一泡吹かせたいというのに、抱える荷物を増やす訳にはいかないのだ。
それを考えると、オルガスで見せた言動は明らかな悪手だった。
あるいは、もっと間抜けで庇護欲を誘う形を装えば……。
一瞬考えたが、それも今となっては過ぎた事だ。
今はこれから先を考えなくてはならなかった。
「どうしたものか……」
寝返りを打って部屋の奥を見つめると、本棚にハタキを掛けているメイドが見える。
口元にナプキンを覆って棒を振る様は、仕事熱心にも映るのだが、やっているのはカーリアなのだ。
職務にある程度忠実と思っていたのだが、最近は上手く口実を作ってサボるの常習犯、という事実が見えてきた。
今も真面目に掃除している様に見えていて、その実もっと別の重労働箇所を割り当てられていた可能性がある。
それをセイラの命令だ、と言って逃げて来たのではなかろうか。
だって、あの場所はもう二日前に終わらせていた筈なのだから。
仕事をやっている体を、抜き打ちで見られた場合に備えて、仕事のフリをしているだけだ。
多分、それは他のメイドも理解している。
それでもカーリアには一定の価値があるのだ。
言うことを聞かせられないセイラに物怖じせず、力ずくで解決できるメイドは、それだけで貴重と思われている。
以前のセイラがどれほど御し難かったか、そこから推測できようというものだ。
そして、だからカーリアは両親にご機嫌伺いしなくて済む、稀有なメイドでもある。
味方に出来得るメイドという意味でもあるのだが、以前言っていた様に、カーリアは主人を父と認めているのだ。
あるいは、単に給金を払ってくれる相手だから、という意味合いでしかなかったのかもしれないが……。
それは聞いてみなければ分からない事だ。
仕事しているカーリアの後ろ姿を、ジッと見つめていると、しばらくしてハタキの動きを止めて、うっそりと振り返る。
そこにはまるで毛虫でも見るような、不快な雰囲気が浮かんでいた。
表情筋は一切動いていないというのに、それを感じさせるのは大したものだった。
「何か御用でしょうか、お嬢様。欲望まみれの視線を向けられて、大変不快です。眼球ほじくり出しますよ」
「何でちょっと見てたくらいで、そこまで言われなきゃなんないのよ! 大体、あんたに欲まみれの視線なんて向ける訳ないでしょ!」
「然様でしたか。上から下まで、ねっとりと絡みつく視線をぶつけられたもので、まさか変な趣味でもあるのかと危惧していたところでした」
「ないわよ、変な趣味なんか! あんたこそ、馬鹿みたいな被害妄想拗らせて、どうかしてるんじゃないの!?」
大声で捲し立てると、可愛そうなものを見る目で視線を合わせ、その後ハッと鼻で笑った。
毎度ながら、何でこんな奴がメイドをやれているのか分からなくなる。
幾らセイラに臆さず接するといっても、限度があるのではなかろうか。
更に罵詈雑言をぶつけてやろうとして、それより前にカーリアが別の話題を口にした。
「それより、お嬢様。今日は何をしたんですか。オルガスさん、凄くご機嫌でしたよ」
「え、あぁ……。うーん……」
「私にも良く接するようにって、注意というか、忠告みたいなこと言ってきましたし。あんなオルガスさん見るの初めてで……。何か言ったりしたんですか?」
執務室を去るまで、オルガスは上機嫌だった。
既にバークレンの未来は明るいと確信している有り様で、まるで救世主が降臨したかと思う程の浮かれっぷりでもあった。
怖くなったので、フォローもなく逃げ出すように退室したから、その後の事はよく知らない。
だが、唯一の側付きメイドに、職務上――そして両親に知られない形で、言葉を残すくらいはしそうだった。
「別に何も言っちゃいないけど……。ただ、執務室に潜入したら見つかって、そのあと一緒にお茶しただけよ」
「へぇ……」
全くの嘘でもないのだが、カーリアは全く信じた素振りを見せない。
言いたくないなら別にそれでも良い、と興味をなくした目で見て、再び書棚のハタキかけに戻ってしまった。
――味方。味方ねぇ……。
カーリアの後ろ姿をこっそりと盗み見ながら、小さく息を吐く。
考えてみるまでもなく、彼女は側付きメイドで、セイラの行く先には大抵付いて行く事になる。
何をするか隠しておく事は難しく、今日のように離れる機会はあっても、常にその隙を窺って行動するのも難しい。
抱き込めるものなら、抱き込みたい相手ではあった。
「ねぇ、あんた……」
「はいはい、お茶ですか。今ちょっと手が離せないんで……」
「違うわよ。っていうか、お茶を望んだら即座に準備しなさいよ。優先順位を間違え――って、違う違う。すぐ脱線させるんだから。そうじゃないの、訊きたい事があるのよ」
「然様ですか。あまり変な質問は止めてくださいね」
そう返事しながらも、掃除する手を止めず、背後も振り返らない。
中々ナメた態度を取るメイドだ。
「あんたさ、前に主人は当主様だって言ってたでしょ? あれって給金を出す相手だから?」
「そうですよ。それ以上の意味なんかあります?」
「いやまぁ……、相手は貴族だし仕えるべき相手として、相応しい敬意を、とか……」
「あれに向けるべき敬意とかないでしょう」
あはは、と声に出して笑った。
笑いはしたものの、笑い声に感情は乗っていない。
表情は見えないが、やはりいつものように感情は浮かんでいないのだろう。
だが、カーリアが忠誠心を持たない事は、意外でもなんでもなかった。
「あぁ、やっぱりそういう認識なのね。給金を払う間は主と仰ぐ、とかそういう感じ?」
「まぁ、概ねは。流れてきた余所者を拾ってくれた恩はありますけど、こんな大変な相手を押し付けられるとは思ってませんでしたし」
「それは申し訳なかったわね。あたしだって挑発されなきゃ、殴りかかったりしないんだけど」
「挑発されても殴りかかったりしないのが、普通のご令嬢なんですよ」
それはそのとおりなので、ぐむむっ、と口を噤む。
だが、その対処に力で対抗しようとするメイドも、やはり普通では考えられない。
一言物申してやりたいが、それだといつまでも話が進みそうにないので、今は堪えた。
「でも、そう……。この領出身じゃなかったの。それなら尚さら、忠誠心なんてないでしょうね」
「先祖代々がどうあれ、今代の伯爵があれじゃ、給金以上の忠誠なんてありませんよ。暮らしていくに不自由しない部屋とお金を貰えるから、こうして仕えているだけで」
「随分と明け透けに言うのね。でも、当然かしら……。じゃあ、他からより実りの良い話を貰えば移るのね?」
「……そうですね。とはいえ近辺を探し回っても、ここより楽で良い給金を貰える職場というのは、お目にかかれないと思いますけど」
なるほど、生活苦か何かで故郷を飛び出した結果、今がある訳か。
現状の不満はあっても大きなものではなく、給金は十分貰えているからこそ、現状にも概ね満足している……そういう事なのかもしれない。
そこへカーリアが、ようやく振り返って言葉を放ってきた。
「お嬢様、もしかして追い出そうとしてます?」
「いえ、そうじゃないのよ。言った所で聞かれないと思うし」
「そうですね。私を嫌がられても、変わりはいませんから。他のメイドも、やっぱり誰もが嫌がるでしょうけど、他から代わりを見つけるのも大変ですし」
これまでの悪評を考えれば、メイド達の反応も当然だろう。
だが、直接そう言われるのも腹が立つ。
叫びたくなるのをグッと我慢して、質問を続けた。
「まぁ、メイドの事は良いのよ。すげ替えたいと思っている訳じゃないわ。……逆よ。あんたには味方になって欲しいのよ」
「はて……? 敵も味方もないのでは? 私は別に、ご当主様から虐げろ、と言われた訳ではないですけど。問題があれば報告しますけど、それはむしろ当然の措置で……」
「分かってる。分かってるわ。父もあたしに傷が付いたから見限っただけで、憎んではいないと分かっているから。でも、あたしのやる事なす事、黙っていて欲しいのよ。そういう、あたしの不利になる報告をしない、という意味で味方して欲しいの」
「はぁ……、それはまた何故? 何をするおつもりで? 淑女教育からの脱走とか、そんなの普通に報告しますけど」
その程度はこなすつもりでいるし、悪戯レベルの悪事なら報告されても構わない。
本命については何をするつもりかまだ考え中で、具体的なものは一切なかった。
謀反とは言わないまでも、伯爵家にもたらされる利益を隠す事にはなるかもしれない。
子供ならば手を出すべきでない事、令嬢ならば行うべきでない事、そうしたものに近付く機会もあるだろう。
それを見過ごして欲しいと思うのだが、単にお願いするだけで、頷いてくれる気配は無さそうだ。
カーリアは利益を天秤に掛けて、今の仕事を続けている。
その天秤にセイラがより多くの金貨を置くか、別の利益を提示できない限り、決して頷いてはくれない。
だが、まだお小遣いさえ貰っていないセイラに、父以上の給金を払う事など不可能だった。
ならば他に何か、となるのだが、それも難しい。
後に残ったの手段は、一か八か、誠意を込めた願いを口にするしかなかった。
それも単に頭を下げてお願いするのではなく、真実を口にして、隠されたセイラを
「あのね、聞いて。ちょっと突飛な話をするけど……、でも本当なの。――あたし本当は、別の世界から来た人間なのよ」
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