認められない現実 その1
「一応、聞くけど……。絶対違うって思うから聞いておくけど、私ってセイラ・バークレンじゃないわよね?」
「はぁ……?」
メイドの反応は、未知の単語を初めて聞かされたものに見えた。
鏡越しに見る表情は、なに言ってんだコイツ、という様相を十二分に表している。
よかった、と安堵しかけた時、メイドはやはり素知らぬ声音で言った。
「セイラ・バークレン様に決まっているじゃないですか。今更どうしてそんなこと確認するんですか。脳は寝る前に仕舞っておいて下さいよ」
「素直にそうだ、とだけ言っときなさいよ! ナチュラルに暴言、混ぜるな!」
拳を握り締めながら勢いよく振り返り、歯軋りしながら睨み付ける。
今にも飛び掛かろうと膝を曲げ、メイドもそれに合わせて態勢を変え……。
しかし結局、力が入らず、そのまま膝から床に崩れ落ちた。
「あぁ、最悪だ……! こんなモブ御用達の髪色なんて、早々いるもんじゃないし! 絶対あり得ないと思ってたけど! 本当にセイラ・バークレンなの!?」
「だから、そうだと言ってるじゃないですか。……それにしても、こんなお嬢様初めて見ます。昨日の殴りどころが悪かったのでしょうか」
殴り掛かって来ないと見て、元の態勢に戻ったメイドは、思案顔になって顎先に手を当てた。
ぐぎぎ、と顔を上げて恨みがましく見つめていると、何かを思い立った顔付きで近付いて来る。
「さぁ、冗談は置いとおきまして、お早く準備を整えませんと。只でさえ、今の奇行で時間が押しているんですから」
「……冗談? 今までの? ホントに冗談?」
「さささ、言ってる場合じゃございませんよ。ベッドに腰かけて下さい。気分を変えたいなら、椅子でも結構ですよ」
じとりと見つめても、メイドは素知らぬ顔をして、ベッドと姿見近くにある椅子を交互に示す。
笑顔の一つも見せない愛想のないメイドだが、その職分はしっかりとこなすつもりでいるようだ。
いつまでも睨み付けていられないし、それに朝の支度を無視できない、というのも分かる。
寝間着のまま、一日過ごせるものでもないだろう。
だから、単に近い方という理由で、すごすごと姿見近くの椅子に座った。
そうすると、メイドもワゴンを引いて近くまでやって来る。
洗面台など無いからなのか、それとも場所が遠いからなのだろうか。
洗面器に注いだ湯を、柔らかな布で絞って顔や耳、首筋などを丁寧に拭われる。
うんと小さい子供になったような気がして、何とも居た堪れない。
されるがままに見られる範囲で視界を動かしていると、鏡に映る自分の姿が目に入った。
六歳前後と見られる小さな子供が、膝を畳んだメイドにされるがまま、洗顔させられている。
――あれが自分か。
やはり現実が受け入れられない。
両手を上げて寝間着を脱がされている間も、代わりの服を着せられているのも、紛れもなくセイラだった。
鏡に映る光景と、為すがままにされているセイラ。
それが同一だと分かるのに、自分の身の上に起こっている現実だと、どうしても思えない。
――未だ、夢を見ているかのよう……。
誰が、これを現実だと言えるだろうか。
寝ている間に別世界へ行った、それも小さな女の子になっていた……というより、これが夢である可能性の方が高い筈だ。
だというのに、洗顔されていた間も、衣装を着替えさせられている間も、ずっとその感触が現実だと教えてくれている。
だが、だからと言って――。
「これは本当に現実なの……?」
「何だか、今日のお嬢様は随分と雰囲気が違いますね。いつもなら、早く終わらせて、と喚く程ですのに」
「違って当然でしょ……。本当の私はどこか別に居て、夢から覚めれば終わるんだわ……」
「不安でいらっしゃるのも無理はありません。今日は大切な日ですもの。でも、そこまで畏まる必要はないんですよ。あるがままに受け止める、受け入れる、それが大事なのです」
メイドの表情は、やはり愛想の欠片も無い。
わざとではなく、生来のものなのかもしれなかった。
しかし、掛けて来る言葉には優しさがあり、気遣いがある。
今も服を着せる手付きは柔らかく、また優しい。
口調や態度ほど、セイラを蔑ろにしている訳ではないのかもしれない。
「大切な日って言うけど……、今日は何の日?」
「魔力測定の日ですよ。お嬢様は早熟で、体内の魔力の流れが非常に安定していますから。問題なければ早めに調べるのも、学習する上で有利だと聞きましたよ」
確かに、小説の中でそうした設定が書いてあった。
この世界には魔法があり、そして誰もが体内に魔力を持っている。
通常八歳から安定する魔力は、大抵幾つくかの得意属性を持っているのだ。
あくまで得意不得意の話であって、他の属性が使えないという話ではない。
しかし、得意属性を知って、それに注力する方が効率的なのは間違いなく、多くの人はその得意属性を伸ばしていくことに集中するものだった。
地、水、火、風、光、闇、と並ぶ属性が一般的だが、それ以外にも希少属性というものが存在する。
時に聖属性を獲得した人を、聖人や聖女と呼んで、一層有難がる風習があった。
希少属性は多種多様で、聖属性以外にも多くあるのだが、それらは多くの場合、外れとされる。
魔法を使うには制御技術が必要になり、そして一般属性は教本など幾らでもある代わりに、希少属性は存在しない。
そんな教本が作られないぐらいお目に掛かれない存在なので、希少属性に当たってしまうと全くの手探り、独自に使用方法を見つけなくてはならなかった。
当然、そんなものは茨の道で、よほど酔狂でなければ他の属性を学びだす。
得意でなくとも使う分には支障がないし、手探りで見つけるより余程速く修練も進んで行く。
その中でも聖属性は国を挙げて祀り上げていた歴史があり、教本も存在しているので、希少属性でも唯一の例外なのだ。
そして、物語のヒロインが身に着ける属性でもある。
読んでいた本でも、御多分に漏れずそうだった。
しかし、セイラはその辺り、特に気にする必要はないだろう。
何しろ途中ドロップ確定の、モブ令嬢である。
地味な地属性辺りが妥当だろう。
あくまで真・悪役令嬢の取り巻きその一であり、引き立て役であり、切り捨てられ役でしかない。
気負う必要すらなく、敢えて言うなら親の落胆が目に見えて可哀そう、というぐらいなものだった。
「私が気にする事ではないか……」
「はい……? 然様ですね、鷹揚でいるのは良い事です。過度な期待をするぐらいならば」
「そういう意味で言ったんじゃないけど、別に属性がどうとか興味ないし……」
「旦那様はきっとそうは思いませんでしょうけど、そのぐらいの気持ちでいる方がよろしいですよ。属性一つで、人生の先行きは変わりません」
果たして本当にそうだろうか。
楽観的でいさせようという、彼女なりの気配りなのは分かる。
しかし、物語のヒロインは、その聖属性であったからこそ、人生が全く変わってしまうのだ。
学園は高い学費が掛かるので、平民ではおいそれと通えない。
門戸は広く開かれているという建前があっても、裕福層しか通えないのが現実だ。
平民出身のヒロインが、その学園に入学できたのは、一重にその希少属性のお陰だった。
彼女は通いたいとも思っていなかったが、国が援助を申し出た。
属性で人生の先行きが変わる、分かり易い一例と言える。
だが、どこまでいってもセイラがモブである事は変わらない。
そして、どこかのタイミングで目が覚めれば、この愉快な夢ともオサラバなのだ。
「そうね……、何一つ変わらない。結局、何事もシナリオ通りに進むだけなんだわ」
「何をそこまで、お嬢様を悲観させるんですか……。さて、次は髪の毛ですよ」
メイドがポンと腰を叩くと、鏡の方へ身体を向けさせられ、次に髪を結い始める。
真後ろに立って櫛で髪を漉き、丁寧に纏めて上部で括る。
貴族の令嬢らしからぬ髪型だが、今日だけは質素なものが求められているのかもしれない。
髪型など別に拘りはないので、そのまま黙って鏡を見つめた。
「こうして毎日黙って頂けると、私どもも仕事が非常にやり易いんですけどね。今日はどうしたんですか、やっぱり緊張してらっしゃいます?」
「別に……。早く終わらないかなって思ってるだけ」
「そうですね、ジッとしていればすぐに終わりますから。暴れなければ直ぐですよ、直ぐ」
そういう意味で言った訳ではなかったが、暴れるつもりなどないので黙っている。
メイドにしても、暴言や暴力を振るって来なければ、こっちだって暴言で返したりしないのだ。
ただ、いつ夢から覚めるのか、それだけを考えていた。
鏡越しにメイドと目が合い、不愛想な表情にも柔らかな雰囲気が立ち昇る。
穏やかに笑みを浮かべるシーンだというのに、それもない。
表情筋が死んでいるのではなかろうか。
「そういえば、名前は? 名前を知らないわ」
「自分のお名前ぐらい、もう少し長い間覚えておいて下さいね。セイラ・バークレン様ですよ」
「違うわよ! あんた! あんたの名前を教えろって言ってんの!」
「あらあら、メイドなんて誰でも一緒。名前なんて聞きたくない、と仰ったのは誰でしたかしら」
どうやら自己紹介の第一声から、セイラと彼女の戦闘は始まっていたらしい。
誰にも心を開かず、そうして敵意を振り撒いていたからこそ、今の現状があるのかもしれなかった。
「いえ、私のは単なる趣味です。可愛らしいお嬢様が見れば、とりあえずアイアンクローと家訓で決まってますのよ」
「人の心を読むんじゃないわよ! そして捨てなさい、そんな家訓!」
「冗談です。単なる純粋な趣味ですわ」
「余計タチ悪いじゃないのよ!」
「暴れないでください、お嬢様。アイアンクローをするには最適と言えない位置なんですからね」
「誰が暴れさせてんのよ! それに、いつでもかまそうと狙ってんじゃないわよ!」
がなり立てて後ろを振り向こうとすると、それより前に両手で頭部を押さえられ、その状態から持ち上げられようとされる。
首の付け根が伸び、腰まで一直線に怖気が走った。
「はいはい、動かないで下さいねぇ。このままコキャッ、と出来ますからねぇ……。私はあの感触が大好きです」
「ちょっと……、あんた……なに空恐ろしいことサラッと言ってんのよ……。やめなさいよ、やめるわよね……?」
「勿論です。黙って座って下されば」
首を上下に振ろうとして、動かない事に今更気付いた。
しかし、意図は正確に伝わり、メイドからの圧力が消えた。
頭部を掴んでいた指も離れ、再び髪の手入れへと戻る。
「カーリアです」
「は? 何が……?」
「私の名前ですよ。家名を持つほどご立派な生まれではございませんので、ただのカーリアと覚えておいて下さい」
鏡越しに見る彼女の表情は、どこまでも平坦で変わりない。
しかし、その唇の端が僅かに曲がっているのは見逃さなかった。
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