第2話 小さな侍女

『ねえシア。今日は起こすのが遅いけど、一体なにしてたの? 侍女だってことわかってる? 君は』

『はあ。仮にそうだとして二度寝したことすら考えられないなんて思わなかったよ』

『相変わらず使えないよね、君は。そろそろ別の人に変えるよ本当』

『いい加減ちゃんとしてくれよ。使えない従女なんか要らないんだから』


 侍女じじょ、シアに対して理不尽に当たってきた過去。

(いやいやいやいや、なにしてくれてんのよ。このベレト君は!)

 平気でこんなことを言っていた事実に驚愕するばかり。


「あの……。べ、ベレト様……」

「ッ。あ、ああ。起きてるよ」

 扉の奥から再度起床の確認するシアの声を聞き、ようやく我に返る。が、声だけで彼女の怯えが伝わってくる。

 これ以上怯えさせないように。ただそれだけを意識して優しく返事する。


「シア、入って」

「は、はい。失礼いたします……」

 その言葉でビクビクしながら寝室に入ってきたシア。


 顔を合わせる前に流れてきた姿と同じ。 

 メイド服に身を包み、ピンクリボンで結んだおさげの黄白こうはく色の髪。くりくりとした青の瞳。

 小さめの身長と少し幼さの残る顔立ち。今回は紅茶の乗ったトレーを持っていた。


 実際、転生して初めて顔を合わせる彼女だが、こちらとしては気まずさ等ないのが不思議なところ。


「お、おはようございますっ。ベレト様」

「うん。おはよう」

「っ、あ、あの……。おはようございます!」

「う、うん? おはよう」

 挨拶をされるとは予想してなかったのか、視線を彷徨さまよわせた後、もう一度頭を下げてきた。


「あ……。紅茶をお持ちしたのですが、お飲みになります……か?」

「うん。せっかくだからいただくよ。紅茶ってシアが一人で準備してくれたの?」

「は、はい! 私のお仕事なのでいつもお準備させてもらって——」

 そこで唐突にシアは口を閉じた。目も伏せた。


「ん? どうかした?」

「……も、もしかしてお嫌でしたか?」

「え!? いやいや、違う違う! そうじゃないよ」

 なにを言われるかと思えば、考えになかった問いに思わず戸惑ってしまう。


(はあ……。こんなに一生懸命務めてくれてる子を虐めてたとかベレト終わってるだろ……。普通こんなこと言わせちゃダメだろうに)

 どうしようもない感情。そのモヤモヤを振り払うように、そして、今自分にできることは一つだけ。

 笑顔を浮かべ、頭を下げる。


「いつも準備してくれてありがと、、、、ね、シア」

 お礼を言いながら、当たり前に。

 だが、この行動が彼女のミスを誘発させたことを次の瞬間に知る。


「ぇ……」

「あっ! ちょッ!?」

 自分が視界に入れたのは、唖然の表情をしたシアと、手に持ったトレーを離した光景。

 普段から攻撃的で、威圧的で、尽くされるのが当たり前だと思っていたベレト。お礼など言わなかった男が今日、突然頭を下げたのだ。


 天地がひっくり返ったように驚くのは当然で。

『ガチャン!!』

 カップが割れる音。飛び散る破片。湯気立っていた紅茶が床に広がっていく。

「……」

「……」

 この事故現場に無言になる二人だが、シアはすぐに目を見開いて我に返った。


「も、ももも申し訳ございませんっ! すぐに処理を!」

「ちょっと待って!」

 真っ青な顔をして割れたガラスを拾おうとしゃがみ込む。一秒でも早く片付けなければ、と焦りながら手を伸ばしたところに自分はストップをかけた。

 このままではガラス片で指を切ってしまうのは簡単に予想できる。

 考えたくはないが、こうも取り乱しているのは今までのベレトの行いが原因なのだ……。


「危ないからここは俺がするよ」

「ぁ……」

 侍女じじょだと言っても年下の女の子。冷静な状態ならまだしも、今の状態で片付けさせるわけにはいかない。

 率先して散った破片をトレーの上に集めていく。ペーパーで紅茶を拭き取っていく。

 途中、シアのチラッと様子を窺えば、涙を溜めながら体を震え上がらせている。


(本当酷い環境だったんだな……)

 悲しいことに、これが普段から彼女に酷いことをしてきた結果。

 転生がバレないために保険を打つとなれば、今まで通りの態度を貫くのが一番だろう。

 しかし、そんな扱いができる自分ではない。

 礼を伝えるだけで驚かれる自分を悲しく思いながら、彼女に声をかける。


「えっと、シア。怪我はしてない? 火傷やけどは?」

「は、はい。怪我も火傷もございません……。申し訳ございません……」

「……ん?」

 まるで『怪我か火傷をしていた方がよかったですよね』なんて含みがあるような謝罪。

 一瞬考えすぎかと思ったが、今までの扱われ方を考慮すると含みが正しい可能性があった。


「謝らなくていいって。とりあえず怪我とかしてなくてよかったよ」

「……」

 今の声が届いていないのか、俯いて次の指示を待っているシア。

 侍女の立場でありながら、仕え主にさせてしまっている、、、、、、、、、ことでさらに危機感を感じているのだろう。

 

「えっと、シア?」

「っ!」

「まあ、そのなんて言うか、ミスは誰にでもあるから次からは気をつけるようにね。もし割ったとしても慌てず慎重に拾うようにお願い」

「えっ」

「『え』じゃなくて、次からは気をつけるように。いいね?」

 呆けた顔に向けて再び確認。


「は、はい……」

「よし。それじゃあこのカップは俺が割ってしまったってことで話を通しておくから」

「え、あ……そ、そんな!」

「いいからいいから」

 シアが割ったのか、ベレトが割ったのか。結果は同じだが、自分が割ったと言えば後ろ指も刺されないだろう。


「あ、あの……。では罰の方は……。このカップはベレト様が愛用されているもので……」

『普段の貴方なら』と言いたげだが、怖くてそれ以上は言えないらしい。これなら言い包めることができる。


「ああー。確かに愛用はしてたけど、いつかは壊れるものだから仕方ないよ。だから罰もなし」

「……」

(うんうん。おかしいよね。今まで君を虐めてきたベレトがこんなこと言うの)

 だからこそ今一つだけ言いたい。できるだけ早くこっちのベレトに慣れて、と。


「とりあえずシアに怪我がないことが一番だから。カップの代わりはいくらでもあるけど、シアの代わりはいないわけで」

「…………」

(うんうん。おかしいよね。今まで君を虐めてきたベレトがこんなこと言うの。どの口が言ってんだって思うよね)

 なんて一人ツッコミを入れる中、転生したことがバレないように過去の辻褄をしっかり合わせるように言葉を選んでいく。


「そもそもカップを落とした原因って俺でしょ? 普段とは違うことをしたから、みたいな」

「そ、そんなっ。私の不注意です……!」

「正直に。少なくとも俺の目には不注意には見えなかった」

「っ」

 声に力を込めたことで命令と感じたのだろう、息を呑む音が聞こえる。

(いや、そんな体プルプルしなくても……)

 逆に申し訳なくなるのが現状である。


「……し、正直に申しますと驚いて……しまいました」

「『ありがとう』ってお礼を言ったことで?」

『……………………コクリ』

 ものっ凄い長い間を置いて小さく頷いたシア。今からなにが行われるのかとビクビクした上目遣いを見せている。

 それでいて、『ベレト様は一体どうしてしまったのか』なんて気持ちも伝わってくる。

 ここからが自分にとっての正念場。転生したと悟られないための。


「まあその、前と変わったでしょ? 俺って」

「……」

 沈黙は肯定。この姿を見て『変わってない』と否定できるわけもない。

 ここからが今まで虐めてしまった弁明……。

 本音を言えばどんな言葉をかけていいのかわからない。謝っても許される話ではない。シアの人柄に甘えてしまうことを承知で口を開く。


「全然許されることじゃないんだけど、今までごめん。シア。今まであんなことして」

「っ!?」

 侯爵家の跡取りが侍女に謝罪するなど珍しいのがこの世界。だが、悪いことをすれば謝るのは普通のこと。

『本当にどうされたんですか!?』なんて顔をしているが、『なんか別の人格に乗り移っちゃってるからなんだよね! ハッハッハ』なんて言えるはずがない。

 必死に頭をフル回転させ、別の理由を導き出す。


「なんて言えばいいのかなぁ。本当に信じられないと思うけど……今まで厳しく当たってた理由は、シアがこの家を出て、その……別の貴族の侍女とか使用人になっても困らないようにしたかったから……なんだよね」

「私がこの家を出て、ですか?」

「うん。シアの家系は代々うちに仕えてくれてるけど、いつ侯爵家ここが衰退するかわからない。だからどんな環境になっても耐えていけるようにあんな態度を取ってたんだ」

 完全にベレトの尻拭いをしている自分だが、今はベレトとして生きている分、仕方のないこと。


 ベレトがシアを虐めていた本当の理由は『気に入らなかった』から。こんな救いようのない理由を伝えられるはずがない。

 それなら、自分で考えた理由を伝えた方がいいに決まっている。


「ま、まあ夜会でも評判のいいシアだから余計なお世話なんだけど、仕えてもらってるからにはどんな風に転んでも責任を持たなきゃいけないからさ」

「……」

「そ、それでその件を知人に話したら『やりすぎだ』『そんなことは本人としっかり話せ』ってアドバイスをくれて……。今に至るんだよ……ね」

(苦しい。やっぱり弁明が苦しすぎる……)

 真面目な顔で向かい合いながら頭の中で考えているのはこれ。


「ベレト様……」

「うん?」

「つ、つまり……つまり、今までの行為は私のことを考えてくださってのことだったんですか? 私が出来損ないだからとか、そんなことではなくて……」

「それはもちろん。シアは本当に頑張ってくれてるよ。どこの従者にも負けないくらいに」

「っ゛」

 この一言は……ずっと褒められてこなかったシアの涙腺を刺激するには十分だった。

 おさげに結んだ黄白おうはく色の髪を顔に持ってくる。泣きそうな顔を見られないようにしている。


「あ、あぁ……本当、辛い思いをさせてごめんね。これからはこんな感じ? で接するから。だからこれからも頼りにさせてくれる……?」

 信じてくれとは言えない。キツく当たってきたのだから信じられるはずがないだろう。もっと言えば嘘を言って納得させようとしている。

 

 真っ当な方法でないのは百も承知。それでもシアとは仲良く過ごしたい。楽しく生活したい。いい関係を築きたい。素直にそう思えた。


 そして、この気持ちに応えてくれるように、『コクリ』と首を大きく縦に振ったくれたシアだった。



∮    ∮    ∮    ∮



 次話より学園編に入ります。

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