第12話 シアとの夜
(はあ。やっぱりあの時、エレナを全力で止めるべきだったなぁ……)
このように思ったのは何度目だろうか。
自宅での夕食を終え、学園で出た課題を大広間で取り組んでいたベレトは後悔していた。
放課後を迎えた時のこと。朝ぶりのシアと一緒に帰宅したが、その時から様子がおかしかった。
そわそわしていたり、ぎこちなかったり、ぽーっとしたようにこちらを見ていたり。
それが時間が経った今も変わらずなのだ。
「シアー? また手と足が同時に出てるよ。歩くの勝手悪いでしょ、それ」
「あっ!」
「ま、まあ……コケないようにね」
「は、はい!!」
「あと掃除する時は掃除に集中してね。俺を見ながらするんじゃなくって」
「っ!?」
注意した瞬間、くりくりした目を皿のように。おさげに結んだ黄白色の髪が大きく揺らしてビクッとさせたシア。
(え、うっそ。それバレてないと思ってたのか……。さすがに自分の前を通りながら見てたらわかるって)
今まで自分がなにも反応していなかったことで、気づかれていないと勘違いしていたのだろう……。
「す、すみませんっ! あ、あの……わ、私はベレト様のお勉強の邪魔をしようとしてたわけでは……!」
「大丈夫大丈夫。それはわかってるから」
仮に侍女がそんなことをすれば一発で首が飛ぶこともあるだろう。
彼女が邪魔をしてくるような性格でないのはもちろん知っている。誤解されないようにと慌てているシアを
——なぜこのように様子がおかしくなってしまったのか。その理由はわかり切っていた。
『あなた……やっぱり変わったわよね。あっ、もしかしてシアの可愛さに気づいて好きになっちゃったから。とか?』
『いや、好きってより尊敬』
『そ、尊敬?』
『うん。だって実際凄いでしょ? 俺よりも二つ下なのに朝は毎日早く起きて、いろいろ準備して、学業もこなして。俺からどんな文句を言われてもめげないで一生懸命続けて、いつも明るくて。それが仕事だと割り切っていても俺には真似できないよ』
なんて伯爵家のエレナに話してしまったから。
さらには『今の会話はしっかりとシアの耳に伝えるつもりだから』なんて言った彼女をあっさり逃してしまったから。
その結果、昼休憩が終わって次の授業が始まる前。
エレナはむふふんとした顔で、綺麗な赤髪を人差し指で巻きながら報告してきたのだ。
『シアの反応、本当可愛かったわよ』、と。
『放課後、彼女の様子がおかしくて、もあまり気にしないであげてね』、と。
『あの子は今日ちゃんと眠れるのかしら……。あんなに喜んでいたし、思い返してずっとニヤニヤするタイプなのよね』、と。
尊敬していたことに、褒めたこと。
これがシアに伝わった場合、どのようになるのかはある程度予想していたが、まさかここまで引きずるとは思っていなかった。
もちろん今の態度では接しづらい。
(なんかこの様子だとずっと直らないような気がする……)
なんとなく察した自分は、課題を進めていた手を止め、会話をすることで距離を戻そうと考えた。
「あのさ、シア。掃除中にごめんだけど」
「は、はいっ!?」
「シアって学園から出た課題はいつ終わらせてるの? 出される量って結構多いでしょ?」
唐突な話題ではあるが、課題をしていたこともあってすんなりと入ることができた。
「そ、その……。私は侍女のクラスなので、課題が多いわけではないんです。ベレト様は少し変に感じるかもしれないのですが、侍女が一番に優先するべきことはお勉強ではないと言いますか……」
「ああー、なるほど」
学業を第一にすることで、侍女の仕事が疎かになったり、支障が出るようなことがあれば最悪は解雇になる。
そうならないために課題は他のクラスよりも少なくなっているのだろう。
学生でも学業が優先ではないという珍しい例だ。
「でもまあ、少ないと言っても課題は出てるわけだから、シアがどこで終わらせてるのか気になってね。課題してるところはいつも見ないからさ」
「私は基本的に学園内で終わらせるようにはしていて、もし終わらなかった場合にはベレト様がご就寝された後に……」
「え? 就寝ってことは寝室に入ったタイミングじゃなくて、俺が寝てからってこと?」
「そ、そうです」
確認に対し、小さく頷いた。
「えっと、なんでわざわざ俺が寝た後に? いろいろ不便でしょ? それだと」
「こ、これが侍女の当たり前でして……」
「つまりシアの自由時間は、俺が休んだ時ってなるんだ?」
「はい、私以外の侍女もそのような生活を送っています」
「ふーん。なるほどね」
仕えている相手を最大限に支えるための理由なのだろう。
確かに筋の通った理由で、立派な考えで、この世界では当たり前なのだろうが、転生した自分にとって凄くモヤのかかるもの。
「じゃあ今日から二つ変更するよ」
「へ、変更……ですか?」
「うん。まず学園で課題が終わらなかった場合は、侍女の仕事よりも先に取り組むこと」
「えっ!?」
「最後に俺が寝室に入ったらもう自由時間ね。寝るのなんて待たずに好きに過ごしていいよ」
正直、『余裕ができたら自由に』なんてことを言いたいが、それでは侍女の立場がなくなってしまう。ここが落としどころだろう。
「そ、その……今おっしゃったことでは私の学業が優先になってしまいます……よ? それにベレト様をお支えするお時間も……」
「それでいいんだよ。あ、先に言っておくけど、シアが必要なくなったわけじゃないよ」
誤解されないように前置きを一つ。
「ただ俺は、学生なら学業を優先して、将来のための力をつけてほしいって思ってるからさ。侍女の中には学園に通えない人ももちろんいるわけだから、この機会はできるだけ物にしてほしくて」
「ベレト様……」
支えてもらっているからこそ、やはり彼女自身も大事にしてほしい。
その気持ちは伝わったようだった。
「まあ、もし仕事に支障が出たら、風邪を引いた時と同じで翌日に挽回してもらうってことで。って、今さらこんなこと言うのもおかしいんだけど……学生の間はこれで大丈夫?」
「は、はい! わかりましたっ!」
「じゃあそんな感じで。しばらくは困惑するだろうけど、そこはごめんね」
「い、いえいえ……! 私のために本当にありがとうございますっ」
「そんなお礼を言われるようなことじゃないけどね」
軽く会話をするつもりが、つい真剣になってしまった。
しかし、真面目な話は効果的面だった。気が紛れたのだろう、シアはすっかり元通りになっていた。
「で、そうそう。シアは今日の課題残ってるの?」
「いいえ! 今日は全部済ませました…………ぁ」
「……」
にこやかになった空気からボロを出したのは本当に早かった。
聞こえてはいけないはずの声が、シアの口から聞こえた。自信を持って答えた後の——『ぁ』の小さな一音を。
「ん? なに?」
「き、今日はありませんっ! 課題は終わっています!!」
「……」
焦りの色が見える。視線が彷徨っている。嘘をついているのがバレバレである。
(『いいえ!』って元気よく答えた手前、『やっぱりありました』って言いにくいんだろうな……)
気持ちはわかるが、それではさっき話した意味がない。
「もう一回聞くけど、今日の課題は? 次、嘘ついたら腕立て500回と腹筋500回ね」
「ぁ、ぅ……500回ずつ……」
「そう。合計1000回」
ここでシアは上を向き、ムムムと表情を歪め始めると、どんどんと苦渋に満ち始める。
(これ、絶対考えてるよなぁ。嘘がバレてもこなせる回数なのかって……。なんでシアってこんなにわかりやすいんだろうか……)
考えていることが手に取るようにわかってしまう。
「あ、やっぱり変更。次に嘘ついたらどっちも1000回ずつ」
「う、うぅ……」
計2000回。この数でようやくギブアップとも取れる唸り声を漏らしたシア。
「す、すみません。少しだけ残っています……」
「うん。じゃあ掃除は一旦やめて課題を持ってきて。俺の隣でしていいから」
「本当に面目ないです……」
「あははっ、別に気にしてないよ」
あからさまに申し訳なさそうにしている彼女を見て、思わず笑ってしまう自分だった。
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