第93話 幕間②
「ア、アリアお嬢様!」
翌日の朝、公爵家の屋敷に響く美しい歌声。
その歌声を聞いた瞬間、珍しく取り乱したサーニャは、すぐにアリアの元に駆けつけていた。
「はあ、はあ。なぜ歌われているのですか! 昨日は歌われたのですから喉を休ませてください!」
「げ」
「『げ』、じゃありません!」
歌姫の喉の調子が悪くなっているのは、公爵家に関わる者の中で、サーニャしか知らないこと。
その悪化を食い止める策として、歌った翌日に予定がなければ、休声日を取るように約束していたのだが、それが破られたのだ。
側で支える者として、心配からの焦り、心配からの怒りが湧くのは当然のこと。
「本当に一体なにを考えているのですか! どうして悪化させるような真似をするのですか!」
「だ、だってぇ……」
「だってもなにもありません!!」
サーニャからこんなにも怒られるのは久しぶりである。が、アリアにだって言い分がある。
「だってだって……喉がスッキリしてるから、すごく歌いたい気分だったんだもん……」
「え?」
「だから少しだけ歌いたかったの……っ」
約束を破った方が、強引に押し通す。
非があるのは100%歌姫だが、コンディションというのは本人が一番理解していること。
アリアは寝起きから
『あ、あれ? なんだか今日は気持ちよく歌えそう……』と。
そう思えたのは、喉になにも違和感がなかったから。
『昔のように全力で歌えるようになりたい』その願いを叶えられそうだと思ったのなら、衝動を抑えられるはずがないのだ。
歌うことが大好きなアリアなのだから。
「サーニャがしてくれたことは本当に効果があったのっ! 濡れタオルに、ハチミツの紅茶に、喉を温めてお休みすることっ!」
「そんなにすぐ効果が見られるわけがないじゃないですか。思い込みですよ」
「思い込みで約束を破ったりしないもん……」
不服そうな表情を見てサーニャは理解する。本当に効果が表れているのだと。
それでも、気持ちを緩めたりはしない。
「……仮に調子がよくなったとしても、喉を休める日は必要ですよね。次の日に反動がくる可能性だってあるわけですし、喉を駆使しているせいで日に日に悪くなっているわけですから」
「うー。でも……」
頭では理解しているのだろうが、
目を離せば満足するまで歌おうとするだろう。それだけ嬉しい感覚に襲われているのだから。
専属侍女として、全ての動きを察しているサーニャは、昨日覚えた
「あのですね、“ベレト様のお気持ち”を考えてください。アリアお嬢様のことを心配され、治ってほしいという思いで今回のケアをお教えいただいただけでなく、今回の対処法の案まで全てこちらに譲渡してくださいました。こんなにも早く効果が表れたとなれば、ベレト様はそれほどの研究を重ねられていたことになります」
「……」
「つまり『世に出せばさらなる富や名声を得られる』状態にあったものを、アリアお嬢様を心配するお気持ちだけで譲ってくださったのですよ。どれだけお心が広いのか」
「…………」
「さらに、状態が悪化すれば命を賭けるとまでおっしゃったことは知っていますよね。あまつさえ、ありのままのお嬢様を受け入れてくださったその殿方によくもそんな真似ができますね」
「ご、ごめんなさいぃ……」
麗しの歌姫、完全ノックアウトである。
丸みを帯びたピンクの目を瞑りながら、歌を届けていた窓を閉め、めそめそとベッドに沈む。
プラチナブロンドの長い髪が、ふわっと浮き、これもまた沈む。
専属侍女が主を堂々非難し、別の貴族の方を持ち上げるのは、全体で見ても稀なことだろう。
「次にお歌いするようなことがあれば、私は一切ご協力しませんからね。アリアお嬢様がテスト日以外も学園に通えるようお願いすることを含めて」
「は、はい」
「クラスのご指定までされて、学園にお話を通すことが一体どれだけ大変なことか……」
『平等』を謳っているあの学園だからこそ、楽に話は通せない。
今まで空いた時間はベッドで過ごし、自由に過ごしていたアリアが——
『学園に通うよりゆっくりしたーい』なんて言っていたアリアが——
こんな心変わりをしたのは、間違いなく彼のせいだろう。
本人は『素の姿をバラさないように、あの方にお願いするため!』なんて言っているが、バレバレなのだから素直になってほしいものだとサーニャは思っていた。
「あ、アリアお嬢様に一つ言い忘れていたことがありました」
「な、なに?」
「ベレト様は伯爵家のエレナ様、男爵家のルーナ様、そして専属侍女のシアさんとお付き合いされているかと思いますので、接し方にはお気をつけください」
「……ふえ?」
「晩餐会の日、想いを告げられたそうですよ」
「…………」
目が丸くなった。そして、明らかに残念そうな顔になった。
こんな反応になる時点で、『素の姿をバラさないように、あの方にお願いするため』なんて理由で学園に通おうとしているわけがない。
「どのように行動するもアリアお嬢様の自由ですが、『ありのまま』を好意的に受け入れてもらえるのは、ベレト様の周りくらいだと思います」
「う、うん」
「と、言うわけなので頑張るが吉ですよ。私のためにもそうしてほしいです。伸び伸び暮らしたいですから」
「え? サーニャのためにも?」
「こほん。なんでもありませんよ」
わざとらしい咳払い。これは本音の一つだった。
家名に益を生ませ、相続や立場の面で優位に立つために、アリアをいいように使っている現状。
この現状を打開するために交渉した結果、次に同じようなことをすればクビになる状態。
ため息が出るようなこの環境に比べ——。
寛容で優しさに溢れ、いい意味で権力を優先せず、アリアにまで理解を示し、多くの領地を持っている侯爵家のベレト。
その大黒柱を囲むのは、飲食業を発展させている伯爵家のエレナ。
知能に優れ、的確な指示ができる男爵家のルーナ。
王宮への推薦も確実視されているほど優秀な下支えができるシア。
公爵家でお世話になっているサーニャだが、明るく、楽しく、苦労のない未来はどっちにあるのかと問われれば、迷わず後者だと指す。
『これは冗談ですが……その輪の中に外交に優れたアリア様が加わると、鉄の布陣になりそうですね。公爵、侯爵、伯爵の爵位が繋がるわけでもありますから』
『その際には是非サーニャ様もお付きになってくださいっ。サーニャ様がいらっしゃいましたら、百人力ですので!』
『ふふ、よいのですか?』
『はいっ!』
『ありがとうございます。それは……宝物のような未来です』
冗談とは言え、シアとこんなやり取りまでしたほどなのだから。
「まあ、アリアお嬢様のお願いは必ずや叶えますので」
「……今の言葉を聞く限り、『私のためにも』って言葉が入るような……」
「なにをおっしゃいますか」
ふっと笑い、サーニャは上手に話を変える。
「私から一つアドバイスを差し上げますと、シアさんを味方につけることさえできれば、全て良い風に転がると思います」
「え? エレちゃんや、ルーちゃんじゃなくて……?」
「はい。人畜無害なシアさんですが、誰よりも上手に牙を隠す方ですから」
「ど、どう言う意味……?」
「簡単に説明をすると、ベレト様が唯一敵わない相手だということです。専属侍女というのは主人には絶対勝てない存在ですが、特別な関係であれば違います。誰よりも主人のことを一番近くで見ている人物ですからね」
それが、王宮への推薦も確実視されているほど優秀ならば、狂いようもないこと。
「リードをされたと感じれば、巻き返すだけの
「なにかって?」
「アリアお嬢様が望むことではないですか? 知りませんけど」
「っ! そ、そそそんな進んだこと望んでないよおっ」
「ハチミツ入りの紅茶、淹れてきますね」
「も、もー!」
顔が真っ赤になったそのタイミングで、ベレトを思い出させるものを用意するサーニャだった。
* * * *
幕間のラストはシアになります。
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