第53話 エレナと自室③

『す、好きって吹かなければ、あたしは勘違いされたままなのかしら』

 去り際のその言葉は、ベレトを深く考えさせるもの。


「……」

 椅子に座って頭を働かせること10分と少し。

 配膳用の台車を押して再び自室に戻るエレナに、当たり前のことを聞く。


「あのさ、さっきエレナが言ったことだけど……」

「——っ、そんなことよりも小腹を満たしましょ。せっかく用意したんだから」

「う、うん。ありがとう」

 台車から紅茶をテーブルに置き、次に洋菓子を置き、間食の準備をテキパキとこなす彼女は頬を赤らめている。

 先ほどの件を聞き返されないようにするためか、主導権を渡さないように言葉を紡ぐのだ。


「あとこれ……あなたが持ち帰る用のチョコよ。今のうちに渡しておくから」

「え、あの約束覚えていてくれたんだ?」

 この約束を交わしたのは、会談の手紙が渡された時のこと。

 アランの相談に乗ったお礼に、エレナからチョコをもらったベレトは、その後の感想を伝えたのだ。


『そう言えばあの時にもらったチョコ、シアにもあげたよ。本当に美味しかったから食べさせようって思って』

『相変わらず優しいことしてるのね。彼女の反応はどうだったかしら』

『最初に小さく食べて、『んん!』って言いながら目を大きくして、二口目で全部口に入れてモグモグ味わってた』

『簡単に想像できちゃったわ。そんなに喜んでもらえたなら今度また持ってきてあげるわね』と。


「シアが関わっているのだから当然よ。忘れるはずないじゃない」

「な、なにそのシアがメインで俺はサブみたいな言い方」

「ふんっ。あなたなんか……どうでもいいもの」

「ええー。酷いこと言うなあ」

「酷いことを言わせるあなたが悪いのよ」

 いつものようにトゲトゲとした態度で鼻を鳴らすエレナだが、チョコが入った箱を両手で渡してくれる。

 そんな丁寧な手渡しに思わず笑ってしまうベレトである。


「……そ、そんなわけだからちゃんと彼女に渡してちょうだいよ。前にも言ったけど独り占めをせずに」

「もちろん。本当にありがとね」

「別にお礼を言われることじゃないわよ」

 なんて続けざまに素っ気ない言葉を返すエレナは、そわそわしながら再度口を開くのだ。


「あと、あなたに渡すものがもう一つあるわ」

「ん?」

「『またか』って思うかもしれないけど……」

 そして、台車の中段に手を伸ばしたと思えば、封蝋された手紙を差し出してくるのだ。

 ベレト自身、この形には見覚えがあるもの。


「え? もしかして招待状?」

「ええ。本当はお父様がお渡しする予定だったけど、あたしもあなたとお話する予定だったから」

「それで、この招待状の内容って?」

「再来週、当家で行われる晩餐会への招待状よ」

「晩餐会!? えっと、さすがに場違いじゃない? 俺。ご招待してもらってこんなことを言うのは本当に失礼だけど」

「場違い?」

 整った眉を眉間に寄せて首を傾げるエレナに説明する。


「ほら、この封蝋を見るにイルチェスタス伯爵主催の晩餐会だから、ご参加される方って商業に関わっている方でしょ? そんなところに学生の俺なんかが……みたいな」

「ふふ、その点については大丈夫よ。あなたの言う通り当家と関わりのある方が参加されるけど、今回は親子で参加することができて、大人と子どもで分かれるような形だから」

「なるほど」

 一人だけ年齢差が生じるような晩餐会になると予想していた分、この説明一つで肩身が狭いなんて思いがなくなる。


「それに、これを聞いたらあなたは参加したくなるはずよ」

「お?」

「再来週の晩餐会、あの歌姫、、も参加されるの」

 ソファーに腰を下ろし、嬉しそうに暖かい紅茶を口に含むエレナ。

「もしかして公爵家の?」

「ええ、あのアリア様よ。あたし達、伯爵家とは繋がりがあって」

「それまた凄い人を。って、俺は別に仲がいいわけじゃないよ? テストしか学園に来てないから接点もないし」


『接点がない』というのは多くの生徒が共通していること。それでもアリアを知らぬ生徒は学園にはいない。彼女ほど有名な人はいない。

 公爵という家柄に、群を抜く歌唱力と目を奪われる容姿から『麗しの歌姫』と名が通っているほど。

 たくさんのパーティや披露宴に引っ張りだこの令嬢である。

 その多忙さから、勉強は自宅で行い、テストのみ学園で受けるという形が取られているのだ。


「そんな理由で『参加したくなる』って言ったわけじゃないわよ、あたしは。アリア様がお歌いになるのよ。興味あるでしょ?」

「まあ、興味がないと言えば嘘になるけど、晩餐会に参加する決め手にはならないっていうか」

「なっ……。そんな贅沢を言わないでよ。あたしはあなたが参加するって思ったから、楽しみにしていたのに……」

 先ほどまでの元気はどこにいったのか、しょぼんとするように肩を落とすエレナは、恨めしそうな目を向けてくる。ピンクの口を尖らせてくる。


「あっ、エレナも参加するの? 顔を出すだけじゃなくて」

「だったらなんなのよ……」

「いや、それなら参加するよ。俺の決め手はエレナが参加するかどうかだったし」

 決して晩餐会が嫌なわけではない。晩餐会に参加し、その空間で一人ぼっちになってしまうのが嫌なのだ。


「はあ? それならそうと先に言いなさいよ! 恥ずかしいこと……言っちゃったじゃない」

「あはは、そのお陰で嬉しい言葉が聞けましたと」

「ふんっ、なによ調子に乗っちゃって。バカ」

 羞恥を誤魔化すように腕を組んで強い態度を見せている彼女だが、強がっているのはバレバレである。


「すみませんでした」

 ここで笑いながら謝ったのがいけなかった。


「許すわけないでしょ。謝罪の気持ちが込められていないんだから。意地悪をした罰はしっかり取ってもらうから」

「へ?」

 表情。声色。雰囲気。全てが本気だった。


「今から二つのことを聞くわ。あなたはそれに答えてちょうだい。いいわね」

「わかった……」

 圧に負け、頷く以外に選択肢が残されていないベレトである。


「まず一つ目。これは最初から聞くつもりだったけど、ルーナ嬢がアランに協力してくれるってお話は事実? 当家に着いた時、あなたはそう言っていたわよね」

「もちろん事実だよ。元より、アラン君が悩んでいることに気づいて先に手を差し伸べようとしたのはルーナだし」

「そ、そうなの?」

「うん。タイミングの兼ね合いで俺が先取りするような形になっちゃったけどね。エレナと同じようにルーナも優しいんだよ」

「っ」

 その褒め方は、エレナの心を嬉しく揺れ動かすもの。

 仮にルーナだけ褒めていれば、嫉妬心が膨らんでいただろう。


「と、とりあえず諸々もろもろ理解したわ。それならなおさら彼女にも招待状を送らなければいけないわね」

「え? ルーナに招待状を……?」

「あなたの言いたいことはわかるわ。『参加しないと思う』でしょ?」

「あ、あはは……。余計なお世話だから言わなかったけど、今までの招待を断っているって聞くし、そこら辺の話はエレナの方が詳しいんじゃない?」

「もう……。これだからあなたは……」

 そこで呆れの声を漏らすエレナ。当然である。


「特別に教えてあげるわ。再来週の晩餐会にルーナ嬢の大好きなものがあるとしたら、あなたは参加したくなるでしょ?」

「まあ、俺は参加したくはなるけど、ルーナを同じように当てはめることはできないような。自分の時間を誰よりも大事にしてるし」

「最後まで聞いてちょうだい。その大好きなものは一つしかなくて、第三者に狙われていて、その人物はこの機会に奪おうとしているの。そんな状況なら?」

「あー。それなら参加するかも」

「でしょ? そういうことよ」

「……」

 この説明で理屈は納得したベレトだが、モヤモヤとした気持ちは残るものだ。


「あのさ、そんな簡単に言ってるけど、『ルーナの大好きなもの』を用意できるの? 今まで誰も用意できなかったから、断られる結果に繋がってるんだろうし」

「もう用意できたわよ。それに今まで断っていたのは、読書以外に興味を惹かれることがなかったからよ」

「エレナは凄いね。そんなことに気づいて、もう用意を整えてるなんて」

「……」

「俺にはピンとこないよ。読書以外ってことは本以外でルーナの大好きなものでしょ?」

 口元に手を当て、眉に力を入れながら真剣に考える。『大好きなもの』が人と捉えなれないのなら、この問題に答えは出ない。


「エレナ、教えたりできる?」

「はあ……」

 真剣に悩む姿を見て、挙句に助け舟を読んだベレトを見て、エレナのスイッチはオンになる。

 大きなため息を吐いた彼女は、ソファーから立ち上がり、ベレトが座る椅子の正面に立つ。

 そして、上からの目線に変えて心のたけをぶつけるのだ。


「あのねえ……。今から地獄に落ちてきなさいよ。あ・な・た・は!」

「えっ、ぢょ!?」

 ベレトの頬を両手で摘んだエレナは、力いっぱい横に引っ張るのだ。


「覚悟なさい!」

「な、なんでえ……」

 彼女に芽生えるのは、ルーナに変わって攻撃を……というもの。

 似た者同士だからこそ、こうした気持ちになる。徹底的になんて思考になる。


「い゛、痛いっで!」

「痛くしてるのよ」

 エレナに遠慮はない。

 気持ちに身を任せるようにベレトの太ももにお尻を下ろし、逃げられないようにマウントポジションのような有利な体位を取ると、足首を使って足を絡めるのだ。

 体勢を安定させる今、この間もずっと頬を引っ張ったまま。


「ぢょ!? ごの体勢だいぜいはヤバいがら……」

「ふんっ! 少しは苦しい思いをしなさい!」

 エレナはまだ気づかない。

 数分後、冷静さを取り戻してベレトの言った意味に気づくのだ。


 また、彼が痛がったのは頬だけ。

 エレナの体重では太ももが痛くなるようなこともなかったのだった……。

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