第54話 馬車の中のエレナと

「もう一度釘を刺しておくけど、あ、あのこと……バラしたりしたら許さないから」

「わかってるって。どうしてあんなことをしたのかわからないけど」

「鈍いことしか言わないから、って説明したじゃない」

「そんな変なことは言ってなかったと思うけどなぁ」

「変なことを言ってなければ懲らしめられてないわよ」

 ベレトの膝にエレナが乗るという事件が起き、1時間と30分が過ぎた頃。

 ルクレール家が所有する馬車に乗り込んだベレトは、付き添いのエレナと共に自宅に向かっていた。


 そして、この押し問答は『もうこの話はやめにしましょ』なんて彼女の言葉によって終わりを迎えてもいた。


「あ、そう言えばまだ言ってなかったね」

「なによ」

「今日は本当にありがとう。間食を用意してくれたり、行きだけじゃなくて帰りも付き添ってもらったりして」

「……ねえ、それずっと気になっていたのだけど、あなたってたくさんお礼を言うわよね。招かれた側なのに」

 紫の瞳をジトリと細めて細い眉を片側だけ器用に上げる彼女。

 エレナは招待した側の人間。相手をもてなすのは当たり前のこと。そんな当たり前のことに感謝をして頭を下げる貴族ベレトは、特殊な部類に入る。


「そんな『変なヤツ』みたいな目で見ないでくれると嬉しいんだけど」

「それは無理な話よ。あなたは変だもの」

「いやあ……」

 これこそ転生した影響。どうしようもないことだが、自然に身についたことは簡単には取り払えない。


「お礼を言い過ぎるなとは言わないけど、言い過ぎるのは考えものよ? 結果的に薄いものだって捉えられてしまうから」

「ああ、そんな問題もあるのか……」

『やたらと謝まる人』の印象がつけば、謝罪の気持ちが薄いように捉えられる。これに似た現象だろうか。


「じゃあそう思われないような人間にならないとなぁ」

「なによその言い分。変えようとはしないの?」

「まあ、悪いことをしてるわけじゃないし、こればかりは変えようとも思わないし」

「周りから浮いちゃうわよ」

「だからそう思われないような人にならないとね。って、現状周りから浮いてるからそこは気にしてないっていうか」

「もう……」

 言い返したいことが山ほどあるのだろう。

 不満な声を出すと、呆れた視線を飛ばす。


『もう』との二文字の言葉。呆れた視線。この言動にはしっかりと込められているものがある。

『そんなスタンスだから素敵なところを誰にも知ってもらえないのよ』との思いが。


「……あなたを好きになるような女性はとんだ物好きよね、絶対。好きになってくれただけでも感謝するべきよ」

「あはは、エレナが言うならそうなんだろうね」

「笑いごとじゃないわよ……」

 この世界でずっと生活している彼女なのだ。ベレトにとってこれほど信憑性のある言葉はない。


 そうして話に区切りがついた矢先。

「……」

「……」

「…………」

「…………」

 長い静寂が訪れる。

 この静かな空気を破ったのは、エレナだった。


「ね、今からあなたを困らせていいかしら……」

「え? なにその質問。一応聞きはするけど」

「あなたの隣、座っていい……?」

「えっと、どうしてまた」

 発言通り、本当に困らせられる。

 現在、対面して座っている二人。不便のない状況をあえて変えようとする彼女なのだ。


「なにか企んでたりする?」

「本当、失礼なことを言うわよね。別になにもしないわよ。ただその方が都合いいってだけよ」

「ああ……なるほど。それならどうぞ。嫌なわけじゃないしさ」

「そ」

 すげない返事をし、すぐに立ち上がったエレナは、ジャスミンの匂いを漂わせながらベレトの隣に座り直した。

 今日、この構図になるのは二回目。一度目は行きの時である。


「それで、どうしたの。なんの理由もなくこんなことを言うエレナじゃないでしょ?」

「そんなこともないわよ」

「そうなの?」

「こ、今回は理由があるけど……」

「ほらやっぱり」

 首を回し、彼女の綺麗な横顔を見ながら会話を続けるベレト。


「まだあなたに聞けてなかったでしょ。意地悪をした罰に『二つのことを答えてもらう』って約束した、二つ目のこと」

「あっ、そう言えば……」

 あのハプニングがあったせいでずっと飛ばされていたのだ。最後のことを。

 エレナが改めて促した理由は一つ。この二つ目こそ、本題、、だったのだ。


「あの、再来週に開かれる晩餐会……あなたも参加するのよね」

「うん。その予定」

「な、なら率直に言わせてもらうわ……」

 その真っ直ぐな言葉とは裏腹に、チラチラと尻目に見る彼女は、顔を火照らせながら伝えるのだ。


「晩餐会の途中、あたしと一緒に抜け出す時間を作ってほしいの……」

「へ……?」

 目が合った瞬間、そっぽ向く彼女を見て頭が真っ白になる。

 夜会を抜け出す。そんな誘いをしてくるというのは、『営みはどう?』なんて煽っているようなもの。


「いや、ちょっと待って。それまた大胆な……。え、なんでそんなことになったの?」

「っ、そ、その反応……。あなた変なこと考えているでしょ!」

「誤解ならごめん。確かにおかしいとは思ったけど……」

「バカ。あたしは主催側の人間なのよ。そ、そんな明け方まで抜け出せるわけがないじゃない……。誰とでも体を重ねるような軽い女でもないわよ」

 話題が話題。羞恥に襲われるエレナは、首から上を真っ赤にしながら足りない部分の説明を加えるのだ。


「抜け出すといっても軽く外を回る程度に決まってるじゃない。本当、なんてこと考えてるのよ、あなたは……」

「ご、ごめんって。全部理解したよ」

 あからさまに動揺している彼女を見て恥ずかしさが伝染してしまう。苦笑いで平常心を偽るしかないベレトである。


「理解したなら、どうなのよ。一緒に抜け出してくれるの? 約束通りちゃんと答えなさいよ……」

「そんな不安そうな顔をしなくても」

「……いいから早く答えなさいよ」

 ベレトの裾を掴んで催促する。

 圧をかけようとしているのだろうが、相反あいはんしてボソリとした小声であった。


「あはは、そのくらいなら喜んで付き合うって。断る理由もないんだから」

「嘘言ってないでしょうね……。自分の発言には責任を取ってもらうわよ?」

「そんなに疑うなら約束にしようか。破った方は『なんでも言うことを聞く』って罰つきで」

「わ、わかったわ。今言ったことは約束よ」

「了解」

 お互いに破るつもりがないからこそ、この約束はすぐに結ばれる。

 そして、この結果に一番の反応を示したのは、他の誰でもないエレナだった。


「はあ……」

 そんな深い安堵の息を漏らすエレナは、緊張の糸が切れたように全身の力を抜いていく。

 彼女は勇気を振り絞って、この約束を交わしたのだ。

『晩餐会の抜け出し』は、ただのお誘いではないのだから。


「あれ、お疲れモード? エレナは」

「あなたのせいよ。なにもかも」

「ええ? 心当たりないんだけど」

「ふーん。なら、あなたに考えさせる時間を作ってあげる。……その間、あたしは少し休ませてもらうわね」

「休むって?」

「……あなたの肩で」

「ッ!?」

 その言葉を聞いた瞬間、エレナは有無を言わさず動いていた。

『責任を取れ』と言わんばかりにベレトの肩に頭を預け、細く、柔らかい体を寄りかからせて——。


「……いや、待って。こんな状況で考えろって言われても困るんだけど……」

「別にギブアップしても構わないわよ。その代わり、あなたの家に着くまでずっとこのままだから」

「なんだそれ」

「不満?」

「不満」

「……本当はそんなこと思ってもないくせに。あなたは優しいんだから」

 ベレトの肩に頭を預けているというのは、覗き込まれない限り顔を見られることはないということ。

 好都合な条件だからこそ、素直に褒めることができる。こんなことまで言うことができる。


「ね、そんなあなたに特別にいいこと教えてあげるわ……」

 そうして、この体勢を変えることなく、エレナは小声で口にしたのだ。


「今日の約束は絶対に忘れないで……。晩餐会の日、あなたに伝えたいことがあるんだから……」

 全てを言い切った彼女は、人生で一番の羞恥に襲われていた。

 この時の顔は誰にも見られたくないもの……。ベレトの肩に顔を押し付けて、耐え凌いでいるのだった。





 この瞬間、とあることを宣言されたことをベレトはまだ知らなかった。

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