第9話 ニヤニヤ食堂

「ふふ、やっぱり落ち着きがないわね、シアは」

「っ!!」

 U字になった奥行きのある天井。横一列に並んだステンドグラスの大きな窓。広い室内全てに明かりが届くよう設置されたシャンデリア。額縁がくぶちに飾られている複数の絵画。

 雰囲気だけでも楽しむことができる豪華絢爛けんらんな学園の食堂で、エレアとシアは会話をしながら食事に手をつけていた。


「驚いた顔をしているけど、十分態度に出ていたわよ? 一口食べたら絶対に周りをキョロキョロ見るんだもの」

「えっ? あ……えへへ」

 目を点にして、キョトンとしながらの『えっ』。次に自身の行動を思い浮かべて気づいた『あ』。最後に苦笑いになり、言われた通りだと察したシアである。


「でも、そうなるのは仕方ないわよね。普段から続けていた仕事がいきなりなくなれば勝手も悪いでしょうし」

「そうなんです。わたしは中等部の頃からベレト様のお食事をお運びしてましたから、日常的になっていまして……」

「いきなり自由なんて言われても、あなたからしたら困るわよねぇ。ベレトはいつだって厳しかったでしょうし」

「す、すぅ……」


 仕えている相手の批判ができるわけもなく、エレナのことを無視できるわけもないシアができる反応は一つ。

 小さく息を吐くことで返事を濁す。

 否定も肯定もしない完璧なスタイルだが、否定しない時点で『厳しかった』と暗に伝わってしまうのが弱点である。


「ふふっ、まあ早めに慣れる努力をしないとベレトが可哀想よ。あなたのためを思って自由な時間ができているわけだから」

 4時間目の授業の終了後。

 ベレトから直接聞いたのだ。シアのことをどのように思っているのか、を。

 だからこそ強い言葉を伝えることができる。


「あの、エレナ様。その件についてなんですが……」

「な、なに? そんなに神妙な顔をして」

「ベレト様は本当に私のことを思ってくださって、この時間をお作りになられたのかなって……」

「えっ? どうしてそう思うのかしら」

 聞き返しながら気づいた。いつだって可愛らしい表情をしている彼女が、今だけは怖いくらいの真顔を作っていることに。

 冗談を言っているわけではなく、本気で悩んでいることがヒシヒシと伝わってくるほどで、二人の関係がこじれていることを瞬時に悟ったエレナである。


「えっと……その、今朝は舞い上がってしまって気づくことができなかったんですけど、冷静になって気づいたんです。お昼休みが自由になるのはおかしいなって。どのように考えてもご褒美にしては贅沢なんです……」

「そうかしら? 確かに侍女を自由にさせる貴族は少ないけど……そんなにおかしなことじゃないと思うわよ」

 食事の手を止め、エレナは真剣に話を聞く体勢に入る。

 その正面に座っているシアは、肩をすくめて小さくなりながら理由を述べる。


「侍女というのは主をお支えすることがお仕事で、言うならば当たり前のことをこなしているだけ、です。それなのにご褒美をいただくのは侍女としてあるべき姿ではないと思いませんか……?」

 上目遣いをしながら、心配顔で首を傾げたシア。


「……なるほど。シアの言いたいことがわかったわ。ベレトがあなたのことを試している、、、、、、そう思っているのね? ご褒美をもらうなら平凡。もらわないなら優秀、みたいな」

「はい。その通りです……」

 シアの中には一つの仮説が生まれていたのだ。

 今朝優しくしてくれたことも、ミスを怒らなかったことも、褒めてくれたことも、全てはこの『試し』をカモフラージュするためではなかったのかと。


 ベレトは言った。今まで厳しくしていた理由を——『別の貴族の侍女とか使用人になっても困らないようにしたかったから』と。

 ネタバラシをしたのは油断を誘うためだとしたら。これが最終試験だとしたら。

 合格は『ご褒美をもらわない』こと。『遠慮する』こと。

 つまり、今自由な時間を過ごしているシアは不合格。期待に添えない結果を出したことになる。

 軽く済ませられないのは当然。プルプルと震えているシアだが、その一方でエレナは呆れた表情でいた。


「理不尽なことをしていた影響がモロに出ているわね。ベレトったら餌をチラつかせて食いついたら怒鳴り散らず、みたいな意地悪をしていたのかしら。あなたに」

「……」

「はあ。相変わらずね。ベレトは」

(信頼を確認するために従者や使用人にそのようなテストが行われることはあるけど、シアにする必要はないでしょ……まったく。どう考えても侯爵家を裏切るような人間じゃないじゃない)

 一つのため息で全ての気持ちを吐き出す。


「シア。よく聞きなさい」

「は、はい……」

「ベレトがあなたのことを試しているわけではなく、本当にあなたのためを思って自由にさせているなら、それは本当に主人に対して失礼なことをしているわよ」

「っ! で、でも……でも……当たり前のことをしているのに……」

「確かにそれがあなたにとっての当たり前なのかもしれないけど、シアにとっての当たり前がベレトにとっての当たり前だとは言えないでしょ? 人にはそれぞれ得意不得意があるんだから」

 ゆっくりと落ち着いた口調で諭すエレナは、どんどんと切り込んでいく。


「つまりベレトがあなたのこと凄いと思っていて、尊敬しているからこそのご褒美だとしたら、贅沢だとも対価が大きいともならないでしょう?」

「なっ、な……っ、なにを言っているんですかエレナ様っ! そんなこと絶対にありえませんっ。ベレト様が私のことを……そんな……」

 得意げな表情を崩さずに微笑んでいるエレナに、慌てに慌てているシアは両手をブンブン振って否定中。


「絶対にありえないとはいえないでしょ? だってあなたはたくさん働いているじゃないの」

「私が……ですか」

「ええ。ベレトよりも毎日早く起きて、さまざまな準備をして、学業もこなして、どんな文句を言われてもめげずに一生懸命続けて。さらには明るくて。それが仕事だと割り切っていても真似できる人間はそうそういないわよ。特にあなたの年齢なら」

「……」

 心に響く気持ちのこもったエレナの言葉。

 しっかり一言一句噛み砕いていったシアは、人形のスイッチが切られたように大人しくなる。

 その代わりにパチパチとした大きなまばたきが増え、青の瞳を輝かせながら口元を緩ませた。


「そ、そうですかね……」

「ええ」

「エレナ様がそう思ってくださっていただなんて……」

「ええ。あたし思っているわよ」

「えへへ……。そ、そうですか。それは本当に嬉しいです……」

 心の底から喜んでいるのだろう、あたし『も』と複数が関わる言葉をエレナが言ったことに気づいていないシアは、呑気にデザートを差し出す。


「これ……どうぞ。エレナ様っ」

「あなたが食べなさい。あたしの分はあるわ」

 笑顔を浮かべながらの彼女に、微笑を作って突き返すエレナ。


「そんなわけで少し元気は出たかしら?」

「は、はいっ! エレナ様にそう言ってもらえて自信も出てきました。あとはベレト様が私を試されているわけじゃなければ……ですかねっ」

「望みはそれだけ?」

「ぁ……。た、高望みですけど、ベレト様からも、、、先ほどと同じように褒めてもらえるよう頑張ります!」

「ふふふっ、それは素晴らしいわね」


 コクコクと頷きながら『素晴らしいわね』に返事しているシアだが、それは勘違いである。

 エレナが『素晴らしいわ』と口にしたのは、今一番言ってほしかったことを彼女が言ったから。

 ここでネタバラシである。


「ちなみにね、シア。さっきの褒め言葉はその誰かさんの口から出たことでもあるの」

「…………へっ!? だ、だだだだ誰かさんっても、もしかして……」

 前のめりになって噛み噛みのシア。予想できる人物は一人しかいない。


「ふふっ、そのもしかしてよ。なぜだか知らないけど、ベレトが啖呵を切ってきたのよね。シアのことを『尊敬している。実際凄いでしょ?』って」

「え、ぁ……あ……。う、嘘です……。そ、そんなことは……」

 これだけは真に受けない。そんな抵抗は一瞬にして壊される。


「本当よ。嘘だと思うならベレトに聞いてみなさい?」

「ぁぅ……い、嫌……です……」

「もうー、すぐに照れちゃうんだから」

 声にならない声をあげながら真下を向いたシア。

 髪と髪の間から見える小さな耳、頬、首は真っ赤になっている。


「あらシア、その可愛い八重歯は隠さないの? あたし以外の人にコンプレックスを知られるわよ?」

「も、もぅぅぅうう……」

「ふふ、一体どうしたのかしらね」

 覗き込んで彼女をからかうエレナは、飲み物を口に含んで喉を潤すのだった。


 そして悲報。

 食事どころではなくなったシアは、楽しみにしていたデザートにまで辿り着けずにランチタイムの終了時間を迎えるのだった。

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