第8話 本食いの才女①

「う、うわ……。凄いなこれ」

 エレナと別れた後、一人で図書室に足を運んだ自分は、目の前の光景に呆気に取られていた。


 三階建ての高さはありそうな広い天井。見渡す限りの昼白色の照明。美しさを際立たせる光沢感のある床。

 一階にも二階にも本棚にはぎっしりと書物が並べられ、読書ができる広いスペースも供えられ、さらには心が落ち着く優しい音楽も流れていた。


「これが学園の図書館なのか……」

 本好きな者が偉い立場にいるのだろうか、こだわり抜いて作られた場所だというこは一瞬でわかった。

 それほどに綺麗で、オシャレで、開放的な空間で、文句のつけどころもない。

 さすがは貴族が数多く在籍している学園である。


(こんな場所で本が読めるなんて……。なんかワクワクするなぁ)

 図書室を見渡す限り、利用している生徒は誰もいなかった。

 やはり昼食の時間であることが大きな要因だろう。


「まあ、誰も人がいないなら照明と音楽は消してもいいような気はするけど」

 もったいない精神がほんのり芽生える自分だが、そのまま観光する気分で一階から本棚を巡っていく。


 目についたのは難しいジャンルばかり。

 思想。社会。自伝。ビジネス。産業研究etc。

「こんなの学生は読むのかな……。鈍器になるくらい分厚いし……。文学系は二階かなぁ」


 どのジャンルがどこにあるか、を理解していないのは仕方がなかった。

 ベレトは今までこの図書室を利用したことがなかったのだ。つまり、記憶を辿れないということ。

 だが、それを不便に思うことはなかった。

 そのおかげで新鮮に図書室を見て回ることができているのだから。退屈な気持ちはこれっぽっちもなかった。


(さて、二階二階)

 読みやすいだろう、娯楽系の本を求めて階段を上がっていく。


(文学……文学……文学はどこだろ……)

 見逃しがないように集中して探していく。

 この図書室には誰もいない。自分しか利用していない。そう考えていた分、本棚ばかりを見て前を疎かにしていた。


 だが、それは間違いだった。

 この時間から図書室を利用している女の子が一人、いたのだから。


 一列に並ぶ本棚を見終わり、曲がり角に差し掛かった瞬間……尻目に映った。

 サイドテールに結んだ薄青の髪と大層眠そうな金の瞳。両手で数冊の本を持ち、学園の制服、スカートを履いた女の子が。


「は?」

 突然、幽霊のように音なく現れ、空虚な声が漏れ出る。なんとか避けようと意識した時にはもう遅かった。


「ぅっ」

「ッ!」

 体に衝撃が走る。

 彼女は抱えていた本に意識を向けていたせいか、こちらに気づくことなくぶつかった。

 小さな悲鳴。次に本がパラパラと音を立てて床に落ちた。


 お互いに勢いはなかったが、『ぶつかる!』と気づいて接触するのと、『ぶつかる!』と気づかずに接触するのでは、その後の対応力が変わってくる。

 不意を突かれ、さらに細身の彼女は、風船が打たれたような当たり負けをして大きな尻餅をついた。


「ご、ごめん! 大丈夫!?」

「……は、はい。わたしは平気です。不注意をすみません」

 慌てていたために、無意識に砕けた口調になってしまう。

 そして、ぶつかった彼女は痛みを堪えているように片目を閉じながら頭を下げてきた。

 一方的な不注意だと思っているみたいだが、こちらだって周りを見ていなかった。


「いや、俺も不注意だったよ。本当にごめ……ッ!?」


 彼女に続いて謝ろうとした自分だが……最後まで謝罪を口にすることができなかった。

 目の前の衝撃的な光景を見て思わず息を呑んでしまった。


「……」

 尻餅をついて倒れた彼女のスカートが捲れていたのだ。黒のストッキング越しに下着を見てしまった。

(ッ、ヤバ)

 正気に戻り、急いで目を逸らしたが……視線というのは追うことができる。簡単にバレていた。


「あの、好機とばかりに変なところを見ないでください。事故とはいえ訴えますよ。ベレト・セントフォード」

「ほ、本当ごめん」

「はい。次からは気をつけてください」

 抑揚のない無機質な声。下着を見られたことは恥ずかしくないのか……無表情のままスカートを元に戻した彼女は、落ちた本を丁寧に拾い始める。

「あ、俺も拾うよ……って、俺のこと知ってるの?」

 床に落ちたのは恋愛小説の4冊。彼女がまだ拾いきっていなかった2つを拾い、渡しながら問う。


「ありがとうざいます。あなたは有名ではないですか」

「あ、あはは……。まあ、それは確かに」

 眠そうな瞳から言われること一言に圧を感じる。やはり在学生だけあって噂は耳に届いているようだ。


「……えっと、本当に大丈夫? 体は」

「はい。痛みもおさまりました」

 その言葉を証明するように立ち上がった彼女を見て、自分も立ち上がる。


「それより、あなたに聞きたいことがあります。ベレト・セントフォード」

「な、なに?」

 常に一定の声色。真顔。なにも読み取れない彼女と向かい合う。


「今現在、ランチ時間であるはずです。そんな時間であるにも拘らず、あなたは一体どのような目的でここにいるのですか。わたしの知る限り、図書室を利用されることも初めてだと思いますが」

「……まあ、本を読みにきたんだよ」

「ランチ時間にですか」

「うん」

 返事をした途端、金色の目を細めて疑いの眼差しを向けてくる。初めて彼女から一つの感情を汲み取れた。


「すみませんが、にわかに信じられません。よく図書室を利用している方ならまだしも、あなたは初めて利用されました。さらにはよくない噂もあります」

「ま、まあね……」

「そんなあなたが人気のない時間に、ですよ。憂さ晴らしに書物に悪戯をしようとしているのではないですか」

(筋は通ってるよなぁ……。失礼だけど)

 侯爵の名前を出すつもりは微塵もないが、周りから距離を取られている自分によくもこう堂々と言えるものだ。肝が据わっている。


 ——と、正直に自分は言えば嬉しかった。対等に接する相手をまた一人見つけることができて。


「接した限り、噂を作るほどの方だとは思えませんが……悪戯をしようと考えているのなら、わたしは断固としてあなたを許しません。書物は先代様からの知恵、歴史、思い。考え。その全てが詰まった貴重なものです。大切に扱うべきものです」

 そうペラペラと口する彼女は、フィクションだろう可愛らしい表紙が描かれた恋愛小説、、、、を4冊も抱えながら言っている。

 固い言葉とのギャップはなんとも可愛らしく、思わず笑いが出そうになる。


「悪戯なんかしないよ。本当。楽しく本を読もうとしただけ」

「そのように言うのは簡単です」

 バッサリと言い切った彼女は続けて言う。


「なので、あなたが図書室を出るまでわたしが隣で読書をします。わたしにそんな権限はありませんが……いいですね? ベレト・セントフォード」

「うん。それで利用させてもらえるなら。ありがと」

 彼女は本が大好きなのだろう。

 好物が詰まった部屋に、悪い噂のある男が入ってきたら誰だって嫌に思うだろう。


「感謝されることではありません。わたしはあなたに失礼な物言いをしていますから」

「それは俺に悪い噂があるからでしょ? だから君は悪くないし、当然のことだと思う」

「……」

「ん?」

 彼女の無言に首を傾げて返事を待つ。


「……ベレト・セントフォード。あなたは本当に悪い人なんですか」

「っえ? はははっ、本人の前でそれ聞く? 一応はいい人寄りだとは思ってるけど」

「そうですか。まあこの状況で『悪い人』と答える人はいませんね」

 相変わらずの声色に無表情。要領の得ない。


「それではあなたが読む本を一緒に探しましょう。わたしが自信を持ってオススメできる本は哲学と恋愛小説ですよ」

 まるでオススメした本を読んでほしいように口にする彼女。哲学はまだしも、恋愛なら楽しめて読める自分は空気を読む。


「じゃあ恋愛小説のところに案内してくれる?」

「本当にいいんですか? あなたならいろいろ体験されているでしょうから面白くはないかもしれませんが」

「大丈夫」

「わかりました。ではついてきてください」

「ありがと」

 そうして、まだ名前も知らない彼女に先導され……昼を過ごすことになる。


 彼女こそ図書室登校が唯一認められている生徒。

 図書室に入りびたり、時間があれば本を読む才色兼備の令嬢、男爵家の『本食いの才女』であった。



 そんな彼女と出会った頃、食堂では——。

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