貴族令嬢。俺にだけなつく

夏乃実(旧)濃縮還元ぶどうちゃん

第1話 目覚め

 電灯のない暗闇の山道を進む一台のバイク。

 今現在、視界の頼りになるのは、ほんの少しばかり届いている月明かりに、バイクの前照灯ヘッドライトの二つ。


「相変わらず暗いよなぁ……ここ。道ももうちょい整備してくれたらいいのに」

 バイクを運転する男は独り言を漏らしながら、一定のスピードを保って走らせ続ける。

 この道は仕事場から自宅へ帰るまでの一番の近道。文句を垂れるも毎度のように通っている道である。

「はあ。早く帰って寝よ……」

 この男は一人暮らしをしている若き社会人である。

 そんな彼は帰宅後の予定を立てながら運転を続ける。彼にとって当たり前の何気ない平和な日常。

 だが、日常というものは時に崩れるもの。

 彼にとって今日がその日だった。


「——ッ!?」

 唐突だった。男は無意識に息を呑んで目を見開く。

 視界に映ったのは森から道路に飛び出してきた小さな影。ヘッドライトに照らされ、露わになったのは一匹の猫。

 姿が確認できた瞬間、反射的にハンドルを右に切る。避けようとする。

 轢かないように……と。しかし、その行動はいいように転がらなかった。

「あっ」

 力のない呆けた声。自ら状況を理解した時にはもう遅かった。目と鼻の先には落下防止のガードレール。

 そこからは想像する時間も、考える時間もなにもなかった。

 頭に浮かんだのは『死ぬ』の二文字。


 バイクの前輪は勢いのままガードレールに衝突し、その反動で後輪が持ち上がると、投げ出された体は崖下に飛ばされる。

「ッ!!」

 全身が宙に浮く感覚。バイクと共に落下していく感覚。全てを理解した時には遅かった。

「ぁぁぁああああああああああ!!!!!」

 その悲鳴から何秒経っただろう……。

『ゴン!』と体を叩きつけられる音を聞いたのがこの男の最期だった。


 ——しかし。


「ああああああああっ!!!!」

 先ほどの現実が続いているように絶叫を上げ、飛び上がった彼はすぐおかしなことに気づく。

「……ん!? ん? え?」

 崖から落ちただろう体は健全。いや、普段から見慣れていた体はどこか細く、腕に日焼けもない。


「……え? 待って。なんだこれ……」

 身を包むのはふわふわとした生地の寝間着。今いる場所は大の字に寝てもスペースが有り余る大きなベッドの上。

「い、いやいや」

 理解が追いつかない。さっきまでバイクを運転し、事故を起こした。その記憶があるのにも拘らず、目を覚ました場所が違う。

 今いる場所は寝室。どこか欧州を感じさせるような豪邸の造り。

 

「なにが起こってるんだ……これ」

 理解が追いつかないまま床に足をつける。警戒心を持ちながら広い寝室を散策していく。

 そんな時、目に映ったのは派手な装飾がされた姿鏡に映る自分。

「ッ!?」

 その映った姿を見た瞬間だった。無意識に口が空き、頭が真っ白になる現象が訪れる。


(な、なんだこのイケメン……)

 鏡に映されているのは短く整えられた茶の髪。緑の大きな瞳。鼻筋から口まで綺麗に整った顔。

 絶対に自分ではない顔を凝視。からの目を思いっきりこすり、もう一度確認。だが、なにも変わっていない。


「いやいやいやいや、これ誰だよ……。あ、ベレトか……。ん? って、なんで名前知ってるの!?」

 途端、全身に奇妙な感覚が襲いかかった。

「…………」

 鏡に映る自分を見ながら難しい顔に変え、数秒。ようやく理解する。

「あ……」

 バイクで事故を起こした自分の記憶。

 この人間、ベレトという男が持つ記憶。

 二つが混在していることに。


(う、嘘だぁこれ……。こんなことって……。憑依っていうか転生? しちゃってるって)

 なぜこのような現象が起きたのか、そんなことは説明できない。

 だが、非現実的なことが起きた今、逆に冷静になることができていた。

 いや、ベレトの記憶が上手に作用しているからか、困惑していることが転生したことの一つしかない。

 それ以外のことはなんだってわかる。


 ここがギーゼルペインという国であること。

 自分ベレトが18歳の学生であること。

 侯爵家の両親は次の領地開拓に出かけていること。

 自分に仕えている従女じじょがいることetc…。

 

「はあ……。とりあえずご飯食べよ。なんか学園にもいかないとだし」

 今置かれている状況を記憶から引き出し、冷静に組み立てていく。

 本当はゆっくり時間をかけて隅々まで整理したいが、休んで注目を浴びるような真似はしない方がいいだろう。


「とりあえず頑張ろ……。生活に困ってないだけマシだし。なんでこうなったかとか説明もできないし、理解もされないだろうし……」

 一人、覚悟を決めたその時だった。


『コンコン』

「ッ!?」

 廊下に繋がる両開きのドアがノックされ、聞こえてきた。


「ベ、ベレト様。朝でございます……」

 ドアの奥からか細く、遠慮がちな声が。

(この声は従女じじょのシアさんか。忙しいだろうに毎日起こしにきてくれるだなんて優しいよな……)

 侍女だから当たり前。そんなことは思わない。

『はーい』 

 なんて返事をしようとした矢先、一筋電流が走ったのだ。



∮    ∮    ∮    ∮



 メイド服に身を包んだ一人の女の子。

 ピンクリボンで結んだおさげの黄白こうはく色の髪。

 くりくりとした青の瞳。

 小さめの身長と少し幼さの残る顔立ちをしている彼女、シアにイラついた表情のベレトは向かい合っていた。


『ねえシア。今日は起こすのが遅いけど、一体なにしてたの? 侍女だってことわかってる? 君は』

『も、申し訳ございませんっ……! で、ですが時間通りにノックはしましてベレト様はお返事を——』

『はあ。仮にそうだとして二度寝したことすら考えられないなんて思わなかったよ』

『っ』

 ベレトは眉間にシワを寄せ、嫌味たらしく言う。

 

『相変わらず使えないよね、君は。そろそろ別の人に変えるよ本当』

『申し訳ございません……。ど、どうかそれだけは……それだけは……』

『あのさあ。それ言うの一体何度目? いい加減ちゃんとしてくれよ。使えない従女なんか要らないんだから』

『本当にすみません……。次こそは必ずお力になれるよう頑張りますので』

 理不尽なこと対して頭を下げて謝罪していた。


 シアの家系は代々この家系の従者として勤める使命を持っている。

 そんな彼女の年齢は16。ベレトの二つ下であり、同じ学院に通う生徒でもあり、一生懸命支えてくれている相手である。も、高圧的な態度を取り続け、恐怖を与えて生活させていたのだ。


 ベレトは侯爵家の後継ぎであることから、反抗してくるような相手がいないに等しいことから天狗になっていた。

 こちらに逆らうことのできない相手を見下し、攻撃的な態度を取り続けていた。


 シアに対しての酷い行い。

 周りからは性悪な男と噂されていること。

 その全てが頭の中に流れてきたのだ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る