第13話 エレナと悩める弟

「アラン。大丈夫?」

「あ、姉様ねえさま……」

 夜も更け、街も静まり返る時間。

 伯爵家、ルクレールが住む邸宅ていたくでは、薄着のネグリジェに身を包んだエレナが弟に心配の声をかけていた。


「もうこんな時間だから休みましょ? 図書室でも最後まで勉強を頑張ったらしいじゃない」

「心配ありがとう。でも、休むわけにはいかないよ。やっぱり時間が足りないんだ」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

 アランは図書室で借りた経営学書を何ページにも渡ってノートに書き写していた。

 読み直ししやすいように、頭の中に入るように、色わけも施しながら。


「このままだと風邪を引いてしまうわよ。まずは体が資本なんだから」

「僕は平気だって。姉様と違って体は丈夫だから」

「もう、またそんなこと言って……」

 休むことをしない弟に口を尖らせるエレナは、近くにあるソファーに腰を下ろすと、長い脚を伸ばした。


「はあ。お父様もお父様よね。『新店はアランに任せる』だなんていきなり言うんだから。多忙だからって話し合いの日程も一方的に決めて」

「それは仕方がないと思ってる。『この家に生まれたからには』ってことは常日頃から言われていたから」

「んぅ……」

 この正論に言い返すことができないエレナは不満げに唸る。感情に身を任せるように太ももの上に両肘を置くと、頬杖をつきながらジト目でアランを見つめていた。


「まあ、だからこそそれなりに勉強はしてきたけど、まだまだ足りなかったよ……。コンセプトに販売計画、商品の仕入れ、人員の配置、人材育成、売上の管理に……」

「た、たくさんあるのね。本当……」

 この会話が途切れると、姉弟していらしく大きなため息を同時に出していた。


「ごめんね、アラン。あたしが長男なら今この場でたくさんのことをアドバイスができたのに……」

「その言葉だけで十分だよ。姉様には姉様のお仕事があるんだから」

「あたしのお仕事と言えば、他家に嫁いでいくだけよ? アランと比べたらそこまで大変なことじゃないわ」

「嫁いでから問題が出てくるかもしれないじゃない?」

「ええ? あたしが選ぶ殿方よ。ずっと円満に決まっているじゃない」

「あ、あはは……」

 自信があるのだろう、断言しながら明るく微笑んでいる姉に押されるアランである。


「ふう。それにしても——」

 スイッチを入れ替えるようにソファーで背伸び。その後、立ち上がって勉強の跡を目に入れたエレナは、眉を中央に寄せてモヤのある顔を作っていた。


「やっぱりこの量を捌き切るのは無謀がすぎるわよ。お父様からどのような話をされるかわからないと言っても、もっと別の方法を探した方がいいんじゃない? あなたは経営学の知識がゼロというわけじゃないんだから」

「別の方法って?」

「えっと、例えば……ほら、人に頼ってみるとか。今朝、アランがあたしに相談してくれたみたいに」

 人差し指をピンと伸ばして『ねっ?』と、あざとく促したエレナ。

 これであればアランの負担は増えない。むしろ減らすことができる。と、考えていた弟思いの彼女なのだ。


「人に頼るって言っても伯爵家の相談に乗ってくれるような人っているのかな。相談内容も経営概念のことになるから難しいだろうし……」

「あっ、男爵家のルーナ嬢に相談するのはどうかしら」

 適任だわ! と両手を重ねたエレナ。


「彼女なら大人顔負けの幅広い知識を持っているし、あたし自身、顔も合わせたことがあるから協力を仰げると思うの」

「そう言えば僕もルーナ嬢にお会いしたよ。取り込み中だったからご挨拶することはできなかったけど」

「あらら、それは残念だけど顔を合わせられたことはいいことじゃない。彼女ならあなたのことも知っているはずだもの」

 そして、『ふふっ』と笑みを浮かべたエレナは常套句のようなことを聞いていた。


「アランも驚いたんじゃない? 彼女の独特な雰囲気には」

「ど、独特な雰囲気……? いや、僕はそうは感じなかったよ」

「えっ? 寡黙で凛としていたでしょう? ご挨拶をしようにも取っつきにくさがあったんじゃない?」

「確かに物静かそうではあったけど、僕が見たルーナ嬢は司書にからかわれていて、おたおたしていたから」

 意見の相違がここで発生するが、お互いの発言に間違いがあるわけではないのだ。


「そ、そう? だとすればその方はルーナ嬢じゃないわね」

「そうなのかなぁ……」

 普段から銅像のように読書をしているルーナなのだ。

『ルーナ嬢じゃない』と言うエレナの気持ちはわかるが、おたおたしていたのは彼女本人である。

 その時たまたまタイミングが悪かっただけ。


「まあ、ルーナ嬢に断られても大丈夫よアラン。あたしにはまだ別の方法があるから」

「その方法って?」

「『悩める弟を助けてくれた方にあたしは求婚します』って宣伝することね」

「ねっ、姉様!?」

「ふふっ、冗談よ冗談。たくさん集まってくれるとは限らないし、下心がある相手のアドバイスなんか参考になるわけないものね」

「そ、それならいいけど……。とにかく相手はしっかり選ばないとダメだよ。名指しするのも悪いけど、ベレト様のような方もいるんだから……」

 声のトーンを落とし、険しい顔をして伝えるアラン。


「ベレトねえ……」

「うん。悪い噂しか聞かないから。姉様も同じでしょ?」

「確かに悪い噂しか聞かないけど……優しいわよ。彼は。案外いいヤツね」

 親しみを込めた『ヤツ』呼びを聞き、アランはますます眉間にシワを寄せていく。


「もちろん信じてくれとは言わないけど、あなたにもわかる日がきっとくるわ」

「姉様が断言するくらいに……?」

「ええ。なんて言うか、ベレトは可哀想な人間ね。侯爵の地位を落としたい貴族が大袈裟にして悪い噂を広めているってところかしら」

「確かにその可能性はあるだろうけど……」

「一つの心構えとして、あなた自身に意地悪をされていないなら、噂を鵜呑みにしない余裕は必要よ。あたし達の立場ならなおさらね」

「……っ、そ、そうだね。ごめん。姉様の言う通りだった」

「ふふ、理解してもらえてよかったわ」

 今、ベレトと仲良くしているエレナにとっては、弟とも仲良くしてほしいのだ。

 このようにフォローを入れるのは当たり前のこと。


「さてと、せっかくだから紅茶、用意してくるわね」

「使用人さんには任せないの?」

「もう夜は遅いもの。それともあたしの入れる紅茶は飲めないのかしら」

「そ、そんなことはないよ。ありがとう姉様」

「ええ。それじゃあ待っててね」

 そんなやりとりをしてアランの自室を出たエレナは、キッチンに向かって歩いていった。

 

 果たして悩める弟を救う人間は表れるのだろうか。

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