第114話 二人きりの教室②

『ちなみにだけど、あたしはもう教えているわよ。あなたとお付き合いを始めたこと』

 エレナから初めて聞かされる情報。

『嫌な顔をされなかった?』と心配の反応を見せれば、呆れたように答えてくれた。


「なんて表情してるのよ。弟のアランは大喜び。お父様とお母様は『よくやった』って何度も頭を撫でてきたくらいよ」

「ほ、本当!? その反応をしてくれてると安心するよ。本当によかった……」

「顔を合わせているのだから、そうもなるでしょうに」

「は、はは……。必ずしもそうじゃないから」

 この手のトラブルはいろいろある。この世の中ではさらに、、、だろう。


「一応言っておくのだけど、あなたが立派な身分をしているから、喜んだわけじゃないわよ。あなたの人柄を知っているから喜んだの」

『誤解してない?』というような目で訴えかけてくるエレナだが、そう補足してくれてさらに安堵するベレトである。


「エレナのご両親はそのタイプだってわかってるよ。だから嬉しくて」

「ふーん。ならその……ぬか喜びさせないために、考えるところはあなたも考えておいてちょうだいよ。冗談を抜きに」

「エレナこそ」

「あたしはちゃんと考えているから、卒業後のことを聞いたのだけどね」

「そ、それもそっか」

「当たり前でしょ。もう……」

 目が合えば、口を尖らせながら——不満げな声を漏らすエレナ。

 そんな彼女はそっぽを向きながら、さらに小さな声をボソリと発するのだ。


「——はあ。今日は特別にしようと思っていたのに。あなたがもう少し恋人らしい雰囲気を作ってくれたら、キスの一つくらい」

「……え」

 ベレトが目を大きくなる言葉を。


「い、いやいや、ここは教室っていうか」

「教室は教室だけど、二人きりじゃない。クラスメイトもわざわざ帰ってこないわよ。お家のことだったりで忙しいんだから」

「……」

 頭の中で状況を整理すれば、緊張が高まっていく。

 無意識にエレナの口元に視線が寄ってしまう。


「そもそものお話、晩餐会の時にルーナだけあなたとキスしてるの、思うところはずっとあるのよ……本当は。だからその、あなたがルーナを楽しませたご褒美……コレのつもりだったんだから」

「そ、それはなんて言うか、ちゃっかりしてるなぁ……」

 恥ずかしさよりも願望が勝っているのか、頬を赤らめながらも口調はしっかりしているエレナ。

 そんな姿を見ると、こちらも恥ずかしさが薄れてくる。


「こういう建前を使わないとできない女もいるのよ……。これはあたしのせいだけど、初めて(キス)する機会を飛ばしているから、なおさらタイミングが難しいんだもの」

「エレナがカッコよかったあの件ね」

「う、うるさいわね……。からかうんじゃないわよ」

 晩餐会の日。頑張ったルーナの顔を立てるように——上書きするようなことをしなかったエレナなのだ。

 その影響が悪い方に出てしまっているが、後悔した様子が見えないのは本当に彼女らしいこと。


「とにかく! あたしの恋人ならこのくらいは補填してちょうだい。あなたの心の準備ができるまで待ってあげるから」

「……誰かに見られても知らないよ? エレナに全部しわ寄せがくるだろうし」

「その時はその時よ。今しない方が嫌だわ」

 髪色と同様に真っ赤な顔で、強気な態度。

 そのギャップも愛らしく感じられる。


「ほ、ほら、そんなわけだから早く目を瞑りなさいよ。あたしがあなたにするから」

「『心の準備ができるまで待ってあげる』って言ってたような」

「もう十分でしょ、十分」

 矛盾した発言がいくつかあるが、それだけ余裕がなくなっているということ。

 そんなエレナを見れば、心の準備はすぐ整った。


「……」

「なっ、なによ」

 彼女が上擦った声を出したのは、返事をすることなく正面を向いたベレトを見たことで。

「——え、ち、ちょっと」

 そんなベレトに一歩距離を詰められ。

「ねえベレトってば……」

 華奢な両肩を掴まれ、体を硬直させて、羞恥の混じった艶かしい声を漏らす。


「あ……あたしがあなたにするって言っているじゃないの……」

「やっぱり、ダメ?」

「っ」

 問いかけた瞬間、肩をビクッとさせて息を呑む。

 想定外の状況に立たされたのだろう。だが、我を取り戻すのは早かった。


「……はあ。も、もうわかったわよ。それなら好きにしなさいよ……。さっきまで全然乗り気じゃなかったくせに」

「はは、そんなヤケにならなくても」

「なっ! 別にヤケになってるわけじゃ————んっ!?」

 彼女が声を張り上げようとした瞬間、ベレトはその口を塞ぐのだ。

 あまり慣れないながらも、最初は優しく、次に少し押さえつけるように。

「……」

「……」

 温かく、柔らかい感触に、エレナがつけているジャスミンのような香水が鼻腔をくすぐる。


 お互いが心臓の音を大きく鳴らすこと数秒。

 エレナが胸元を手で押し、口が離れる。

「バカ……」

 顔を上気させ、目を伏せながら、この言葉を添えて。

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