第98話 噴水前のエレナとルーナと①

「それではベレト様。私はこれにて失礼いたしますっ」

 文句の付け所もないほど丁寧に頭を下げて、にっこり。

 そうしてパタパタと去っていくシア。


「ま、まったくもう……」

『そんなに気を利かせなくてもいいのに』と、彼女らしさに苦笑いを浮かべるベレトだが、同情できるようなことがあったのだろう。


『家に帰ったらなにか喜ぶようなことをしてあげないとな……』

 緊張を隠すように、そんなことを心の中で考えながら、覚悟を決めて近づいていく。

 紅花姫、エレナ・ルクレール。

 本食いの才女、ルーナ・ペレンメル。

 今、注目を浴びているその二人に。


 ——ベレトが近づけば近づくにつれて、周りのざわつきが大きくなる。

『なにかされるんじゃ……』『大丈夫かな……』なんてエレナとルーナを心配する感情が向けられてくる。

 敵意ある視線が向けられてくる。

 全てがわかりやすく伝わってくるが、今はそれに気を取られてしまうほどの余裕はない。


 一昨日の晩餐会で恋人になり、日を空けて会う二人なのだ。恋人の慣れはゼロと言っても過言ではないのだから。


 強張こわばった顔でさらに歩みを進めれば、周囲の騒がしさに違和感を覚えたのだろう。

 人形のように整った二人の顔が、こちらに向く。


 ”恋人”と目が合わさったその瞬間、口から心臓が飛び出そうなほどの動悸が襲ってくるベレトである。

 極度の緊張と極度の気まずさで逃げ出したい気持ちが湧き上がってくるが、同時にたくさん話したいという気持ちも湧き上がる。


「……」

 ぐちゃぐちゃの感情のままに手を上げて挨拶すれば、エレナは同じように返してくれて、ルーナは小さく頭を下げる。

 この間も、足を一歩一歩動かし続ける。


「……」

「……」

「……」

 結果、会話する距離感はすぐに作り上げられた。


「え、えっと……」

 ファーストコンタクト。すぐに言葉に詰まってしまうベレト。

 頬を朱色に染めながらチラチラと様子を伺っているエレナ。

 本をぎゅっと抱えて、顔を伏せているルーナ。


 “全員が同じ気持ち”であることは、明白な状態。


 この時、頭によぎるのはシアとの会話。


『エレナ様やルーナ様もそのように感じられているかと思うので、ベレト様がしっかりとリードをされなければですねっ』

『エレナがリードしたりしないかな?』

『それはどうでしょう……。想いを寄せていれば寄せているだけ、難しいものにはなってしまいますから、普段のようにはいきづらいかと』

『ッ』

『ベレト様も同様のことが言えるかと思いますが、ここは男性らしく……ですっ!』

 

 まるでこうなることを見通していたかのような言葉。

 こんな前置きがあったおかげで、背中を上手に押されるベレトがいた。


「おはよう。エレナ、ルーナ」

「え、ええ。ごきげんよう。ベレト……」

「おはようございます……」

 変によそよそしくなっている二人に、リードを取る。『いつも通り』を意識して。


「エレナ、なんかルーナがビクビクしてるけど……なんか脅したりした?」

「は、はあ? どうしてあなたの恋人をわざわざ脅さなきゃいけないのよ。あなたじゃあるまいし」

「俺もそんなことしないって!」

「悪い噂を持っているんだから説得力ないわよ。あなたがここに来ただけで周りがザワザワするくらいなんだから」


 早速軽口に乗ってくれるエレナである。

 言い返す言葉もない正論で。


「ほらルーナ。あなたもなにか言ってくれないと、誤解が完全に解けないわ」

「……ほ、本当に脅されていませんので……」

「あはは、そっかそっか」

 返事はしてくれるものの、未だ顔を伏せたままのルーナ。

 お互いの個性は見えて微笑ましくなる。 


「ルーナ、自分のペースで大丈夫だからね。そんなことで嫌な風に思ったりしないから」

「……はい。ありがとうございます……」

 呼びかけても、未だ同じ状態。

 本当は覗き込んで冗談を言おうともしたが、それは辞めることにした。

 ——髪と髪の隙間から覗かせた真っ赤な耳を見て。


 賢いルーナなのだ。自分がこうなってしまうという予想はあっただろう。

 それでもこうして顔を合わせられる場所に来てくれたというのは、本当に嬉しく思う。


 そう感じてしまう中、こうも恋人の頭が下がっていると手を乗せたくなるが……注目を集めている今である。

 そんなことは気軽にできるものではない。

 気軽にできることではないが——。


「……」

 ふと、ベレトは思い出す。

 一昨日の晩餐会で一体どれだけ挨拶にくる男を集めていたのかを。


 そして、普段から図書室にこもっていて、なかなか目にすることができないルーナを見て、見惚れている男がいる。


「……」

 ルーナに目をつけて、図書室に訪れる人が増えると想像してしまえば、モヤっとしてしまう。

 彼女は同じクラスでもないのだから。 


「…………」

 一拍。いや、二拍を置いて首を回す。

 野次馬に視線を飛ばすベレトは、躊躇う素振りもなくルーナの頭にポンと手を乗せた。


「っ!」

 こればかりは牽制である。


「……ぁ、〜〜っぅ」

 声にならない声を漏らすルーナだが、ベレトは野次馬の悲鳴とも呼べる声に集中してしまう。


「ベレト。あなたねえ……」

「え?」

「『自分のペースで大丈夫』って言った側からそんなことして、さすがに意地悪でしょ」

「あ……。はは……。ご、ごめんごめん……。本当に……」

 独占欲が普段しないことを誘発させてしまう。

 しっかり反省して手を頭から離すベレトである。


「はあ。さっきまであんなに顔を強張こわばらせてたのに、いい気なものねえ」

「そ、それ……バレてた?」

「当たり前でしょ」

 ルーナを守るようになでなでしながら、ツンとした態度を取ってくるエレナ。


「そ、そのダサいことは心の中で留めて欲しかった……」

「平等に接しないからよ。あたしだってあなたの恋人なのに……」

 口を尖らせて、赤髪を人差し指で巻きながら言葉は続いた。

 

「……あとであたしにもしなさいよ。同じこと」

「えっ、いいの……?」

「当たり前でしょ。そんな仲なんだから、嫌なんかじゃないわよ」

「あ、うん……。ありがとう」

「なに照れてるのよ」

「エレナだって照れてるくせに」

 冗談混じりに睨みを効かせる二人。


 今までの会話は聞こえていないだうが、近すぎる距離感でいることは理解したのだろう。

 周りから動揺が伝わってくる。


 そんな矢先、ベレトは聞くことになる。


「ねえ、あなたは聞いてるかしら? 公爵家のアリア様がご登校されるようになるってお話」

「……へ!?」

 侯爵よりも上の爵位。

 平穏な学園生活が崩れかねないこの衝撃的な内容を。


 

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