第37話 エレナと手紙

「あの席をお願いできるかしら」

 なんてセリフをエレナが口にしたのは放課後のこと。彼女の父親が経営する飲食店に入った時である。

 VIP席に当たるのだろうか、二階の隅にある個室に店員から案内されていた。


「え、なにここ」

「招待制の席になるわね。お父様のコネクションを使っているだけだから自慢して言えることではないけれど」

「勝手に使って大丈夫なの?」

「もちろん許可を出されていることだから」

「へえ……」

 清潔感のある広い空間。高価そうな壺に額縁に入った絵画。質のよい椅子にテーブル。

 いかにも商談用に設計された一室になっていた。


「ベレトはなにか注文する? この席からの注文は料金がかからないようになっているの」

「それまたすごいシステムだなぁ……」

「招待された側にお金を出させるわけにはいかないでしょ? はいどうぞ」

「あ、ありがとう」

 その説明をすると、両手でメニュー表を渡してくる。

 ツンとしたところがあるエレナだが、こうした姿は伯爵令嬢らしい。


「えっと、じゃあコーヒーをお願いしようかな」

「え? それだけでいいの?」

「うん。たくさん注文して店員さんを忙しくさせるわけにもいかないし、家で用意されるご飯を残すわけにはいかないし」

「……」

「いや、なにその『うわ〜』みたいな顔」

「そ、その言い方はやめなさいよ。相変わらずのやつが出てきたわねって思っただけ」

 なにか言いたげに無言で薄目を作っていたエレナにツッコミを入れると、ピクピクと眉を動かして補足される。


「本当に大人よね、あなたって。店員さんを忙しくさせないように注文を控えているのが本心でしょうに、『家で用意されるご飯を残すわけには』って言うことで上手に誤魔化して」

「別にそんな狙いはなかったけど」

「ふふっ、嘘つき」

 無表情で突き通していたが、完全にバレていた。

 紫の目を優しく細めたエレナは、こちらに微笑を浮かべた後に店員を呼ぶ。

 そして、コーヒーと紅茶を注文すると、再度話しかけてくる。


「そう言えば、シアは連れてこなかったのね。一緒にくるかと思っていたわ」

「ああ。誘ったことには誘ったんだけど、『仕事がありますから』って笑顔で断られたよ」

「あら……。そうだったの」

「普段の様子からするに『いきたいです!』って言うんだけどね。仕事がある時は絶対にそっちを優先するからなぁ」

 それも、名残惜しさを感じさせずにである。

 シアと同じ行動が取れる侍女が果たして何人いるのだろうか。間違いなく言えるのは少数派の行動だろう。

 そちらに流れさえすれば、一時的に仕事から離れることができるのだから。


「引き留めたりはしなかったのね。あなたのことだから『気晴らしにいこうよ』みたいなことで言い包めそうだけど」

「シアが決めたことに対して命令でひっくり返すようなことはしないよ。甘やかしすぎるのはかえって毒になると思うし」

「毒ってなにかしら?」

「エレナも知ってるだろうけど、シアってサボることを知らないくらいに真面目だからさ。仕事を取り上げちゃうと自分の存在意義を見失うんじゃないかって思うんだよね。『自分がいなくても平気なんじゃないか』みたいにさ」

 純粋な人ほど繊細だと言う。侍女の仕事を真剣に行なっているシアだからこそ、このように考えてしまう可能性がある。


「シアのことをよく見ているからこそのセリフね。さすがじゃない」

「まあ、体を動かせば動かすだけ奉仕ができる……みたいな信念がシアにはあるからさ。その証拠に『隣にいてくれるだけでも元気がもらえる』みたいなことを言っても、その理屈は理解できないみたいで」

「ふーん。真面目な顔で説明しているところ申し訳ないけど、案外恥ずかしいこと言っているのね、あなたって」

「べ、別にいいでしょ……。そこは」

 言われてみたらその通りである。

 ニヤニヤしているエレナに照れ隠しをする自分だが、胸中ではこの原因に心当たりがあった。


(多分だけど、シアがこうなったのはベレト君のせいだよなぁ……。たくさんパワハラをしていたから……)

 自分が転生する前、毎日のように理不尽に怒っていたベレトなのだ。

 シアの立場からすれば、怒られないために一生懸命体を動かし、頑張っている姿を見せる以外になかっただろう……。

 残念なことに、この考えでなければ説明がつかない。

 その過去があってもなお、慕ってくれる彼女には本当に頭が上がらない。


「とりあえずこれからもシアのこと大切にしてちょうだいね。当たり前のことだけど、あたしの友達でもあるんだから」

「もちろんわかってるよ」

 今のベレトは自分なのだ。これからは大変な思いをさせないように、伸び伸びとした環境を作り上げたいものである。


「あ、そうそう。シアの友達としてついでに言わせてもらうけど、あのプレゼントはあなたの趣味を出しすぎじゃないかしら」

「趣味って?」

「黄色の髪留めのことよ。今日食堂でシアとすれ違ったけど、おでこが見えているからか、普段よりも2歳くらい幼く感じたのよね」

「あ、あはは……。それのことね……」

 プレゼントを贈った後日、おでこが出ないような髪留めの方法を提案してみたが、『最初にベレト様につけていただいたこの位置がいいです』と譲らなかったシアなのだ。

 結果、その姿のまま学園に登校したわけである。


「とても可愛らしいから文句はないし、あなたの趣味に口を挟むつもりもないけど、童顔のシアをもっと童顔に寄せなくてもいいんじゃないの?」

「いや、結果的にそうなっちゃっただけだって……。俺にそんな趣味はないよ」

「ふーーーん」

 間延びした声を出したと思えば、疑いのある眼差しを向けてくる。


「ここは信じてほしいところなんだけど……」

「だってよく言うじゃない。男の人は若い女の子が好きだって。あなたも年下が好みなんじゃないの? ルーナ嬢だって年下じゃない……」

「いや、俺は別にこだわりとかないよ」

「じゃあ……そ、その……同年代とかでも、いいの? あなたは」

 この時、おずおずとしながら上目遣いで聞いてくる珍しいエレナ。


「当たり前でしょ」

「あ、当たり前なの……?」

「そうだけど、逆にエレナは違うわけ?」

「ふ、ふんっ。教えてあげない」

「なんだそれ」

「ふふふっ……。ならいいのよ……」

 ツンとした態度から一変、いきなりエレナがはにかんだ時だった。個室にノックがされる。


『どうぞっ』とエレナがご機嫌をかければ、ゆっくりと店員がドアを開け、注文したコーヒーと紅茶を運んでくる。

 エレナと二人で頭を下げると、笑顔を見せてすぐに退出していった。


「……ん、今のうちにお父様からのお手紙を拝見したらどうかしら。いいタイミングだと思うわ」

「そっか。じゃあそうしようかな」

 促しに従う自分は、カバンの中から封蝋された手紙を取り出し、緊張のまま面と向かい合う。

 そして、ゆっくりと開封し……中の内容に目を通した時、思わず険しい顔をしてしまう。


「な、なんか難しい文字になってるな……。これ俺じゃ読めないかも……」

「あっ、お父様の文字は達筆だからでしょうね。もしよかったらあたしが読みましょうか? その手の文字には慣れているの」

「本当? じゃあお願いするよ」

 この促しは本当にありがたいものだった。むしろ読んでもらう方が心臓にも優しいのだ。


「えっと、固い文章になっているからふんわりと訳して話すわね?」

「ありがと」

「じゃあ早速……」

 その前置きをして、エレナは音読をし始めた。


「元気にお過ごしでしょうか。いきなりの手紙に困惑していると思いますが、すみません。先日は息子、アランが大変お世話になりました。息子からあなたとの相談の内容を聞いたところ、あなたは素晴らしい思考を持ち合わせていると感じました。また、娘のエレナは最近あなたの話ばか……じゃなくってっ!」

「ん?」

「バカッ! なんでもないわよ……」

「う、うん?」

 なぜか顔を赤くしていきなり怒ってきたエレナは、小さく咳払いをして続きを読み始める。


「こほんっ。……であるために是非、一度お話しがしたいです。馬車はこちらから手配します。日時もあなたに合わせます。返事は娘のエレナにお願いします。……みたいな感じよ」

 ゆっくりと手紙を置き、頬を膨らませた顔で目を合わせてくる。なにやら不満がありそうな表情だ。


「いや、『みたいな感じよ』じゃなくって、なんか読み飛ばしたところあったでしょ?」

「読み飛ばしてなんかいないわよ……。そんなに疑うのならあなたが読んでみなさいよ」

「いや、俺は読めないんだって……」

「ならあたしを信じなさいよ」

「ま、まあ確かに」

「それでいいのよ……。さて、あなたの返事は後に聞くとして、一旦飲みものを飲みましょ? ね」

「う、うん……」

 どこか落ち着きがないようにまばたきを繰り返すエレナを見て、捲し立ててきた彼女を見て、当然思う。


(あとで手紙を解析してみよう……)と。

 絶対に読み飛ばしたとわかる反応をするエレナだった。

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