第19話 sideエレナ,アランと勘違い

姉様ねえさま聞いてほしいことが……!」

「ど、どうしたのよ……。そんなに慌てて」

 帰宅して早々、駆け足で向かってきた弟に目を大きくするエレナは、課題に取り組んでいた手をすぐに止めて、体の向きを変えた。


「あのね! 姉様の言う通り、ベレト様は本当に優しい方だったよ! これから先、僕も噂を鵜呑みにしたりしないから。絶対に!」

「え? な、なによいきなり……。とりあえず落ち着きなさい」

「っ、ご、ごめん……」

 高揚し、目を輝かせている弟に戸惑ってしまうのも無理はない。

 眉を微弱に動かしながらも、トントンと隣の席を叩いて弟を座らせるエレナは、一呼吸置いて促した。


「で、一体なにがあったの? あたしにもわかるように順序よく話してちょうだい」

「う、うん。今日のランチ終わり、本の返却を兼ねて図書室で勉強をしていた時の話なんだけど……」

 本題に入り、エレナはアランが興奮していた理由を知ることになる。


「その時にベレト様とお会いして、経営関係のことをご相談してもらったんだ」

「え? ベレトに相談を? いや、彼は図書室を利用するような人じゃないわよ。さすがに人違いじゃないの?」

「相談してもらった相手のことを間違えたりしないよ!」

「そ、それもそうね……。ごめんなさい」

 ベレトが図書室を利用している。なんて話は今までに出たことがない。

 疑ってしまうのは仕方ないことでもある。


「でも、ベレトがあなたの相談に乗ることはできていなかったんじゃない? ただでさえ難しい内容なんだから」

「そんなことない。正直、今のままならベレト様が経営された方が成功する……。そう思ったから」

「ふふっ、そんな謙遜しなくていいじゃない。あなたは何年も勉強をしてきたのよ? もろもろのことで負けるはずがないじゃない」

「僕がずっと頑張ってきた勉強内容だよ。謙遜はしないよ」

「……っ」

『嘘つき』なんて微笑を浮かべていたエレナは尻目に入れる。

 アランの真剣な表情を。

 この時、本心を言っていることは姉でなくてもわかるだろう。


「ベレト様は僕が考えたコンセプトについて、難しいところを明確に教えてくれたんだ。反論の余地はなかったし、僕の何倍も広い視野を持ち合わせていて、今の志の弱さまで注意してもらって……。敵わないなって本気で思ったから」

「アランが本気で言っていることはわかったけど……」

 知識のない者が知識のある者に勝てるわけがない。

『言い包められた可能性』を見出みいだすエレナだが、アランは別の理由を挙げる。


「多分だけど、マネジメント能力が人一倍長けているんだと思う。ベレト様の爵位なら幼少期から教育を受けていてもおかしくないから」

「マネジメントって言うと、組織運営のことかしら……?」

「うん。姉様にはもうお話したけど、僕が経営したいお店のコンセプトに『食材の無駄をなくす』があったでしょ? 廃棄される前にできるだけ調理をして、食事に困っている方に無料で提供したいって」

「ええ、そうね」


「それに対してベレト様はこうおっしゃられたんだ。『無料で料理を提供した相手に、その料理のせいで体調が悪くなった。料理に毒が混入されていた。そんなことをでっち上げられたら、君はどう責任を取るつもり?』って。『相手の狙いは慰謝料で、証拠作りは簡単にできるし、無罪だと戦ったところで悪い噂が流れてしまう』って」

「待って! そんなこと起こるわけないじゃない。そんな酷い話……あるわけないわ」

 実例を知らず、裏切りの世界を知らないエレナなのだ。少し強い言葉で否定するが、簡単に言い返される。


「いや、事実なんだと思う。ベレト様がおっしゃっていたことに対して、お父様やお母様がしている方針は同じだから」

「な、なにを言ったのよ。ベレトは」

「『私利私欲のために善意を利用する人間はたくさんいる。この世はいい人ばかりじゃない。それを知っている経営者だからこそ、食材を無駄にしてでも廃棄している。その店が繁盛しなければ、働いてくれている従業員の生活を守ることができないんだから』って」

「……」

 エレナはこの言葉で悟る。

 アランがコンセプトとして出した『食材を無駄にしない方法』がどうして実用に至らないのかを。


「こんなに筋の通ったことは普通言えないし、僕も考えられていなかった。……だけど、僕の理想を叶えるためだから諦めるつもりはないけどね」

「ちょっと待って。ほ、本当にベレトがそんなことを言ったの……?」

「言ったよ。この耳で聞いたから」

「……」

(あ、ありえない……)

 それがエレナの思ったこと。


「あとね、ベレト様はこんなことも教えてくれたんだ。『相談の時期を待つんじゃなくて、自分から相談できるように動くこと。君の中でプランは固まっているんだから、できるだけ早く主張して有意義な時間を作らきゃ』って。少し相談しただけで僕に足りないことを言えるって本当に凄いよ、ベレト様は」

「ねえ、それって本当にベレトなの?」

「そうだよっ! はあ、あのような人が学園にいるとは思わなかったよ」

 未だ疑うエレナの横で、アランは天井を見上げる。

 そこで思い浮かべた彼に羨望の眼差しを向けているようだった。


「だからね、姉様。ベレト様から相談していただいたことを無駄にしないためにも、今日の放課後はお父様のお店にいって……相談を早めてもらうようにお願いしてきたよ」

「あっ、だから帰宅が遅かったのね。って、怒られなかったの!? 仕事中に足を運ぶのは禁止されているでしょ!?」

「そ、それはそうなんだけど、内容が内容だったから褒められたよ。『感心したぞ』って」

「あ、あら……。それはよかったわね」

 当たり前のことを当たり前にこなしていれば優しい父親だが、ルールを破った場合には鬼になるのだ。

 顔を強張らせたエレナだが、褒められたことを聞き、すぐにホッとした表情をする。


「でも、アイツのおかげで相談にきたってことがバレたら怒られそうね?」

「それが……『誰の入れ知恵だ?』って笑いながら言われたよ。お父様には僕の行動が読めていたみたい。僕的には残念だけど、誰かに言われなければこんなことはしないって」

「そ、そう……。相変わらずね。お父様は……」

 子どものことを一番に知っている親なのだ。伯爵トップにまで上り詰めたその能力はこんなところにも役に立っている。


 そうして、一つの話題が終わると同時に空気が和らぐ。

 その時にアランは口にした。


「なんだか僕、本当に凄い偶然が起きてるよね」

「偶然って?」

「姉様も言っていたけど、ベレト様が図書室を利用されている話は聞かないでしょ? だから……さ、ベレト様がたまたま、、、、図書室を利用されていなかったら、こんな貴重な相談はできなかったから」

「っ!!」


 その『たまたま』の言葉で、エレナはハッと口元を手で押さえる。目を見開いて、アランに顔を向けるのだ。

 彼女には一つの可能性が浮かんだ。

 難しい話が終わり、柔和な雰囲気になったからこそ気づいたのだ。


「アラン、もしかしたらソレは偶然じゃないかもしれないわ……」

「ど、どういうこと?」

「……実はね、あたしもベレトに相談したのよ。経営関係のことで弟が悩んでるってこと、ランチ時間が始まってすぐに」

「えっ、嘘……!?」

「本当よっ。だ、だからつまり、悩みを解決しようとアランが図書室に足を運んでいる。そう予想してベレトも図書室にいったんじゃないかしら……。もしベレトがマネジメントを勉強しているのだとすれば、ある程度の悩みは解決できるって自信はあるでしょうし……」

「あっ! そ、そう言えば僕と会った時、凄くニッコリしてたよ? も、もしかしたらその時の笑顔って『やっと見つけた』って笑顔だったのかな……」

「もうそれ間違いないじゃないっ!」

 ここでとんでもない勘違いが発生していた。


(ア、アイツ……!!『弟のことあんまり知らない』とか言いつつ、ちゃんとアランの相談に乗ってるじゃないのっ! どうしてそのことを言わないのよ……。午後もしれっとしちゃって! かっこつけてるんじゃないわよ……)


 実際、アランの素性を知らなかったベレトで、図書室を利用したのも私用のためだが、この勘違いは彼の好感度を上げる大きなキッカケになっていた。

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