第20話 ふんっ! のエレナ
翌日の朝になる。
「……」
「ねえ」
「…………」
「ねえってば」
「ん?」
教室の中。いつも通り孤立した状態でぼーっとしていたところ、隣から声がかかる。
ゆっくり振り向けば、一番に映るのが綺麗な赤髪。次に整った顔と紫の瞳。
どこか落ち着きがないように、首に巻いたチョーカーを触っているエレナがいた。
「あ、おはよう。エレナ」
「ごきげんよう」
「……」
「で、それだけ? あなたが言うことは」
「え? ごきげんよう?」
「違うわよ……。はあ」
肉つきの薄いピンク色の口からため息を吐き出すエレナは、スイッチを入れたようにジト目を向けてくる。
「
「ああー」
「『ああー』じゃないわよ。黙っているんじゃなくて相談に乗ったのならあたしにも言いなさいよ。……そうしたら、褒めてあげないこともなかったのに……」
——ボソリ。
ベレトに聞こえないように呟いたエレナは、まばたきの回数を多くしながら視線を下に向ける。
「ごめん。確かに言うべきだったね。事前に相談してたわけだし」
「本当にそう思っているのかしら。なんだか言葉が軽いような気がするわ」
「そんなことないって……」
(本当鋭いなぁ……。実際、彼がエレナの弟さんだって知らなかったから言えなかったわけで……)
故意に伝えなかったわけではない。
「あ、あのさ。自宅でのアラン君の様子はどうだった? 大丈夫そう? 俺、結構厳しいこと言っちゃったから傷ついてないか心配してて」
「あなたって案外心配性なのね。傷つくどころか目をキラキラさせて褒めていたわよ、あなたのこと。少し対応に困ったくらいなんだから」
「そ、そう? それならよかった」
その報告に目を細める。
後々になって『もう少し言葉を選ぶべきだった……』なんて反省をしていたのだ。
胸の支えが下りた感覚があった。
「あ、あの……。その……ベレト?」
「ん? なんかシアみたいになってるけど」
「っ! と、とりえずありがとね、ベレト。あたしの悩みを聞いたあと、アランの相談に乗るためにわざわざ探してくれて……!」
ムーと口を強く締め、どこか恥ずかしそうに投げやりになって感謝を伝えてくる。……が、その感謝は意味がわからない自分である。
「いや、なんのこと?」
(俺はアラン君を探したつもりないんだけど……。そもそも顔を知らなかったわけで、偶然会ったわけだし……)
「やっぱり知らないフリをするのね。でも無駄よ。それ以外にあなたが図書室にいく理由なんてないんだからっ」
「え?」
(ど、どう言う意味? 本の返却とルーナに用事があったから図書室に寄ったんだけど……)
意図を掴むことができない。
「今までずっとそうやって過ごしてきたの? 褒められることをしたなら黙っておかなくてもいいじゃない」
「……」
(どうしよう。ネタ抜きで話についていけない。そもそもアラン君が図書室にいることなんて知らなかったし……)
確実に言えることが一つ。
このまま呆け続ければ、間違いなく話が拗れてしまうこと。
とりあえず、今理解できていることを
「『褒められることをしたなら』って言うけど、別に俺はお礼目的で相談に乗ったわけじゃないし、人気を得るために利用してるわけでもないし、周囲に知らせる必要はないよ」
「ふーん。大した言い分だけど、あなたは少し周囲に知らせる必要があるんじゃないの? 悪い噂が出ているくせになにかっこつけてるのよ」
「あ、あはは……。それは一理あるかも」
当たり前のことを言ったつもりだが、ベレトとして生きている今、彼女から正論パンチを食らってしまう。
「とりあえず、あたしのお父様があなたに目をつけたってことも言っておくわ」
「へ? 目をつけたって言うと?」
「あなたがアランにアドバイスしたことがお父様にも伝わっているってこと。今朝、伺われたのよ。『ベレト君はどのような男だ? 詳しく教えてくれ』って、あたしに」
「なにそれ。なんか怖いんだけど」
「い、一応……いい風には伝えておいてあげたわ」
「そ、それは嬉しいけど、目立つようなこと言わなくていいよ……。悪いこと言ってよかったのに」
エレナの父は伯爵のトップに君臨しているのだ。
そんな相手から注目をされることほど怖いものはない。
心情をそのまま口に出せば……予想外のことが起きる。
「っ、あなた……本当に賢いのね」
「いやいや、なんで?」
なぜか息を呑んだエレナは、口に手を当てて驚いているのだ。
「お父様が言っていたのよ。『もしこのことを伝えて、ベレトが隠すようなことをするなら本当に賢い男だ』って。能力がある人ほど仕事を任されたり、重役を担ったりするから目立つことは控えるらしいの」
「いや、そんなことないでしょ」
「——そして、このように言えば根拠なく冷静に否定するらしいわ。お父様
「……」
「賢い人ほど学ぶ姿勢があって、新しいものを取り入れようとするから、現状に満足しないらしいのよね」
「…………」
(いや、なによその千里眼……。確かに転生してる分、アドバンテージはあるだろうけど……)
こうして聞いているだけでも、全てを見透かされているような、気味の悪い感覚に襲われる。
「全部当たった時は報告してって言われているけど、まさか全部当たるなんて……」
「いや、別に俺は賢いわけじゃないし」
「実際、アランの相談に乗ることができて賢くないわけがないけどね。こんな質問をするお父様は初めてだから」
「それ、もう完全に目をつけてない?」
「でしょうね」
「即答って……」
エレナのリアクションほど信憑性のあるものはない。
「あのさ、エレナの父君はなにをするつもりなの? その報告を聞いて」
「それは知らないけど、婚約させようとするんじゃない? 政略結婚って言うのかしらね」
「誰と?」
「あなたと」
しなやかな指をこちらにさしてくるエレナ。そして。
「あたしを」
当たり前の顔で自身を指して。
「は、はあ!?」
「なによその声……! あたしじゃ不満ってわけ? これでもあたし、たくさんの貴族から求婚されているくらいなんだけどっ」
「いや、そんな意味じゃないって」
政略結婚。確かにあり得る話の一つだが、こんなこと考えてもいなかったのだ。思わず声が漏れてしまうのも仕方がない。
「そもそもエレナはそれでいいの? 俺、悪い噂ばっかりあるわけでさ」
「っ、やらかしたのよ。察しなさいよっ」
「いや、なにを」
ムスッとした顔で頬を赤らめているエレナに、冷めた顔を注ぐ自分である。どうすればそんなやらかしが起こるのか不思議でしかないのだ。
「言いたくないわ」
「言って。さすがに」
「……そ、その、『アランを助けてくれた人に求婚する』みたいな冗談を言ったことがあって、そのことを弟がお父様に伝えちゃったのよ……。アランったら、あの相談以降、あなたのことが大好きになっちゃったみたいで」
「いやいやいや、じゃあエレナが悪いじゃん」
「アランのせいよ! アランが言わなければっ!」
「言い出しっぺが一番悪い。自己犠牲なんてするもんじゃないし」
「そ、そんなにあたしを責めなくてもいいじゃない……」
昨日と同様に拗ねてしまったエレナは、口を尖らせながら指で赤髪をクルクルと巻いている。
「そのくらいアランを助けたいって思ったんだから……」
「まあ、確かに。姉として立派か」
「でしょう!?」
「うん。俺、そんな心意気は好きだし」
「……」
「いや、そこで無視されると困るんだけど」
顔を合わせながら伝えた瞬間、石のように固まったエレナだが、すぐに元に戻った。
「っ! ふ、ふんっ。別にあなたに褒められたいがために言ったわけじゃないわよ」
「知ってるって」
照れ隠しをするためにちょっと高飛車な態度になる彼女である。
「……んんむぅ。とりあえずこれ! あなたに」
「え?」
ポケットに手を入れたエレナは、なにかが入った包み紙を3つ渡してくる。
「なにこれ」
「……チョコ」
ツンとしたまま教えてくれる。
「なんで?」
「昨日のお礼よ……。アランの」
「ああ……。ありがと」
「ふんっ」
その言葉を最後に、エレナは自分の席についたのだった。
彼女がくれたチョコは体温に触れていたせいか、少しだけ溶けていた。
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