第15話 ベレトと赤髪の弟その①
「やっぱり誰もいないんだなぁ……」
図書室の入り口扉を開け、ガラガラの室内を見て呟く。
ランチタイムからある程度の時間が経った今だが、昨日同様に図書室には誰の姿も見えていなかった。
(まあ、人が少ない方が好都合だけど)
普段から後ろ指を刺されながら生活している分、
「さてと、まずはルーナを探そう」
図書室に足を運んだ理由は大きくわけて二つ。
昨日借りた本の返却と、ルーナにオススメの本を紹介してもらうため。
昨日、彼女からオススメされた恋愛小説は女性向けであったものの、十分に楽しむことができた。
紹介してもらうことでルーナの読書時間を奪ってしまうのは申し訳ないが、次はどのような本が紹介されるのか、それを楽しみにこの場に足を運んでもいたのだ。
(返却は最後でいいとして……。二階から探してみるか)
昨日、たくさんの本を抱えて歩いていたルーナと出会ったのは二階。
同じようなサイクルで動いているなら、そちらにいる可能性は十分ある。
「早めに見つけられるといいけど……」
この図書室はかくれんぼができるほどに広く、死角も多いのだ。お互いが噛み合わなければ相当な時間を使うことになるだろう。
願望を声に出し、『恋愛小説のコーナーから回っていこう』なんてプランを立てながら階段を上がる。
そして、二階に着いた瞬間だった。
「……あっ」
「ん?」
いきなり聞こえてきた頓狂な声。
無意識にその声源に振り向くと——、読書スペースで勉強に取り組んでいた一人の男子生徒と目が合った。
短く整えられた赤髪に、綺麗な紫の瞳。どこかエレナと似た特徴を持った彼と。
(あ、あれ? この男の人、どこかで見覚えがあるような……)
ベレトの記憶からモヤモヤとしたものを感じ取る。
その間、彼とは目がずっと合っている。会話はなく、気まずい時間がずっと流れ続けている。
(あぁ……。これって間違いなくあれだよな。俺は知らないけど相手は知ってるみたいな……。『あっ』って言ったのはあっちだし、ずっと俺のこと見てるし……)
確証はない。だが、状況的に言えばこれが自然である。これ以外のことはない。
だからこそ失礼のないように振る舞うしかなかった。
「どうも、こんにちは」
『あなたのことを知ってますよ』なんて匂わせられるように、フランクに挨拶をして。
∮ ∮ ∮ ∮
「ご、ごきげんよう……。ベレト様」
ベレトの挨拶を返した人物——アランは心臓に
全身に避難警報を鳴らしていた。
(な、な、な……。なんで侯爵家のご令息がこんなところに……!?)
ベレトが図書室を利用している、なんて情報が出回ったことは今までに一度もない。
アランからすれば、ありえない事態に直面しているのだ。
「こんな時間から勉強してるの? 偉いね」
「い、いえ。そんなことはないですから……!」
両手を振り、否定しながら上半身を退け反らせて距離を取る。
(だ、ダメだ。噂を鵜呑みにするなって
ニッコリしながら近づいてくるベレトに、戦々恐々としてしまうアランは青い顔になっていく。
『あなたのことを知ってますよ』なんてブラフをかけているベレトなのだ。その笑顔は不気味に決まっている。
「そんな謙遜しなくていいのに。今はなんの勉強をしてるの?」
「そ、その……経営関係です」
「経営!? へえー。経営ね……」
「は、はい。わからないことがたくさんあるので……」
(こ、この人怖い……ッ! 早く帰ってくれないかな。周りには誰もいないし、なにかされたりしたら……)
嫌な予感が止まることなく浮かび上がってくる。
ベレトを刺激しないように、寿命をすり減らしながら立ち回っているアランである。
「経営関係って難しいよね」
「ぼ、僕もそう思います……!」
「実はさ、知人の弟さんも同じように経営関係のことで悩んでるらしくて……。勉強中に申し訳ないんだけど、君のノート少し見せてもらってもいいかな?」
「……」
(そ、そんなこと言ってノートを破るつもりだな……!? あなたの噂、僕は知ってるんだから……)
「やっぱりダメかな?」
「っ、い、いいえ……! ど、どうぞ!」
(でも、無理! 断れないよ……!!)
自分の身を守るためにトカゲが自切するのと同じである。
震える手でノートを渡した。勉強の結晶とも言える大切なものを……ベレトに。
そして、ここからである。
アランが想像していることとは全く別のことが起こるのは。
「いきなりごめんね。ありがとう」
「っっ!?」
アランは頭を下げた侯爵を目撃する。
(え? い、今……謝罪をされた? あのベレト様がお礼をされた……!?)
聞き間違えではない。それを証明するように丁寧にページを捲り、ノートを読んでいる男がいるのだ。
それはもう頭を金槌で殴られたような衝撃である。
ベレトがノートを読む。その様子を困惑しながら見つめるアラン。
「君、経営の勉強ってどのくらいしてきたの?」
「僕は中等部の頃から……です」
「中等部から!?」
「は、はい……」
(『やる気あるの?』とか言われるのかな……。『お前には無理だよ』とか言われるのかな……)
ネガティブに考えるが、それは杞憂である。
「それは凄いね、本当。このノート見ればどれだけ頑張ってきたのかわかるからさ」
「えっ……」
「読み返しができるように綺麗にまとめて、色わけもしてわかりやすくして。わからないところは注意書きして。自虐するつもりはないけど、これは真似できないなぁ……」
「……」
真剣な顔で、神妙に言うベレトに言葉が出ない。お世辞でも皮肉でもなく、本心から言っていることを察したのだ。
「こんなに勉強しているなら、知識面ではある程度戦えるんじゃないの? 見たところ、かなり幅広いところまで抑えているし」
「そ、そんなことはないですよ……」
「そう? まあ俺も熟知しているわけじゃないけど……この頑張りはきっと報われるよ。ノートありがとう」
「い、いえ……。もったいないお言葉をありがとうございます」
「いや、俺は感じたことを言ってるだけだから。知人の弟さんもこのくらい頑張ってるといいけどなぁ……」
高圧的な態度もなく、意地悪をするわけでもなく、褒められ、知人の弟を心配するベレトを見て、印象は変わっていく。
(ね、姉様が言っていたことは本当だったんだ……)
『確かに悪い噂しか聞かないけど……優しいわよ。彼は。案外いいヤツね』
『なんて言うか、ベレトは可哀想な人間ね。侯爵の地位を落としたい貴族が大袈裟にして悪い噂を広めているってところかしら』
昨夜、エレナの言っていたことが頭の中によぎったアラン。
「ちなみにさ、君が悩んでいることって知識の面ってよりも土台の面じゃない?」
「ど、土台……ですか?」
「そう。コンセプトとか、販売計画とか、自分で考えなきゃいけないところ。一応は考えているものの、実際にそれでいいのか探るためにもっともっと知識をつけようとしたんじゃない?」
「っ!!」
「あはは、当たってた? ノートを見た感じ、そうだと思って」
言い当てられ、微笑みを浮かべられた時、アランの中には恐怖の文字は消えていた。
その代わりに芽生えたのは、『この人なら頼ることができるかもしれない……』そんな気持ちだった。
「あ、あの……。べ、ベレト様……。も、もしよろしければ僕の考えたものを聞いていただけないでしょうか……」
勇気を持ってお願いをすれば、あっさりと許可をされる。
「え? ああ。力になれないかもしれないけど、それでもよかったなら」
「……あ、ありがとうございます!」
「じゃあ、正面の席を失礼するね」
「あ、席は僕が引きますので……!」
「いや、このくらいは自分で。俺は好きで相談に乗るんだから」
「……っ」
アランはこの言葉でさらに実感していた。エレナの言葉が本当であることに。
(本当にごめんなさい。僕が間違ってました……)
心の中で謝罪をしたアランは、真剣な表情に変えてベレトに向かい合うのだった。
——向かい合う二人は知らない。
複数のメモ用紙が挟まれた経営学書を持ち、頭を出してこちらを見つめる女の子がいることに。
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