第85話 晩餐会⑲
「それではベレト様。お時間も良いところですから、会場の方にお戻りしましょうか。お互いにやるべきこともあるでしょうから」
「そうですね」
と、今回の話の区切りがついた時である。
「……あっ、すみません。サーニャさん。最後に一つだけ提案と言いますか、訂正させてほしいことがありまして……」
「訂正とおっしゃいますと?」
「先ほどお話させてもらった喉のケアの情報について、『公爵家にお譲りする』と口にしたと思うのですが……」
ベレトは申し訳なさそうな表情を作り、両手を合わせた。
「こちらを『サーニャさんにお譲りする』とさせてもらえませんか? もちろん、こちらが提唱者だと名乗りを上げることはしないと約束しますので」
「ベレト様もご理解されているとは思いますが、私は公爵様の下で従事をさせていただいている側の人間です。そちらの訂正を行ったところで、ベレト様に変化があるようなことはないかと」
「確かに自分の場合はそうなんですが、この情報によって効果が出た場合、サーニャさんの立場が少し良くなるのかなと」
「っ!」
苦笑いを浮かべながらこう答えると、サーニャは珍しく目を大きくする。
「後出しで申し訳ないんですが、正直な気持ち、このような情報はサーニャさんのような真摯な方に受け取ってほしいですから。あの……構いませんか?」
理由を説明。おずおずと首を傾ければ……「ふふ」と、サーニャは微笑を浮かべるのだ。
「情報の提供者に対し、こちらが拒否する権利はなにもありませんよ。むしろこちらは感謝をしなければならない立場です」
「だからこそ、迷惑をかけたくないですから」
「……」
「……」
「…………」
「……はあ」
無言の時間が作られる。その間、真剣な表情で訴えるベレトに返ってきたのは、このため息だった。
「まったく……。べレト様は偉い立場なのですから、もう少し貴族らしさを持っていただきたいものです。そのような振る舞いは、舐められる要因であり、いいように利用されてしまいますよ」
呆れたような声を出しながら苦笑を浮かべられる。そこに嫌味は込められていなかった。
凛とした彼女の素を、ほんの少しだけ見られた気がした。
「あはは、忠告ありがとうございます。肝に銘じておきます」
「ベレト様の性格上、それは一番大変なことだと思いますから、意識せずとも舐められないようにする方法をお教えしておきますね」
「あ、ありがとうございます。それで……その方法とは?」
「公爵家のアリアお嬢様と親密なご関係になることです。それほどの権威がありますから」
「……」
本気のアドバイスをもらえると思いきや、現実味のないことを言われる。思わず目を細めるベレトに、サーニャは口角を上げて目を細めた。
「仮にアリアお嬢様とそのような仲になりましたら、私もベレト様の下でお働きできるかもですから」
「……へっ!?」
少しの間を置き、言われたことを理解すれば、『楽もできそうですしね』なんて冗談口調で返されるのだった。
∮ ∮ ∮ ∮
「やっと帰ってきたわね。サーニャ様とどのようなお話をしていたのかは知らないけど」
それからサーニャと共に晩餐会場に戻り、別れた後のこと。
ジト目になったエレナが声をかけてきた。
「ご、ごめんごめん。どのような話もなにも、たわいもない話だから」
「ふーん。わざわざ人目のないところに移動して、ねえ?」
「はは……。それを言われたらなにも反論はできないなぁ」
「もっとマシな嘘をつかないからよ」
「それができたら苦労してません」
このように確信されているものの、心に余裕があるのはエレナが相手だからである。
言いたくないことを察してくれるだけでなく、追及までも避けてくれるのだ。
「そ、それよりさ? あれどうなってるの……?」
「あれ? あれは説明する必要ないでしょ? 一人一人の下心と戦っているのよ」
ベレトとエレナが視線を向ける先は、壁の近くに立っているルーナである。
そして、そこには数人の男貴族が並び、一人去ったらまた一人補充されるという状況が作られていた。
「この時間ということもあって、お誘いに成功した貴族が少しずつ退場し始めたから、刺激を受けたんでしょうね」
「な、なるほど……。って、それにエレナが巻き込まれてないのは意外だよ」
「あたしは一応それなりの身分だし、なにより主催者側だから、夜遅くなればなるだけ敬遠されるのよ。って、あなたも知ってるでしょ? このくらい」
「あ、あはは……。ま、まあね。それでも意外だったって感じ」
苦笑いで最大限、誤魔化しておくベレトである。
「大変そうだよな、あれは……」
「そう思うのなら助けてあげなさいよ。ルーナはあなたのお誘いを待っているんだから。一緒に休憩をするって約束もしているんでしょ?」
「……そ、それはそうなんだけど」
助けたいと思っても、歯切れ悪くなってしまう理由。
それは、あと数分でエレナと抜け出す約束の21時を迎えるから、だった。
「あたしは動けないわよ? 同性同士で抜け出すようなことをすれば、変な誤解が生まれてしまうから」
「……」
「ちなみに、あなたと一緒に休憩するって言ったルーナ、慣れない場なのにまだ一度も休憩を取っていないわよ」
「ッ」
「このまま知らんぷりをして、あたし達が抜け出すようなことをすれば、ルーナはずっとあのままでしょうね」
「……」
自分を取るのか。ルーナを取るのか。
まるで、そんな天秤にかけるように煽るエレナは————ポン、とベレトの背中を押したのだ。
「ふふっ。なにを迷っているのよ」
「えっ……」
「男なら、あたしとルーナの二人を連れ出すくらいしてみなさいよ。それなら約束が変わっても許してあげるから」
耳元に口を寄せてこう呟いたエレナは、上目遣いを作って優しく微笑んだ。
『その方が素敵よ、ベレト様?』なんてわざとらしく付け加えて。
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