第22話 ルーナが去った後

「ね、ねえベレト」

「うおっ!? びっくりした」

 ルーナが去ったすぐ。ピッピッと裾を引っ張られて後ろを振り返れば、なにか言いたそうに口を尖らせたエレナがいた。


「なに驚いてるのよ……。意味わからないわ」

「いや、さすがに驚くって。真後ろにいたんだから。音もなく」

「そっ、それはあなたがルーナ嬢に見惚れていたからでしょ。彼女、物静かで可愛いものねっ!」

「見惚れてたわけじゃないって……」

「ふんっ。別にどうでもいいことだけど」

 そっぽ向いたと同時、裾を離したエレナはチラチラこちらを見てくる。


「……彼女も知っているのね、あなたのこと。あたしとシアだけかと思ってたのに……」

「ん? 知ってるってなにを?」

「それ、わかってて聞いてるなら怒るわよ」

「わかってないから聞いてるんだって」

「もう……」

 本気であることは伝わったのだろう。呆れたように息を吐いた後、そわそわとしながら教えてくれる。


「な、なんて言うか……イイヤツ? みたいな……」

「あ、あはは……。その『イイヤツ』かどうかは知らないけど、オススメの本とか教えてくれるよ」

「ふーん。まあそうでしょうね。あなた随分楽しそうに話していたもの」

「俺は楽しくない相手と話したりしないしね。って、ルーナはそうじゃないでしょ。義務的なことを報告しにきてくれただけだし」

『も』の副助詞を聞き逃さなかったことで当然の言及するが、ここで過去一大きな疑問符を浮かばせてしまう。


「はぁー? あたしからすれば彼女の方が楽しんでいるように見えたけど」

「いやいや、それこそ『はぁ?」なんだけど。エレナが見ていたのってルーナじゃないんじゃないの?」

「あなたと彼女の二人を見間違える人がどこにいるっていうのよ! それともなに? 遠回しにあたしの目が腐っているとでも言いたいのかしら」

「そうじゃないって!」

 伯爵家トップの令嬢にそんな悪口を言える人間はいないだろう。

 実際、そんなことを微塵も思っていない自分は手を振りながら説明する。


「いや、だってルーナだよ?」

「そうね」

「本当に楽しんでるってわかるの? もう一度言うけど、あのルーナだよ」

「そこはわからないわよ。あたしも」

 常に一定の声と無表情の顔。ここから判断できるのか、という濁した質問は伝わったようで、同じく濁しながらエレナも否定した。

 互いにその点について悪く言うつもりはないのだ。


「えっと、じゃあなんで『楽しそうに話してた』って言い切れるわけ……?」

「初めて見たからよ。あんなに長く話している彼女を。あたしが知っているルーナ嬢は用件をすぐに伝えてバイバイよ。雑談なんてしないわ」

「そ、そうなの!?」

 一驚いっきょうするのも無理はない。

 その時の会話はこうだった。


『本日はあなたに用件があったのでこちらに足を運びました』

『お、なになに?』

『すみません。その前に一ついいですか。気になることがあります』

 用件をあとにしたのはルーナ自身なのだ。エレナと言っていることとは違っている。


「ほかにもあるわ。わざわざこの教室にきたり。一番信じられないのは彼女が遊びの誘いに乗ったことよ」

「ああ……。よくよく考えてみればその件は無理やりに近いかも……」

「無理やり? あなたの性格からしてそんなことはしないと思うけど?」

「性格ってより家柄の問題かな。ルーナって今までいろいろな人の誘いを断ってるらしいけど、その中でも俺からの誘いは断りづらくない? これでも侯爵の嫡男ちゃくなんなわけで」

 男爵家出身のルーナとは爵位が大きく違うのだ。


「まあ……確かに断りづらいでしょうけど、断れないような弱い彼女じゃないでしょ」

「もう一つ言うと、彼女には恩があって、それを返すための一つとしても誘ってるんだよね? だからルーナは俺の面目を潰さないようにしてくれるんじゃないかなぁって」

「その条件だとなんとも言えなくなったわね。正直」

「でしょ? 俺としては残念なんだけどね。気を遣われてるから」

 自分がここまで推測できたのには理由がある。

 エレナの弟、アランの相談に乗った後、彼女から言われたのだ。

『一人の人間として尊敬しますよ』——と。

 本当にそう思っているからこそ乗ってくれた。との考えは筋が通る。


「ただ、少なからずあなたに好意があると思うわよ。彼女は」

「その理由は?」

「だって、あたしのことを逐一ちくいち見てきたから。女の勘で言うなら睨みを効かせてきたってところね」

「ええ?」

「な、なにか話したんじゃないの? あたしに関係すること。それ以外に考えられないけど」

 癖なのだろう、人差し指で髪を巻きながら興味ありげに促してくる。


「ああ、そう言えば『親しいんですね』って言われて『一番仲がいい』って答えたよ」

「……っ。い、一番……? あたしが?」

「うん」

「…………」

「え?」

 こう認めれば、なぜか固まること数秒。

 エレナは考えているかわからない顔のまま、両手で自身の頬をムニムニさせて我に返る。

 シアと関わりの深い彼女なのだ。その状況に陥った時にする行動が移ってしまうのはおかしいことではない。


「か、勘違いしないでちょうだいねっ。言っておくけど全っ然嬉しくないんだから。ふんっ!」

「そ、それはごめんって」

 エレナの言う通り、友達は少ない。

 侍女のシアを除けばエレナとルーナの二人しかいない。


「で、でも、ううん、もうその件はいいわ。話を戻すけど、それがあたしをムムッって思った原因なんじゃないの? ほら、嫌な気持ちになるでしょ。気になる人がそんなことを言えば」

「はははっ。それなら嬉しいけど、ルーナはそんな子どもじゃないって。その睨みを効かせてきたって言うのは女の勘でしょ?」

「そ、そうだけど……」

 あの眠そうな顔で睨みを効かせてきたなんて思えないのが自分である。

 また、実際に話している時にもそんな素ぶりはなかったのだ。


「って、相手はあのルーナだよ? 彼女なら恋愛する時間よりも読書の時間を取るでしょ」

「た、確かにそれは一理あるけど……」

「一理じゃなくて絶対そうでしょ」

 そうして断言したことにより話が落ち着くが——本当に合っているのだろうか。



 出会った当時、ルーナは言っていた。

『わたしが自信を持ってオススメできる本は哲学と恋愛小説ですよ』と。

 オススメというのは多く読んでいるからこそできること。

 多く読んでいるということは、好んで読んでいるわけでもあり、興味があるからこそ読破数も多くなっているわけである。


 もし言葉を思い出していれば、また違う考えが浮かんでいただろう。

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