第57話 図書室と奮起のルーナ①

「二日ぶりですね、ベレト・セントフォード」

「うん、二日ぶり。今日もお邪魔させてもらっていい?」

「もちろん。ご自由にどうぞ」

 エレナが去り、数分後のこと。

 ランチを食べ終わったベレトはいつも通りに図書室に足を運び、読書スペースに座るルーナと顔を合わせていた。


「それにしても、今日はいつもと違う本を読んでるんだ? ルーナが美術史を読んでるの初めて見たよ」

「今週はずっと読み進めるつもりですよ」

「あはは、しっかりとしたスケジュールで」

 何気ないやり取り。笑いながら机に重ねられた本に視線を向けたベレトは、この時に視界に入れる。

 以前、彼女にプレゼントをした四つ葉の栞を。


「あ……」

 プレゼントをして以降、初めて見たその栞を思わず凝視すると、ルーナはその視線に気づいたように手の中に隠すのだ。


「あの、すみませんがこれはもう返しませんよ。重宝しているので」

「そ、そんな目で見てないって。ただ嬉しくなってさ。ちゃんと使ってくれているんだなって」

「毎日使っていますよ。もう一つの羽の栞はこちらにあります」

「あっ、本当だ」

 重ねられた本のうち、一番上にある本を開いたルーナは、使用中の証拠を見せる。

 その途中で、ポケットの中にこっそりと四つ葉の栞を入れるのだ。


 ルーナは秘密にしているのだ。

 二つの栞のうち、四つ葉の栞はお守りのように扱っていることを……。常に持ち歩いているものなのだ。


「あなたからいただいたものです。雑に扱ったことはありません」

 眠たそうな目に抑揚のない声。

 普段と変わらずのルーナは当たり前と言わんばかりに表明し、開いた本を閉じた。


「さて、今日はどのような本を読みますか。あなたは」

「んー。将来に役立つ本が読みたいなぁ」

「全て役に立ちますよ」

「そ、それは確かに……。ちなみにルーナのオススメは?」

「哲学はどうですか。わたしが最近読んだものは思想と宗教です。多くのことを学ぶことができたのでオススメです」

「哲学か……。確か前もオススメしてくれたっけ?」

「そうですね。好みのジャンルですから」

「じゃあ俺も一度くらいは手をつけてみようかな。難しい内容だけど、視野が広がるだろうし……」

 そうして読む本を決めたベレトだったが——。


「あの、決定したところすみませんが、変更しませんか」

「えっ?」

「あなたのことを考えた場合、読むべき本はやはり以前と変わらず恋愛もの、ラブストーリーだと思いました」

「そ、そう? 哲学と比べたら学ぶところは少ないような」

「あなたの場合にのみ、こちらの方が有意義です」

 含みのある言葉を口にしたルーナは、すぐにその説明を加える。


「とある方が言っていました。あなたは鈍感であると」

「絶対にエレナだよなぁ……」

「実際、わたしもそう思っています。あなたはシアさんのアピールに気づけなかった事実がありますから」

「ま、まあ……」

「ですので、こちらをオススメします。本に書かれた描写と同じような経験をした時、すぐに気づくことができますから」

「そ、そうだね。わかった。じゃあその通りに」

 彼女が言ったことは滅多に起こり得ないこと。ベレトに至っては天文学的数字だろう。

 しかし、読破することを考えたのなら、こちらのジャンルである。


「わたしが選んだ方がよいですか。それともあなたが選びますか」

「よければお願いしてもいい? ルーナが選ぶ本は面白くって」

「わかりました。では、二冊ほど持ってきます」

「あ! 本くらいは俺が取るよ。ごめんね、気を利かせてもらって」

 彼女にはたくさん甘えてしまっているのだ。自分ができることまで任せるわけにはいかない。

 一人で本を取り向かおうとした彼女を見て、案内してもらうように後ろにつくベレト。

 この行動は当然、侯爵家の嫡男らしくないもの。


「……あの、これはずっと伝えていませんでしたが、わたしには下手したてに出ないでいただけると助かります。やはり勝手が悪いです」

「ええ? それは不当な言い分じゃない? 全生徒は平等って感じの校則なんだし」

「はあ」

 呆れ全開のため息を吐くルーナ。

 だが、これこそ当たり前の反応である。

 身分が高ければ高いほど、この校則を嫌う傾向にある。身分の高い相手からすれば、不利な校則と言っても過言ではないのだから。


「初めての体験ですよ。その校則を使って嬉しそうに反論されるのは」

「こんな人間もいるってことで」

 図書室をゆっくり歩きながら会話を弾ませる二人。


「……そんなあなたであるばかりに、いつか錯覚してしまいそうです。おかしなことを言いますが、わたしが同じような身分だと」

「そのくらい仲良くなれたらいいなって俺は思ってる」

「っ」

 その声を耳に入れるルーナは、ビクッと肩を上げ、衝動のままに足を止めるのだ。


「あ、なにか変なこと言っちゃった?」

「いえ……。あなたが拒まなければ、叶うと思いますよ」

「本当? それはよかった」

 チラッと尻目に見れば、そこには満足そうな笑顔を浮かべるベレトがいる。


「……嬉しそうにしないでくださいよ、そんなに」

「冗談で言ってないんだから、しょうがないでしょ?」

「そろそろ……勘弁してもらえませんか」

「えっと、なにを?」

「……もう、いいです。なんでもありません」

 意図はなにも伝わらない。

 嬉しくなる言葉を次々に差し込まれ、当たり前の顔で聞き返される。


 追い込まれたルーナ逃げに走る。

 これ以上の羞恥を避けるように、足を再度動かして顔を見られないよう先頭を歩くのだ。

 ——が、ここでまた足を止める彼女だった。


「ル、ルーナ? 大丈夫……?」

 ベレトからすれば、怪奇な行動。心配の声をかけるが、その言葉は聞こえていなかった。

 彼女は別の声が脳裏に聞こえていたのだ。


『アイツってば腹立たしくなるくらい鈍感だから、このままじゃきっとなにも変わらないわよ。逃したいのならこれ以上はなにも言わないけど、そうじゃないんでしょ?』


『あなたがなにもしないのなら、このまま差をつけてあげるわ』


 数十分前の、エレナの声……。まるで、こうなることまで見越していたようなセリフが。


「あ、あの……。ベレト・セントフォード……」

「う、うん?」

「……そ、その」

 ルーナの答えは決まっている。

『変わったところを見せなきゃ……』と。

 この覚悟こそ、ライバルであるにも拘らず、たくさんのエールを送ってくれたエレナに顔向けできること。


 足を動かし、後ろを振り返る。

 頬に溜まる熱。赤面する顔。だが、それに負けずに勇気を出す。

 金の瞳をベレトに向け、口を震わせながら伝えるのだ。


「わ、わたしも、嬉しく思って、ます……から。あなたから、そう思っていただけていること……」

「……」

「それだけ、言っておきます……。誤解されたくはありませんでしたから」

「お、おう……」

 不器用ながらも、目を合わせてしっかりと言い切るのだ。

 呆気に取られるベレトに背中を向けるルーナは、案内を続けるように曲がり角を右に曲がる。


「あ、ちょ、待ってルーナ。文学コーナの恋愛はそこ左じゃない?」

「……」

 そして、後ろから飛ばされた声を聞き、さりげなく体を左に向ける彼女は弁明するのだ。


「人間、誰にでもミスはあります。……わたしが動揺していたわけではありませんから」

「ぷっ、あははっ」

「わ、笑わないでください。怒りますよ」

「ご、ごめんごめん。ありがとね、ルーナ。さっきのこと伝えてくれて」

「……はい」

 今回、このように言えたのは大きな進歩。

 冷たい声で返事する彼女だが、その胸は大きく高鳴っていた。

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