第56話 悪◯エレナと殻破りのルーナ

 そして、二日後。休日明けの平日。

 4時間目を終えるチャイムが鳴り、昼休みを迎えた現在。


「……」

 ルーナは食事を抜きに読書をしながら何度も時計を確認していた。

 ベレトがくることを想像し、そわそわしながら一分一秒を過ごしていた。

 彼女の頭の中にはずっと残っているのだ。


『ルーナ様。素敵な殿方であればあるだけ、横槍を入れられてしまうものです。そして、受け身になればなるだけルーナ様の願望はついえてしまいますよ』


『勇気を出して行動することで、よいことは訪れるものです』


『一夫多妻の世の中なんですから、遠慮をする必要もありません。思いのままに動いてみませんか? 素敵な殿方を逃してしまいますよ』


 数日前、使用人が口にしたことが。

 確かにその言い分は間違っていないのかもしれない。だが、それを素直に実行することができるのなら、誰も苦労はしないだろう。


「ずっと考えましたが、本当にそれでよいのでしょうか。嫌われるようならば本末転倒です……」

 身分が高い。もしくは相手と身分が釣り合っているのなら、思いのままに動いても、遠慮をせずとも特に問題はない。

 しかし、ルーナの身分は低いのだ。同じような行動を取れば、分をわきまえない言動だと捉えられてしまう。

 ルーナが死守したいのは、『ベレトに嫌われたくない』という思いである。


「はあ」

 目線を落とし、彼のプレゼントである栞を触る。


「停滞していますね。わたしだけ。それに比べてエレナ嬢は……」

 会談の後、二人きりで過ごすことを知っているのだ。

 一人だけなにも進んでいない状況だからこそ、悪い方向に考えてしまう。

 静かな空間で不安を吐露するルーナ。


 ——その声が聞かれていたことに気づくのは、すぐのことだった。


「あら、あたしを呼んだかしら」

「っ」

 唐突のことだった。

 気配なく、なんの前触れもなく、本棚の死角から現れたその人物……。エレナは紫の瞳を向けて余裕のある表情を作っていた。


「ごきげんよう。なにやら深く考えているようだったから、声をかけるタイミングを窺っていたの」

「お気遣いありがとうございます。貴女あなたとお会いするのは、あの時以来ですか」

「ええ」

 途端、ピリッとした空気が図書室に充満する。

 こうなるのは当たり前のこと。

『あの時』とは、ルーナがベレトの教室を訪れ、デートの誘いを了承した時なのだから。


「それにしても驚きました。貴女あなたがこちらを利用されることはなかったので」

「もしかしてガッカリさせてしまったかしら? あたしがベレトじゃなくって」

「……そんなことありませんよ」

 どこまで知っているのだろう。そんな疑問を沸き立たせる一言である。


「そう? ちなみにベレトがここにくるのは今から20分後よ。勝手なことをして申し訳ないけど、そのようにお願いしたの」

「その間にわたしと個人的なお話をしたいわけですか」

「察しがいいわね。そんなわけだから10分少々お時間いただけるかしら」

「わかりました」

 読書第一のルーナだが、ベレトについての内容である可能性が高い。

 コクリと頷き、眠たげな目をエレナに合わす。


「すみません、まずは率直に言わせてください」

「なにかしら?」

「わたしは理解しています。貴女あなたがベレト・セントフォードに対して、どのような感情を抱いているのかを」

「ふーん」

「否定しないということは、そのように捉えますよ」

「それで?」

 エレナは動揺しない。余裕の有り余る顔で首を傾げるのだ。


「もし、わたしを牽制するのなら……」

「ふふっ、別に牽制するつもりはないわよ。あなたがあたしに勝てるとは到底思えないもの」

「……っ」

 エレナは不敵に微笑み、挑発的に煽るのだ。それはまるで、裏の顔を覗かせているように。


「そんなわけだから、まずはあたしのお話を聞いてちょうだい。今日はお礼を言いにきたのよ」

皮肉お礼……ですか」

 話の流れから当然このようになる。

『お話を断ればよかった』そんな後悔に包まれるルーナだが、話を聞くと答えた以上、後の祭りである。


「その内容とはなんですか」

「まず一つ目。ベレトから、、、、、聞かせてもらったわ。あなたがあたしの弟に力を貸してくれようとしたって。またなにか困ったことがあれば力になってくれるって」

「……」

 このお礼に敵意のある眼差しを向けたルーナ。無表情の顔だが、その瞳には確かな怒りを灯していた。

 これは上の立場の人間が下の立場の人間をおとしいれるセリフなのだから。


 ベレトを盾に出されたことで、『協力をやめる』なんて言えなくなったルーナなのだ。

 そんなことを言ってしまえば、印象が最悪なものになってしまう。

 そして、『協力をやめる』、『やめたい』理由をルーナは伝えることもできない。

 権力のある伯爵家を敵に回すことはできないのだから。


 最大限利用される。それがルーナの残された道。 

 主導権を握るエレナは、なにかを感じ取りたいように彼女の表情を真剣に確認しながら言葉を続ける。


「次に二つ目。シアについてのお礼を言うわ。彼女とは親友なの」

「感謝されることに心当たりはありません」

「これもベレトから聞いたことよ。シアが好意を抱いていること、それらしく説明してくれたのでしょ?」

「否定はしません」

「そんなあなたのお陰でベレトは目を覚ましたというか、シアは一番幸せな人生を歩むことができそうだから」

「……」

 二つ目のお礼で『邪魔をされる自分』と『幸せな人生を歩む相手』との格差を知らされる。

 予想していた通り、お礼は皮肉だった。それも、平常心ではいられなくなるような皮肉を。


 言葉にならない思いに襲われるルーナは、小さな手で握り拳を作る。

 心を支配するのは、悔しさ。

 使用人が口にしていたことが現実のものだと、この時わからされる。


 下を向き、一人、暗い世界に入り込む。そんなルーナの目を覚ましたのは——。

「っ!」

 肩に優しく置かれた手の感触。

 目を大きくしてエレナに視線を送れば、不可思議な表情を見ることになるのだ。

 眉尻を下げ、反省しているような弱々しい彼女を。


「……本当ごめんなさい。意地悪なことをして」

「っ」

「今までのことは全てあたしの演技なの。あのお礼は皮肉なんかじゃないわ。全て本当に感謝していることよ」

「あ、あの話が全くわかりません」

「そ、そうよね。いきなりこんなことを言われて納得できないわよね。今から一つずつ説明させてもらうわね……」

 どんでん返しの状況。打って変わってあわあわとしたエレナを見て思考をショートさせるルーナ。


「こんなことをしたのは、どうしても確証を得たかったからなの……。あなたがベレトに執着しているのか、あたしを恋敵として見ているのか。この二つを。今回あなたに言いたいことがお節介にならないように」

「……」

「あたしが嫌な言動を取ることでぶつけようのない怒りを覚えたり、『悔しい』って湧くなら、そういうことだから……」

 そう、ルーナがベレトのことをなんとも思っていなければ、今回のようなことは発生しない。彼女の言うような感情は発生しないこと。


「全て理解しました。まんまと手のひらで転がされたわけですね、わたしは」

「そこまでは言わないけど、『あたしに勝てるとは到底思えない』とか全て嘘よ……。本当はあなたを牽制したいくらい嫌な相手だと思っているわ」

 嫌な相手、それはそのままの意味ではない。

 険しそうな表情からも物語っているように、強敵という意味である。


「本当に目を見張る演技をしてくれましたね。完敗です。貴女あなたは分け隔てなく接する方と聞いてましたから、裏の顔を出しているのかと」

「そ、そんな裏の顔なんてないわよ。ちょっと独占欲が強いくらいよ……」

 エレナの変化は著しく、演技だと確信できるほど。

 顔を赤くしながら、素直に返事をしていた。


 そうして、和やかな雰囲気が二人を包み込んだ時、ルーナは切り出した。


「すみません。それで本題を聞かせてもらってもよいですか。この程度の目的で悪役になるあなたではありませんよね」

「ほ、本当に察しがいいのね……。その通りよ。あなたには渡したいものがあるの」

「渡したいものですか」

「ええ」

 教室から持ち運んだもの。エレナは封蝋された手紙をルーナに手渡し、先に説明を加える。


「これは来週に私宅で開かれる晩餐会の招待状よ」

「……」

「あたしのこと不思議でしょ? 断られるとは微塵も思ってない様子で」

「はい」

「だってベレトも参加するから」

「本当……ですか」

「もちろん」

 ピクッと眉を動かして食いついたルーナに、頷くエレナ。


「あの、わたしが晩餐会に招待される理由はなんですか。貴女あなたの一家と繋がりがあるわけではありません。参加する資格はないように思えます」

「一つ目のお礼で言ったじゃない。あなたはアランが困った時に力を貸してくれるんでしょ? それで十分よ。もちろんお父様も快く許可をしてくれたし、あなたとは個人的に仲良くなりたいの」

「……」

「もちろん無理に参加しろとは言わないわよ。あたしに遠慮をすることもないわ」

 エレナの気持ちは一貫している。人の顔色を窺うようなことをせず、自分の意思で決めること。


「その言葉は本心だと思いますが、それを抜きにしても『参加した方がよい』との含みがありますね」

「あなたが傷ついても構わないのなら教えるわよ。あなたに酷いことをしたのは、このままじゃいけないって思ったからでもあるの……」

「であれば、お願いします」

 即答したルーナ。そんな迷いのない彼女に、包み隠さず答えるのだ。


「ベレトはね、あなたのこと『ただの友達』としか思ってないわ。異性として気があるなんて感じ取ってもいないの」

「そうですか」

「な、なによその冷静な返事……。あなたはこのままでいいの? アイツってば腹立たしくなるくらい鈍感だから、このままだときっとなにも変わらないわよ。逃したいのならこれ以上はなにも言わないけど、そうじゃないんでしょ?」

「っ」

 悪役を演じ、確証を得られたからこそ、胸に刺さる言葉を次々に選ぶことができる。

 さらには偶然も重なっていた。使用人と同じことを口にするエレナは、ルーナの心を強く揺さぶっていた。


「ちなみに、あたしは晩餐会の途中にアイツと数十分抜け出す約束を取りつけているから」

「なっ」

「ぬ、抜け駆けしたことは謝らないわよ? あたしはあたしなりに頑張ったのだから。あなたがなにもしないのなら、このまま差をつけてあげるわ」

 そして、このトドメの一言はルーナの閉じこもった殻を破ることになる。


「……でしたら、差をつけられないように頑張るしかないですね。わたしも」

「っ! つまり、晩餐会に参加すると捉えていいの?」

「はい。顔を出せていただきます。貴女あなたのお陰でこのままだと、ダメなことに気づきましたから」

 誰からの誘いも断っていたルーナは、この時参加を表明した。


「それはよかったわ……。でも、無理だけはしないでちょうだいね。慣れない会に参加させることはわかっているから、困ったことがあればいつでもあたしを頼って」

「ありがとうございます。あの、一つ聞いてもよいですか」

「なに?」

「どうして敵に塩を送るような真似をするのですか。わたしに嫌われる覚悟で、わたしの意識を変えるような行動を取るほどに……。貴女あなたは好きなのですよね。彼のこと」

「あなたがシアにしたことをそのまま返しただけよ。今回のことで敵に塩を送ったつもりはないわ」

 言葉はキツく。……それでも、柔らかい表情を見せるエレナはもう一つの本音を伝えるのだ。


「それに、あなたと被るのよ。好意に気づいてもらえないこと……。その辛さはわかってるわ」

 それを言うと、ルーナに背を向ける。


「だから、あなたも頑張りなさい。同じ恋敵なかまとしてほんの少しだけ応援しているんだから」

「……すみません。ずっと言えてませんでしたが、わたしは仲間ではありませんよ」

「えっ!?」

「わたしは彼のことが気になっているだけです。好きという感情は持ち合わせていません」

「……ふーん、なるほど」

 屁理屈に近いセリフを投げられるが、エレナは怯まない。

 自慢げに言い返すのだ。


「仮にそうだとしても、あたしのように落とされるのがオチよ。結局」

「結局……ですか」

「ええ、あたしが惚れた人なんだから」

 こう訴えるエレナの顔に照れはない。当たり前のことを言うような態度だった。


「さて、そろそろ鈍感なヤツがくるでしょうから、あたしは失礼させてもらうわね。今回のことは本当にごめんなさい」

「いえ、この恩はいずれ」

「そ、そう? なら晩餐会を楽しむことでその恩を返してちょうだい」

「ありがとうございます」

 晩餐会を楽しむ。それは改められた『頑張れ』のエールでもある。


「ふふっ。あ、最後に——」

「なんですか」

「ベレトってば変だから、立場を気にしない方が喜ぶわよ。もしそれで周りになにかされるようなら、あたしがルーナのこと助けてあげるから」

 と、置き土産を残したエレナ。


 ベレトの知らないところでは、たくさんの進展が繰り広げられているのだった。

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