第5話 ベレトとエレナ

 クラスメイトから距離を置かれ、教室の中で孤立している今。

「…………」

 ベレトは机にし、睡眠に入っていた。

 誰からも話しかけられず、ずっと邪魔されることもなかった分、眠りつくのは簡単で……目を瞑ってから何十分過ぎただろうか。


『——ドン』

「ッ!?」

 深い眠りに入ろうとしていたその時、

 隣から机を叩いたような大きな物音が鳴り、驚きのままに上半身を起こす。

 反射的に隣を向けば、長く伸ばした赤の髪に、首についたチョーカーに。膨みのある胸、細いウエストが目に入った。


「あ」

 ベレトの記憶があるだけに、この部分的な要素で誰であるかはすぐにわかった。

『ふぁああ……』と、手であくびを隠しながら視線を上げれば、すぐ人物と目が合った。


「あら、ごめんなさいね。起こしてしまって」

「……エレナか。別にいいよ。寝てた俺が悪いし」

(なんか意図的に大きな音を鳴らされたような気はするけど……)

 なんて思いながら別の言葉を返して大きく背伸びする。

 そのまま時計に目を向ければ、あと10分少々で先生のいるクラスに移動しなければならない時間になっていた。


「ふう。もう少しで授業か。頑張ろ……」

「授業中いつも寝てるくせによく言うわね。今日は講師にたて突くつもりかしら」

「え? 俺が?」

「あなた以外に誰がいるのよ。珍しいことじゃないでしょ」

「……そ、そっか」

 楯突くなんて考えてもいなかっただけに聞き返したが、『珍しいことじゃない』ですぐに理解できてしまった。


「まあ楯突くことが悪いとは言わないけど、もっと別のことに力をいた方が有意義よ。あなた勉強はできるんだから」

「それはどうも」

「ふぅんなんだかヤケに聞きわけがいいのね。珍し」

 今、当たり前に会話をしているエレナだが、これといって親しい関係ではない。

 顔が合えば挨拶をする程度の仲であり、たまに会話を振ってくれる程度の仲。

 周りから恐れられているベレトだが、伯爵という強い階級を持っているエレナは相手によって態度を変えることはない。


「寝起きだからじゃない?」

「理由になってないわよそれ。まあいいわ。……で、いきなりなんだけど、あなたは一体なにを考えているの?」

「ん? なんのこと?」

「本当はわかっているくせに。シアに対してのことを聞いているの」

 隣席に腰を下ろしたエレナは、人差し指で赤の髪をクルクル巻きながら、鋭い瞳を向けてくる。

 怪しい動向は見逃さない。そんな意思を感じるほど真剣な表情を作っていた。


「今朝、偶然彼女と会って聞いたのよ。あなたの愛用しているカップを割ってしまったこと。それなのにあなたはとがめることをしなかったこと。シアを怪我させないように割れた破片を代わりに拾ったこと。さらにはシアのお昼休みを自由にもさせたそうじゃない」

 宝石のように綺麗な紫の瞳がこちらを射抜く。エレナは前のめりになって端正な顔を近づけてくる。


「正直、なにか目的があるとしか。もちろん疑っているわけじゃなくて、理由が気になるからだけど」

「せめてそれ言うなら、『疑ってます』って顔はやめない?」

「あなたの主観、、を押しつけられても困るわ」

 目的を正確に探りつつ、失礼のないように逃げ道も用意する。

 さすがは伯爵家の令嬢と言うべきか、美しい容姿と同様に抜け目はない。


「っと、話を戻すけど……シアのあんな顔を見たら放っておくことができないのよ」

 華奢な肩をわざとらしくすくめ、その時のこと思い出したように微笑ましい表情を浮かべたエレナは言葉を続けた。


「……それはもうすっごく嬉しそうにあたしに自慢してくれたわよ。『あなたに褒められたー!』って。シアがお手洗いから戻っている時に出会ったんだけど、彼女のことだからニヤニヤってなった顔を一生懸命直していたんじゃないかしら」

「はははっ、それはシアらしいね」

「なに笑ってるのよ。あたしからしたら笑いごとじゃないんだから」

 嬉しい密告に思わず笑声をあげてしまったが、これが間違いだった。

 一瞬にして棘のある声色に変えたエレナは真剣な表情に戻して頬杖をついた。


「そんなわけだから、彼女の気持ちをもてあそぶような遊びをしているなら友達として黙っておけないの。こんなことは『侍女だから』って理由にはならないから」

「なるほどね。言いたいことはわかったよ」

 激しく怒られる。使いっ走りにされる。理不尽なことを言われる。

 侍女の仕事をしていれば、これはある程度仕方のないこと。

 それがわかっているエレナは、シアの扱いに対してベレトを注意したことは一度もなかった。

 しかし、喜んでいる気持ちをもてあそぶことは、『侍女の仕事の範疇はんちゅう』を超える。

 真っ当な注意ができるのだ。


「まあ、俺がこんなこと言っても信じてもらえないだろうけど、約束できるよ。弄ぶような真似も遊びもしてないって。第一にそんなことをする意味もないし」

「っ、じゃあどうしてその対応を取ったのよ。教えなさいよ」

 この時、エレナは自然と感じ取っていた。ベレトが本気で言っていることに。


「なんでだろうね。俺じゃなくてシアに聞いたら?」

「そ、その言い草。あ、あなたシアに命令したわね。『誰にも言うな』って」

「命令はしてない。お願いをしただけ」

「減らず口を言って。お願い脅迫の間違いでしょ」

「なんとでも言ってどうぞ」

『転生したから優しくなりました』なんて頭のおかしなこと言えるはずがない。

 はぐらかす。これでいいのだ。


「そんなわけでエレナが心配してるようなことはなにも考えてないからさ。これからもシアのことよろしく頼むよ」

「あたしとシアの関係は、あなたにお願いされて繋がってるほど薄っぺらくないわよ。『わかった』なんて言ってあげないんだから」

「ははっ、その言葉で十分」

「フンッ。もういいわ。それじゃあね」

「はいはい」

 素っ気なくベレトに返事したエレナは立ち上がった。机に置いた教材を持って授業のある教室にいち早く移動を始めたのだった。



∮    ∮    ∮    ∮



(あれ、なんであたし……あいつの約束を簡単に信じているのかしら……)


(なんだか、いつもより話しやすかったわね……)


(少し、ほんの少しだけ楽しかったのは気のせいよね……)


「んぅ、なんだか調子狂うじゃない……」

 ボソリと呟くエレナの頭の中には、

『今まで頑張ってよかったって思えました。思い返してみたら本当に嬉しくなって……。えへへ』

 今朝の会話。幸せそうに顔を緩ませていたシアの顔が浮かんでいた。

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