第4話 現状と伯爵家のエレナ

「……まさかこれほどとは」

 終焉を迎えたようなセリフが思わず口に出てしまった場所。それは教室クラスルームの中。

 自分が教室に入った瞬間、気づくことが複数あった。

 一つ。楽しそうに雑談をしていたクラスメイトが無言になったこと。

 二つ。誰も目を合わせようとしないこと。

 三つ。席に座れば、その周りに壁が発生したように誰も近づいてこないこと。


 誰も関わろうとしない。それどころか関係を断ち、目をつけられないようにしているのは間違いないだろう……。

(はあ……。心にくるなぁ、これは。元凶を作ったベレト君はなんで平気だったんだか……)

 理解できない。それだけは言える。

 これからは迷惑をかけないように静かに過ごす。そして、悪い噂の沈静化を図る。

 そんな目標を持っていた自分だが、今の状況的に自然とそうなってしまうのは考えるまでもなかった。



 ∮    ∮    ∮    ∮



 ベレトが一人、寂しさに打ちひしがれている頃。


「お、おいおい。嘘だろ……。あそこ、あそこ! あのエレナ様がいるぞ」

「お前なあ、そんな期待させるような冗談はよしてくれ」

「いや、本当だって。そこ、そこ!」

「……」

「おぉい。見つけた瞬間見惚れるなよ……」

 学院の正門を抜けた先では、たくさんの注目を浴びている者がいた。


「ん……。今日は遅れちゃったわね」

 校舎に埋め込まれた大きな壁時計を見て呟く彼女の名は、エレナ・ルクレール。

 ベレトと同じ、高等部の3年生。

 彼女を象徴するのは腰まで伸びた明るい紅色の髪。

 紫の瞳はシャープで、筋の整った鼻とピンク色の薄い唇。細い首には黒のチョーカーを巻いている。


 彼女は上流階級と呼ばれる伯爵家の娘でありながら、その位を笠に着ることなく、多くの人間から慕われ、多くの信頼を得ている。

 容姿端麗で人格も良い彼女は、今日もまた羨望の視線を浴びながら校舎に入り、教室クラスルームに向けて歩いていく。


 ——そんな時だった。

 友達を視界に入れたエレナは紫の瞳を大きくして、声をかける。


「あら、ごきげんようシア。偶然ね」

「あっ! おはようございます、エレナ様っ」

 そう。その友達こそベレトの侍女。

 エレナは笑顔を浮かべて挨拶し、シアは洗った手をハンカチで拭きながらパタパタと駆け寄っていく。

 侯爵家の従女と伯爵家の娘。一見なんの繋がりもないかと思われるが、学園外で行われる貴族のイベント……晩餐会などでは絶対と言っていいほど顔合わせをする間柄。

 純粋なシアと立場を気にしない彼女は相性がよく、お互いに気を許しているのだ。


「本日は少しゆっくり目のご登校なんですねっ」

「ええ。実は弟の悩みごとに付き合っていたの。それでこの時間に」

「あー、そうだったんですか。私もいつかエレナ様みたいに頼られるようになりたいなぁ……なんて……」

「もうなにを言っているのよ。あなたは毎日のように頼られているじゃない」

「そ、そそそそんなことないですよ!? まだまだ全然です」

 小さな手を振って全力で否定している。そんな一生懸命なシアの反応を見るエレナは上品に口に手を当てて、面白おかしそうに瞳を細めた。


「ふふっ、あなたとお話すると本当元気がもらえるわ。シアがちょうどよくお花摘み、、、、に出かけてくれたこと感謝しておかなきゃ」

「なっ!? えっ? なんでそのことを……」

「だってこっちの方向はお手洗いだし、ハンカチで手を拭いているじゃない」

「ぁ……」

 普段からかわれ役のシアだが、恥ずかしい話題への防御力は紙レベルなのだ。

 ニコニコ嬉しそうにしていた顔は真っ赤に染まり、ハンカチを慌ててポケットに入れ込み、証拠を隠滅した。


「も、もうぅ……。廊下でそんなこと言わないでくださいっ……。男の人に聞かれたらどうするんですかっ」

「ふふ、ごめんなさいね。珍しかったからつい。しっかり者のあなたが手を拭きながら歩いているんだもの。なにかあったの?」

「っ、はい。実は今朝とてもいいことがあって、上の空になってしまって……」

「えっ? 手を拭くことを忘れてしまうくらい上の空になるって相当嬉しいことがあったのね?」

「そ、そうなんですっ」

 青の瞳をキラキラ輝かせて即答するシア。


「なんだか聞いてほしそうな顔をしてるわね。いいわよ」

「ありがとうございます!」

 まるで妹の世話を焼くように姿勢を少し落とすエレナは聞く姿勢に入り、シアは話す。


「あのですねっ、あのですねっ、今朝のことなんですけど、ベレト様が私のことを褒めてくれたんです!! 『よく頑張ってくれてる』とか、『いつもありがとう』とかっ」

「え?」

「今まで頑張ってよかったって思えました。思い返してみたら本当に嬉しくなって……。えへへ」

 両手を頬に当て、なんとも幸せそうに顔を緩ませているシア。

 今まで労われることも、褒められることもなかったのだ。

 この反動が相当なものになるのは自然なことで、舞い上がってしまうのも無理ないこと。


「ちょっと待ってシア。もう一度確認させて。ベレトが……褒めたの? あのベレトが?」

「はいっ! 頑張ったご褒美に、とのことでお昼休みも自由に変更になったんです」

「……んん?」

 ベレトの悪い噂はエレナにも当然届いている。

 だが、侍女のシアが全部ひるがえしているのだ。満面の笑顔を作って。


「あ、それだけじゃないんです。情けないお話になってしまうんですけど、私のミスでベレト様が大事にしていたカップを割ってしまって……」

「そ、それでどうなったの?」

「ベレト様は私が指を切らないように代わりに割れた破片を拾ってくださいました。『自分が割ったことにするから』って私を庇ってもくださって」

「……」

「な、なんだか思い返すとドキッとしてしまいます……」

「…………」


 ボソリと熱が入ったシアの声を聞き、エレナはとうとう頭が一杯一杯になる。

 今までの素行との矛盾。情報量の多さ。

 整理が間に合わなくなる。


(い、一体なにが起こっているの……。ベレトは一体なにを考えているの?)

 シアが話したこの件は、彼女にとって大きな疑念を生む結果となっていた。

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