第95話 恋人になったシア

 カーテンの隙間から朝日が差す時間。

「んー。んああ゛ー……」

 その光が目覚ましとなるように、重苦しい声を漏らして重たい瞼を開けたベレトは、途端に見る。


「……ぁえ?」

「っ!?」

 寝ぼけた視界にドアップで映るのは、可愛らしい顔から驚いた表情。

 ここは寝室。入ってくる相手は限られている。

 こちらを覗き込んでいたその小さな人物に声をかけるのだ。


「シア?」

「は、はい! お、おおおおおおはようございますっ!」

「うん、おはよー……」

 あわあわとした声が大きくなって幼い顔が離れていく一方、目を擦りながらベッドから上半身を起こす。


「ふぁあ〜。よく寝たぁ……」

「そ、そうですねっ。と、とても気持ちよくお眠りされていました!」

「あ、あはは……。だらしないところ見られちゃったなぁ……」

 寝起きでぽわぽわとしているベレトである。

 寝癖を立たせたままへらと恥ずかしそうに笑う中、シアはそわそわしていた。頬を赤らめてもいた。


「ありがとうね。俺を起こそうとしてくれて」

「い、いえっ!」

「ん? ——ってことは寝坊!?」

 今までシアが起こしてくる前に起床していたベレトなのだ。

 ヒヤッとした感覚に襲われた瞬間、意識がハッキリする。

 首が折れそうな勢いで時計を確認すれば、普段よりも少し早い起床になっていた。


「あれ? 今日はなにか予定が入ってたっけ?」

「あ、あの……が、学園だけです」

「学園での用事も特になかったよね?」

「は、はい」

「……うん?」

「……」

 首を傾げるベレトと、冷や汗を浮かべるシア。

 専属侍女としての矜持があるからこそ、(追い込まれることがわかっていても)正直に答えるのだが——ベレトからすれば当然疑問に思うこと。


「えっと……どしたの?」

 急ぎの予定があったわけでもなく、寝坊するような時間でもなく、寝室に立っていたシアなのだ。

 なにか理由がなければ、こんなことをするはずがない。


「ベレト様……! ひ、一つだけ弁明させてくださいっ」

「ほう?」

「わ、私は決してベレト様のお眠りを妨げようとしたわけではなく……!!」

「ははっ、それはわかってるよ。起こそうとしてくれたんでしょ?」

「本当に申し訳ありませんっ! そのようなわけでもなく!!」

「そうなの!?」

 予定が入っていないのに起こそうとした理由。

 これを疑問に思っていたベレトだが、この前提が違うとなれば、もう何もかもわからなくなってしまう。


「あ、あの……ですね。その……ですね……」

「自分のタイミングで大丈夫だから」

 もじもじとして本当に言いづらそうにしている。優しい言葉をかければ、シアは目を伏せながらボソリと言った。


「ベレト様のお寝顔を……拝見しておりました……」

「へ?」

「も、もちろん今までこのような不埒な行いはしておりませんっ! ですが……エレナ様やルーナ様と同じように、私もベレト様の恋人様になることが……できましたから……」

「な、なるほどね……?」

「はい……」

 照れ隠しをするように頬を掻くベレトと、顔を真っ赤にするシア。

 一昨日の晩餐会を終え、帰宅した後。シアとそのようなお話をしたのだ。

 口にした通り、今はもうベレトの恋人。

 それを再確認する話題だからこそ、お互い気恥ずかしさに包まれる。



「ちなみにだけど、昨日は同じことしてないよね? 今日が初めてだよね?」

「……」

「なにその無言」

「して……しまいました」

 手で顔を覆いながら弱々しく白状するシア。


「ほんの少しだけ……ベレト様とご一緒したくなってしまって……」

「ほ、ほう……」

 こんなことを言われるだなんて予想もしていなかったベレトは、顔に熱がこもってくる。


「それで俺が恥ずかしくなることをしてきたんだ。寝顔を凝視するっていう」

「ぎ、ぎぎぎぎ凝視ではなくほんのりです!」

「ふうん」

 目が泳いでいる。凝視を言い換えただけだと確信できる反応である。

 実際、シアと初対面の相手でも同じことを思うだろう。


「まあどちらにしても恥ずかしい思いをしました。主人は。これはフェアじゃないです」

「っ! 本当に申し訳ありませんっ」

 ですます口調を使ったことで本気で言っていることが伝わったのだろう、大きく頭を下げるシア。

 もちろんベレトは怒っているわけではない。


「ってことで、今からフェアにします」

「えっ!?」

「はい……。こっち来る」

 ベッドから立ち上がり、広げるようにして両手を前に出すベレト。


 羞恥からどうしてもぶっきらぼうになってしまう男だが、義務感や雰囲気に流されてシアと恋人になったわけではない。

 その想いがあるからこそ、口実を使ってもこうしたくなるのだ。

 恋人らしいことはまだ全然できてもいないのだから。


「ほら、早く」

「よ、よろしいのですかっ!?」

「恋人なんだから遠慮しないの」

「は、はいっ!」

 今日一番元気な声を出すシアは、表情をキラキラさせながら、両手を広げて飛び込んでくる。

 すっぽりと腕の中に入る小さな体。甘い匂いが漂ってくる。

 そんな彼女は背中に腕を回してぎゅっと抱きしめてくる。


 今までにこんなことはできなかった。


「シア、一応言っておくけど学園の中じゃいつも通りにお願いね」

「あの……二人きりの時は……構いませんか」

「う、うん。二人きりなら」

「ありがとうございます……」

 胸に頬ずりをしながらお礼を言ってくるシア。


「そ、それじゃあそろそろ離れよっか。恥ずかしくなってきたよ……。あはは……」

「あと少しだけ……抱きしめてほしいです……。まだフェアになっておりませんから……」

「も、もう……」

 ぎゅーっと体を寄せて離さまいとするシアの行動とおねだりに、もう降参してしまうベレト。


 甘やせば甘やかすだけこちらが自滅してしまう。そんな教訓を覚えた日でもあった。

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