第83話 晩餐会⑰
晩餐会場から少し離れた広い廊下の端で。
「……それにしても、唐突でしたね。『アリア様がどのような喉のケアをされているのか』との促しは」
「あ、あはは。本当にすみません。説得力がないのは申し訳ないんですが、変な狙いがあったわけではなく……」
「構いませんよ。私が考えるに、なにかキッカケがあったからこそのものだと思うのですが、どうでしょうか」
『仮にそうならば、二人でお話した方が好ましいですからね』と付け加えたサーニャ。
(本当、少しの言葉でここまで察しているのは凄いよな……。アリア様からはなにも聞いてないはずなのに……)
優秀なシアがするような立ち回りだと思ってしまうほど。
「え、えっと……キッカケがあったわけでもないと言いますか……」
「ほう。では、そのようにしておきましょうか。なにやら隠したい都合があるようですし」
最大限の演技をしたのにも拘らず、まるで本心を見透かした発言をされる。
だが、こうバレてしまうのは不思議なことではないだろう。
なにかしらの理由がなければ、こんな質問がされるわけがないのだから。
「と、本題に戻りましょうか。アリア様がどのような喉のケアをされているのか、ですよね」
「はい」
「ごく一般的な方法ですよ。お歌いになる前にはウォーミングアップを行うこと。喉を潤すために水分を多く取ること。負担がかかる咳はしないこと。うがいをすること。あとは睡眠を十分に取ることもそうですね」
「それ以外には……ありますか?」
「いえ」
その返事を聞いた時、ベレトは思っていた。
『やっぱりそうなんだ』と。
この世界では一般的なケア。しかし、ベレトがいた科学も技術も医療も発展した世界の人間からするに、それは十分とは言えないケアなのだ。
音楽について詳しくない人間だが、そんな人間でもそう言えることがある。
「あの……」
「『それでも不十分なケアだ』とおっしゃりたいのですね、あなたは。そのお顔を見ればわかります」
「……」
「心配していただいていること感謝申し上げます。……ですから、そのお礼として一つだけ忠告をさせてください」
そんな前置きをしたサーニャは、凛とした態度のまま鋭い視線を向けてきた。
「これからあなたが踏み込もうとしているところは、公爵の領分に関わることです。あなたはセントフォードの名を、侯爵の格を賭ける覚悟はおありですか」
「覚悟……ですか?」
「はい。今現在、アリア様がなさっていることは、正しいケアの方法です。もし、あなたの助言を取り入れたことで悪化するようなことになれば、公爵を含めた多貴族から迫害の圧をかけられることでしょう。無論、アリア様に間違ったケアをさせた私は、命を持って償わなければなりませんが」
「ッ」
こう驚いたのは、迫害をされることではない。
サーニャまでも責任を取らないといけないということ。それも、命を持って……。ベレトは顔を青くしながら確認を取る。
「あ、あの……サーニャさんの命は、自分の命でどうにかなったりできないですか……?」
「ふふ、それほどの自信ですか。……であれば、あなたからケアの内容を聞き、吟味させていただいた上で実行に移させていただきますよ」
「は、はは……」
「念のために言っておきますが、もしもの際には互いにこの世を絶ちましょうか。その責任の取り方であれば、セントフォード家も最悪なことにはならないでしょう。また、二人であれば多少なりに気も楽ですから」
「わ、わかりました」
堂々とした態度で微笑を浮かべるサーニャに、声が震えを必死に抑えて引き攣った笑みを見せるベレト。
もう引くに引けないと理解した瞬間である。
そして、『間違っているはずがないと』と自身を奮い立たせるのだ。
「では、その内容をお教え願えますか」
「はい」
怖がるのはここまでだ。
表情を真剣なものに切り替えたベレトは、一拍を置いてケアの方法を口にするのだ。
濡れたタオルを枕元に置いて、加湿させた方がよいこと。
寝る前には首元を温めるようにした方がよいこと。
紅茶にハチミツを混ぜたものを飲ませた方がよいこと。
この3つを丁寧に。
そして、言い終えた矢先——聞かれてしまうのだ。
「あの、濡れたタオルを枕元に置いて、本当に加湿というものができるのでしょうか。喉を潤すために水分を多く取るようなケアはしているので、空気を湿らせる? のような発想は効果的であるような気はしています」
「お部屋が広い場合は、多めにしなければだとは思いますけど……」
「なるほど、把握しました。では、なぜ首元を温めることで喉のケアができるのでしょうか」
「……」
「そして、なぜハチミツが効果的なのでしょうか。紅茶にハチミツを混ぜるということは一度も聞かないのですが、実際、味としても嗜めるものなのでしょうか? 正直、ミルクを混ぜる以上に邪道なものでは」
「…………」
これは前の世界の知識。その情報がないのなら、簡単に受け入れられるはずがなかった。
(ど、どうしよう。理屈とか全くわからないよ……)
そうすることが効果的だとわかっていても、『なぜ効果的なのか?』について答えられない人はたくさんいるだろう。
ベレトもその一人である。
眉間にシワを寄せ、難しい顔を続けながら頭を回転させること数十秒。
「申し訳ありません。先ほどのことは品位のない質問でした。これを答えてしまえば、あなたの手柄を全て奪ってしまうことになってしまいますね」
「!?」
なぜか、意味のわからないことを言われる。
「お若いだけではなく、身分の高いあなたが命を賭けるほどの自信です。なにかしらのことを行い、確信を得た結果なのでしょう。そして、あなたが口にした情報はまだこの世の情報として流れていないもの。つまり、大きな価値のある情報だと言えますから」
「ど、どうも……」
命を賭けたことで、それだけ大きな信用に繋がったのだろう。納得してくれた。
あの時、命を賭けていなかったら……なんて思うと、別の意味で冷や汗が出てくる。
「えっと……自分はこれを広めるつもりはないので、もし効果が出たのなら、その情報はお譲りしますよ」
(こんな情報を持っていても、どうして効くのかって理由には答えられないし……)
それが本音である。
『答えられないことをどうして知っているのか?』なんて疑問を持たれたのなら、自身の状態について誤魔化しのしようもない。
「……あなたのことを疑うつもりはなに一つありませんが、うまい話にはウラがあるとはよく言います。正直にお答えいただても?」
「もちろんです。と言っても、私情ばかり入ったものなんですけど、アリア様のお歌をこの先聴けなくなるのは本当に嫌なことだと感じまして。本日はそう思えたほどに魅力的な時間を過ごさせていただきました」
お世辞だと思われないように、笑顔を作る。
(力になりたいけど、俺にできるのはこのくらいだから……)
根本的な原因を解決できないのは心苦しいが、あのケアをすることで少しでも楽になってもらえたらと、強く思う。
「なるほど。やはり、あなたでしたか」
「えっ?」
「まるでアリア様の事情を正確に知っているような口ぶりですね」
「あ、ああ……。それは勘ですよ。大変なスケジュールをこなされていることは予想がつきますから、喉を痛められる日もあるんじゃないかなって」
あの、暗闇の中で交わした出来事は幻想的なもの。相手もひっそりと記憶のうちに止めることだろう。
そうして、キリもよいところ。
『長々とすみませんでした』なんて言葉で切り上げようとしたその時だった。
「……おっしゃる通りです。不甲斐ないですよ、本当に」
「えっ?」
ベレトは気付かずに言っていた。サーニャに対して無自覚な皮肉を。
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