第8話 ジャイルズ・バンクロフト(下)
入室を許可すると、執事頭のダルトンが手紙を持って入ってきた。
「ご歓談中失礼いたします。ご婦人がいらして、こちらを若様にお読みいただきたい、と」
「ご婦人?」
伯爵家の嫡子に、隙あらば接触を試みようとする女性は多い。
辟易したジャイルズは、アポイントなしの客はいちいち自分に伺わずに断るよう厳命している。
今日、ほかに面会予定はないことは使用人たちも承知のはずだ。
訝し気にする主に万事承知といった様子で、古参の使用人はトレイに載せた二通の封筒を差し出してくる。
「お約束はございませんが、タルボット卿のお書きになった身元保証書をお持ちでしたので、念のためお取次を」
「なんだって?」
タルボット卿は前宰相だ。昨年、年齢を理由に引退したが、いまだ王宮への影響力は強い。
敵に回していい相手ではなく、また、癖の強い人物でもあると、父である伯爵の口からも何度もその名前を聞くほどだ。
その彼の書状を持参とあれば、たしかに持ってきたのが若い令嬢だろうと、面会予約の有無だろうと二の次で間違っていない。
「いらしたのは、クレイバーン男爵令嬢フィオナ様と名乗っておられます」
「クレイバーン……名前は知っているが」
歴史はあるがそれだけで、特に目立つ所のない男爵家だ。
王都よりも領地にいる時間のほうが長い朴直なタイプで、要職には就いておらず、伯爵家とはこれまで縁がない。
ジャイルズが知っているのは現当主の顔と、領地が局地的な豪雨で被害を受けたということ程度。
男爵本人が父の伯爵に面会を望むのであれば、なにかしらの助成か口添えが目的と考えられるが、令嬢がジャイルズに、となると話は別だ。
リチャードを見れば、顎に手を当てて考え込んでいる。
「いや、俺も会ったことはない。けど、んー、確か娘は二人いた」
「リックは本当によく知っているな」
「一人はまだデビュー前で……そうか、もしかしたら……」
なにやら黙り込んでしまったリチャードを脇に、用件は、と問えばダルトンは心得たように頷いた。
「お人探しをしていらっしゃるそうです。こちらをお読みいただきたいと」
「ああ、なるほど」
人探しと聞いて納得した。
伯爵家の広い交友範囲を期待して、そういった依頼や相談を受けるのは珍しいことではない。
母ではなく自分に来たところを見ると、探す相手は男なのだろうと予想もできる。
(人探しか。しかし今は)
正直なところ、快く他人の手助けをする気分ではない。
だが「何かを探す」同士の連帯感だろうか。即座に断りの言葉も出てこなかった。
顔を上げると、先に紹介状を手に取っていたリチャードと目が合った。
「大丈夫、この書状は本物だよ。タルボット卿の紹介を門前払いもできないだろう、とりあえずそっちの手紙を読んでみたら?」
紹介状は偽造ではないと請け合って、リチャードはひらひらと封筒を振る。
それもそうだと、ジャイルズは手紙を開いた。
「……これは」
装飾のないあっさりとした便箋に書いてあったのは、一行だけ。
その一行にジャイルズの目は釘付けになる。
『夜空のひとつ星の持ち主にお心当たりは?』
――カフリンクスは、黒瑪瑙でできていた。
フェイスの
「おっ、見つかったな!」
ひょいと覗き込んだリチャードが片眉を上げ、ジャイルズの肩をパンと叩く。
「……彼女をここに。いや、私が行く。応接室だな」
「いえ、今は玄関ホールでお待ちに」
「ホール?」
いくら突然の訪問で格下の男爵家とはいえ、前宰相の書状もある女性を玄関で待たせるのはいただけない。
察しの良い執事は、主人の疑問に目を伏せた。
「お招きはしたのです。ですが、若様が手紙の内容に心当たりがなければ、お会いせずにそのまま失礼するから、と仰いまして」
ジャイルズ・バンクロフトではなく、カフリンクスの持ち主にのみ用がある――そう言われたこともまた、ジャイルズは意外に思った。
「分かった。では、二階の応接室に通す」
「かしこまりました」
部屋の支度をするように告げると、執事は慇懃に腰を折って退出した。
「リックも同席してくれないか」
「いいのか?」
「ああ、頼む」
カフリンクスのありかが判明したであろうことにはほっとした。しかし持ってきたのが女性というのは、やはり懸念事項である。
ジャイルズ本人が目的というわけではなさそうに感じられるが、どこまで本心か分からない。
今までにも、興味なさそうにしていた令嬢が態度を急変させたケースは珍しくなかった。
先に応接室で待っていてもらうようリチャードに言うと、ジャイルズは訪問客が待つという玄関ホールへ向かう。
一階へ続く階段に差し掛かると、下からは楽しげな声が聞こえてきた。
「まあ、お嬢様。本当ですか?」
「ええ。三段になっていて、可愛らしい天使がいる噴水があったの。王妃様の小庭園のほうよ」
二階から見下ろすと、伯爵家のお仕着せを着た使用人二人と、地味な色合いのドレス姿の令嬢が笑顔で立ち話をしているのが見えた。
「それでは、あの端にある絵は」
「もしかしたらモデルにしたのかもしれないわね」
「まあ!」
男爵令嬢と使用人ではなく、親しい友人同士のような気さくさで会話が弾んでいる。
この家では父はおろか母も姉も、あのように使用人と親しげに話すことはない。
その上、令嬢の後ろにいる年配の男性従者は、主従というより、まるで孫娘を見守るような表情だ。
珍しいものを見たと思いつつ階段を降り始めると、足音に気付いたメイド二人はバツが悪そうに礼をしてそそくさと退出していった。
使用人を笑顔で見送った令嬢は、階段を降りるジャイルズのほうへ向き直る。
(彼女は、昨夜の)
落ち着いて考えれば予想もできたはずだが、ジャイルズは訪問客が既知の人物だったことに、少なからず驚いた。
だがそれを顔には出さず、彼女の前へ立つと努めて冷静に話しかける。
「ミス・クレイバーンですね。使用人の非礼をお詫びします」
「いいえ、私から話しかけたのです。彼女たちを咎めないでくださいませ」
少しの間、世間話に付き合ってもらったのだと言われてしまうと、了としか返答のしようがない。
「フィオナ・クレイバーンでございます。突然の訪問をお詫びいたします」
昨夜、一瞬だけ抱きとめた彼女は記憶のままの美しい礼をする。
――姿は地味だが、所作が綺麗だと思ったのだ。
もしかしたら、社交界に君臨する母や姉よりも。
そんなことが頭に浮かんで、ジャイルズは小さく首を振った。
「……ジャイルズ・バンクロフトです」
リチャードですら顔を知らない女性。
ジャイルズの紋章など欲しがらないだろう令嬢。
こうして明るい中で見ても、やはり容姿は平凡だ。
衣装を含め、可もなく不可もなくといった言葉がぴったりの、不思議と印象に残らない女性。
(どうして彼女が……いや、考えるまでもない)
転びそうになった、あの時だろう。
偶然の事故か、それとも故意か――探るような視線を向けても、落ち着いた声には戸惑いも含みも感じず、瞳孔にも変化はない。
少しでも後ろめたさがあれば、社交の駆け引きなどに長けていないはずの令嬢がこんなに落ち着いていられるわけがない。
それに、なんといってもジャイルズに向ける視線には、一切の媚びがない。
自分を獲物と見なしていない令嬢と直接言葉を交わすのは、本当に久しぶりだった。
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