第42話 見えないところで
「そう、ルドルフが……」
「だいぶ堪えたみたいでしたよ。まあ、しおらしかったのは一瞬で、店に戻るまでには元通りになりましたけど」
デニスから仕事の手紙や書類を受け取りつつ、与えられた侯爵家の居室でフィオナは昨日の話を聞いていた。
歌劇場でジャイルズと別れた後。
二人の侯爵夫人に連れられてあちこちへ顔を出していた間に、デニスはゴードンの店に客として潜入していたという。
店頭に出されていた絵のほぼ全部がルドルフが描いた贋作だったと聞いて、言葉を失くしたのはついさっきだ。
(絵を軽蔑しているように見えたけれど、本当にどうでもよかったのね)
ゴードンが絵にも画家にも一片の敬意すら払っていないと感じたのは、間違いではなかったようだ。
絵画を資産の一部として金銭に置き換えてしか見ない人もいるが、それですらなかった。
しかし、フィオナの胸には違和感が残る。
(……詐欺師の手腕といえばその通りだろうけれど)
模写ではない贋作を作らせるのだって、的確に構図や主題を選んだりと、それなりの知識がなければできることではない。
絵をないがしろにするわりに、ゴードンはしっかり研究している。
普通、嫌いなものにそこまでするだろうか。
(やっていることも、なんだかちぐはぐなのよね)
贋作を見破られた詐欺師本人が身を隠すのは、まあ普通だろう。
だというのに、店はたたまずに開けている。
従業員が勝手に営業するわけはないだろうから、オーナーであるゴードンの指示のはずだ。
連絡の元を辿られれば、自分の居場所も知られる危険があると分かるだろうに。
(それに、運任せにし過ぎている気もする……やっぱり、変)
好みに合った絵を売り込んでも、買うとは限らない。
実際、文書が仕込まれた絵を購入したのは数人だった。もしかしたら、全て空振りに終わる可能性だってあったはずだ。
ゴードンがルドルフを連れてきたのは半年前だと聞いた。
時間と手間をかけて綿密な準備をする一方で、実際の行動は投げやり。その不統一感は、どこか収まりが悪い。
(なのに、私のことをあんな目で見るし。結局、あの人はなにがしたいんだろう……)
贋作を見破ったフィオナに向けた目を、ハンスは「恨みがましい目つき」と言ったが、恨みというより憎しみがこもっていたように思う。
しかも、絵を売りつけた目的が金ではなく、王位継承をめぐる派閥の勢力争いにあるらしいときた。
結局、ゴードンの本意がどこにあるのか、よく分からない。
その不透明さをジャイルズやロッシュも不安に思うから、フィオナをこうして安全な場所に置いておきたがるのだろう。
正直なところ、守られているだけというのは性に合わない。
でも、じゃあどうすればというと、貴族議員でもなく、贋作は見破れても罪に問える立場でもないフィオナにはさしたることもできないのが現実だ。
(せめて足手まといにならずに、できることを探さないと)
とはいえ、昨日の社交場で出会った人達との会話の中で、それとなく贋作に注意するよう告げることくらいしかできていないが。
「フィオナさん?」
「あ、うん。ゴードンの店にあの子を連れて行ったなんて、ってちょっと驚いて」
「はい。ほんとに大胆ですよねえ」
少し考え込んでしまっていたらデニスに気遣われてしまった。
デニスが苦笑しつつ言うには、ルドルフの同行を指示したのはジャイルズだということだ。
たしかに、ゴードンの店の現状を確認し、贋作のありかを調べるには、店に連れて行くのが手っ取り早いだろう。
しかし顔を覚えている者がいないとも限らない。思い切ったことをする。
「ローウェル卿らしいですよね。けっこう攻めるんですよ、あの人。無茶はしないですが、徹底しているというか」
「徹底……」
「やるならとことん、みたいなところありますよね。まあ、昔からですけど」
「ああ、そうかも」
フィオナとしている恋人のフリに関しても、それは言えると思う。
受け取った書類の束を持つ自分の手に光る指輪が目に入る――急に歌劇場でのことがぶわりと蘇って、慌ててその輝く貴石から目を逸らした。
(な、なし! あれは、なかったことに!)
どうも、時間をおいたことで変に記憶が熟成された気がする。直後だった昨日より、やけに動揺してしまう。
(やだ、もう。落ち着かないと……)
「あれ? フィオナさん顔が赤、」
「デ、デニスはジャイルズ様のこと、よく知っているのね?」
熱を持ち始める頬を隠すように書類を持ち上げて、少し訝しそうにするデニスに逆に尋ねる。
「ギャラリーで会ったのが初めてだと聞いていたけれど、もしかして前から知り合いだったりする?」
「え、……あれっ。え、えーと、あのその、あっ、ほらやっぱり有名人ですし!?」
「ふうん?」
「フィオナさん……」
揶揄うように言えば、気まずそうにしょんぼりとされてしまった。
挙動不審になったのをごまかすためとはいえ、悪いことをしたかもしれない。
だが、確かめておきたいことがあったのも本当だ。
「ちょっと、申し訳ないなあって」
「……なにがですか?」
「デニスは、私の護衛役をしてくれていたのでしょう?」
「えっ」
「私には気づかれないように、って口止めされたのじゃないかなと思うのだけど」
フィオナがそう言えば、デニスはぱしんと自分の額を叩いた。
「……いつから、バレていましたか?」
「ええと、たぶん最初から?」
「うわ、マジですか」
ずーん、と音がしそうに項垂れてしまったデニスには申し訳ないが、フィオナはこらえきれずにくすくすと笑ってしまった。
「ごめんね、だってあんまりタイミングが良すぎて」
「あー……ですよねえ」
護衛がどうのとか、身の回りの安全が、と口うるさく言われている最中に、ずっと決まらなかった事務員の採用だ。しかも軍隊卒。
気づかないほうがおかしいと思う。
「知られたくないようだったから黙っていたんだけど」
「すみません。今の、僕が抜かりました。……でもフィオナさん、あの方達は決して、」
「分かってる。私のためにしてくれていたんでしょう? でもそうするっていうことは、実際になにかあったのじゃない?」
にこりと笑って尋ねると、デニスはふう、と息を吐いて降参したように両手を上げた。
「……はい。ゴードンの動向もそうですが、実際、フィオナさんによからぬことを企む者がいました」
「そうなの?」
(うそ、知らなかった!?)
目を丸くしながらもフィオナが先を促せば、渋々ながらデニスは打ち明けた。
「妙な手紙とか、あとは待ち伏せとかですね」
「ああ……それでハンスが郵便を出しに行ってくれるようになったり、デニスが銀行に行ってくれたり」
足の怪我が治った後もお使いに行かせてもらえなくなったのは、そういった理由だったのかと、フィオナは大いに納得した。
「はい。あとは雇われたらしい男たちが数人、画廊の近くをうろついていることもありました」
「やだ、営業妨害!」
「道向こうの路地でしたから客の出入りには問題ない――って、気にするのそこですかっ?」
そんな状況なら、ルドルフを追って駆け出したフィオナのことをジャイルズがあれだけ心配したのも仕方ない。
知らなかったとはいえ、護衛対象がしていい行動ではない。今更ながらに申し訳ない気持ちになる。
「だって、お客様に被害は?」
「ありません、大丈夫です。っていうか、ご自分のことを心配してください」
「えっと、あの、はい」
キリッと窘められて肩を竦めて小さくなるフィオナに、デニスはもう一度ため息をついた。
「いちいち捕まえて、しかるべき対応はしましたので。最近は諦めたのか、ほとんど見なくなりました。オーナーが手を回して、あの辺の店主連盟で自警団もできましたからね。最近じゃ、城下でベイストリートが一番治安がいいって評判ですよ」
「あら」
噂が定着し、フィオナとジャイルズが一緒にいるのも見慣れるようになると、嫌がらせの手紙も待ち伏せも、かなり減ったのだという。
しかも自警団までできていた。
フィオナが店の奥から出してもらえないでいる間に、表は変わっていたらしい。
はあ、と感心しつつ、椅子にすとんと腰掛けて聞き入るフィオナに、デニスは立ったまま器用に上目遣いになる。
「あの、予想と違うんですが。怖がらないんですね?」
「ジャイルズ様と関わるなら嫌がらせくらいはあるだろうな、って覚悟していたから」
むしろ、なんで無いのだろうと思っていたくらいだ。
パーティーで睨まれたり、すれ違いざまに悪口を言われたりはしたが、逆に言えばその程度。
平和に過ごせていたのは、陰で守られていたからだった。
「あの、デニス……ありがとう」
真っすぐ目を合わせて心から言うと、デニスは不意をつかれたように息を呑んで、一瞬の後に顔を赤くした。
「……肝が据わっているというか……伯爵夫人になっても大丈夫そうだし、フリなんかやめてこのまま……」
「え、なあに?」
もごもごと口の中で言われてよく聞き取れなかった。
聞き返せば、デニスはあわてて両手を前でぶんぶんと振る。
「な、なんでもないです! ええっと、なんの話でしたっけ、そう、ルドルフ! ルドルフなら、連れ出してもバレる心配はないですよ」
なにやら必死に話題を変えられてしまったが、聞きたいことをある程度聞けたフィオナはそのままデニスの話に乗ることにした。
「じゃぶじゃぶ洗ったらすっかりきれいになって、別人みたいになりましたから」
「そんな、まるで洗濯物みたいに……そんなに変わったの?」
「ええ。藁みたいな髪でしたけど、実はラッセル卿並みの金髪でしたし。いいトコのお坊ちゃん風になって、もう別人だろってくらいです」
どんなだろう、とフィオナも頭の中でルドルフをじゃぶじゃぶ洗ってみる。
顔立ちそのものはわりと整っていたように思うが、印象に残っているのはこちらを睨みつける大きな目とボサボサの頭、暴れながら二階に連れて行かれる後姿だ。
うーん、と空を見つめるフィオナを、デニスはしげしげと眺めた。
「でもまあ、フィオナさんもすごく見違えましたよね」
「私?」
「すっごく綺麗でびっくりしましたよ。あ、前が綺麗じゃないっていう意味じゃあないですからね!」
フィオナは今朝もやはり侯爵家のメイドたちにあれこれと世話を焼かれ、ばっちり身支度を整えられてしまっていた。
今日こそは書類仕事に精を出そうと思っていたからラクな服装でよかったのだが、昨日に引き続きぎゅうぎゅうコルセットでしゃらりとしたドレス姿である。
自分でさえ、今の自分に慣れていない。
だから外見に関しては触れないでほしいと思うのに、デニスがにこにこと褒めてくるから居たたまれない。
「もとがいいから磨きがいがあるでしょうねえ」
「デ、デニス。からかわないで」
「いえいえ。僕はお世辞は言いますが、嘘はつけないタイプなので」
「ええ、なにそれ」
デニスに真顔で返されて笑ってしまいながら、そのままルドルフの話に戻す。
「それで、ルドルフはどうしているの?」
「今は店の奥で小間使いをさせています。もう絵の腕を確かめる必要もないですし、さすがに昨日の今日で何か描く気分でもないでしょうからね」
「そう……少しは気が紛れるといいけれど」
「大丈夫ですって。逃げだすつもりもないようで、オーナーにしっかり給金も要求していましたよ」
たくましいですよね、とデニスは苦笑する。
ルドルフのことを話すデニスの声や顔には、親しみが滲んでいる。それになんとも言えず、ほっとした。
「まあ、でも。自分が描いた贋作を買った人がいるんじゃないかってことは、気にしていました」
「ああ、それは……」
できることなら、今すぐにでもアカデミーの査察官と警察を向かわせて、店を営業停止にしてしまいたい。
だが、店員は詐欺の事実を知らず、まさか自分たちが売っているのが贋作だとは思ってもいない。
全貌を解明できずに首謀者不在のまま幕引きとなれば、ゴードンはきっと逃げた先で同じことを繰り返す。
先の犯罪を防ぐためには今を見逃すしかなくて、そんな現状に地団駄を踏みたくなる。
(せめて、買ってしまった人に返金できればいいけれど)
ゴードンは、アフターケアなどするつもりはないだろう。
顧客情報を残しているかどうかも正直あやしくて、フィオナはまた思案する。
ルドルフをあっさり手放したのだから、もとから使い捨てる気でいたに違いない。
だとすると、詐欺の範囲は絵画だけではないのかもしれない。それなら余計に、ゴードンの身柄の確保は必須だ。
「あ、そういえば、ジュスティーヌ・ポアレっていう画家は知っていますか?」
「ポアレ……宮廷画家の?」
「そうです! すごいなあ、やっぱり知ってるんですね。オーナーにも言いましたけど、その人の絵がゴードンの店にあったんですよ」
その一枚だけが、ルドルフが描いたものではなかったそうだ。
(贋作の中に、ただ一枚の「本物」らしき絵、ね。なにか意味がありそうだけど……)
さらに考え込むフィオナに、デニスは明るく話しかける。
「ローウェル卿のほうでも何か掴んだみたいですから、もう少しの辛抱ですよ」
「え、そうなの? よかった……!」
「僕もまだ詳しくは……あれ、フィオナさんが聞いていないってことは、昨日は来ていないんですか? 毎日だって通ってそうですけれど」
「そ、そんなわけないでしょう」
きょとんとした顔でさらりと言われて、どきりとフィオナの胸が弾む。
確かに、ここに泊った初日は夜中だというのに来てくれたし、翌日は忙しいなか歌劇場まで駆けつけてくれた。
(すぐ眠っちゃうくらい疲れてたのに……って、もう、なし! あれは無かったの!)
いろいろと付随して思い出してしまうから、なるべく考えないようにしていたのに。
慌ててフィオナは意識を今に戻す。
「じゃあきっと、これからいらっしゃるんでしょう。っと、頼まれた書類はそれで全部です。足りないものはありますか?」
「あ、ううん、大丈夫」
暇を告げたデニスを見送ろうと立ち上がったとき、薄く開けていた扉をノックして侯爵家の使用人が顔を出した。
「失礼します。ローウェル卿がお見えです」
(こ、このタイミングでっ?)
告げられた名に、どきんとフィオナの胸が騒ぐ。
勝ち誇るようににやりと笑うデニスを、思わず恨めしそうに睨んでしまった。
「言った通りでしたね。じゃあ、僕はこれで」
「え、やだ待って」
「え?」
(だって、無理!)
なかったことにしたはずなのに、さっきから何度も思い出してしまって、とても平常心ではいられない。
せめて誰かもう一人いてくれたら、と咄嗟に思ったのはおかしくないはずだ。
自然と手が動いて、カバンを持つデニスの袖口を引き摘まむ。
「あの、もうちょっとだけ……いてくれたらなあ、って」
「ええっ、ちょ、フィオナさんっ?」
「デニス、お願い」
「え、ヤバいですって! マズいです、うわあ」
「……なにをしている?」
部屋が、急に寒くなった気がした。
袖口をしっかりと握って離さないフィオナと距離を取ろうとしたのだろう、肩に置かれていたデニスの手が、弾かれたように高く上がった。
まるで片手でホールドアップをしているようだ、とフィオナはぼんやり眺める。
「す、すみません、少佐! バレました!」
「は? おい、デニス」
「お叱りは後で! 失礼しますーー!」
ひょい、と袖口からフィオナの指を解いて、デニスは風のように出て行ってしまった。
ぽかんと見送っていると、縋るように差し出したままだった手を、ぎゅっと握られて我に返る。
見上げれば、なんとも言い難い表情で見下ろすジャイルズと目が合った。
「……フィオナ」
自分の名を呼ぶ声が、いつもと違って聞こえたのは気のせいではないと思う。
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