第41話 本物と偽物
「な、なんでこんなカッコしなきゃならないんだよ!?」
「なかなか似合っているねえ」
「思ってもいないこと言うなっ」
ゴードンの店を探るように言われたデニスは、急ぎ古着屋で服を見繕い、同行するルドルフを着替えさせた。
言動は粗野だがルドルフの顔立ちは整っている。
白いフリルシャツに刺繍付きのベスト、トラウザーズを身につけると、それなりの家の子どもに見えた。
着慣れない服にそわそわと身体を揺らす少年を、ロッシュは愉快そうに褒めちぎっている。
「王都育ちの――とまでは言えないけれど、地方の準男爵子息のお忍び姿といったところかな」
「んだよ、それ……」
洗って綺麗になった輝く金髪に櫛を入れ、身綺麗な服を着たルドルフは、昨日までの彼とはすっかり別人だ。
よほど親しい者でも、ぱっと見では気づかないだろう。
「お前の顔を覚えている奴と会わないとも限らないだろ、念のための変装だよ。また地下室に戻りたいか?」
ロッシュの評価に顔をしかめたルドルフだが、デニスの説明には納得したらしい。むすりとしながらも「分かった」とボソッと呟いた。
「ほら行くぞ。逃げようなんて思うなよ」
「こんな恥ずかしいカッコさせられたままで逃げねえよっ」
「似合うのに」
「う、うるせえっ」
「向こうの店に着いたらその口は閉じておけ」
「分かってるって!」
デニスとロッシュから交互に言われながら、ギャラリーを出る。
ゴードンの画廊までは、多少距離があるが馬車に乗るほどではない。ぽんぽんと軽口の応酬をしつつ、デニスとルドルフは王都の街を歩いて向かう。
ロッシュの店がある通りを離れると、次第に庶民的な店が増えてくる。ロウストリートに入れば、目指す店は間もなくだ。
「いいか、お前は地方のちょっといいとこの坊ちゃん。俺はこっちで働いてるイトコな。王都見学の案内中だ」
「お、おう」
生まれて初めて履いたピカピカの革靴で、王都の街並みを所在なさげに歩くルドルフに、デニスは言い聞かせる。
自分たちに課せられた使命は、言うなれば敵情視察である。こちらの身元がバレないように、念には念を入れたほうがいい。
「それでルド……ああ、ルドルフって呼ぶとマズいか。んー、お前は今だけルーファスだ。僕のことはディーンと」
「はぁ、ディーン?」
「ディーン兄さんでもいいぞ」
「だ、誰が!」
「なんだ、照れるなよ」
軽い笑い声を上げれば、ルドルフのそばかすの散った白い頬が赤く染まった。
――世間ずれしているが、半年前に唯一の身内ともいえる師匠を亡くしたばかりだ。
ゴードンに攫われるように連れてこられ、いいように使われて捨てられたのである。住んでいた村の名前だけは分かるが、帰る手段も、そもそも旅費だって持っていない。
運よく地元に戻ったところで、腕があるとはいえ、主のいなくなった工房を子ども一人でやっていけるはずがなかった。
ゴードンに腹も立っているだろうが、それ以上に今の境遇に不安がないわけがない。いちいち突っかかってくるのは、精一杯の虚勢だろう。
昨日、風呂に入れるまでの大暴れにはさすがのデニスも閉口したが、気持ちは分からなくもない。
頭を撫でてやりたい気になったが、せっかく整えた髪を見て、デニスは代わりにルドルフの背中をぱしんと軽く叩く。
「おし、行くぞ。お前の描いた絵は一枚たりとも見逃すなよ」
「いってえなあ……当たり前だろ」
主張の強い文字で描かれた看板が下がるドアを開けると、中には店員が一人いて中年夫婦の接客をしていた。
こちらに顔を向けた若い男性店員に、デニスは愛想よく微笑む。
「少し見せてもらっても?」
「もちろんです、どうぞごゆっくり」
デニスはジャケットを羽織っただけのラフな恰好だが、本来の男爵子息の顔で振る舞えば、やはりそのように見える。
貴族然とした余裕綽々な態度に物申したそうにしたルドルフだったが、それよりも店内に飾られた絵のほうに気を引かれたらしい。
あまり広くない店内の壁には、スケッチや油絵など種類も様々の絵が十数枚ほど掛けられていた。
画家やジャンルなどは特に決まっていないようで、種々様々なそれを、大きな目を訝しそうに細めて言葉なく眺めている。
「ルーファス。気に入ったのがあればディーン兄さんに言うんだよ」
「……う、うん」
自分が描いた贋作を見つけたら教えろと匂わせたデニスに、ルドルフは戸惑うように頷く。
手近な一枚から始めて、店内をゆっくりと進み始める。
「……これと、これ」
「うん」
「それと、これも」
あくまで自然に店員からは距離を取りつつ歩いて、奥の一枚の絵の前で足を止めた。背を屈ませてルドルフと顔を近づけると、デニスは小声で話しかける。
「……おい、ここまで全部じゃないか」
「そうだよ」
「マジか」
画廊に勤め始めたとはいえ、デニスはまだ絵の良し悪しは分からない。
だが立派な額に入れられて厳かに飾られたそれらが、実は目の前の子どもが描いたものだという事実が俄かには信じられなかった。
「向こうの夫婦は商談中のようだな。あっち側のはどうだ?」
「端の一枚は違うけど、ほかはみんなオレが描いたやつ」
「お前……全部で何枚描いたんだ?」
「いちいち数えてなんかいないし」
口を尖らせるルドルフの返事に、デニスは額を押さえる。贋作があるかどうか確かめてこいと言われたが、むしろ贋作しかない状況である。
「……端の一枚は違うんだな。あれは本物か?」
「知らない。初めて見た」
「――失礼いたします。お気に召すものはございましたか?」
こそこそと話している二人のところに、どこからか別の店員がやってきた。
愛想よく話しかけてきた男性店員に、さっとデニスはよそ行きの顔を作る。
「なかなかいい絵を揃えているようだね」
「恐縮でございます。オーナーが買い付けておりまして」
「ほう、よほど顔が広いとみえる」
なにか言いたそうにしたルドルフの肩を抱き、ちらりと視線で黙るように告げる。
むう、と口を噤んだルドルフに頷いて、デニスは店員に笑顔を向けた。
「全部本物かい?」
「ええ、もちろんです。全て一点ものですから、今を逃すと二度と手に入らない貴重なものですよ」
「なるほどね……あの端にある花の絵は」
「申し訳ありません、あちらだけは非売品でございます」
「おや、そうなのか。近くで見てもいいかな」
どうぞと笑顔で勧める店員と共に、先客の傍を通って端の一枚へ近づく。バラをメインに据えた静物画で、落ち着いた色使いが美しい絵だった。
左隅に小さく書かれたサインを読む。
「ジュスティーヌ・ポアレ?」
「戦前に活躍した隣国出身の女流画家です。一時期、この国で宮廷画家に登用されておりまして、その際に描かれたものでございます」
「売りものじゃないのか」
「こちらはオーナーの私物ですので」
いかにも残念そうに告げると、店員もデニスに合わせて眉を下げて申し訳なさそうに言う。
曰く、敵となった隣国の画家作ということで多くが戦中に処分されてしまい、作品はほとんど残っていないのだそうだ。
「今は知る人も少ない、幻の画家といえましょうか」
店内のほかの絵は、いわゆる有名画家の作品ばかりだ。
そんな中で知名度は低いが希少性が高い絵を一枚だけ店頭に掲げることにどんな効果があるのかよく分からないが、絵画に詳しい人――ロッシュやフィオナなら、興味を引かれるのかもしれないとも思う。
「花の絵がお好みでしたら、あちらはいかがでしょう。もし即決いただけるのなら、価格のほうも……」
営業トークに切り替わった店員の話を流して聞いていると、すぐ近くで迷っている客夫婦の会話も耳に入ってくる。
「あなた。やっぱり値段が」
「いや、だが……」
予算オーバーで迷っているらしい。
中年の純朴そうな夫婦は、服装からいって貴族ではないだろう。店員の態度もデニスたちに対するよりもどこかぞんざいだ。
見ているのは夕日に照らされる町並みを描いた風景画だ。どこにでもあるような田舎の景色だが、はっとするような瞬間を柔らかい筆使いで切り取っている。
まだ絵画に疎いデニスですら、有名画家の絵だとなんとなく分かる特徴的な一枚だ。
ちらりと見下ろすと、この絵を写した張本人のルドルフは、きまり悪そうな顔で思案する夫婦を眺めていた。
「あちらは?」
「何度か通っていらっしゃるご夫婦ですが、なかなかお心が決まらないご様子で」
「……ちなみに、いくらだ」
「百五十です」
「んなっ? そ、んむぐっ」
こっそり伝えられた絵の価格は、中流階級の年収とほぼ同じ。下級の使用人なら十年働いても届かない金額だ。
極限まで目を丸くして叫びそうになったルドルフの口を押さえ、デニスはさも当然といった態度を崩さない。
「まあ、そんなものか」
「小品とはいえランメルトですし。お安いくらいですよ」
本物ならばな、という一言をデニスはぐっと我慢する。
「ご商売をされているそうで、店頭に飾る絵を探していらっしゃるのだと伺っています」
「ああ、なるほど」
有名画家の絵という目玉があれば、行ってみたいと思う者も多いだろう。高価であればあるほど話題にもなりやすい。
だが夫婦の様子から、こういう買い物に慣れているわけでは決してなさそうだ。
何度も足を運んでなおも悩んでいるということは、それこそ、なけなしの貯蓄をはたいて店と自分たちのための「たった一枚」を手に入れようとしているのだと分かる。
「……そんな」
デニスの手が離れたルドルフの口から、我慢しきれなかった言葉が零れる。
模写作品の百倍近くの対価を支払って手に入るのは、ルドルフが描いた贋作だ。
そうしているうちに、不安そうな妻を押しのけるようにして、夫のほうが店員に向き直った。
デニスは分かりやすく焦りを浮かべたルドルフをさっと肘で隠し、店員の視界から外す。
「お決まりになりましたか?」
「あ、ああ。やはりこの絵を買――」
「だっ、ダメだっ」
「おおっと、すみません! これは失礼ーああ、レースが」
耐えきれずに口を開いたルドルフを遮ってさりげなく夫婦の傍を通り、うっかりよろけたふうを装ったデニスが妻にぶつかる。
うまい具合に彼女のショールにジャケットのボタンが引っ掛かって、編み目がつってしまっていた。
「え? あの」
「本当に申し訳ない。お詫びをさせていただかなくては。話し中にすまないね、ではまた今度」
後半は店員に向かって一方的に告げ、デニスは夫婦をぐいぐいと画廊の外へと強引に押し出す。
慌ててついてきたルドルフと四人でゴードンの店から離れると、そのまま婦人用品店の前まで移動した。
「こちらの店で代わりのショールを選んでください」
「あ、あの?」
「それと御主人。あの画廊はやめたほうがいい」
「え」
展開についていけず、ぽかんと口を開けたままの夫婦にデニスは人好きのする笑顔でにこりと微笑んで声を潜める。
「贋作ではなく、ちゃんと本物を売ってくれる店に行くんだな」
「……にっ、偽物?」
「さっきの店には関わらないほうが安全だ。いいね」
さらに声を低くして口外無用だと重ねて告げれば、たじろぐようにしながらも夫婦は何度も首を縦に振った。
カランとベルの音を立ててブティックのドアを開け、寄ってきた店員に耳打ちをする。にこりと微笑む女性店員の後に夫婦を店に押し込むと、何食わぬ顔で歩き始めた。
「これでいいか、ルドルフ?」
「……チッ」
返ってきた小さい舌打ちに苦笑して、デニスは今度こそルドルフの頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
「わっ、な、やめろよ!」
「素直じゃないぞ、お前」
「……んだよ。オレのせいかよ」
うっすら目に涙を浮かべたルドルフは、ほっとしたような、憤るような、複雑な表情だ。
――描けと言われて描いただけだ。
それが何に使われるかなんて知らなかったし、知ろうともしなかった。
今になってこんな場面を見せられても、どうしたらいいかなんて分かるわけがない。
ただ、ぐちゃぐちゃになった胸が痛かった。
「……ちくしょう」
たとえ誰にも気づかれなかったとしても、馬鹿高い金を払ったとしても、あれは偽物だ。本物じゃない。
それがやけに悔しくてもどかしい。
「絵の代金は、硬貨一枚だって元の画家にもお前にも入らない。それに、実は贋作だったとバレれば、今後の売買にも画家の活動にも影響が出る。それがどういうことか分かるか?」
ぎゅっと握りしめた自分の手が、汚れているように感じた。
悪いのはゴードンだ。だが、ルドルフの絵がなければ成り立たなかった詐欺なのだ。
「酷だとは思うが、責任の一端はお前にもある」
「……知ってるよ」
「よく考えるんだな」
くしゃくしゃになった髪の上、ぽんと置かれた大きな手に「痛え」と呟いて。
袖口でぐいと目元を擦ると、ロッシュの店に向かって二人で戻ったのだった。
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