第39話 対策会議のようなもの

 馬車を降りた広場から通りに沿って歩くとまもなく、ギャラリー・ロッシュに着く。

 建ち並ぶ他の店と同様に、出入り口の扉の脇には大きなショーウィンドウがある。とはいえ方角的に強い光は差し込まず、絵が傷むことはない。

 厚いガラスが嵌った木の扉で隔てられた画廊の店内は、表の喧騒とは無縁の落ち着いた空間だ。


 ゆったりと並べられた絵画の大きさや価格は様々で、平民でも手が届く物もある。

 良質で趣味の良い調度は極端な貴族趣味には走っておらず、そんなところにもオーナーであるロッシュの手腕が感じられる。


 この短期間ですっかり常連になった店の扉を開けると、控えていた従業員がすっとジャイルズの傍に寄った。


「いらっしゃいませ、ローウェル卿。お連れ様とオーナーはこちらです」


 居合わせた数名の客は、ジャイルズの顔を知っていたようだ。

 有名貴族の登場に静かに驚く彼らの間を縫って奥へと案内される。商談室を通り抜け、いつもの事務室ではなく上階へ向かった。


 従業員が静かにドアを開けて、ジャイルズは二階の自宅部分へ通される。

 リビングの隣、簡易なアトリエになっているその部屋ではロッシュとデニス、それにリチャードの姿があった。


「お、案外早かったな。親父さん、なんだって?」

「リック、それは後で。……本当に描けるんだな」

「ああ。驚きだよ」


 まだ自分でもまとめきれない気持ちを友人にも話せず、ジャイルズは視線を窓辺へ向ける。

 そこでは、大人たちに遠巻きに見られながらルドルフが絵を描いていた。


 昨日話していた通り、本当に彼が贋作の制作者かどうかを確かめている最中のようだ。

 ルドルフはよく眠れたらしい。顔色が良くなっただけではなく、全身から発していた刺々しい空気が今日はなくなっている。

 ボサボサで白茶けていた髪も、昨日ハンスに徹底的に洗われた。

 取り戻した本来の金髪は、服さえそれらしくすればどこかのお坊ちゃんに見えそうなほど輝いている。

 ひたすらに毛を逆立てた猫のようだった昨日とは、まるで別人だ。


 丸椅子に掛けてキャンバスに向かうルドルフの表情は真剣そのもの。

 絵筆を握ると顔つきまで変わるようで、子どもながらも一端の職人という気概が伝わってきた。

 邪魔をしないように静かに後ろに回り、描いている絵を覗く。


(――ベニヒワか)


 ルドルフが描いていたのは、フィオナが一目で贋作と見破った例の絵だった。


 これを描くように指示したのはロッシュだろう。「流通していない新作」と謳った贋作を知る者は他にいないはずだ。

 このギャラリーは本当の作者のレイモンドが絵を託す唯一の画廊でもある。真贋の見分けはお手の物で、自分が描いたと言うルドルフの言葉と腕を確かめる題材として、うってつけだ。

 迷いなく筆を運び続ける手元に、ジャイルズはほう、と感心する。


「いかがでしょうか、ローウェル卿。ゴードンが持ってきたものとよく似ていると、ラッセル卿からは仰っていただけましたが」

「ああ、確かに同じだ」


 まだ描き途中だが、構図も色合いも伯爵家の応接室で見せられたものと一緒だ。これで無関係とするほうが、よほど不自然だろう。

 ジャイルズに質問したロッシュも、タッチや色使いがレイモンドによく似ていると認めた。

 やはり、ルドルフが贋作に関わっているのは間違いない。


(ゴードンへの手掛かりはここからだな)


 改めて方針を決めるジャイルズに、ルドルフは手を止めぬまま自信ありげに口角を上げた。

 結果的に犯罪に手を貸したという事実より、自分の実力を認められて嬉しいという表情だ。


「オレが描いたって信じたか?」

「巧いものだな。描いた絵を全部覚えているのか?」

「んなわけないじゃん。ただ写しただけのやつは、細かいところなんて忘れるさ。でも、これは自分で描いたから。まあ……下絵はゴードンだったけど、色は全部オレだし」

「そうか」

「あれ、アンタ今日はあのお嬢様と一緒じゃないんだ。あっ、フラれたとか? って――うぎゃ!!」


 フィオナのことを持ち出されて、ジャイルズの口元がひくりと動く。ルドルフの両頬を、がっしと摘まんでむぎゅうと最大限引き延ばしたのはデニスだ。


「い、いひゃ、いひゃいっ!」

「オーナー。コイツ、やっぱり沈めてきていいですか?」

「うん、まだダメー」

「チッ。口のきき方に気をつけろよ」


 渋々、ルドルフの頬から手を離すデニスだが、じっとりと睨みつけることは忘れない。すっかり容赦ない間柄になっているようで、昨日からいろいろあったに違いないことが窺える。

 ロッシュが如才なく頭を下げた。


「申し訳ございません、ローウェル卿。あとでしっかり言い聞かせますので」

「彼の身柄をあなたに預けてある以上、私が口を挟むことではない。だが調書を取る場合に備えて、話し方は知っていたほうがいいだろう」

「ごもっともです。ご温情、恐れ入ります」


 ルドルフはといえば、ちぇっなどと軽く舌打ちをしながら赤くなった頬を手の甲でさすっている。

 態度は不遜だが心なしか気まずそうに見えるのは、虚勢を張っているのだと分かる。

 細かなことに目くじらをたてるつもりはないが、誰にでもこの調子では辿る未来が目に浮かぶようだ。

 ルドルフのことを気にかけているフィオナを思うと、それは避けたい。


「俺らと違って、裁判官や補佐官はお堅いヤツが多いからな。殊勝な態度ができたほうがトクだぞ」

「はあ? そんなん……」

「情状酌量を狙うなら演技くらいするんだな。それはそうと、ルドルフ。お前の師匠は前からゴードンと知り合いだったのか?」


 リチャードの質問に、ルドルフは首を横に振る。


「知らね……知らないよ。仕事場に来たのは葬式の日が初めてだけど、もしかしたら酒場や王都で会ってたかもしれないし」


 ロッシュに笑顔で睨まれて少しだけ言葉遣いを改めたルドルフは、師匠の交友関係の全てを把握しているわけではないと答える。

 請け負う仕事には、王都まで来て作業をするものもあった。実質的には戦力だが名目上は見習いのルドルフは、いつも留守番で同行したことはない。

 人付き合いが得意な師匠ではなかったが、自分が知らない知人がいてもおかしくないとルドルフは言う。


 推測で語らず、知らないことは知らないと言うルドルフの証言は、それなりに信じられるだろう。

 ジャイルズは別の可能性を問うことにした。


「では、手紙は」

「ゴードンから? ないよ」

「断言するんだな」

「師匠は字が得意じゃなくて。今から覚える気もないってオレに押し付けてさ、無理やり習わせられたんだ。だから、届いた手紙を読むのも返事を書くのも、オレの仕事だったんだ。少なくとも、ゴードンって名前で手紙が来たことはない」


 その答えには、ジャイルズだけでなくロッシュたちも驚いたようだ。

 周辺諸国に比べるとこの国の識字率は高いが、ルドルフのように幼い頃から働く子どもに関してはそうはいかない。

 文盲まではいかないが、書けてせいぜい自分の名前程度という子が多いのが現実だ。


 技術を叩き込み、文字を習わせ――親方がルドルフを引き取った事情は分からない。だが、彼はこの子どもの将来を思い、目を掛けていたのだろう。


 自分が工房に入るまでは、代筆屋に頼んでいたはずだとルドルフは言う。

 適当な文章を読み上げて紙に書かせてみれば、大人顔負けの流暢な文字でまた皆で目を丸くした。


「お前、いろいろ器用なんだな」

「お貴族様と違って、稼がないと生きてられないんでね」


 感心したように言うデニスに、ルドルフは歳に合わない失笑を浮かべる。片眉を上げたデニスにぐしゃぐしゃと金髪をかき混ぜられて、ぎゃいぎゃいと言い合いを始めた二人をそのままにジャイルズは質問を重ねた。


「貴族からの依頼はどうだ」

「あ? ああ、それはあったよ。うちの師匠は金さえ払ってもらえれば絵が汚れた事情なんか興味ないから。こっそり頼みにくる偉いさんや、お屋敷の使用人が結構いてさ」


 前金で払うなら名前も聞かないという秘匿主義と修復技術の確かさで、有事の際の駆け込み寺としてこっそり認知されていたらしい。

 掃除をしていてうっかり傷をつけてしまったり、保管状況が悪くて傷んでしまった絵を内密に直したいと思う者は、わりといるのだ。


 ゴードンやサックウィル卿も、そういった繋がりから彼らに目をつけたのかもしれないとジャイルズは考える。


「……では、監禁されていた家の場所は分かるか?」

「さあ。ずっと閉じ込められていたし」

「美術館には連れて行かれたんだろう」

「馬車の窓が塞がれてなきゃ、外も見られたんだろうけど」


 ルドルフが周囲を確認できたのは、家の前に横付けにされた馬車に乗り込むほんの数十秒だけだと言う。

 筆を置き、ギャラリーの二階の窓から外を見下ろしてルドルフは呟いた。


「……土の畦道でさ、崩れた塀があった。馬車の向こうに教会の尖塔が見えたな。近くに沼があるせいで、じめっとした風が吹いてて」


 画廊の外は、複数階の建物が立ち並び、石畳はどこまでも続きそうに延びている。

 行き交う着飾った人々、通り過ぎる何台もの馬車。

 ここは、ルドルフの故郷の村にも監禁先にもなかった光景だ。


「周りに家は」

「小屋ならあった」

「教会の尖塔と、塀はどんな感じだ?」

「えー。気をつけて見たわけじゃないから、よく覚えてないってば」


 いいから思い出せとリチャードからまた紙を渡されて、ルドルフは頭を掻きながら渋々ペンを握りなおす。

 描き始めれば記憶が蘇るのか、次第に迷いなく描き進めていった。

 ゴードンに、お前にもう用はないと放り出されたのは王都の美術館の前だったそうだ。そこまでは馬車で連れてこられたという。

 かかった時間から考えて、元いた場所は王都のはずれあたりだろう。


「教会と沼ですか。まあ、小さいものは書かれていないでしょうが……」


 ルドルフへの質問の意図を察したロッシュが地図を広げる。

 王都周辺には複数の教会と、いくつか大きめの水場が確認できた。


「ほら、描いたぞ」

「十字に縦長の菱は正公派の教会だな……この尖塔は壊れていたのか?」

「崩れたりはなかったけど、ステンドグラスが割れたままだった。そういえば、鐘の音って聞かなかったな」

「その家にいる間、一度も?」


 問われてルドルフはコクリと頷く。

 いそいそとジャイルズの手元を覗き込んだリチャードは、ルドルフが描いた絵と返事に合点がいった様子になる。


「放置された教会か」

「……西の狩場近くの教会が閉鎖されていたはずだ」

「ジル、あの辺りは川もあったな」


 改めて地図に目を落とす。

 正公派は戦後に国内の教会を統廃合していた。取り壊されたものもあるが、権利関係が絡んでそのままになっているところもある。


 さらに質問を重ね、尖塔が見えた方角や塀の位置を確認し、ジャイルズは地図から顔を上げた。


「ゴードンの画廊のほうは、デニスに頼む」

「えっ、自分ですか!?」

「この中で顔が割れていないのはデニスだけだからな。さすがにそんなところに証拠とかは隠していないだろうから、家探ししろとは言わないよ。ジル、そうだろ?」

「ああ」


 ジャイルズに言われて目を丸くしたデニスは、リチャードの説明で幾分か落ち着いた。

 いまだ開店延期中のゴードンの店は、大っぴらに営業をしてはいない。

 だが、さすがに閉めっぱなしでは体裁が悪いと判断したのだろう。最近は事務員がいるときに訪ねれば店内に入って絵を見られるし、商談もしているとのことだ。


「では、何を」

「ルドルフを連れて、店にある絵が贋作かどうか確かめてこい」


 当然のように言ったジャイルズに、今度はルドルフもぽかんと口を開けた。







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