第38話 バンクロフト伯爵

(※動物が亡くなる描写があります)




 フィオナと二人だと広さを持て余す車内も、さすがに成人男性が三人乗れば窮屈だ。


(違うな。狭く感じるのはこの雰囲気のせいか)


 乗り込んだ馬車の中は、堅苦しい沈黙が満ちている。

 ジャイルズたちに伝える用件があるはずだが、対面に座るバンクロフト伯爵はさっきから眉一つ動かさず黙ったままだ。


 もともと寡黙な性質たちで無駄話を好まない。

 仕事であれば世間話の一つもするが、その場合でも目的は情報収集だ。

 相手がジャイルズやリチャードであれば、無用ということだろう。


 伯爵の険のある灰碧の瞳は、ジャイルズより幾分か深い色をしている。

 ダークブロンドの髪をオールバックになでつけた端整な容姿は一目で親子だと分かるが、纏う雰囲気はより硬質だ。


 伯爵は外務の職に就いており、周辺国との折衝を受け持っている。視察や会議などでの渡航もあり、オフシーズンでも領地に戻らないことも多い。

 幼い頃から用がなければ会話もなく、今は父子といえども上司と部下のような関係だ。

 それについて、特にどうとも思わなかったのだが――クレイバーンの父娘やタルボット卿の件を目の当たりにして以来、とっくに忘れたはずの虚しさを感じるのも事実だった。


(なにを今更……)


 父を目の前にするとどうしても意識が昔に向きがちになる自分を、ジャイルズは内心で叱咤し復する。

 今、気にするべきは別のことだ。


 隣に座るリチャードからは、「お前から話しかけろ」という必死の視線が飛んできている。

 過去のことも、置いてきたフィオナのことも振り切るように小さく息を吐いて、ジャイルズは口を開いた。

 挨拶や前置きは不要だ。


「父上。予想外の事態、とのことですが」

「……王太子殿下に拝謁し、文書の件をご報告申し上げた。殿下は『早急に証拠を掴み、首謀者を捕らえるように』と仰せだ」


 伯爵の言葉に、ジャイルズは驚きを隠せなかった。

 それはリチャードも同じで、ぽろりと本音がこぼれ出る。


「本当ですか」

「ラッセル卿。君を謀って私に何の利が?」

「いえ、言葉を疑ったわけでは……ただ、殿下は内々で済ますように仰るものとばかり」


 冷たく見据えられて、リチャードは背を固くして答える。

 王太子は調和を重んじる中庸派だが、事なかれ主義と捉えられる面もあった。

 自分がだしに使われた今回も、表沙汰にはせず穏便に処理するよう命ぜられるだろうと予想していたのだ。


「王子殿下がお生まれになって、多少あの御方も変わられたようだ。後に残る諍いの芽は摘んでおきたいと、ようやく思い至るようになられたらしい」

「なるほど」


 せめて自身の立太子の時にそのようであれば、と口に出しては言わない伯爵の心の内が伝わってくる。

 あの時に王弟派を抑えられていれば、それ以降今に至るまでの国政はもっと大きく動かせただろうし、今回の事態はなかっただろう。


「遅いが、遅すぎることはない。ジャイルズ。命に従い、ラッセル卿と共に文書の裏付けを至急入手してこい」

「つまり、オットー・ゴードンの身柄、もしくはサックウィル卿が関わっていたとする証拠ですね」

「そうだ。総議会までに終わらせる。疑惑も、サックウィル卿もだ」


 斜に構えて足をゆったりと組んだ伯爵は、揺れの少ない車内で物騒な内容を泰然と告げる。

 毎度、議会の進行を瑣末事で妨げてきた相手に忸怩たる思いがあるのは、伯爵だけでなくジャイルズやリチャードも同じだ。

 周辺国との先の争いで戦地になった辺境の復興も、派閥の対抗心のために随分遅れた。内政の細かな決め事も滞れば大きな失策になる。

『国と王家を思えばこそ』などという上辺の空台詞に、何度足止めを食わされただろう。


「権力を欲するのは悪いとは言わないが、無能には無用の長物だ。そろそろご退場願おう」


 王弟殿下派は、サックウィル卿の強引なリーダーシップでようやくまとまっているに過ぎない。彼の有力な後継者がいない今、中心が消えれば小派閥へと分解されるだろう。

 それは自分たち王太子派だけでなく、国にとっても歓迎できる事態だ。


「しかし、伯爵。ゴードンの行方はずっと不明のままです。国外には出ていないはずですが、記録の残らない方法で出国されていれば、それも……」

「サックウィル卿には見張りをつけた。不審な動きや接触者があれば連絡がくる」


 期日までの日数と手掛かりの少なさにリチャードが慌てるが、伯爵は動じない。

 サックウィル卿については「待ち」だとすると、ジャイルズたちがやれることは限られる。


「ロウストリートの画廊の捜索と……ルドルフか」


 多くない手札を確認してジャイルズが呟くと、図ったようなタイミングで馬車が停まった。

 外を窺えばいつもフィオナをロッシュのギャラリーに迎えにくるときに使う、ベイストリートの広場だ。


「サックウィル卿に気取られてはならない。秘密裡に、二日で手掛かりを掴め」


 大っぴらに人員を割けないため、自分たちだけで取り掛かるよう伯爵は淡々と告げる。

 了承の返事をする前に、外の従者により馬車の扉が開けられる。

 話は終わったと急ぎ降りたリチャードに続こうとしたジャイルズに、呼び止める声がかかった。


「ジャイルズ。あの娘はどうするつもりだ」

「……あの娘とは」


 振り返って見た父伯爵の表情は相変わらず読めなくて、ジャイルズは軽く目を眇める。

 座れと促されて、リチャードに先に画廊へ行くよう伝えると、扉を閉めてもう一度席に戻った。

 向き合った二人の間に、ピリとした緊張感が走る。


「とぼけるな。クレイバーンの娘だ」

「父上こそ持って回った言い方をなさる」

「……まあいい。ヘイワード侯爵家に預けたと聞いたが」

「はい。彼女の家では安全面に不安がありましたので」


 フィオナは文書の発見者であり、証人の一人でもある。こちらには必須で、向こうには煙たい存在だ。

 ジャイルズには巻き込んだ負い目もある。それを抜きにしても、守らねばならない。


「証言さえ取れれば問題ないだろう。囲ってどうするつもりだ」

「……あまりな言いようですね」

「現状、交際には目を瞑るが結婚は認められない」

「父上には関係な、」

「関係ないわけがない。バンクロフトの家長は私だ」


 被せて断じられて逸らしていた視線を思わず戻すと、やはり顔色一つ変えない伯爵が目に入る。


「後ろ盾のない無名の男爵家の娘がやっていけるほど、こちら側は甘くない」

「彼女も貴族です」

「私たちとは違う貴族だ。無理を通そうとするならば覚悟と力がいる。今のお前には、どちらもまだ備わっているようには見えない」


 それはジャイルズ自身が一番よく分かっている。

 伯爵の言っていることは正しいが、納得はできない。二の句が継げず口を噤んだ。

 表に出る感情を珍しく取り繕えなかったジャイルズに、分かりやすく溜息が吐かれる。


(……あの時と同じだ)


 押し込めていた記憶が引き出される――十年前。

 あてがわれた婚約者はジャイルズより年上の、快活で勝気な美少女だった。

 誰もが褒め称える華やかな容姿と、女王然とした態度には崇拝者も多く、ジャイルズのほかにも婚約の打診はあったと聞く。


 釣り合う家格と、互いの家にメリットのある相手。

 親戚が連れてきた数多の対象者のなかから、よくあるそんな理由で決まったはずだ。

 十三歳になったばかりのジャイルズには、将来の伴侶という実感はまだなかった。

 とはいえ、人生を共にする相手ならばとジャイルズなりに心を砕いたが――そう思っていたのは自分だけだったようだ。


 先に成人を迎えた少女が欲したのは、ジャイルズとの親交などではなく、伯爵夫人という立場とそれにより手に入る利権だけだったのだから。


 約束もなしに頻繁に訪れてくることに戸惑ったが、交際中というのはそういうものだろうと言い聞かせた。

 そんな中、置いてあった物が頻繁に失くなることに先に気づいたのは、部屋付きの使用人だ。

 最初はペンや銀器などの小物が。

 次第に、チェストにしまっていたはずのシルクやアクセサリーまで。


 ジャイルズに注進したメイドは翌週、突然に職を辞した。

 不審に思い注意して見ていると、盗みを働いていたのは婚約者だった。

 それに気付いた使用人を身分を笠に辞めさせ、伯爵家から盗んだ品々は恋人の男に渡して売り払っていたのだ。


 現場を取り押さえ糾弾すれば、どこが悪いと居直る。

『わたくしは伯爵夫人になるのだから、この家の物はわたくしの物でしょう。宝石も使用人も、好きにしてなにが悪いの』と。

 呆れて物も言えなかった。


 どうやら、幼い頃から盗癖があったらしい。

 彼女の両親はそれに気付いていたにもかかわらず、何の手も打ってこなかった。

 追及すればのらりくらりと逃げを打つ二親を見て、矯正は無理だと婚約の破棄を決める。

 だが、それを両親に告げるより早く。先手を打ったのは婚約者のほうだった。


 ジャイルズの伴侶の座が怪しくなったとみて、父伯爵の部屋に裸同然の恰好で忍び込んだのだ。

 この伯爵家は自分のものだと喚く彼女を馬車に押し込め、彼女の家と、紹介した親戚ごとまとめて縁を切った父が発したのは、たった一言。

 ――面倒な。

 婚約者一人御せない者など必要ない。同じ色の瞳がそう語っていた。


 認められたいと思っていた。

 いつかその背中に届けばと思っていた。

 そうしたら嫡子としてだけではなく、ジャイルズ自身を見てくれるかと期待していたのだが――そんな日はないと身に染みて分かったのだった。


 数日後の早朝。婚約者が隠れて恋人に盗品を渡していた庭の片隅で、ジャイルズが飼っていた犬の亡骸が見つかった。

 外傷はなく毒餌を食べた形跡が認められ、敷地の外より投げ入れられたものだろうと結論付けられて終わった。


 一連の出来事は、十年経った今もジャイルズの中で苦い記憶として残っている。

 婚約者だった相手は、時を置かず王都から離れた遠縁の貴族の元に嫁いだ。あれ以来、一度も会ったことはない。


 どんな相手にも警戒心を持ち、疑わしいことにも不信にもいち早く気づくようになり、隠された本心を探るのが上手くなった。

 自分より幼い少女の目にまで駆け引きと計算が浮かぶのが見えるようになる頃には、結婚の対象となる女性との付き合いは煩わしい以外の何物でもなくなっていた。

 ――フィオナと会うまでは。


「少しは成長したようだが、隠せば守れると思っているあたり浅慮が過ぎる。また失くすつもりか」


 厭わしい記憶に被せるように、父の言葉は続く。ジャイルズの思いなど関係ないとでもいうように。

 愛犬の亡骸の前で膝をついた土の冷たさを思い出し、噛み締めた奥歯と胸が軋んだ。


「……前とは違います」

「同じ轍を踏もうとしているようにしか見えない」


 呆れたような口調に案じる色が混じっていると感じるのは、気のせいだろうか。

 伯爵は組んだ両手を顎下に当てて、長い息を吐いた。


「ミランダのほうが分かっている。顔も知られていない一令嬢が攫われたところで、誰がそれに気付く? どこにでもいるような地味な娘の目撃証言など、どうやって集める気だ」

「それは……」

「いつも同じところにいる相手は、さぞかし狙いやすいだろうな」


 痛いところを突かれて息を呑む。

 守りに徹するのは悪手だと、そう告げられた。

 ――こんなことは初めてだ。

 指示と報告以外の会話が続くことも、押し黙るジャイルズに父が重ねて話すことも。


「腕力のない女性が最も有効に使える武器は社交だ。それが分からないようでは話にならん」


 フィオナは二人の侯爵夫人と一緒だ。陰には護衛もついていて、安全は保障できる。

 それでも気が休まらない理由は一つしかない。


「独占欲もほどほどにしないと逃げられるぞ」

「……父上」

「行け。話は終わりだ」


 相変わらずの無表情は、本気なのか揶揄っているのか区別がつきにくい。

 ただ、最初とは雰囲気が変わっているのは分かった。

 真意を確かめるように見つめるジャイルズに、伯爵は手を振って下車を促す。仕方なく馬車の扉を開き、外に出た背中に声が掛かった。


「もう一度言う。無理を通すなら力が必要だ。証拠を見つけ、王太子に恩を売れ。それが一番手っ取り早い」

「……!」

「……あの女のことは、悪かった」


 驚いて振り返るが、父の従者にさっと扉を閉められる。

 慇懃に頭を下げた御者が馬車を出発させるのを、ジャイルズは呆然と見送ったのだった。


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