第88話 幼なじみの恋事情(上)

ノーマン視点(時系列は56話「同じだけど同じじゃない」の少し後)

・・・・・



 しばらく滞在していたヘイワード侯爵家から、フィオナが戻ってきた。

 それを受けてクレイバーンとヘイズの両家で話し合いが持たれ、発表を一時延期していたノーマンとフィオナの婚約は、そのまま「なかったこと」にすると決まった。


 王都中に噂が定着した今も、クレイバーン男爵は自分の娘とジャイルズの結婚を考えていない。

 しかし、二人の仲は侯爵夫妻まで認めるところとなってしまった。この状況で別の男性と婚約などさせたら、先方の面目を潰すことになる。

 ジャイルズの伯爵家だけでも対応が難しいのに、さらに上の侯爵家など向こうに回せるわけがない。

 今後どうなるにせよ、一旦仕切り直しが必要だった。

 

 もともと、今この話し合いの場にいる三人――クレイバーン男爵、ノーマン、そしてノーマンの父のヘイズ男爵――だけが承知していた婚約話である。

 醜聞にはなりえず対外的に問題ない……とはいえ、諸々の予定を決め直す必要がある。

 そのためこうして集まったわけだが、弱り切ったクレイバーン男爵を前に、ヘイズ家の父子は同情とも慰めともつかない表情を浮かべていた。


「この度はフィオナのことで、本当に何と言ったら……」

「いやあ、お気持ちは分かります。まさかあのローウェル卿がねえ、まさかですからねえ」


 絶賛萎れ中のクレイバーン男爵に向かって「まさか」を二度言うくらい、ヘイズ男爵も意外なようだ。

 突然フィオナに恋人ができたことは驚いたに違いないのだが、それ以上に相手がジャイルズだということがよほど信じられないのだろう。


「ノーマンもすまない。クレイバーンの後継に、という約束はもちろん守るから」

「あー、いえ、僕は大丈夫です」


 気にしていない、と言う返事も聞こえているのかどうか、男爵は項垂れるばかりである。


「フィオナ嬢はヘイワード侯に気に入られて、結構なことじゃないですか! それにコレット侯爵夫人とも懇意にしているとか。いやあ、羨ましい」

「ぐっ、あ、ああ、それは……身に、余りすぎて」

「ははは! 相変わらず遠慮深いですなあ」


 景気づけに肩を叩かれて、そのままソファーに沈み込んでしまいそうな男爵にノーマンは同情する。


(父さんは気楽に言うけど、おじさんも大変だ)


 しがない男爵家の令嬢が、社交界で一、二を争う令息の恋人になるなんて、誰が想像できただろう。

 しかも、フィオナがヘイワード家に身を寄せていたのは、世間で考えられているような「行儀見習いのため」などという平和な理由ではないのだ。


(逆恨みした詐欺師から危害を加えられないよう、匿われていた……なんて真相、父さんにだって言えないし)


 娘が危険にさらされていることを必死で隠しながら、周囲から祝われたり、当てこすられたりする男爵の苦労をノーマンは肌で感じていた。


 贋作詐欺の犯人が捕まり勾留され、ようやくほっとしたところだ。

 それに、侯爵夫人に気に入られたのは本当だが、結果として王妃殿下の舞踏会にも出席しなければならなくなったと、初めての格式高い夜会を前にフィオナは頭を抱えている。


「はあぁ……こんなことならすぐフィオナにも伝えて、王都に来る前にノーマンと婚約させてしまえばよかった」


 深いため息と共に呟かれた後悔は本音だろうが、ノーマンは曖昧に頷くにとどめた。


(フィオナは婚約予定のことを知っていましたよ――なんて言ったら、おじさんも父さんもひっくり返るだろうなあ)


 知っていて、どうにか婚約を回避できないかと考えていたはずだ。

 結婚したくない理由は、子どものころからの夢のため。責任感が強いフィオナは、家族と領地と自分の将来の板挟みで苦しんだに違いない。


 ノーマンが傍観に徹していたのは、本心では仲の良い幼なじみの夢を応援したかったから――でも、それだけではなく。


(フィオナと結婚したところでの呼び名が変わるだけ……って思ってたんだよな)


 幼いころから示されていた「クレイバーンの後継」という将来に、疑問や不満を感じたことはなかった。

 フィオナとの間にあるのが家族としての情だとしても、それはノーマンが結婚を拒否する理由になりえない。慣れ親しんだ領地や未来の家族は、どういう形であれ、ずっと共にあると信じてきたのだ。


(父さんじゃないけど、まさかローウェル卿が出てくるとは思わなかった)


 フィオナを迎えに来て二人で出かけてしまった、と泡を食った男爵からの連絡でタウンハウスに駆け付けた時は、本気にしていなかった。


 連れ出したのが友達の誰かだったら、もう少し真剣に受け取ったかもしれない。

 しかし相手が接点のない名門伯爵家の嫡男、しかも女性嫌いと評判の高い冷徹貴公子と聞いて、信じるほうが難しい。

 第一、仕事を続けたいし外国にも行きたい、と結婚そのものを渋っていたフィオナが、このタイミングで恋人という枷を作るだろうかという疑問もある。


 ところが到着してみれば、事情を知っているらしいハンスはどことなく不機嫌だし、セシリアも困惑顔でただの友達ではなさそうだと言う。

 内心引っかかりつつも、そわそわと落ち着かない男爵を宥めて二人の帰りを待っていた。


 やがて、フィオナを連れて戻ってきたのは、正真正銘ジャイルズ・バンクロフトだった。

 しかもかなり親密そうで――いろいろの疑問がさらりと消える。


 だって、どう見ても、ジャイルズのほうが積極的だ。


 しかもフィオナを抱き寄せる直前、確かに彼は

 灰碧の瞳が意思を持って自分を捉えたことは、距離があっても分かる。


(家にいただけで妬かれるとは思わなかった。それに、あのフィオナが押され気味だなんてね)


 動揺を必死に隠そうとしていたフィオナを思いだすと、今もくすりと笑ってしまう。

 小さなころから物怖じしない幼なじみも、恋愛には及び腰らしい。

 事実、昼食の席で二人の関係を告白したフィオナは、自分でも事態を持て余しているようだった。


 初めて見るそんな一面に驚きを感じたのは、ノーマンだけではない。

 ヘイワード侯爵家での滞在を経て外見も垢抜けたが、それはおまけだろう。

 手元の指輪を眺めるときの困ったような表情や、ジャイルズといる時の独特の空気感も、これまでのフィオナになかったものだ。


 好きな人はいないのか、とノーマンに訊いてきたその本人が、そんな自分の変化にまったく気付いていないのは、やはりフィオナらしいと思ったが。


(おじさんはきっと、フィオナが恋を知る前に結婚させてしまいたかったんだろうな)


 もちろん、後継者として教え込んできたノーマン自身のことも認めてくれている。だがそれだけではなく、領地に留まることを娘の伴侶の条件にしたはずだ。


 バンクロフト伯爵家の次期当主であるジャイルズが、クレイバーン男爵家に婿入りはありえない。

 フィオナの夢だって、誰かと結婚して家庭におさまることではない。

 現実として、二人の関係が永続するとは考えないのが普通だ。


 けれど、レジナルドのサプライズから庇われて、ジャイルズの腕の中にいるフィオナを見たとき。

 もしこの先二人が別れたとしても、自分とフィオナとの結婚はないとノーマンは直感した。

 フィオナが家の都合に合わせるとしたらきっと、これまで会ったことがない相手と機械的に結婚を決める――そんな気がしたのだ。


 だから、婚約の取り止めに否やはない。

 ないのだが。


「そんなわけで、ノーマン。クレイバーンうちの後継になるための諸々の手続きはこのまま予定通り進めていくから、心配しないでいい。ただ、公の披露目は来シーズンに先送りということで……」

「はい、おじさん。僕は構いません」


 現状、クレイバーン男爵が引退を急ぐ理由もない。準備期間が一年やそこら長くなったところで不都合はなく、改めて、フィオナを手元に引き止めるためだけの婚約だったのだとノーマンはそっと苦笑する。

 実父も文句はないようだ。同意を得たところで具体的な段取りを確認しようと、クレイバーン男爵が手帳をめくる。


「来年はセシリアも成人を迎えるから慌ただしくなりますが、まずは年が明けたら……」

「ん? おお、そうだ、妹御がいるではないですか!」

「セ、セシリアが、なにか?」

「父さん?」


 名案を思いついたと言わんばかりに顔を輝かせるヘイズ男爵に、クレイバーン男爵とノーマンが揃って疑問を浮かべる。


「ああ失礼。あの子はまだまだ小さいと思っていましたが、そうか、来年で成人ですか……いやはや、時が過ぎるのは早いですなあ」

「はあ、まあ」


 感慨深そうな父の声にクレイバーン男爵はもごもごと相槌を打ち、ノーマンの胸が急に騒ぎ出す。


「クレイバーン男爵。此度の縁組ですがね、ノーマンとセシリア嬢ではどうですかな?」

「……は?」


 その言葉に、ノーマンはガンと頭を殴られたような気がした。

 にこにこと上機嫌なノーマンの父に、クレイバーン男爵は文字通り唖然としている。


「いえね、セシリア嬢が病気がちなのは私も存じています。ですが今はだいぶ丈夫になって、医者にもあまりかからなくなったそうではないですか」

「えっ、ええ。おかげさまで最近は息災に」

「それはなにより! もちろん無理にとは言わないですよ。しかし、そうすればクレイバーンの血筋をここに残せますし、息子ノーマンがただ養子入りするよりも領民たちも安心でしょう」

「それは……まあ……」


 そんな父たちの会話は、ノーマンの耳を上滑りしていくばかりでうまく聞き取れない。


(セシリアと? 僕が?)


 フィオナの三歳下、自分とは四つ違い。妹みたいなセシリアは、外を走り回っていたフィオナとは逆に身体が弱く、ベッドにいることのほうが多かった。


 見舞いに訪れたどの時も、今も、ノーマンを見るといつも嬉しそうにしてくれる。

 野原で摘んだ花や、ちょっとしたカードにも目を輝かせて喜んで……生まれた時から知っている、誰よりも身近な、小さな女の子。


(そのセシリアと結婚……?)


 熱が下がらない、と涙をためたフィオナと交代して枕元についたこともある。

 幾度となく伏せり、苦しそうにしながらも、あの小さな口から泣き言や恨み言が出たことはない。


 クレイバーンの家で、いつも三人で一緒だった。

 ヘイワード侯爵家からフィオナが戻れない日が続いて、初めて二人だけになった。

 母代わりでもある姉の不在を心細がったセシリアを、いつものように慰めようとして……どうしてか一瞬、触れるのに戸惑った。


 あれ以来、知っていたはずの仕草や表情がやけに眩しく見えることがある。


 ふいに浮かんだフィオナとジャイルズが寄り添う姿に、自分とセシリアが重なって――顔が熱くなった。


(変だな。フィオナと婚約って言われたときは、なにも思わなかったのに)


 フィオナもセシリアも、同じ「家族」として過ごしてきた。動悸の理由が、胸がざわつく理由が分からない。

 じわりと額に滲んだ汗を手の甲で拭って、自分を落ち着かせるように息を吐いた。


「まあ、そうはいってもフィオナ嬢のように突然、運命的な出会いが降ってこないとも限りませんし。ここは本人たちに任せる方向で」

「そ、そうですな。第一、セシリアはまだ……ノーマン?」

「っ、え、は、はい?」


 話し込んでいた父たちが振り返ってノーマンを眺め、顔を見合わせる。


「な、なんですか」

「なにってノーマン、お前」

「……むぅ」


 どうにか動揺を鎮めていつも通り振舞えば、ヘイズの父は訳知り顔で眉をくいと上げ、クレイバーン男爵は非常に複雑そうな表情で黙り込んでしまった。


「……ま、そういうことで。ははっ、いや本当に、どこに運命があるか分かりませんなあ!」


 なにが「そういうこと」かは分からないが、実父のその一言でこの場はお開きになったのだった。



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