第13話 お芝居の始まり
「……なんですって?」
揺らしていた扇をピタリと止めて、ミランダはジャイルズに真顔で聞き返した。
「ですから、リチャードではなく、彼女は
「いっ、いつ!? いつから!? ちょっと、リックっ、あなた知ってたの!?」
「レディ、まあ落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないわ! お、おおお母様ぁー!?」
ミランダはバッと立ち上がると、リチャードを押しのけて走り出す勢いで部屋を出て行ってしまった。
まだ肩を抱かれたままのフィオナが見上げれば、ジャイルズは笑いを堪えるように口元をきゅっと結び、目を細めている。
(――あ、この人って)
どちらかというと保守的な、冗談も通じないお堅い人なのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「あの」
「うん?」
話しかければ含むような表情は消えて、かわりにどこか力を抜いた顔を向ける。
昨日とも、今日これまでとも違う別人のような雰囲気に、フィオナは目を瞬かせた。
「つまり、そういうことだ。ミス……いや、
「ええっと、あの、はい?」
近付いた距離をさらに詰められて、さすがにフィオナは背を仰け反らせる。
(ちょっと、ち、近い!)
目の端に、笑い声をかみ殺して肩を震わせているリチャードが映る。
二人が面白がっているのを少々不本意に感じたそのとき、地を這うような低い声が響いた。
「……フィオナお嬢様」
ハンスが、二人のすぐそばにゆらりと立っていた。
「じ、じいや」
「こちらの殿方が、フィオナお嬢様の恋人である、と。爺にはそのように聞こえましたが、はて耳が遠くなりましたかな」
「え、ええ。そうね、私にもそう聞こえたわ」
「ほう、左様でございましたか……ご説明、していただけますね?」
ハンスは笑顔でただならぬ気配を発しながら、目だけはジャイルズから離さずにフィオナに話しかける。
不敵な視線をぶつけ合う二人に挟まれたフィオナは、ようやくジャイルズの腕から抜け出して、ハンスの手を取った。
「あ、あのね、じいや。話すと長くなるんだけど」
「ええ、もちろん構いませんよ。全部、伺いましょう」
今度はハンスに押し寄られる恰好になったフィオナが引きつった笑顔で宥めていると、リチャードがパンパンと手を叩いた。
「あー、いいかな? 姉君が母上を連れて戻ってくる前に、ここを出たほうがいいと思うけど」
「それもそうだな。リック、適当に言っておいてくれ」
「貸しだぞ」
楽しげにそう言って、パチリと片目を瞑る。
デートの約束を忘れるなと言うリチャードの声を背中に受けつつ、別れの挨拶をする間もなく手を引かれ、足早に部屋を後にした。
広い伯爵家の長い廊下と階段を、急ぎ足で進む。途中でフィオナの怪我を思い出したジャイルズに横抱きにされて運ばれたような気もするが、ちょっとよく覚えていない。
気が付いたら馬車の中だった。
(あれ、いつの間に?)
自分が乗ってきた、男爵家の馬車だった。いつもの車内だが、フィオナの正面には見慣れぬ人物が掛けている。
相変わらず端正な顔で、長い足と腕を組むジャイルズだ。
何をどう説得したのかハンスは御者と一緒に外にいて、馬車の中は二人だけ。
慌てて小窓から外を覗くと、どうやら町の中心地へ向かっているらしい。
「……どこへ?」
「ベイストリートだ。この後は画廊に行く予定だったと彼から聞いた」
さも当然のように返事がくる。ギャラリーに向かっていると知って、ハンスがフィオナとの約束を覚えていてくれたことにほっとした。
騒ぎを起こしてしまって、あの剣幕ではそのまま自宅に連れ帰られてしまうと思ったのだ。
そんなフィオナの気持ちを察したらしい。ジャイルズが御者台のハンスのほうに首を向けた。
「店に着くまでの間だけ、こうして二人で話す時間をもらった。主人思いの、よくできた従者だ」
「ハンスは元は母に付いていた人で、生まれる前からの付き合いなのです。少し、過保護ですけれど」
「いや、それくらいでちょうどいい」
そう言ってなにか考えるように視線を逸らす。
会話を続けようと言葉を探したフィオナに先んじて、ジャイルズは「それで」と話題を変えた。
「リックの提案に乗ることにした。君の意思は先程聞いた通りで変わりないな?」
そうだった。恋人のフリをしてくれと自分からも頼んだのだ。
真剣な顔に変わったジャイルズに、フィオナも表情を改める。
「はい。ありがとうございます」
「最初は馬鹿げた案だと思ったが……正直、今も思っているが、背に腹は代えられない」
フィオナが礼を言うと、ジャイルズは軽く頷いてため息をついた。
ミランダが女性と引き合わせようとしたとたんの態度豹変だった。よほどお見合い的なものを回避したいのだろう。
とはいえ、だ。
「先程は……お騒がせを」
詐欺まがいの売買を阻止した自分の行動に、一片の悔いもない。しかし思い返すと、やらかした感は拭えない。
少なくとも「淑女らしい」言動では全くなかった。
フィオナのこうした性分を心配した父が、結婚させて家庭に落ち着かせようとするのも分かる。
「いや。私に絵の真贋は判定できないが、あの場を見る限り、君の指摘は間違っていないと思う」
そう言って、フィオナを安心させるようにジャイルズは頬を緩めた。
表情が大きく変わるようになったわけではない。だが、薄く張っていた氷の膜が溶けて消えたようなジャイルズは、なんというか無防備で、軽く戸惑ってしまう。
「姉はあの通り、熱を上げると周りが見えなくなる性格だから。止めてくれて助かった」
「そ、それなら、よかったです」
ゴードンに対しては、可愛げのかけらもない物言いだったと自覚がある。
あのフィオナを目の当たりにして引かず、しかもそれまで渋っていた恋人のフリの提案を受け入れるなんて、物好きというか肝が据わっているというか――
(私を恋愛対象の令嬢と見なさないで良い、と確信したのかも。うん、それなら分かる)
フィオナが自分の中で折り合いをつけている間に、ジャイルズは絵の話を切り上げた。
「今は時間がない。とりあえず、最低限の情報だけ共有しておこう」
カタコトと控えめな速度で走る馬車の中で、まずは改めてお互いの自己紹介をし合う。
家族構成と簡単な生い立ち、趣味や、休暇の過ごし方。「恋人」が最低限知っていて当然と思われることを、無駄なくあっという間にジャイルズはまとめ上げていく。
「ローウェル卿は、」
「その呼び方も変えたほうがいいな」
「ええと、では……ジャイルズ様でよろしいですか?」
もう少し言葉遣いも砕けていいと言われたが、さすがに急には無理だ。
ジャイルズのほうはといえば、応接室での時とは違う、小庭園でリチャードと話していた時のような少しぶっきらぼうな話しかたになっている。
次期伯爵ともなれば、色々と面倒なことも多く人付き合いも煩雑だろう。切り替えの早さも、必要な資質の一つに思えた。
「余計な設定は少ないほうがいい。使える事実は、できるだけそのままにする」
「それなら、初めて会ったのは昨日の祝賀会のままで?」
「構わない。まだ日が浅いから、お互いに関しても知らないことは知らないと言えるだろう」
「そうですね」
嘘の中に真実を混ぜるのが、簡単にバレない秘訣だという。
聞いたことのあるそんな方法を、まさか自分で実践することになるとは思いもしなかった。
後ろめたさはあるが、それこそ背に腹は代えられない。
「明日、打ち合わせの時間は取れそうか?」
「はい」
「では、今後の予定も含め、詳細はその時に……ああ、着いたようだ」
店の前で馬車が止まると、ジャイルズは案内を待たずさっと自分から馬車を降りる。伯爵家の嫡子とは思えない身軽さに驚いているうちに、手が差し出されていた。
それが自分に向けて出されたものだと思えなくて、一瞬固まってしまう。
「え?」
「抱き下ろしたほうが?」
「だっ、大丈夫です!」
さらに驚く申し出に慌てて手を預けると、危なげなく地面へと下ろされる。足首が痛む暇もない。
……恋人がいたことがないというわりには、フィオナに対する一連の行動がいちいち決まり過ぎではないだろうか。
「あの、本当に、今までお付き合いをしたことはないのですか?」
あまりのナチュラルさに不信を感じてこそりと尋ねると、ふむ、と思案顔で答えが来た。
「ない。だから、リックを真似てみたのだが」
(それね! 納得!)
リチャードは、控えめに言って恋愛の達人である。プロである。
しかも、昨晩のフィオナに対する態度でも分かる通り、付き合っている女性相手でなくてもスマートに賛美するような性格だ。
恋人に対してはそれはもう、甘いことこの上ないだろう。
理由は了解した。しかし、
それを伝える前に、御者席から降りたハンスがやってきてしまった。
「っと、では、ジャイルズ様。今日はこれで」
「ああ。また明日」
迎えに行くから、と屈んで囁かれたフィオナの耳のすぐ傍に、なにかが触れる。
それがジャイルズの唇だと理解したときには、彼は後ろに伴走させていた伯爵家の馬車へと乗り込んだところだった。
じわじわと熱を持ち始める頬を押さえて、フィオナは去っていく馬車を呆然と見つめる。
(ちょっと、やりすぎじゃないのーー!?)
ちょうど人通りが途絶えたところでよかった。こんなところを見られたら一体どんな噂が立つことか。
(ん? 噂になったほうがいい……のか、な。あれ?)
そもそも、「二人が恋人同士である」ということを広く周知させねば意味がないお芝居だ。
だから噂になるのは一向に構わなくて、むしろ歓迎すべきだろう。
そうはいっても、恋愛初心者のフィオナにとって、なにが正解かは難しい。
(やっぱり、帰ったらオルガから渡された恋愛小説を読まなきゃ)
数秒にも満たない間で考えをまとめていると、背後からゴゴゴ、と地鳴りのような不穏な空気を感じる。
「……フィオナお嬢様」
振り向くと、クレイバーン家の忠実なじいやが不穏な空気を発していた。
「じ、じいや……っ」
「お仕事の前に、お話を、伺いますからね」
「も、もちろんよ。どんとこいだわ」
コクコクと何度も頷いて、画廊の扉を開けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます