第12話 レディ・ミランダ・コレット

 ドレスの裾を翻して華々しく登場したのは、ジャイルズによく似た顔立ちの女性だった。


「ここにいたのね。探したわよ、ジル!」

「姉上?」


 彼女の後からは、布でくるんだ四角い板状の荷物を抱えた事務員風の男と、その雇い主と思われる背の高い男性が入ってきた。

 開いたままの扉の向こうには、眉間を指先で押さえる執事のダルトンとオロオロする伯爵家の使用人たち、それに目を丸くしてこちらを窺うハンスの姿も見える。


(姉上って……あ、コレット侯爵夫人!)


 レディ・ミランダ・コレット――バンクロフト伯爵家の令嬢で、ジャイルズの実姉だ。

 大聖堂で行われたコレット侯爵との結婚式は、王族も参列して王都中の話題になった。伯爵令嬢の頃も侯爵夫人となった今も、華やかな容姿と性格で常に社交界の中心人物の一人である。


 男爵令嬢であるフィオナは、伯爵家や侯爵家のパーティーとは基本的に縁がない。

 それゆえ近しくしたことはないのだが、彼女のことはこれまた情報通の友人オルガから何度も聞いていた。


(本当に、びっくりするくらい綺麗な人)


 ジャイルズの顔立ちは彫刻作品のようだが、姉であるミランダは絵画の中の女神のようだ。

 弟と同じダークブロンドの髪も灰碧の瞳も、彼女のほうがより華やかさを感じるのは、持っている雰囲気の違いだろうか。

 夏空色のドレスがよく似合っていて、さりげなく身に着けたアクセサリーは、どれも見事な品である。


「リックもいたのね。ちょうどいいわ、貴方もこの絵を……って、あら、そちらのお嬢さんはリックのお友達?」

「あ、あの、」

「いいわよ、あなたも一緒に見てちょうだい!」


 立ち上がり、挨拶をしようとするフィオナを一瞥して、ミランダは上気した様子で一方的にまくし立てる。

 ジャイルズは諦めたように小さくため息を吐いて、リチャードは竦めた肩越しに視線をよこした。

 その目が「いつものことだ」と伝えてきて、フィオナも小さく頷く。


 興奮しているようでかなりアグレッシブだが、それはここが実家だという気安さもあるだろう。

 伯爵家と侯爵家は、共に王都の一等地に居を構えている。突然の登場には驚いたが、頻繁に行き来があってまったく不思議はない。


 事務員が荷物に掛けられた布をうやうやしく外して中身を掲げると、ミランダは腰に手を当てて胸を張った。


「レイモンドの新作ですって!」


 小鳥が描かれた美しい絵だった。

 翼と背は褐色。腹の羽毛は白く、額と胸が赤い小鳥が初冬の森の枝に止まっている。

 額こそは大きいが、絵自体はディナーのメインディッシュに使われる皿と同じくらいの小振りなものだ。


「へえ、ベニヒワですか。レイモンドって、もしかしてレイモンド・ベイリー? そういえば前から欲しいと言ってましたね」

「そうよ、リック。ようやく手に入るの。どう、いいでしょう」


 レイモンド・ベイリーは当代の人気画家だ。精緻で温かみのある小動物の絵や、異国情緒あふれる風景画が特に評価が高い。

 だが、同じモチーフは描かない画家のため、作品数は多くない。限られた画商としか取引しないこともあって、入手は非常に困難だ。


「姉上、購入されたのですか?」

「今からよ。その前にジルやお母様にも見せようと思って、持ってきてもらったの」


 画家本人が公の場に姿を現したことはなく、客注もほとんど受けない。

 レイモンド・ベイリーという名も本名かどうか定かではない。その上、私生活も伏せられていて、ミステリアスなところのある画家である。

 しかし、王宮のプライベートスペースにも彼の作品は飾られており、人気だけでなく実力も折り紙つきだ。


「こちらのミスター・ゴードンはね、ロウストリートに新しく画廊を開かれたの。レイモンドの関係者にコネクションがあるんですって。それで、特別に発表前の新作をって!」

「はい。レディ・コレットのためにご用意させていただきました」


 紹介されたゴードンは、ブルネットの長い髪と同様に綺麗に整えられた口髭を軽く撫でて、大仰に礼をした。

 フィオナの父親と同じくらいの年齢だろうか。切れ長の目元には少し陰があり、声は低く響きがある。若い頃はさぞかし、といった色気のある容姿で、画商というより俳優のほうが似合いそうだ。

 そんな彼は、絵の額に手を添えながら自信たっぷりに説明を始める。


「軽いスケッチ風の小品ですが、十分にレイモンドの魅力を堪能できる絵かと」

「素敵よねえ。リックもそう思うでしょう?」

「いやぁ、綺麗だとは思いますが、絵は門外漢で」

「またまた」


 興味なさそうにしている弟ではなく、リチャードへ同意を求め、ミランダは楽し気だ。


「……これがレイモンド? 発表前の新作?」

「ミス・クレイバーン?」


 披露された瞬間から食い入るように絵を見つめ続けるフィオナが落とした呟きを拾ったのは、隣にいたジャイルズだった。

 絵のほかは視界に入れず、フィオナは独り言のように話し始める。


「小鳥が愛らしい、上品な絵ですね」

「当然です。お嬢さんのような方でも、レイモンドの絵の良さはお分かりになりましょう」


 さっと計算高い視線を走らせたゴードンは、簡素なドレスの年若い令嬢の言に尊大な相槌を打った。


「綺麗な絵ですが、ミスター。残念ながら、こちらはレイモンドの筆ではございません」


 あっさりと言い切るフィオナに、その場にいた全員が目を丸くした。相変わらずフィオナの視線は絵から離れない。


「レイモンドが好む色を使って、構図もタッチもよく似せています。たいへん出来のいい、贋作です」

「……聞き捨てなりませんね。お嬢さんのような方が、レイモンド画伯の絵を実際にご覧になったことがあるとも思えませんが」


 ゴードンがピクリと眉を上げて、あからさまに不愉快そうにする。だが、その威圧にもフィオナは怯む様子がない。

 むしろ挑戦的ともいえる雰囲気で――怒っているように、ジャイルズには思えた。


「分かりやすいところですと、陰影と羽毛の柔らかさがレイモンドのそれを表現しきれていません。それに、ベニヒワの特徴である頭と胸元の赤い羽毛ですが、絵の具も同じウィステリ社製を?」

「なに?」

「レイモンドはたしかにウィステリの画材を好みます。けれど、ほかの絵の具も使うのです。そのうちの一色が、赤色です」


 侯爵夫人が購入予定の商品は偽物である、とフィオナは断言する。

 ぐぐ、と奥歯を噛み締めて顔を歪めるゴードンに、さらに追い打ちをかけた。


「サインも頑張っていますが、yの角度が違います。ですが、ええ、本当によく真似ていますね。レイモンド作と判断してしまう画商プロのかたがいらしても仕方がないでしょう」

「……さっきから失礼な娘ですね」


 怒りを全身にまとわせて、静かに恫喝を滲ませたゴードンが一歩前へ出る。

 ジャイルズがフィオナを庇おうと腕をのばしたが、逆にフィオナはゴードンのほうへとさらに近づき、薄い笑みすら浮かべた。


 部屋の扉付近では、使用人たちは追い払い、自分だけ残った執事が厳しい表情で様子を眺めている

 ハンスはその隣で気を飛ばしそうにしながら「フィオナお嬢様の大立ち回り」に頭を抱えていた。


「お嬢さんの戯言にしてはタチが悪い。訴えさせていただく」

「それをされて困るのは私ではございません。ご納得いただけないのでしたら、もう一つ。レイモンドは同じ題材を描かないのはご存じですね」

「当然だ。この鳥ベニヒワは今までに一度も、」


 険のある眼差しのゴードンに、フィオナは止めを刺した。


「ベニヒワは、既にあるのです」

「……なんだと……?」

「もう十年以上も前に描かれて、彼の身内が持っています。売りに出されたことは一度もございませんから、目録には載っておりませんが」

「な、なんでお前がそんなことを知っているっ?」


 ゴードンの質問には答えず、フィオナはミランダのほうへ向き直ると深く膝を折った。


「出過ぎた発言をお許しください、レディ・コレット。王立芸術アカデミーのリスター調査官が、今私が申し上げた全てが真実だと証明してくれるでしょう」


 堂々と言い切るフィオナに、ゴードンだけでなくリチャードも、ジャイルズも圧倒された。

 真っすぐに目を合わせたミランダは、たおやかな腕を組んで人差し指を形の良い唇に添える。


「……あなたは、この絵が偽物だというのね」

「丁寧に描かれた良い小品です。気に入ってお求めになるなら、お慰めになることでしょう。ですがレイモンドの作品かと問われたら、違う、と申し上げざるを得ません」

「ふうん……」

「レ、レディ」


 ミランダの宝石のような瞳がゴードンに向ける視線は厳しい。

 どうにか弁解したいようだが、一般人は知ることがないはずのアカデミー担当官の名前まで出されてしまい、それ以上の言葉は出ないようだ。

 かわりに、フィオナが助け舟を出す。


「ミスター・ゴードンはきっと、誰かに上手く謀られたのではないでしょうか。本当に、レイモンドそっくりですもの」

「……そういうことにしておきましょうか」


 ふ、と息を吐いたミランダは面々を見回すと、どこからか出した扇を広げ、ふわりと扇ぐ。


「そうね。この絵は鑑定してもらおうかしら」


 贋作の疑惑があるまま購入するわけにはいかない。

 そう言ったミランダに、フィオナはほっと表情を緩めた。


「ミスター・ゴードン。アカデミーの証明書をつけて再びお持ちになって。それがあれば最初の言い値で構わないわ」

「しょ……承知いたしました、レディ」

「ダルトン! お客様がお帰りよ」


 最後まで忌々しそうな視線をフィオナによこして、ゴードンは執事に連れられ応接室を出て行った。

 それを見送って、ミランダはもう一度フィオナのほうへ顔を向ける。


「それで、お嬢さん。あなたは誰?」

「申し遅れました。クレイバーン男爵の娘、フィオナでございます」

「そう。絵に詳しいようだけれど?」

「姉上、彼女は」

「恐れ入ります。ベイストリートにありますギャラリー・ロッシュと懇意にしておりまして」


 代わりに答えようとしたジャイルズを制するように、フィオナは礼を取ったまま、にこりと微笑んだ。

 告げた店の名は、フィオナが叔父の手伝いをするときの窓口にしている画廊だ。良質な絵画を扱うことと堅実な取引実績が認められて、規模は小さいながら王宮御用達でもある。


「まあ! レイモンドの絵が買える唯一の画廊じゃない!」

「シーズンに入って、オーナーからレイモンドの話は聞いておりません。ロッシュを通さず、彼の新作が売買されるはずはないのです。それもあって、僭越ながら」


 フィオナ自身、そろそろ新作が欲しいんだがなあ、とこぼすオーナーの愚痴に付き合わされたばかりだ。

 レイモンドという画家は人付き合いが苦手で、放浪癖まである。彼の手綱を握れる画商はロッシュ氏くらいだ。

 別ルートで出回る「新作」など、ありえない。


 偽物と分かっていて目の前で取引されるのはどうしても許せなかったと、フィオナは再度詫びを入れる。


「いいのよ。言われてみれば、突然手に入ったとかで急かされて、少し怪しかったわね」

「姉上、軽率です」

「いつもならちゃんと調べるのよ。どうしてもレイモンドが欲しくて焦ったわ。ああ、がっかり」


 そう言ってどさりとソファーに沈むと、ミランダは揺らした扇をリチャードに向ける。


「リックのガールフレンドにしては珍しいタイプね。宗旨替えしたの?」

「あー、ええとですね」


 リチャードがなにか言うより先に自己解決したミランダは、そのまま話を続ける。


「見た目は地味だけど、しっかりしたいい子ね。そうそう、ジル。どうしても貴方に会いたいっていうお嬢さんがいるのよ。明日のサンディアナ伯爵家のサロンなんだけど、」

「姉上、違いますよ」


 令嬢と引き合わせようとするミランダの言葉を遮って、ジャイルズは、ぐい、とフィオナの肩を抱き寄せる。


(えっ?)


 はっとして見ると、たいへん整ったジャイルズの顔が至近距離にある。驚くフィオナを灰碧の瞳が見つめ、唇が不敵に笑みの形を作った。

 美しすぎる迫力に声も出ない。


「ミス・フィオナ・クレイバーンは、私の恋人です」








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