第11話 突拍子なくも唯一の

 ぴん、と立てられたリチャードの人差し指を凝視して、フィオナは今聞いたばかりの言葉を反芻した。


(「恋人になればいい」? 私とローウェル卿が? 恋人?)


「「は?」」


 ようやく理解して聞き返せば、うまい具合に声が被った。

 思わずジャイルズのほうを見ると、向こうも目を丸くしてフィオナを見ている。

 美麗で冷たい灰碧の瞳も、そんなふうにすると案外可愛らしい。


「あははっ、もう既に息ピッタリじゃないか!」

「え、え?」

「これなら、恋人のフリも問題ないね」

「「恋人のフリ?」」


 また声が重なって、さらに笑われてしまった。

 フィオナが必死に脳内を整理している間に、ジャイルズは立ち上がってリチャードに詰め寄る。


「ちょっと待て。なにを馬鹿なことを」

「まあ、聞きなよジル。あのね、ミス・クレイバーン。昨夜のアレを見て察しはつくだろうけれど、ジルも異性関係には困っていてね」

「あ、はい」


 降るように届く縁談を片っ端から断っているのは有名な話だ。否定することではなく、フィオナは素直に頷いた。


「コイツはまーったく結婚に興味ないのに、パーティーに出るといっつもあんな感じで追いかけまわされるんだ。もうずっと、挨拶の後は逃げ隠れてばっかりだよ」


 なんだそれは、面倒くさい。それでも出席しなくてはならないのだから、社交というものはややこしい。

 フィオナは眉を寄せた。


「聞いているだけで大変そうです」

「だよねえ。まあ、ジルが縁談を避けるのは、君みたいにちゃんとした理由があるわけではないかもだけど」

「何気に失礼だな、リック」

「あら、理由の内容なんてどうでもいいですよ?」


 異を唱えたフィオナに、ジャイルズは意外そうな顔を向けて、リチャードはまた口角を上げた。


「なんとなく、っていうのも立派な理由です。だって、心の奥で感じているんですから。それって本心でしょう」


 暗闇に薄気味悪さを感じるのと同じだ、とフィオナは真顔で言う。

 なんとなく怖いから。なんとなく嫌だから。

 それだって、ちゃんとした理由だ。


「身近な具体例で説明できれば、他人の同意を得やすいというだけのことですよね」


 あっさりと言い切るフィオナに、リチャードに詰め寄っていたジャイルズは少し気勢を削がれたようだ。


「……面白い考えですね」

「だって、心の中の全部を言葉で説明できたら、歌も絵もいりませんし」


 自分の気持ちを整理しきれないとき、ほかのなにか――例えば、音楽や絵画が手伝ってくれることもある。

 フィオナはそのことを身をもって実感しているし、だからこそ叔父の手伝いにも執心してしまうのだ。


「あ、ごめんなさい。お話が逸れました」

「ああ、いや、うん」


 リチャードを見上げれば、彼はひとつ頷いてコホンと仕切り直した。


「つまりね、ミス・クレイバーンは近々決まりそうな婚約を阻止したい。ジルは押し寄せる求婚者を退けたい。それなら、二人が偽の恋人同士を演じればいいじゃないか、っていう簡単な話さ」


 決まった相手がいるということは、牽制になる。

 持ち込まれる縁談の数を皆無にすることは無理かもしれないが、断る口実としてはもってこいだとリチャードは胸を張る。


「失礼だけど、婚約予定の幼なじみ君はジルより家格は下だよね?」

「はい、私の家と同じ男爵位です」

「うん、好都合。ジルが相手なら引かざるを得ない」


 身分差の影響は強い。よほどのことがない限り、重鎮貴族の嫡子に歯向かおうとも思わないだろう。

 急に現実的になった話しぶりにフィオナは目を瞬かせ、ジャイルズは不機嫌そうな声を出した。


「リック、もう少しまともなことは思いつかないのか」

「えー、考えうる限りの最善だと思うけど」

「だいたいにして、彼女とは会ったばかりだ」

「それがいいんだよ。今までに接点がないからこそ『運命的な出会い』で『一目惚れ』っていうことにして、多少の無理は誤魔化せる」


 自信満々なリチャードの提案に、ジャイルズは大きくため息を吐く。

 だが、フィオナには、じわじわとその提案がしみ込んできた。


(たしかに、私に恋人がいれば……)


 ノーマンとの婚約のことは、まだ父から知らされていない。

 現状、フィオナはフリーなのだから、恋人ができたことに対して咎められることはないはずだ。


 両親は貴族にしては珍しく、恋愛結婚をした。

 今も亡くなった母を愛し続ける父はきっと、フィオナに相思相愛の恋人ができたなら、ノーマンとの結婚を強行しないはず。

 それが無理でも――


「……少なくとも、時間稼ぎにはなりますね……」


 娘の婚約が発表されるのは、自家主催のパーティーの時になる。そう裕福ではないクレイバーン家で催される回数は多くない。シーズン中に普通は一回、多くてもせいぜい二度だ。

 だから半月後のパーティーをしのげれば、まずはいい。


「ミス・クレイバーン?」


 うまくすれば一年くらい引っ張れるかもしれない。

 そうすればセシリアも成人し、フィオナは叔父と共に旅立てる。

 明らかに戸惑いを含んだジャイルズの呼びかけも聞こえないほどに、フィオナはリチャードの提案に夢中になった。


「どうしましょう。すごくいいお話に思えてきました」

「だろう?」


 両手で頬を包み真顔で考え込むフィオナに、リチャードは満足そうだ。しかしジャイルズは、話にならないと額を押さえる。


「待て、二人とも。少し落ち着いてくれないか」

「あのなあ、ジル。夜会の度にお前を助け出すのだって限界があるんだよ」

「それは……悪いと、思っている」


 大人しく詫びるところを見ると、負い目に感じているらしい。

 社交的でパーティー好きのリチャードだから、もう少し気軽に楽しみたいのだろう。


「それに今週末は、バーリー伯爵家の夜会だろう? キャロライン嬢が、手ぐすね引いて待ちかまえているだろうなあ」

「う……」

「ダンスも一度で済めばいいな?」


 昨晩、小庭園まで先頭切って追いかけてきた令嬢だとリチャードに説明される。あの令嬢たちの中で一番、ジャイルズに執心しているようだった。

 さすがに主催者からは逃げられない。

 苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでしまったジャイルズに、フィオナは問いかけた。


「あの、ローウェル卿。シーズンが終わって領地に戻られても、縁談は多いのですか?」

「え?」

「つまり、御領地まで、ご令嬢方は追いかけてきます?」

「いや、さすがにそこまでは――って、ミス・クレイバーン?」

「では、まずは一度その伯爵家の夜会で試してみませんか? それで効果があるようだったら、引き続きそれっぽく振る舞うのはどうでしょう」


 リチャードの提案がうまくいく保証はないが、やってみないと分からない。

 現状なんの解決策もなく、どん詰まりなのは二人ともなのだ。


「最短で半月。最長でも、このシーズンの王都にいる間だけ」


 フィオナとしては、とりあえず半月後のパーティーでの発表が流れればいい。ジャイルズも王都にいる間の猛攻をやり過ごせればいいだろう。

 そう言って居住まいを正すと、しっかりとジャイルズと目を合わせる。

 女性が苦手で結婚を嫌がっている彼のために、これだけは断言しておかないといけない。


「大丈夫です。お芝居からは逸脱しません。絶対に、ローウェル卿を好きになったりしないって誓います」

「誓っちゃうんだ」


 ふはっ、とリチャードが吹き出すが、フィオナは真剣だ。


「ご心配でしたら誓約書でも契約書でも署名します。恋愛感情は一切持ちません」

「ミス・クレイバーン」

「美術鑑賞は仕事ですし趣味です。美しいものは大好きですが、反面、見慣れてもおります。そして生身の人間に対しては私、まったく面食いではございません」


 至極真剣に答えたのに、リチャードは盛大に笑い出すし、ジャイルズはますます困惑顔になってしまった。


「ははは、いいなあ! ジル、お前の外見全否定だよ」

「綺麗ですし素敵だと思いますよ? 恋愛対象として私に響かないだけで」

「じゃあ、俺は?」

「ラッセル卿は……違うタイプの美形ですが、失礼ながらそれでどうこうとは」

「あっははは! いいよ、うん、すごくいい」


 なにがおかしいのか、リチャードは腹を抱えて笑っている。

 ジャイルズは口元をへの字に曲げて、こんな話の最中だと言うのに、そんな表情もできたのかとフィオナは新鮮に感じた。


(……そうよね。冷徹貴公子も普通の人間なんだから、感情があるに決まってるじゃない)


 表情の変化そのものは乏しいが、灰碧の瞳にはその度にちゃんと内心が浮かぶ。

 自分も結局、噂を鵜呑みにして先入観に凝り固まっていたのだとフィオナは反省した。


 そう、先入観。

 それを抜きにして考えると、リチャードの案は確かに突拍子もないが、唯一の方法に思えた。

 偽の恋人など、小説やお芝居の中でこそ出てくるが、実際には聞いたことがない。

 現実的ではないからこそ、案外騙されてくれるのではないだろうか。


「だって私、本当に困っているのです。ローウェル卿は違うのですか?」

「私も辟易しているが、そんな芝居でどうにかなるとは」

「そうでしょうか。噂好きな人たちは、むしろ喜んで食いつきそうです。相手が私では釣り合いは取れませんが、その意外性が逆に本当っぽく受け止められるかもしれませんし」

「え、釣り合わないことはないと思うけど?」


 相手が自分では見劣りがすると言い切るフィオナに、リチャードが一応フォローを入れる。そうはいっても、二人が並んでどう見られるかは自明だ。


 きっと面白おかしく噂されるだろう。多分、フィオナにとってはあまり喜ばしくない方向に。

 ――意地を張らないで、素直に婚約を受け入れればいいのだと、理性では知っている。

 でも、それこそフィオナの心の奥が「それは駄目だ」と言うのだ。


 一旦婚約が成立してしまったら、破棄は難しい。

 なんの瑕疵もない相手に婚約破棄を申し出れば、今まで良好だった両家の間にも亀裂を生むことは間違いない。

 ならば、取れる手段は事前に防ぐことくらいだ。


「……いざとなったら、家族に黙って家を出るつもりでした」


 不意に落とした声と視線に、二人は息を呑んだ。そこまで思いつめているとは思わなかったらしい。


「ほかには、私が死ぬくらいしかないですから」

「それは極端では」

「では、穏便ににする方法がほかにありますか?」

「……いや……無い、だろうな」


 フィオナの冷静な見解を、ジャイルズも渋々認めた。


「ですよね。それに、私と婚約しないほうが、彼にとってもいいんです」


 どうしても、祭壇でノーマンの隣に立つ自分を想像できない。

 結婚式のベールの下に思い浮かぶのは、むしろ妹のセシリアの顔なのだ。


(どうなるかは本人たち次第だけど、少なくともそこは私の場所じゃない)


 ノーマンは大事な幼なじみだ。少し頼りないところもあるが、あんなにいい人はそういない。

 惰性で自分と結婚するのではなく、ちゃんと好きな女性と一緒になってもらいたい。


 父からは母の分までも十分に愛してもらっている。

 セシリアだって大切で大好きな妹だ。

 ハンスを始め、使用人の皆とも別れたいわけではない。


「勝手に家を出て、家族を傷つけるのはやっぱり、つらいです。ほかに方法があるのなら私、なんでもします」

「ミス・クレイバーン……本気ですか?」

「ええ、心から。お願いします、ローウェル卿。どうしたらご協力いただけます?」


 フィオナはジャイルズを真っすぐに見つめる。

 二人の視線が交わって、ひと呼吸。ジャイルズの口が何か言おうと開きかけた時。

 突然音を立てて全開にされた扉から、目も覚めるような美女が飛び込んできた。







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