第81話 時は流れて

 さらさらとペンの走る音がする。

 明るい事務室で、フィオナは高齢の貴婦人と書面を交わしていた。


「これも確認してくださる、フィオナさん?」

「失礼します……はい、問題ありません。これで契約の手続きはすべて終了です」

「ふう、ようやくね。お疲れさま」

「ランベール夫人こそ」


 最後に署名欄にサインを記し、お互いほっとした笑みを浮かべる。

 ――叔父のレジナルドについて各地を回って、二年。

 現在フィオナたちは、隣国――かつて自国と戦った、ポアレの故郷に滞在していた。


 通り過ぎただけの国も、それなりに長く暮らした国もあるが、フィオナは今も画廊の仕事を続けている。

 これまで書面でのみやり取りをしていた画家や画廊の店主らと直接会って既存の関係を深めたり、新しい取引先を得たり……業務の意義以上に、過ごす時間は充実していた。


「なんだか不思議ね。私の持っていた絵が、よその国の美術館に飾られるなんて」

「輸送や展示の際には、十全を期しますので」

「心配していないわ。あなたは前もしっかりやってくれたし」

「ありがとうございます、ランベール夫人」


 今度、フィオナの国と今いるこの国の二国で合同の美術企画展が開催されることになった。

 戦後の国交回復周年記念で、両国に縁のある画家の絵を集め、展示するのだ。


 国が主催だが、展示作品の収集については個人画廊も協力の依頼を受ける。

 ちょうどこちらに滞在していたフィオナのもとには、ロッシュ経由で声が掛かったのだった。


 目の前のランベール夫人は、レジナルドが以前に旅をしていたときに出会ったチャック・デンゼルの縁者だ。

 故デンゼルの作品譲渡の際にアカデミーと夫人の間を取り持って以来、フィオナとは季節のカードや手紙を送り合う仲だったのが幸いして、今回、企画展用の絵を借りられたのだった。

 なにがいつ、どう繋がるか分からない。そんなところも、仕事の愉しみである。


 二人の傍らには、夫人のコレクションから美術館に送る絵が置いてある。

 そのなかの一枚、こぼれ落ちそうな盛りの花を画面いっぱいに描いた静物画は、ようやく見つけたポアレの作品だ。


 この国の出身であり、故国の宮廷画家でもあったポアレは、戦争に翻弄された事実も合わせて二国間に深く縁のある人物である。

 現存する作品がほとんどないと言われる彼女の作品を展示できることは、フィオナにとっても感慨深い。


 この二年、旅をする傍らでフィオナはポアレの絵を探してきた。


 フィオナのゴードンに対する感情は少し複雑だ。

 自分が危ない目に遭ったのも事実だし、ルドルフやサックウィル卿、王弟殿下など人生を変えられた者もいる。

 彼が許されないことをしたのは間違いない。

 しかしそこに至る背景を思えば、単純に「悪い」と言って済ませられもしない。


 継承権を捨て、ポアレが愛した花を育てることが王弟の贖罪ならば、フィオナは彼女の絵を探し、もう一度世に出すことによって、ポアレの生きた証を残したいのかもしれない。


(……ゴードンに対抗しているのかもしれないわね)


 生きていること自体が無駄だ、と投げ捨てるように言った彼は、ポアレの絵がずらりと並んだところを見たらどんな顔をするだろう。

 美術館の一室を彼女の絵で埋めて「ポアレの間」を作るのが、今のフィオナの願いだ。


 とはいえ、あれ以来、オットー・ゴードンの名前を聞くことはない。故国では推定死亡で処理されたそうだ。


 サックウィル卿の事件の際にゴードンから没収したポアレの絵は現在、王家所有の一枚と対のように並んで王立美術館に飾られている。

 美術展ではこのランベール夫人の一枚もそこに加わり、見所の一つになる予定だ。

 もう一度、絵に視線を向けて夫人は目を細める。


「ポアレが三枚もだなんて、華やかでしょうねえ」

「ええ、本当に」

「多作だったはずの画家なのにね、まったく惜しいこと」


 優美でありながら軽薄さがない絵は、さすが宮廷で愛されただけはある。このような作品が、戦時とはいえ無造作に処分されたのだ。

 しんみりとした空気を払うように、夫人はパンと両手を合わせて楽しげな声を上げた。


「さあ! では、フィオナさん。今夜のレセプションパーティーでまたお会いしましょうね」

「ランベール夫人……どうしても私も出なくてはいけませんか?」


 フィオナはこの二年、公的なパーティーを避けてきた。

 レジナルドの正体が秘密なこともあるが……ジャイルズの噂を聞きたくなかったのだ。

 高位貴族の世界は、国を越えてもどこかで繋がりがあることが多い。名家のバンクロフト伯爵家なら尚更だ。


 それに今回、図らずも大きな企画を手伝うことになったが、フィオナが関わったのは全体から見たら僅かな部分でしかない。

 そんな自分が、と遠慮するフィオナに、夫人はずいと詰め寄る。


「あなたが騒がしいところが苦手なのは知っているけれど、私もそうなのよ。ほら見て、今も緊張で手がこんなに!」


 がっしと取った手をわざとぶるぶる震わせながら、夫人は楽しげにウインクまで披露してみせた。


「お国からご友人も来られるのでしょう?」

「それは、ええ。そうです」


 今夜のパーティーには、フィオナの国からの出席者も多い。アカデミーのリスター調査官や美術館の職員たち、それにロッシュも参加する。

 ロッシュは時々フィオナたちを訪ねてくるが、リスターは久しぶりだ。会えるなら会いたい。

 ぐらりと揺れた心を見透かすように、夫人は小首を傾げて少女のように可愛らしく懇願してくる。


「お願いよ。こんなおばあちゃまをたった一人で放り出さないで」

「ランベール夫人」

「ね?」


(大丈夫……よね)


 両国のスタッフが一堂に会するが、参加する貴族は多くない。そもそも参加者名簿も確認済みだ。

 名前くらいは耳に入ってしまうかもしれないが、きっと知らないふりができるだろう。


「……はい、分かりました」

「約束よ!」


 そうして了承すれば、パッと笑顔になった夫人につられて、フィオナの顔にも笑みが広がったのだった。





 オルガの手紙によると、フィオナとジャイルズの交際はあれだけ王都の社交界を賑わせたにもかかわらず、翌シーズンは別の話題ばかりだったそうだ。

 ジャイルズが多忙でほとんど社交の場に姿を見せないことも、二人のことが取り沙汰されない理由の一つらしい。


 そのジャイルズとは、セシリアに預けた手紙を一方的に送りつけただけで、まったく連絡を取っていなかった。

 クレイバーンの家に来たが居場所は教えなかったと聞いて以来、家族からの手紙に彼の名前が出たことはない。


(元気、かな)


 自分から離れたくせに、思い出さない日はなかった。

 どこか穴が空いたような心を持ち続けるのにも慣れてしまった。

 慌ただしい日々のなか、できることを頑張ってはいても顔を合わせる自信はまだない。


 でも――この秋に行われるセシリアとノーマンの結婚式のために、一度クレイバーン領へ戻る予定だ。

 王都には寄らないからジャイルズと会うはずはないけれど、帰国を思うとなんとなく落ち着かない。


 そうはいっても、先日立ち寄った渓谷の町で、領地の助けになりそうなアイデアも得た。そのことを父たちと話し合いたいとも思っている。


(今日のパーティーが、帰る練習になるわね、きっと)


 母国語で他人と話すのも久しぶりだ。

 帰宅する頃には気を持ち直したフィオナだが、レジナルドに事情を話すと、着ていく衣装に待ったがかかる。


「フィオナ。そのドレスじゃなく、こっちにしなよ」


 いつも通りの無難なドレスを手にするフィオナに、レジナルドがいい笑顔でアイボリーホワイトのイブニングドレスを差し出してきた。

 初めて見る、金糸の刺繍が入っている美しいドレスにフィオナは眉を寄せる。


「叔父様、このドレスどうしたの?」

「まあ、気にしないで。今夜は僕も行くし、お洒落しよう」

「気にしないでって、そんな……えっ、叔父様も行くの?」


 仕立て下ろしのドレスをぐいぐいと押しつけてくるだけでなく、パーティーに自分も出席すると言うから、フィオナはさらに驚いた。


「ロッシュが僕にも招待状を送ってきたんだよ。今日の会場って普段は入れない旧館でしょう。あそこにさあ、年代物のいい階段があるんだって」


 叔父の言葉にフィオナは納得した。

 動植物や風景画を多く描くレジナルドだが、古い建物や凝ったしつらえがインスピレーションの元になるとかで、劇場など豪華な雰囲気を感じられる場所も好む。

 元は貴族の邸宅だったり、古城を改築したレストランなどに着飾って連れ出されたことが度々あったが、今回もそういうことらしい。


「でも、叔父様。劇場やレストランと違って、パーティーは会話が必要よ」

「ロッシュもいるし、面倒になったら帰るから。そういうわけで、フィオナはこれ着て。さ、時間ないよ。準備準備!」


 気楽そうに笑って、レジナルドは自分も支度をするからと出て行ってしまった。


「もう、叔父様ってば。あ、でもこのドレスって……どうしよう」


 苦笑しつつ着替えを始めたフィオナだが、困ったことにレジナルドが渡してきたドレスは胸元が広めに開いていた。

 ジャイルズからの指輪は、服の下でネックレスチェーンに通して胸元に下げるのがここ二年の定位置だ。だが、それでは変に目を引いてしまうだろう。

 しかも、ドレスと揃いのレースチョーカーも用意されている。両方着けると首飾りが二重になってしまい、フィオナには重い。


(指輪は置いていく? でも……)


 お守りのように毎日身につけていたものだから、ないと心細い。


「……今夜だけね」


 チェーンから指輪を抜いて、本来の場所である薬指に嵌める。

 久しぶりに手元で輝く指輪は、なんだか落ち着かない。隠すように上から手袋を着けて、フィオナは支度を終えた。



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