第22話 バーリー伯爵家の夜会

 パートナーを同伴しないはずのジャイルズに娘をあてがい、あわよくば――との算段が見事に狂ったバーリー伯爵夫妻は、笑顔が引きつっていた。 


 美しく着飾った巻き毛の伯爵令嬢が目の前にいるのに、ジャイルズは一顧だにせず、フィオナの腰を抱く手も離れない。

 おかげでキャロラインからはかなりキツく睨まれたが、この程度は想定内だ。


 夫妻がなにか言いかけるも、ジャイルズがうまく会話をリードする。

 如才ない彼の隣で、声を発する隙もないまま、主催者一家への挨拶は済んでしまった。


「あれでよかったのですか? 私、なにもしていません」

「特別になにかをする必要はないと言っただろう」

「それはそうですが……」

「ダンスも請われずに済んだ。上出来だ」


 カーテシーを披露するだけの、簡単すぎるお役目だった。

 拍子抜けするフィオナと対照的に、ジャイルズはご満悦である。華やかな会場の雰囲気とも相まって、それでなくても美麗な容姿が光って見えるほど機嫌がいい。


 にこやかな笑みを浮かべる彼は、誰が見ても珍しいらしい。

 フィオナだけではなく、ジャイルズにも多くの視線が寄せられるのを感じながら広間を進む。


「すごいな。君が隣にいると普通に歩けるのか」

「……お役に立ててよかったです」


 弾む声でそんなことを言われて、不憫を通り越して、かわいそうになってきてしまった。

 まっすぐ歩けるだけで嬉しいだなんて思いを、フィオナはしたことがない。


(人気があるのは、悪いことではないはずなのに)


 だがフィオナも、到着してからの短い時間で注目されることによる疲労はつくづく実感できた。

 たとえ好意であっても結局、過ぎるものは負担なのかもしれない。


 見回すと、趣向を凝らした飾り付けや、目にも美しいビュッフェがある。

 数えきれないほどのパーティーに出席していながら、これらを堪能できたこともないのだろう。


(せっかくだし、今日は楽しめるといいわよね)


 自分がいることで、少しは気楽に過ごせればいい。

 そんなふうに思いながら横を見ると、ジャイルズと目が合う。

 どちらともなく微笑みあえばまた周囲にどよめきが起こるが、もう気にしないことにした。


 バーリー伯爵家お抱えのコックは腕がいいと評判だ。

 珍しい品ぞろえのオードブルやデザートにも目を奪われるが、ジャイルズは飲み物をトレイに載せて歩くホールボーイを引き止める。

 緊張のせいで喉が渇いたフィオナに気づいていたようだ。


「なにか飲むか」

「では、お酒の入っていないものを」

「飲めない?」

「念のためです」


 飲めないわけではないが、飲み慣れているわけでもない。

 まさか今日に限って酔っ払って失敗するわけにもいかないとこっそり伝えれば、褒めるように頷かれた。


 今夜のジャイルズは、フィオナに見せるようになった少しぶっきらぼうな態度は封印らしい。

 機嫌がいいこともあるだろうが、必要以上に甘やかな表情を向けてくる。

 その俳優ぶりに感嘆しかない。


 とはいえ、灰碧の瞳の奥には楽し気な気配が時折見え隠れする。

 フィオナが驚いて固まったり、言いくるめられて悔しそうにするたびに、何度も浮かんだのと同じものだ。


(あれには注意しなくちゃ)


 今のところ出だしは上々だが、調子に乗られてはかなわない。

 恋人役として余裕ぶって笑顔を返すだけでも、なかなか骨が折れるのだ。


 ――それにしても。


「……本当に、誰も話しかけてきませんね」


 フルートグラスに注がれたコーディアルをジャイルズから受け取りながら、ぽつりと呟く。


 足を止めれば、知りたがりの客たちに取り囲まれるだろうと構えていたのに、一向にそんな様子はない。

 ただひたすら遠巻きに視線がよこされるばかりで、逆に戸惑ってしまう。


 もちろん、あれこれ聞かれたいわけではない。関わらないで済むのなら非常に心安い。

 とはいえ、ここまでの放置ぶりは少々予想外であった。


「それならそれで構わない。詮索されても面倒だからな」

「ジャイルズ様」

「心配か? なら、彼らがわざわざ確かめるまでもなくすればいい」


 そう言って指輪がはまるフィオナの手を取ると、見せつけるように唇を寄せる。

 例の、いたずらっぽい目をして。


(もう、また!)

 

 思惑通り、令嬢たちから悲鳴のような奇声が上がる――と、聞き覚えのある声が背後から聞こえた。


「はいはい、仲のよろしいことで」

「リック」


 リチャードの登場だった。

 言いたいことも聞きたいことも山ほどあるが、まずはほっと息を吐く。


 ふり返れば、こちらはこちらで本日も大変麗しい貴公子ぶりだ。

 社交界の人気者二人が揃ったことによりさらに増えた注目具合は、ここが本当の舞台上であるようだ。


「こんばんは、ミス・クレイバーン」


 いつのまにか取られた手の向こうに、愉快そうに細められたターコイズブルーの瞳が覗く。

 あ、と思うまもなく、リチャードの唇が指に触れたのだが。


(……違、う?)


 持たれた手に、触れた唇に。

 強烈な違和感が残った。


「夜会を楽しんでいますか?」

「っ、え、ええ。ありがとうございます」


 なぜそう思ったのか――確かめる間も無く、リチャードの手は離れていた。

 奪い返されるようにジャイルズの元に戻った自分の手が、ほっとしているように感じるのはどうしてだろう。


(でも……それもそうよね)


 この一週間ですっかり慣らされたジャイルズとの接触に比べ、リチャードはあの応接室以来だ。

 別人なのだから違って当然だし、もちろん慣れてもいない。


 そう自分を納得させていると、今度は一口しか飲んでいないコーディアルを取り上げられた。

 踊って、仲の良いところをもっと見せつけてくるようにという指令らしい。


 やることがいちいち唐突だが、嫌味のないリチャードの笑顔は、強引さも仕方がないと許してしまうパワーがある。


「『熱愛中』なんだから、ぴったりくっついて踊るんだぞ」


 二人にだけ聞こえる声で、にんまりと上がる唇が囁く。


 心配しなくても自分のすることは分かっている。

 だからこれ以上、ジャイルズを煽らないでほしいのに。


 おかげさまで、踊るにはちょっとくっつきすぎじゃないかとも思える距離だったが、ワルツの途中でキャロライン嬢がぷりぷりしながら退出するのが見えた。

 とりあえずは役割を果たせたようで、胸をなでおろす。


(よかった。及第点は取れたみたい)


 派手にくるくると回されて曲が終わると、いつの間にか、リチャードも踊りのスペースに来ていた。


「はい、交代」

「……」

「心配するなって。さすがに少しはあしらってこい」


 くい、と親指で背後の人々をそれとなく指されると、いかにも渋々という様子でフィオナの手がリチャードへ渡される。

 惚れ惚れする演技っぷりには感心しかない。

 恋人っぽく、自分も離れがたいような空気を出さねばと思うのだが、久し振りのワルツで息が上がったフィオナはそこまでの余裕がなかった。


 後ろを気にしながらダンスの輪を離れるジャイルズを目で追っていると、くすくすとリチャードに笑われる。


「うまくやっているようだね」

「はい、おかげ様で」


 ジャイルズより少し背の高いリチャードのポジションに戸惑ったのは最初だけで、この道のエキスパートである貴公子はダンスのリードも完璧だ。

 続く曲が、比較的ゆっくりとしたテンポのワルツだったのも幸いだった。

 おかげで少し、話す余裕がある。


「あの、ラッセル卿。ジャイルズ様に、一体どんなアドバイスをなさっているのですか」

「ん?」

「少し、やりすぎな気がするのですけれど」

「ふうん? 例えばどんなことが?」

「ど、どんなって……」


 思い出して目が泳いでしまった。

 ちょっと、さすがに言いづらい。

 言いよどむフィオナを眺めて、リチャードはにやりとする。


「具体的に教えてくれないと、やり過ぎかどうか僕には判断できないなあ」


(こ、この人ってば!)

 

 愛想よく棒読みされて、ステップの代わりに地団駄を踏みたくなる。

 抗議が顔に出ていたのだろう。リチャードはフィオナの機嫌を取るように笑顔を浮かべた。


「はは、ごめんごめん。でも真面目な話、教えたのはごく一般的なことだよ?」

「……本当ですか」

「もちろん。ただねえ、今でこそあんなだけど、ジルはもともと世話好きなんだよ。もしかしたらそれが復活したのかも」

「え」

「飼ってた犬とか、すっごい面倒見てたし」


 ということは、自分は犬と同列なのだろうか。

 ……それなら、少し納得がいく。


「えっ、今ので納得した顔されても困るんだけど」

「スキンシップが多いのはそういうことかと、はい」

「犬代わりって? いやいや、まさかぁ」

「では、猫でしょうか」


 吹き出されてしまったが、それが一番しっくりくる。

 少なくとも「人間の女性枠」ではないのだろう。


「ぷっ、はは……まあ、それは別として。十年くらい前までは、女の子にも普通に接してたんだよ。婚約者もいたし」


 婚約者。

 その単語にフィオナは目を瞬かせる。

 女性嫌いとばかり耳にしてすっかり失念していたが、伯爵家の嫡男なのだ。いないほうがおかしい。


「でも、なんでか婚約はなかったことになって、同じ時期に可愛がってた犬も死んでさ。その頃からあいつ、人と――っていうか、女の子と距離を置くようになったんだよね」

「そう、なのですか……」


 事情は分からないが、ショックなことが立て続けに起こったなら辛かっただろう。

 くるりとターンをした時に、数人の同年齢の男女に囲まれるジャイルズが映る。

 ちらりと目が合った気がした。


「ジルの婚約はそれっきり。元婚約者はとっくに別の人と結婚してるから、義理立てする必要もないはずなんだけど」

「ラッセル卿は、ご結婚されないのですか?」


 どうしてか、ジャイルズの過去の婚約話はそれ以上聞きたくなくて、フィオナはリチャードへ話を向けた。


「俺? 俺はまだいいなあ。それより君は? 幼なじみくんのほかに、今まで婚約の話とかはなかったの?」

「ないですよ。持参金がありませんもの」


 宝石を売って医療費をやりくりしてきたクレイバーン家に、十分な持参金を持たせる余裕などない。

 にこりと笑って言うと、目を丸くして驚かれた。


(あれ、おかしいな。貧乏貴族だって知ってるはずなのに)


 持参金は、貴族の結婚には不可欠だ。

 嫁ぎ先で困らないための嫁入り道具の一つだが、妻の財産であると同時に、婚家への支援でもある。

 当然、その額が大きければ大きいほど結婚には有利だし、逆に持参金が用意できなければ結婚などできない。


 婿入りなら持参金を払うのは男性側になる。だからこそ、河川工事費用の一部としてヘイズ家が負担してくれることになったのだ。

 これもまた、父男爵がフィオナの婿取りに固執する理由の一つに違いない。


(私としては、それこそセシリアにお願いしたいのだけど)


 フィオナは働いて自分を養える。無理に家に残る必要はないのだ。


「なーるほどねえ……」


 持参金のない娘など、たとえ一時の恋人になれたとしても、実際には婚約も結婚もありえない。

 それが分かっているから、リチャードは「恋人のフリ」だなんていう提案をしたのだと思っていた。


 結婚を迫るような心配がなく、もしそうなっても実現は不可能だから。


 だというのに、しげしげとフィオナの顔を眺めたリチャードは、またなにか企んだような笑顔を見せる。


「ん。まあ、どうにかなるだろ!」


(なにが?)


 聞きたかったが、ちょうどそこで曲が終わってしまった。

 ……面白がってはいるが、リチャードがジャイルズのことをちゃんと考えているのは間違いなさそうだ。

 ジャイルズも、リチャードの助言をすんなり受け入れているのがその証拠だろう。

 高位の貴族として交友範囲が制限されるなか、幼い頃からこういう関係が持てたのは幸いだと思う。


 おしまいの礼を交わす間に傍に来たジャイルズに、リチャードは苦笑いを浮かべる。


「ちょっとさあ、迎えに来るの早すぎない?」

「……知るか」


(ほんと、この二人。仲良しだなあ)


 フィオナは本来のパートナーに手を引かれて、三人で踊りの輪から離れたのだった。



 §



 カツカツとヒールの音を高く鳴らしながら、キャロラインは人気のない廊下を進んでいた。

 ついてきた取り巻きの令嬢たちも、侍女もみんな追い払った。

 顔色をうかがった白々しいおべっかなど今は聞きたくない。


「なんなのよ、あの地味女……!」


 待ちに待った今夜のパーティーで、ジャイルズは自分と踊るはずだった。

 一曲だけでなく、二曲でも三曲でも引き止めて、そのまま離さないつもりだったのに。


 目を閉じても、頭を振っても、ジャイルズがフィオナに向けた笑顔が離れない。

 あの笑みは、周囲の注目は、自分こそが受けるべきものだ。


(――絶対におかしいわ!)


 美人でもないし家柄も大したことない。

 スタイルだって、ドレスだって自分のほうがずっと上だ。


 それなのに。


 堪え切れない不満が溢れて、バン、と扇を打ち鳴らした時。

 背後から声がかけられた。


「失礼、ご令嬢。レディ・キャロラインとお見受けする」

「……あなた、誰よ」


 聞き覚えはないが、艶のある声にキャロラインは足を止めて振り返る。

 背の高い男性が立っていた。


 ブルネットの長い髪を襟元で一つに束ねている。

 整った顔立ちと隙のない着こなしは貴族らしくあるが、パーティーの招待客にしては雰囲気が物々しい……心中穏やかでないキャロラインは、そこには気づかなかったが。


「お願いがありましてね。ローウェル卿の隣にいた女性なのですが」


 ――少し、お話を。


 薄い唇に胡散臭い笑みを浮かべたその男を、キャロラインは睨むように見返した。









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