第23話 宴は過ぎて

 ダンスを終えて戻ると、話しかけてくる人もちらほら現れた。

 だが、ギャラリーで面識のある人が声を掛けてくれたのだったり、フィオナどうこうではなく別件でジャイルズに話があるような人達ばかり。

 直接文句を言ってきたり、なにかを仕掛けてくる令嬢は一人もいなかった。


(ほっとしたような、肩透かしのような……ううん、文句はないけど!)


 覚悟して臨んだ身とすれば、平穏を祝う一方で自分の存在意義が疑問である。

 ダンスにしても、ジャイルズが堂々と「ミス・クレイバーンのダンスカードに空欄はない」と宣言するものだから、断りの言葉を探す暇もなかった。


 結局、リチャードも時折交えて飲んだり食べたり、飾られた絵画を見たり――歴代の肖像画を熱心に見ていたら、なぜかバーリー伯爵が現れて懇切丁寧に解説してくれたりもした。

 愛娘のキャロラインは、装飾品以外の美術品や自家の歴史には全く興味がないらしい。

 もったいないことだと意気投合する伯爵とフィオナを、ジャイルズが苦笑いして眺めていたような気がする。


 そんなふうに時間が過ぎて、今は帰りの馬車の中。

 走り出すとすぐに、ジャイルズに顔を覗き込まれた。


「疲れたか?」

「少しは……でも疲れたというより、とても楽しかったので。何事もなくてよかったのかなあ、と」


 浮かない顔をしていたかもしれない。

 思わず両手で頬を押さえながら正直に言うと、今日は終始機嫌のいいらしいジャイルズにまたくすりと笑われてしまう。


「面倒な目に遭いたかったのか」

「そ、そういうわけではありませんが。結局、キャロライン様も戻られませんでしたし」

「ああ、そういえば」


 本日の第一目標だったはずなのに、言われて思い出した様子のジャイルズである。


「もしかして忘れていました?」

「広間からいなくなってからは、そうだな。忘れていた」


 ジャイルズの気持ちを考えずに猛攻するキャロラインはどうかと思うが、想いは一片たりとも響いていない様子である。


(仕方ないかもしれないけれど、全然伝わっていないって……)


 同じ年頃の同性として、同情の気持ちが無くもない。

 だが、もし自分がジャイルズの立場だったら、あんなふうに迫られるのは勘弁してほしい。


 なんとも反応に困って軽く首を振ると、はらりと一房、まとめていた髪が肩に落ちた。

 ジャイルズはごく自然にそれを掬い上げると、フィオナの耳に掛ける。


「……っ」


 こういう甘さは本来、他人の目がない時には必要のないものだ。

 ふれると驚くフィオナがいるから、誰もいない時にも練習として繰り返されているだけ。自分は飼い犬と同じ扱いだと言い聞かせる。


 分かっているし表情にはだいぶ出なくなったが、平常心で受けるにはまだ少し遠い。 


「恋人同士」として見たときに、やはりフィオナのほうが負けている気がする。

 もっとしたいが、どうすればいいかはまだ手探りだ。


「……イヤリングも揃いであったほうがいいか」


 空の耳たぶから指を離しながら、ジャイルズが独り言のように呟く。

 今夜、フィオナの身を飾っているのは例の指輪と、髪に添えた生花だけだった。


「い、いいです、大丈夫ですっ」

「そうか?」

「はい! 指輪が、目立たなくなりますので!」

「そうか」


 これ以上はご勘弁願いたい。

 必死に辞退すれば、小首を傾げるようにしながらも納得したようだった。

 どこかそわそわする気持ちを誤魔化すように、フィオナは話題を戻す。


「で、ですから。パーティーで、人気のないところに呼び出されたり、ドレスにワインをかけられたりしたらって、心の準備をしていたのです」

「それはさすがに小説の読みすぎだと思うが」


 走るのは得意だから道順だけ覚えておけば問題ないだろうとか、服のシミは乾く前に洗濯室を借りて処置しなくては、とか。

 今となっては杞憂だが、心構えだけは本気だったのだ。


 至極真剣に考えた対策に耳を傾けるジャイルズが、隠そうともせずにくつくつと笑うから、フィオナはぷいと横を向く。


「笑うのはひどいです」

「すまない。しかし、連れて行った先でそんな目に遭わせると思われていたなんて、私も信用がないな」

「そういうことでは、……っ」


 キャロラインは苛烈なところがあると聞いていたからだ。信用の有無の問題ではないと、慌ててジャイルズのほうを振り向く。

 不意に表情を改めた彼と真っすぐに目が合った。


「それでも、いいことばかりではなかっただろう。詫びるのも礼を言うのもそぐわないが……今夜は助かった」


 瞳の奥に、今夜のパーティーで頻繁に見かけた面白がるような色はない。

 それが薄灯りの車内でもよく分かって、フィオナの胸がことりと小さな音を立てる。


 ――さすがに、陰口がなかったわけではない。

 どれもフィオナを揶揄するもので、当然、気分良く聞けはしなかった。

 でもその程度は覚悟の上だったし「ジャイルズ・バンクロフトの恋人」とはそういう立場だ。相手がフィオナでなくとも言われただろう。


 もちろん、ジャイルズもその件は織り込み済みで、だからこそパーティーの間中、フィオナが一人でいることは一時たりともなかった。

 それに、リチャードも手を回してくれたのだろう。最初のダンスを終えて戻ると、フィオナに対する視線は幾分和らいでいた。


 お芝居に必要なこと以上の配慮をしてもらっている。

 詫びも礼も不要なのは当然で、なのにジャイルズがそんなことを真顔で言うから、フィオナは一瞬言葉に詰まった。


「今後も夜会に付き合ってもらうが」

「は、はい」

「次の週末はクレイバーン家のパーティーだな」

「え?」


 当然のように言い切られて、素で驚いた。

 今までの予定確認の際に、フィオナの家のパーティーが話題に出たことはなかったのだ。

 思い切り上がった疑問の声にジャイルズは眉を寄せる。


「もしかして、私は出席しないとでも?」

「いえ、ええと……」


 ノーマンとの婚約発表は見合わせると確認は取れたし、噂がこれだけ広まっていれば本人が不在でも問題ないとフィオナは考えていた。

 格下の男爵家のパーティーにわざわざ出席する必要はなく、ジャイルズもそのつもりだと勝手に納得していたのだ。


「そんな無責任なことするわけないだろう」

「……すみません」


 背もたれに体を預け足を組み替え、前を向いたまま不満を口にするジャイルズはまるで拗ねているようだ。


「ですが、私の家のパーティーにジャイルズ様がいらしたら、ますます」

「噂の信憑性が? それでいいじゃないか」


 久しぶりに会う祖父母や、親友のオルガも来る。どんな顔をして彼らの前に立てばいいのだろう。

 散々街中を二人で歩き、今日もこうして伯爵家の夜会に出ておきながら、いざ自分の範疇でとなると……なんとも言えない心持ちになるフィオナだった。


「とにかく、出席する」


 強く言われて拒否は出来ず、頷くしかない。


(あ……でも、待って。ジャイルズ様が来てくれるのなら、もしかして)


 ――を会わせることができるかも。

 急に浮かんだ考えに、フィオナの心はさっと浮き立った。


「あの、ジャイルズ様」

「……なんだ」


 まだへそを曲げているらしい。

 除け者にされたと感じさせてしまったなら申し訳ないが、不機嫌を隠さない声がなんだか微笑ましくも思う。


「ごめんなさい、謝ります。信用してないとか、頼っていないとか、そんなつもりはなくて。ただ、そこまでしてもらえるとは思ってなかっただけなんです」

「それが信用していない証拠じゃないか」

「ですよね。だから、ごめんなさい」


 自分がされたらきっと、力不足とみなされたと情けなく思っただろう。

 正直に認めて謝れば、少し雰囲気がよくなった。


「……私たちの家格が違うのは事実だが、そういう遠慮は不要だ」

「そうおっしゃってくださるの、ジャイルズ様くらいです」

「フィオナ」

「そんなジャイルズ様にお願いがあります。……我が家のパーティーに、タルボットおじ様を誘ってくださいませんか」

「タルボット卿を?」

「はい」


 よほど意外だったのだろう。

 ジャイルズは背もたれから身を起こして、フィオナのほうを向いた。


「元宰相閣下を直接ご招待することなど適いません。でも、ジャイルズ様のお連れ様として、たまたま我が家にいらしてくださるなら、そう不自然には見られないですよね」

「まあ、そうだが」


 ジャイルズの同伴ならば身分的には問題ない。

 だが、宰相職にあったタルボット卿は特定の貴族と特別に親しくすることはなかった。

 今は職を辞して私人ではあるが、ジャイルズとも面識がある程度。

 長く重用された実績の影響を慮ってか、今は夜会などにも積極的には姿を見せないと聞く。


「手紙を書きます。来たくないと断られたなら、それでいいのです。詳しいことは……ごめんなさい、やっぱり言えないのですけれど。あの、やましいことは決してありません。お約束します」


 真剣で、切実な声だった。

 揺れる車内灯にフィオナの琥珀の瞳が反射する。


「……必ず連れて行くと約束はできない。それでいいのなら」

「っ、はい! ありがとうございます!」


 ぱっと破顔するフィオナは本当に嬉しそうだ。

 くるくる変わる表情につい、ジャイルズの口元もほころぶ。


「よかった……ミリアム」


 小さく呟いたフィオナの声は、車輪の音に重なって消えた。






 ……ゆらゆらと揺れていた。

 自力で立ってはおらず、かといって椅子に座っている感触でもない。支えは少ないがしっかりと包み込まれるような、奇妙な安心感がある。

 この揺れは馬車ではありえず、陸地ではないのかも、とフィオナは思う。


(……船?)


 船ならば、叔父と一緒に国を出たのだろう。夢が叶ったのだ。

 どこへ向かうのだろうか。

 どんな景色が広がるのだろうか。まずは大海原をこの目で見たい。

 嬉しくて、楽しみで。


 ……なぜか、胸が痛くて。


 ノックの音で目が覚めた。


「お姉様、起きてる?」


 見慣れた天井に、馴染みのある寝台。薄いカーテン越しに朝の光が射している。

 フィオナは、王都のタウンハウスの自分の部屋にいた。

 体を起こすのにシーツについた手には、しっかりとイエローダイヤモンドの指輪が光っている。


 顔を上げるとドアの陰からセシリアが覗いていた。フィオナと目が合うと、ほっとしたように部屋に入ってくる。


「……今、起きたわ。私……?」

「お姉様ってば昨夜、帰りの馬車で眠ってしまったの。ローウェル卿に抱えられて降りてきたときはびっくりしたんだから!」

「え……か、抱え……っ!?」


 急病かと、皆で青くなったらしい。

 だが、ジャイルズの腕の中のフィオナは、健やかな寝息を立ててすっかり熟睡していただけだった。


「よく眠っていて、起こすのがかわいそうだったからって。きっと慣れないパーティーで疲れさせてしまったんだろうって、そのまま二階のベッドここまで運んでくださって」

「ほ、ほんとうに?」

「うん。本当」


 覚えていない。


 馬車の中でクレイバーンのパーティーの話になって、ジャイルズがタルボット卿を誘ってみると引き受けてくれた。

 そのあとも、なにかとりとめのないことを話した気が……しないでもないが、記憶は曖昧だ。

 やけに馬車の揺れが心地よかったのは覚えている。


(船に、乗った夢を見たような気がするけど)


 まさか抱き運ばれているとは思いもしなかった。

 しかも、家族全員の前で。


 ――毛布に潜っていいだろうか。

 羞恥で首まで真っ赤にしたフィオナに、セシリアはうふふ、と楽しげな笑みを浮かべる。

 母によく似たセシリアにそうされると、まるで母に微笑まれているようで、ますます身の置き所がない。


「朝ごはん、できているの。降りてきてお父様とじいやを安心させてあげて」

「うう……はい」


 初めて二人でパーティーに参加をし、キャロライン嬢も回避した。そんな一山を超えたこともあって、いろいろ安心して気が抜けたのかもしれない。

 だが、いくらなんでも。


「だめでしょう、私……!」


 妹が去った部屋で、フィオナはもう一度枕に突っ伏したのだった。








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