第44話 侯爵邸の庭とバラ(下)

 パーティーで令嬢やその家族から強引なアプローチを受けることは、ほぼなくなった。

 それは、いつも一緒に出席しているフィオナも実感している。


(まあ、キャロライン様は諦めていないようだけど……)


 ジャイルズの如才ないエスコートのおかげで接触することはないが、眼光鋭く睨まれ続けている。

 ほかにも粘り強く秋波を送ってくる令嬢もいるが、やはり遠巻きに見ているだけ。

 ジャイルズも本来の社交ができるようになって「仕事が捗る」と満足そうだ。

 

 とはいえ、伯爵家に持ち込まれる縁談についてはフィオナのあずかり知らぬこと。 

 数は減ったと聞いていたが、具体的にどうなのかを尋ねたことはなかった。


 おずおずと聞いたフィオナにジャイルズは意外そうに目を見開いてから、まなじりを和らげた。


「親戚連中が持ってくる話はゼロにはならないが、強引に誰かを連れてくることはなくなった。それに、なんといっても断るのがラクだ。十分助かっている」

「それならよかった……!」


 その返事に、フィオナは胸を撫でおろす。

 恋人のフリをしたところで、自分にしか効果がないならどうしようと思っていたのだ。


「心配だったのか? 見ていれば分かるだろうに」

「ジャイルズ様は隠すのがお上手ですから。私に気を遣ってくださっている可能性もあるかと」

「……」


 痛いところを突かれて言葉に詰まったジャイルズに、慌てて首を振る。


「あっ、違います! いいんです、嘘をついたわけじゃないですし、私にだって隠し事の一つや二つ……タルボットおじ様のこととか、言えませんでしたから」


 責めているわけじゃないと必死に弁明してもまだ冴えない表情は、怒っているというより――どうやら拗ねている。

 

(……やっぱりこういうの、うれしいかも)


 基本的に貴族の社交は、本音を隠し表情も外向きのものしか見せないのが鉄則だ。

 飾らない姿を見られるのは家族や、ごく一部の気を許した相手だけ。


 あのまま室内にいたら、この件を話すことはなかったかもしれない。

 こんな顔を見られるのなら外に出てよかったと、フィオナは心の中で庭に誘ったさっきの自分を褒めておく。


「あの、今までのやり方で効果がないのなら、あとはなにをしたらいいんだろうと考えていて」

「そうか。それで?」

「恋人役を、どなたかと代わっていただかないとダメだろうな、っていう答えになりました」

「いや、ちょっと待てフィオナ。どうしてそうなる」

「だってせっかくお芝居をしても、周りがそうと認めなければ意味がないでしょう?」


 人選に問題があるのなら変えるべきだ。

 それはジャイルズにとっても当然のことのはずなのに、機嫌は急降下したようだ。


「……私に別の女性をあてがって、フィオナは誰と恋人のフリをするつもりだ?」

?」


 予想外過ぎる質問に、一瞬なにを聞かれたのか分からなかった。

 目を丸くしたままジャイルズの言葉を反芻して、ようやく意味を理解する。


「誰ともしません。あとは『失恋したばかりで、結婚なんて考えられない』って傷心っぽく寝込んでみせればいいかと」


 父の性格からいって、娘がそんな状態ならば、結局はこのシーズン中の婚約発表を見送ってくれるはずだ。

 複雑そうな表情で聞いていたジャイルズは、身を乗り出してフィオナに向き合う。


「では、私の相手が誰ならいいと思っているんだ?」

「そうですね……」


 一段低くなった声と一緒に、夏だというのに冷たい風がさわりとフィオナの側を抜けた。

 

(――この人の隣にいて見劣りしない、お似合いの女性……)


 自分以外の、キャロライン嬢も含めた令嬢の顔が次々と浮かぶ。

 皆それぞれに美しく、フィオナよりよほど釣り合っている。


 チクリと痛んだ胸を誤魔化すように、軽く握った手を顎先に当てて考える。

 傾げた視線の先には、煙る気配を湛えた灰碧の瞳があって、また心が騒いだ。


「……ミランダ様、みたいな?」

「やめてくれ」


 はあ、と盛大に溜息を吐きつつ、がっくりと項垂れるジャイルズだが、さすが姉弟だけあってとても絵になる二人なのだ。

 ミランダが大輪のバラだとしたら、フィオナはその辺に咲くカタバミやキンポウゲだろう。

 そんなことを言えば、カタバミもキンポウゲも分からない。バラは興味ないと返されてしまう。


「華やかで綺麗なのに」

「棘がある。ほら、そこにも」


 ジャイルズが示す先を見ると、ガゼボの壁のスリットから美しい花冠が顔をのぞかせていた。当然、茎には鋭い棘がある。

 危ないからと言われて手を引かれるまま少し座り位置を直すと、ジャイルズとの距離がさらに近付いてしまった。


「とにかく、バラはいらない」

「そうですか……バラがダメなら、カトレアやランもお似合いになりそうですけど」


 腑に落ちない顔で眉を寄せるジャイルズに、フィオナはピンときた。

 

「ジャイルズ様。もしかして、覚えている花の名前はバラだけだったりしません?」


 完全無欠の貴公子に見えるし、実際そうだろうが、花の名前は疎いらしい。

 女性との関わりを避けてきた人だから、花言葉に寄せたブーケを贈ることもないのだろう。


「……少しは知っている。……ユリとか」


 バツが悪そうにそっぽを向いた横顔に、さっき脳裏に浮かんだ小さい男の子が重なって見えた。

 ――子どもの時のジャイルズと手を繋いで庭を歩いて、目にした花の名を片端から教えてあげたい衝動に駆られる。


(嫌がられるかな。木登りのほうがいいかも?)


「危ない」って、小さいジャイルズにフィオナが叱られそうだ。

 そんな想像が自分でもおかしくて、笑いが込み上げる。


「……ふ、ふふっ」

「なんで笑うんだ」

「だってジャイルズ様、なんか可愛らしくて」

「か、かわ……っ」


 思いもよらないことを言われて、ジャイルズが目を泳がせる。

 そんな、気取らない表情がいとしく思えた。


(今更だけど、普通の人なんだなあ)


 住むところも仕事も結婚も、生き方も、すべてが義務ありき。

 差し置いて本人の希望が尊重されることはないのが、歴史ある名家の嫡男というものだ。

 恵まれているが、不自由の多い人生だと思う。


 自分といる時くらい肩の力を抜いてほしいと願って、そうするくらいは許されるだろうか。


(……シーズンが終わるまでだしね)


 ジャイルズがフィオナに向ける心は、恋人のフリと同じく一時的なもの。

 期間限定の想いでしかないし、そうでなくてはならない。


 ようやく笑いをおさめたフィオナに、ジャイルズがむっすりと問いかける。


「……フィオナの好きな花を聞いたことがなかったな」

「花はなんでも好きです。いただいた花束はどれも素敵でした」


 そうではないと不満そうにするジャイルズに、フィオナは色とりどりの花を思い浮かべる。


「どうしても一つというなら……ブルーベルでしょうか」

「ああ、それは知っている。青い花だな。子どもの頃に見に行ったことがある」

「きれいですよね、香りもいいですし」


 森の奥で早春のほんの一時だけ咲く、釣鐘状の小さな青紫の花。

 絨毯のように青花が広がる群生地に連れて行ってもらったことは、フィオナの大事な思い出の一つだ。


「あっ、でも毒がありますから、食べたらダメなんですよ」

「そもそも、花を食べようという発想に普通はならないと思うが」

「ち、小さい頃の話です。スミレは砂糖漬けにできるじゃないですか。同じような色だから、食べられると思ったんです」


 ブルーベルも砂糖漬けにしたら綺麗だと思ったのだ。花の甘い香りも楽しめるだろうと。

 もちろん、察したハンスに花を触る前に止められたが。


「怒られただろう」

「はい、それはもう」

「小さな君は、本当に危なっかしい」


 ハンスの苦労が偲ばれる、と苦笑しながらしみじみ言うジャイルズと、今度は二人で笑い合う。

 近くには誰もいないようだが、どこに人の目があるか分からない。だからいつものように、お互いだけが聞こえる声で距離近く話している。

 こうして寄り添っている二人は、どこから見ても立派な「恋人同士」だろう。


 慣れたが気の抜けないフリを続けていると、ジャイルズは持参した荷物の中から大きなノートのようなものを取り出す。


「フィオナ、これを見てほしい」

「スケッチブック……デッサン帳ですか?」

「ルドルフが絵を描かされていた隠れ家にあった」

「そんな大事なもの!」


 ぽんと渡されて、あわあわと受け取る。

 手ずから持ってきた荷物だ。大事なものが入っているのは分かっていたが、まさか証拠品がはいっているとは思わなかった。

 デニスが言っていた「なにか掴んだ」というのが、このことなのだろう。

 しかし、いつの間に隠れ家を見つけたのか。


(やっぱり歌劇場で別れてから、よね)


 ジャイルズの父と、リチャードと連れ立って去った後だ。時間勝負だということも聞いていたが、さすがとしか言えない。


「念のためアカデミーで鑑定してもらうが、その前に」

「いいのですか?」

「ああ。ロッシュ氏が、近代の画家の作品が多いからフィオナが見たほうがいい、と」


 ロッシュの知識は素晴らしいが、彼が最も得意とするのは古典絵画だ。近現代の画家についての知見は、確かにフィオナのほうが広いだろう。

 認められて嬉しいものの、負う責任を考えると身が引き締まる。


「……わかりました。これを描いたのはルドルフですか?」

「いや。ゴードンだ」


 その言葉に、なにかがすっと胸に落ちる。

 うまく言葉にはできないが、ゴードンが絵の研究だけでなく自ら筆も取る人だったと知って納得している自分がいた。


 表紙をめくると、現れたのはたくさんのスケッチ。それも多くの名画をモチーフにしたと分かる下絵の数々だ。

 フィオナがこれまでに贋作だと見破った三枚も、例のベニヒワもあった。


「これをもとに、ルドルフに描かせていたようだ」

「そう、ですか」


 ルドルフが手がけた贋作は、あくまで本物を写した裏のない絵だ。そこに全く「私」はない。

 だが、これらの絵は明らかに違った。

 どの素描にも、描き手のエゴのようなものが見え隠れしている。

 ところどころにある異様ともいえる緻密な描き込みには、一種の執着まで見える気がした。


「……技術的には上手ですが、ちょっと……」

「素人目に見ても、あまり気分のいい描き方ではないな」


 特に花の絵にこだわりがあるようだった。

 今、フィオナのすぐそばで咲いているバラも、彼の手にかかると禍々しい色に染まって見える。


(……バラ。花。そういえば……)


「ゴードンの画廊には、宮廷画家だったポアレの絵があったそうですね」

「デニスから聞いたのか」

「はい」


 その一枚だけが、ルドルフが描いたものではなかった、と。

 スケッチブックをめくりながら、フィオナは知り合いの芸術アカデミー調査官との会話を思い出す。


 ポアレは、先王時代の戦争に翻弄された、不遇な画家だと聞いた。

 宮廷画家として重用を約束し招聘されたのに、ほんの数年でスパイ疑惑をかけられて追放され、戻った祖国では売国奴と糾弾された。


 生国とこの国、両方の画壇から名前を消され、彼女の絵はほとんど全て処分されたという。

 作品だけでなく、絵姿や自画像も残っていない。


 失意の中亡くなったポアレの功績は最近になって再評価され始めているが、廃棄を免れた作品があまりにも少なく研究も止まっているそうだ。


(ゴードンが一体どうやってその絵を入手したか、分からないけれど――)


「ポアレは植物を置いた静物画が得意な画家でした。このスケッチブックでも、描き込みが多いのは花の絵ばかりです」

「繋がりがあると思うのか」

「私はポアレの絵を見たことがないので、これだけではなんとも……でも、全くの偶然とは思えませんし、なにか意味があってもおかしくない気がします」


 ふむ、とジャイルズも一緒になって考え込む。

 と、そこに、血相を変えた侯爵家の使用人が汗を飛ばしてやってきた。


「失礼します、ローウェル卿。急ぎのお迎えが」

「迎え?」

「リチャード・ラッセル卿がいらして、馬車でお待ちです」

「――すぐに行く」


 緊急を告げる使用人の言葉に、さっとジャイルズの雰囲気が変わる。

 何かがあったのだ、とフィオナにも察せられた。


 スケッチブックを受け取り立ち上がると、ジャイルズはフィオナに真剣な顔を向ける。


「フィオナ。後で説明するが、すぐに部屋に戻って、今日だけは外に出ないように」

「は、はい」


 ちょうど山盛りの書類や手紙がフィオナを待っている。

 粛々と事務仕事をするのは願ったりだ――しかし。


「心配しなくて大丈夫だ。ちゃんと戻る」


 フィオナの顔色を読んだジャイルズの、安心させるような声に胸がきゅっと締められてしまった。


(やだ、私……)


 ついて行っても足手まといに決まっているし、そもそも同行など求められていない。

 荒事もなく、無事に済むようにと祈るしかできない自分が情けなかった。


 せめて笑顔で送り出そうと、フィオナも立ち上がる。


「あの、いってらっしゃいませ」


 歩き出したジャイルズの背中に向かって告げると、ぴたりと動きが止まった。

 そのままくるりと振り返り、一歩で距離を詰め、二歩でフィオナの前に立つ。


(なにか忘れもの?)


 座っていたベンチを振り返るが、なにも見当たらない。

 と、フィオナの頬を大きな手が包み、くい、と前を向かせられた。


「え……?」


 ジャイルズの少し冷たい唇が、フィオナの額に触れる。

 驚いて反射的に閉じた瞼にも口づけが落とされて、ピクリと肩が震えた。


 離れていく気配に薄く目を開けると、不敵な笑みを浮かべたジャイルズと目が合ってしまう。

 頬に置かれたジャイルズの手が下がり、親指の腹が少し開いたままの唇を軽くなぞった。


「あ、の」

「この前の晩のお返しだ。……行ってくる」


 そう言って背を向けると、ジャイルズは使用人に声をかけながら今度こそ足早に去っていく。


「彼女を部屋まで送るように」

「は、はいっ」


 その背中が花の陰に消えるまで見送って――


(お、「お返し」って、なにー!?)


 フィオナはベンチにへなへなと座り込んだのだった。






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