第45話 サックウィル邸
「悪いな、急に」
「いや」
侯爵家の門前で待っていた馬車には、リチャードだけではなく、今回の件で協力を依頼していた所轄の警部も同乗していた。
(やはりか。それにしても動きが速い)
予想はしていた迎えの理由が確信に変わる。
走り出した車内で警部と視線で挨拶を交わし、リチャードに顔を向けた。
「サックウィル卿だな?」
「ああ。見張りだけでなく、中に入りこませたほうからも合図があった」
バンクロフト伯爵がつけた見張りとは別に、ジャイルズたちもサックウィル邸には内通者を送り込んでいた。
不審な動きや接触者があれば、双方もしくはどちらかから連絡がくる手筈になっていたが、その両方から知らせが届いたと言う。
リチャードの目配せを受けて、警部が説明を代わる。
「オットー・ゴードンを名乗るブルネットで長髪の人物が訪問してきて、サックウィル卿の帰りを待っているそうです。体型や顔つきの証言からいって、本人と見て間違いないでしょう」
「待っている? 卿は不在なのか」
状況は分かったが引っかかる点がある。ジャイルズが警部に尋ねると、昨晩は同じ王弟派の某男爵家での夜会があり、随分接待されていたらしいとリチャードが代わりに答える。
「昨夜の夜会から戻っていなくて、そっちにも慌てて使いを出したところだってさ」
夜会では、そのまま主催の家に泊る者も多い。酒を過ごしやすいサックウィル卿は、その頻度が高いタイプだというのは有名な話だ。
「おかげでこうして俺らが駆け付ける時間稼ぎにもなったけどな」
「そうか」
二人が対面している場を現行犯で押さえれば、見つけ出した証拠と合わせて確実に罪に問える。
ジャイルズたちにとっては都合のいいタイミングだ。
(……だが、本当にそうか?)
一抹の疑問が浮かぶ。
不在の時に訪れて帰りを待っているとなると、ゴードンとサックウィル卿との間には前もっての約束や呼び出しがあったわけではなさそうだ。
ゴードンが自らの意思で赴いたと考えられる。
訪問の目的は、目前に迫った貴族院の総議会で王太子派を陥れるための最終的な打ち合わせ、もしくは、なにかトラブルが起きたと考えるのが妥当だろう。
正直なところ、フィオナが贋作を見破った一件以来ずっと身を潜めていたゴードン本人が現れるなどと、ジャイルズは思っていなかった。
(手紙や代理人をよこすほうが安全だ。わざわざ自分が出向くメリットはどこにある?)
画廊には従業員もいる。
店には以前、身元不明の怪しげな人物の出入りもあったとロッシュからも聞いている。
自分自身が安全圏にいるままで動かせる手駒はあるはずだ。
ゴードンは顔も隠さず白昼堂々とサックウィル卿の屋敷へ現れた。
しかもジャイルズたちが内通者を送り込んだのを見計らったようなタイミングで、だ。
(なにか企んでいると考えるのは穿ちすぎか……?)
贋作詐欺を疑われていることには気付いているはずだ。
サックウィル卿との関係はまだバレていないと思っているのか。それとも――
「ジル、着いたぞ」
声をかけられてハッと意識を戻すと、リチャードが外を窺っているところだった。
屋敷から少し離れたところで馬車を降りる。
つけておいた見張りの姿は見えないが、警部が軽く目配せをして合図を送っていた。
ぐるりと巡らされた塀に沿って屋敷裏に回ると、使用人出入り口付近で掃除をしていたハウスメイドがジャイルズたちを見て軽く頭を下げた。
臨時雇いのメイドとして送り込まれた、リチャードの実家であるモリンズ侯爵家の使用人だ。
「スーザン、どうだ?」
「客人は応接室に入ったまま動きはありません。こちらです」
スーザンはリチャードに向かって簡潔に答え、ジャイルズと警部にも軽く頭を下げると左右をさっと見回して中へと招く。
人気のない廊下を先導されて、ゴードンがいる応接室の隣室に着くとほぼ同時に玄関のほうから騒がしい音が聞こえてきた。
「サックウィル卿がお帰りのようです。それでは、私は持ち場へ戻ります」
「ああ、ご苦労。引き続き頼む」
しっかりと礼を取ったスーザンを主人の顔でリチャードが見送って、部屋には三人だけが残された。
細く開けた扉の隙間から外の様子を窺っていると間もなく、サックウィル卿の足音と声高な文句が聞こえてきた。
一度部屋に戻ってお支度を、という執事のすすめを却下して、玄関から直行してきたようだ。
肥えた体をのしのしと揺らしてジャイルズたちがいる部屋の前を通り過ぎ、応接室の扉を乱暴に開けるなり怒声を張る。
「ゴードン! ここには来るなと言っておっただろうが、いったい何の用だ!?」
「何の用とはまた、おかしなことを仰る。サックウィル卿、お約束いただいた報酬をいただきに上がりました」
「はっ、そんなもの。ことが成就してから払ってやるわ!」
「もう成ったも同然でしょう。第一、前払いのお約束でした」
「黙れ、平民風情が」
まだ手付金しか払われていないと淡々と話すゴードンを、サックウィル卿はいかにも不機嫌そうにあしらっている。
応接室の扉は開け放たれたままで、サックウィル卿の声だけでなく、ゴードンの通りの良い声もよく聞こえてくる。
いつも通り、サックウィル卿は目下の者に対して居丈高だ。
だがそれも今は虚勢に過ぎず、会話のリードがどちらにあるかは声だけ聴いていても明らかだった。
「おや、その平民風情の手がなければ、閣下はなにもお出来にならなかったでしょうに」
「なんだと? コレットにもモリンズにも売り込みを失敗しておきながら、偉そうに自惚れおって」
「どの家に仕掛けたかなど些末。王太子派であれば良いのだと、最初にそう同意なさったはずです。それにヘイワード家を落とせれば、効果として十分では」
「はっ! 小娘に贋作を見破られたそうではないか」
フィオナのことを言われて、打てば響くようだったゴードンの返事が僅かに詰まる。
よくない雰囲気を察してジャイルズは息を潜めた。
「……あれは確かに予想外でしたが、コレット侯爵夫人は計画の終盤でした。影響はないといえましょう」
「どうだか」
「予定通り、王太子派の家に絵を売り込むことに成功しています。私の請け負った仕事はここまで。この後はサックウィル卿、あなたの出番です」
私ごときが貴族院議会には入れませんからね、と、ゴードンの声が自尊心を煽るような響きに変わる。
「あちらの派閥を解体さえしてしまえば、議会の掌握など赤子の手を捻るようなものでございましょう?」
「当然だ。あの頼りない王太子の廃嫡だってすぐに決まる」
「有能なる閣下が摂政となってこの国を手中に収めるのも間もなく。私に与えるいくばくかの金など、取るに足らないものです」
「……うまいことを言いおって」
分かりやすく態度を軟化させたサックウィル卿に、リチャードが「大丈夫かコイツ」と呆れ顔になる。
こんな時ではあるが、ジャイルズも同意である。
「おいジル、聞いたか? よくこれで王宮でやってこれたな」
「先代はそれなりに立派な方だったはずだが。慣習と既得権益の弊害だな」
「こんなのに今まで散々足を引っ張られてきたのかと思うと、改めて不愉快なんだけど」
小声で頷き合って、また隣室に耳をそばだてる。
「こう見えて私も忙しい身ですし、閣下のお時間を長く頂戴するのも心苦しいです。ですから、残金はその指輪でも構いませんよ」
「なんだと?」
「小切手はお断りします。銀行は信用ならないですからね」
「しかし、これは」
「戦時中の貢献を評価されて、先代様が王家から下賜されたうちの一品とのことでしたよね。ですが、摂政となられる閣下にはより大きな石のほうがお似合いではないでしょうか」
「だ、旦那様」
むむ、と唸るサックウィル卿と、主人を止めようとオロオロする執事の姿が目に浮かぶようだ。
「お約束の額には少し足りませんが、エメラルドは好きな石ですから。ああ、ご心配なく。すぐに枠から外して、王家のものが流れたなどという醜聞には決して致しませんので」
古物商に売り払うなど足がつくような真似はしない、と言い切るゴードンにサックウィル卿も折れたようだ。
ウロウロと歩き回っていたゴードンの足音が止み、執事の抑えたため息が聞こえた。
ジャイルズたち三人は突入の目配せをする。
「……これで、貴様とは一切無関係だ」
「もちろん。ご利用いただき感謝申し上げます。今後ともご贔屓に、と言えないのが残念ですが」
「――そこまでだ。二人とも動くな」
ゴードンが礼をとったらしい微かな衣ずれの音を合図に隣室を出て、勢いよく応接室に踏み込むと同時に、警部が高らかに警笛を吹き鳴らした。
驚愕をあらわにしたサックウィル卿と、気の毒なほど顔色を失くした老執事がびくりと振り返る。
「なっ、なんだお前たちは!?」
「リーヴァイ・サックウィル並びにオットー・ゴードン。両名を王家に対する反逆を企んだ疑いで逮捕する」
銃口を向けた警部の言い渡しに目を丸くしたサックウィル卿だが、ジャイルズとリチャードを認めて苦々しげに顔を歪めた。
さっと左右を見渡して逃げ道を探るが、なだれ込むように入ってきた警官たちにあっけなく捕縛されてしまう。
「儂にこんな真似をして、ただで済むと思うのかっ! だいたい、バンクロフトとモリンズの小倅に何の権限があってっ」
警察に属しているとはいえ身分は平民の警部たちだけならば、自らの伯爵位を盾に逮捕拒否もできた。
この場にモリンズ侯爵家のリチャードと、同列位のジャイルズが同席することでそれを阻止していたが、なんにせよ不満はあるらしい。
「サックウィル卿。私たちがここにいるのは、殿下のあなたに対する最後の温情だとお分かりになりませんか」
「なんだと?」
温度のない声で告げるジャイルズに、サックウィル卿は血走った目を向ける。
「モリンズ侯爵が来ていたなら、法廷に行くまでもなくこの場で即、刑が処されたことは明らかです。猶予を与えてくださった王太子殿下に感謝するように」
「……私にも当然、その温情は与えられるのですよね?」
いやに落ち着き払った声が室内に響く。
「……ゴードン」
「官憲に逆らうような無謀な真似はいたしませんよ。私は、こちらの閣下に脅されて従っただけのか弱い平民ですから」
「なんだと、ゴードン!」
「確かに私は、結果的に詐欺を働いたかもしれません。でも、貴族様に命ぜられてどうやって断れます?」
「き、貴様……!」
「サックウィル卿を連行しろ」
ぎゃいぎゃいと騒がしい罵声を上げるサックウィル卿が、警部の指示で部屋から連れ出される。
ゴードンも粛々とその後に続いたが、ジャイルズたちの前でぴたりと足を止めた。
「知る限りのことを全てお話ししましょう。もちろん、条件はありますがね……?」
唇の片端を上げて、いっそふてぶてしい取引を申し出たゴードンに、ジャイルズとリチャードが眉を寄せる。
(そうきたか)
思い返してみると、ゴードンはサックウィル卿の依頼で贋作を売ったことは述べていても、隠した文書や王太子の廃嫡そのものについては一言も口に出していない。
あくまで絵を売っただけという体で証拠となる情報を渡し、自分は情状酌量もしくは減刑を狙っているのだろう。
(……まるで最初から、こうなることを狙って臨んだようだ)
抵抗もせずに大人しく縄をかけられたのは、逃れられないと判断したのか、それとも目的は他にあるのか。
本人を目の前にしてもなお謎の多い行動を訝しむジャイルズを愉しむように、ゴードンは冷淡な笑みを浮かべる。
「まさか目の肥えた貴族様が騙されるなんて、思いもしなかったですしねえ。なにしろ、可愛らしいお嬢さんでさえ見破る程度の贋作でしたから」
「……!」
「おい、さっさと連れていけ」
抑揚をつけてフィオナのことを匂わすゴードンに、動きそうになったジャイルズの肩をリチャードが引き止め、連行を促す。
一件落着とは言えない空気を残して、サックウィル卿とゴードンの身柄は警察の手に渡ったのだった。
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