第66話 昔日の後悔

 王太子の側近にジャイルズが連れて行かれたのは、王族控え室の一つだった。

 防犯の関係で毎年使う部屋が変わるため、対外的に秘匿なのは納得できる。

 入り口が見えるところまで案内されて、一人で扉を叩き中に入った。


「ああ、来た来た」

「お楽しみのところ悪いね、ローウェル卿」

「いえ、お待たせいたしました……これは、グレンヴィル公もお見えでしたか」


 フィオナも予想した通り、王太子と共にジャイルズを出迎えたのはリチャードだ。

 しかし意外にも、そこには王弟殿下であるグレンヴィル公の姿もあった。


(この方が舞踏会に?)


 継承権争いからは常に一歩引いており、公務も最低限。ジャイルズの知る限り、これまで王妃殿下の舞踏会に顔を出したことはないはずだ。


 現国王の実弟であり、甥である目の前の王太子とは王位継承のライバルとみなされている。

 だが、王太子自身も叔父である王弟とは不仲なわけではない。


 派閥に余計な波風を立てるのを避けるため、二人の間には距離がある。

 本来、穏やかな王太子と物静かで研究者気質の王弟は、継承権の問題がなければきっと気の合う叔父甥であれただろう。


「挨拶は抜きで」


 臣下の礼を取ろうとするジャイルズを、王太子がそのままでいいと止める。

 この会合は非公式だ、と人差し指を立てる王太子に頷いて、ジャイルズは勧められた椅子に浅く腰掛けた。


「早速だけど、叔父上の話を聞いてほしい」


(……だろうな)


 王弟殿下がここにいるのだから、そう言われて何らおかしくない。

 それに王太子は本来この時間、広間にいるべき人間だ。休憩を取るのは構わないがゆっくりしてもいられないはずで、早速用件に入るのも納得だ。


 視線を交わしたリチャードと揃って了承すると、王弟は小さく息を吐いた。


「少し長くなるが、聞いてほしい」


(そして、王弟殿下が私とリチャードを呼んだということは)


「オットー・ゴードンの件だ」


 ――やはりか、と、再度内心で頷いた。





 王太子が最初に言った「非公式」とはつまり、口外無用ということだ。

 そう宣言したうえで集められた面を見れば、話す内容についておおよその見当は付く。


「まず先に断わっておくが、これから話すことはあくまで私個人の考えで、兄……国王は、なんらあずかり知らぬということを承知してほしい。王太子ルイに伝えたのもつい最近だ」


 つまり、独断であり王家の意思ではないと王弟は強調する。


「君たちはゴードンの一件を担当したから、ポアレを知っているだろう。……ゴードンは、彼女の息子だ」

「その可能性は……考えておりました」


 花の静物画を得意とした、不運の画家ジュスティーヌ・ポアレ。

 彼女の名前とゴードンは既にジャイルズの中で結びついていたため、軽く頷いて先を促す。


 日に焼けた柔和な顔に苦さを滲ませて、グレンヴィル公は眉間に皺を刻み言葉を続けた。


「そして、ゴードンの父親は……前王、私の父だと思われる」

「……!」

「つまり。彼は私の、年の離れた異母弟だ」


 王弟の告白に驚きはあったが、ゴードンの背後にサックウィル卿以外の協力者の存在を全く想像しなかったわけではない。


 ――探ってもいっそ鮮やかすぎるほどに何も出てこない過去。見つけられない潜伏先。サックウィル卿との不自然なつながり。


 ゴードンのあの声でもっともらしい理由を述べられると信じてしまいそうになるが、落ち着いて考えれば、どれも一介の画商としてありえないものばかりだ。


 黒幕と思われたサックウィル卿が失脚してもダメージを受けた様子はなく、むしろゴードンは裁判でも嬉々として卿を堕とす側に回っていた印象を受ける。

 だから、派閥や継承争いの問題を引き起こしながらも、その目的はサックウィル卿とは別のところにあると踏んでいた。


(その目的が分からなくて、詰め切れずにいたのだが)


「昔話をさせてもらえるだろうか」


 そう言って、王弟は遠い目をした。


「……私は王太子だった兄に比べて出来が悪くてね。特に帝王学は苦手で、よく家庭教師の講義を抜け出していた」


 王宮内を隠れながらうろついているときに、宮廷画家として招かれていたポアレと出会ったのだという。


「彼女はなんというか、型破りな女性だった。描くものはあんなにも繊細で美しいのに、剛毅で大胆で。まあ、そんな女性でなければ絵の腕一本で、しかも他国で身を立てることなど無理だったろうが」


 視線と心を過去に向けながら、王弟は訥々と語る。


「眩しくて、憧れたよ。でもそう思ったのは私だけではなかった……ほどなく、彼女は父に愛人として扱われるようになった」

祖父前王が私の反面教師なのは知っているよね」


 王太子が言うとおり、前王は気が強く、好戦的な性格をしていた。

 ちょうど大陸各所で紛争が勃発したことも重なって、治世も穏やかとは言いがたかった。


 若い頃から素行に問題のある人物だったが、強力なカリスマ性も持ち合わせていて、戦時にはその求心力が必要であった。

 国も宮廷も混乱する中、王の目に余る行動は見逃されることが多くなる。


「彼女は父を好いてなどいなかった。それは確かだ」


 いくら気丈だとはいえ、招聘され養われている身である。国王に迫られて拒むことなど不可能だ。

 しかし王は彼女を当時まだ制度が残っていた愛妾に据えることも、公の場に伴うこともしなかった。


「あの父になにか思惑があったのかは分からない。正妃やその派閥の者に二人の関係が知られてからも、一切彼女を援護しなかった」


 当然のように、ポアレの宮廷内での立場は怪しくなっていく。


「さらに出身国である隣国との開戦が追い打ちを掛けて、彼女は諜報員の容疑も被ることになった」


 冤罪で、内々に死刑が求刑された、と王弟は吐き捨てるように言う。


「自分の無力さに絶望したよ。目の前で非のない女性が心身の尊厳を踏みにじられているのに、何もできないのだから。子どもだからなどという言い開きも許されない」


 悔しさを滲ませた声で、固く手を握り込む。


「王都の端にまで敵が攻めてきた。その混乱に乗じて彼女を逃がすのが精一杯だった」


 隣国へ帰ったはずのポアレを捜し始めたのは、国王である父が亡くなり終戦を迎えてから。

 しかし国内外が混乱した状態で、捜索は遅々として進まない。


現王あにには言えなかった。即位したばかりだったし、もともと父を憎んでいる人だったから」


 父の性格と治世に反発していた王太子が、父の愛人だった女性を見つけたら……よくない反応が簡単に想像でき、ごく内密にしか捜索は進められなかった。


 ポアレの消息が判明したのは何年も経って、諦めかけていた頃だ。


 そこで、彼女が既に亡くなっていること、帰国の翌年に男児を出産していたことを知らされる。

 出産時期からいって、その子はきっと父の……自分の弟であろうと思い至るのに時間は掛からなかった。


「彼女が子を宿していたことは知らなかった。知っていたらもっと身の振り方を考えたのに、私は多少の金品を持たせて差し迫った危険から遠ざけることしかしなかった」


 十歳程度の子どもがやれる精一杯以上だとジャイルズは思う。だが、そうだとしても、本人の呵責が軽くなることはないだろう。


 祖国でも敵国帰りと後ろ指を指されたポアレの晩年は困難を極めただろう、と王弟は重く言う。

 遺された男児は施設に引き取られたが、何カ所かの救貧院をたらい回しにされた後は生死すら分からなくなっていた。

 戦争孤児がごまんといる中、瞳の色ひとつ分からない子どもをそれ以上捜すことは、不可能だった。


「二年程前、親善で訪れたあの国で内輪のパーティーに顔を出した。そのときポアレの絵を贈呈されて……持ってきたのが、ゴードンだった」


 亡くなった母の描いた絵だと言った男性は、ポアレの産んだ子と同じ年齢で、なにより顔立ちがよく似ていた。


「証拠はその絵と本人の証言以外にない。だが、彼女の子だと直感したよ」


 本人が画商をしていたことにも血筋を感じた。

 日を改めて、話がしたいとこちらから申し出て、探り合うように静かな交流が始まった。

 しばらくしてゴードンから遠慮ぎみに「母が渡った国を見たい」と願い出られたときは、嬉しかったという。


「……罪滅ぼしをしたかった。だからといって彼女が還ってくるわけも、二人がその身に負った苦労が無くなるわけでもないのは分かっていたが」


 母と自分を苦しめた前王もこの国も、なにもかもをゴードンが快く思っていないのは当然だった。

 それでも贖罪がしたかったと王弟は悔やみごとを述べる。


「この国に来てからの彼は、君たちが知っての通りだ」


 王弟とゴードン、そして王家との関係を公にはできないが、ギャラリーを開きたいといえば資金を、貴族とのつながりを求められればサックウィル卿とそれとなく引き合わせたりと便宜を図った。


「彼が私を利用するつもりだということはすぐに分かったよ。それに途中から……私も彼を利用した」


 そう言って、王弟は自嘲を乗せた唇の端を上げる。


「ゴードンは混乱を求めていた……それも、尋常ではないほどに。過去に囚われている彼を止めることはできないと判断した私は、派閥を潰すのにいい機会だと思うことにしたのだ」


 自分に王権を求める意思はないと宣言しているにもかかわらず、神輿に乗せようとしてくるサックウィル卿に辟易していた。

 しかし、王弟自らが進んで卿を退け派閥の解体に乗り出せば、宮廷政治に関わる貴族の反乱を招くことは必至。

 ならば自滅に導くのが手だと、ゴードンの策略に巻き込まれる体で己の望みも満たしたのだ。


 ゴードンが保身を考えずに動いているように見えたのも、目的が曖昧に見えたのも、別の二人による企みが絡み合ったものだったから。

 そうと知って、ジャイルズとリチャードは瞠目する。


「……なるほど」

「あれほど嫌っていたが、私も父の子だったのだな。都合がいいと思ってしまったのだから」

「叔父上、そのような言い方はおやめください」


 結果として、対立派閥の長だったサックウィル卿は失脚し、多少混乱があったものの政治的には逆に落ち着き始めている。

 長い目でみれば、ここ数年で一番利がある国政の変化だと言える。


「お話は分かりました。それで、私たちになにをお望みですか?」


 リチャードの質問と同じことをジャイルズも思った。

 事情は知れたが、この先に続くであろう用件が見えない。グレンヴィル公の口調から、ゴードンの罪を水に流せとは言わないだろう。

 それなら一体何を求めているのか。


(過去を打ち明けるだけなら、今この時にする必要はない)


 わざわざ舞踏会の最中に呼び出さずとも、昨日でも明日でも構わないはずだ。

 ふと、嫌な予感がジャイルズの胸を掠める。


「ゴードンは、クレイバーンの令嬢に執着しているようだ」

「っ!」


 思わず、肘掛けに置いた手に力が入る。

 そんなジャイルズから視線を外して、王弟は小さくため息を吐く。


「彼女とポアレは髪色も顔立ちもまったく違う。調書を読む限りおそらく性格も異なるだろう。それなのにあの令嬢は、どことなくポアレを思い起こさせる。……だからだと思うが」

「殿下。具体的にお願いします」


 先を促すリチャードに、王弟は一瞬間を置きつつも迷いなく答えた。


「彼女とゴードンを会わせたい」

「グレンヴィル公、それは!」


 立ち上がりそうになるジャイルズの腕を、リチャードが押さえて引き戻す。


「もちろん二人きりでなどとは言わない。ゴードンは拘束した状態でも構わない。私は……ゴードンに、過去をもうこれ以上引きずってほしくないのだ」

「それがどうして、フィオ……ミス・クレイバーンと会わせることに繋がるのですか」


 言いながらジャイルズとて理解はしている。

 ポアレを彷彿とさせるフィオナと会わせることでゴードンに「現在」を認識させ、「過去」と決別させようというのだろう。

 だが、それは危険すぎる。

 バンクロフト伯爵家で、サックウィル卿の屋敷で。ゴードンが見せたあの不穏な眼を王弟は知らない。


「頼む。それを見届けて、私は継承権を永久に放棄しようと思う」

「な……!」

「叔父上!?」


 そこまでは聞いていなかったのだろう。王太子が驚愕を浮かべる。


「王位継承に関与するつもりは昔も今もない。だが、私を推すサックウィル卿を積極的に諫めなかった責はあろう」

「で、ですがっ」

「すまない。すべて私の我儘だ」


 迷惑をかけると頭を下げられて、その場を静寂が支配した。


「サックウィル卿のような者が、また現れないとも限らない。正直私も、もう疲れた。これを機にゴードンと共に表舞台から完全に身を引かせてもらいたい」

「グレンヴィル公……」

「余生は、ポアレとあの戦争の被害者を悼む花を育てることだけに捧げたいと思う」


 リチャードの視線を横顔に感じながら、ジャイルズは王弟を見つめ続ける。

 表舞台からは常に距離を置き、植物の生育に心血を注ぐ彼の心にあったのは、花を描いた画家に向けた悔恨だった。

 日に焼けた肌に刻まれた深い皺は苦悩の証。穏やかな紫紺の瞳は、後悔の色に満ちている。


「……それは、ご命令でしょうか」

「いいや。だが、そのほうがよければ君に命じよう。最初で最後の主命だな」


(私に命じはするが、フィオナに強制はしない、ということか)


 ここにフィオナを同席させなかったのも譲歩だろう。聞いてしまえば、一臣下の男爵令嬢である彼女が逃れる術はない。


「……決めるのは、彼女です」

「それでいい」


 断わる猶予まで残されて、これ以上の拒絶はできない。ジャイルズの返答に、王弟は満足そうに強ばっていた肩を緩めた。


「ゴードンは別室に見張りを付けて待たせてある。舞踏会が終わったら、そこで……」


 まさか連れてきているとまでは思わなかったが、警備や人の目を考えると一番不自然のないタイミングが今なのかもしれない。

 だが、王弟の言葉が終わる前に、余裕のないノックの音が響いた。


「ああ、私が出ます」

「リック」

「大丈夫だ、気をつける」


 人払いをしているこの部屋に、不用意に近づく者はいないはず。

 リチャードが警戒しつつ開けた扉の向こうには――先ほどジャイルズを呼びに来た側近と、負傷した腕を押さえて頭に血を滲ませた護衛が青い顔で立っていた。





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